あれから一ヶ月が経っていた。すでにダムドの名は反逆者として正史に刻まれた。その中にフェリクスの名はない。フェリクスの名を秘し、すべてをダムドに帰すこと、それがダムドへの罰だった。身分を剥奪し、いままで彼が蔑んできた庶民となして宮廷に下男として奉仕する。過酷すぎる、そう言ったものもいた。当然だった。罰なのだから。
 解放されたフェリクスは深く罪を悔い、荒れ果てた地を再生させるための研究に励んでいる。しばらくは監視がつくことは間違いないが、それもそう遠くはないうちになくなるだろう。
 無論、カロルもフェリクスを手伝っている。まだ未熟な魔術師一人の手にはいかにも荷が重い事業だ。本来ならば、メロールの手も借りたい。が、これがフェリクスへの罰であることを鑑みればそうはいかなかった。
「あのクソ爺……」
 カロルは一人、自室にいた。いずれにせよ、長い時間がかかる研究だ。いくら気負いこんでもすぐにどうなるものでもない。
 魔道書を読み続けて疲れきった精神をなだめるため、自分の部屋に戻ったものの心が休まるわけでもなかった。
 リオンだけが、解放されていない。それがカロルを苛んでいた。自分の元に来る気がないのでないことはわかっている。それならばメロールがそれを告げにくるだろう。
 そうでなくとも、ハルバードだけは取りに来るはすだった。少なくとも誰かに取りにこさせはするだろう。彼があの武器を手放すはずがない。神殿から与えられた、彼にとっては聖印と同じように大切なもののはずだ。
 それならば理由はひとつ。カロルは舌打ちをする。メロールがいまだリオンに対して手を打っていないということしか考えられなかった。
「クソ爺め」
 小声で師を罵りカロルは膝の上に本を開いた。柔らかいソファに腰を下ろしているのに、体が強張っている気がしてならない。
 メロールはリオンが王宮から出ることができないように、あるいはラクルーサの秘事を漏らすことができないように何か手を打つと言っていた。
 それはカロルにも良くわかっている。彼もまた、宮廷魔導師団の一員だった。ラクルーサの大臣が男娼を買った挙句、脅迫したものの返り討ちにあって反逆させられたなど、外部に漏らすわけにいかないことくらいは、わかっている。
 再び舌打ちの音がした。本に目を落としているようでカロルの視線は動かない。まるで読んでいない証拠だった。
「なにする気なんだかよ」
 いったいリオンをどうしようと言うのか。それがわからない。あまりにも不愉快で、あれ以来メロールとは親しく会話をしていなかった。あるいは、とカロルは思う。
「怖いだけかな……」
 思ったことを口に出せば笑みが浮かんだ。自嘲も露なそれを見れば、メロールならば慰めてくれるだろうか。
 リオンに軽蔑され、罵られるのが怖い。失うならば、それでいい。そう覚悟してここまで来た。だが、こう延々と無駄に長く引き伸ばされるのは、いやだった。
「さっさとカタつけてェ」
 知らず片手で額を覆う。こんな風にじりじりと追い詰められるのは、たまらない。
 リオンを失うのは、決まっていたこと。それは塔の中ですでにわかっていたこと。フェリクスを見せてしまえば、リオンを王宮に連れて来ざるを得ない。そして王宮にきてしまえば、フェリクスの過去が明らかになる。
 カロルとて、はじめからすべてがわかっていたわけではない。だが、ダムドとフェリクスと言う二人が魔術師の塔にいることでフェリクスの過去に何らかの関わりがあるのは、悟っていた。だからこそ、自分が隠し続けてきた過去もまた、公になる。
 フェリクス一人、苦痛に満ちた道を歩ませる気はなかった。それがフェリクスにさえ、自分の過去を隠してきたカロルの責任の取り方だった。だから、リオンが去って行くのは、わかっていたこと。
 カロルは諦めて本を閉じ立ち上がる。窓辺に行けば遠く塔の跡地が見えた。そこに人の姿を見つける。
「フェリクス」
 必死になって罪を贖おうとしている若い弟子を見るカロルの目は優しい。前に進もうと努力し続ける気概をいつから失ってしまったのだろうかと思う。
 そっと胸に手をあてた。規則正しく鼓動する心臓。生きているのだとは、思う。生きていたいのかは、わからない。
 フェリクスに貫かれた腹の傷は、すっかり治っている。あれほどの傷を治癒させたのはさすがだと思う。いくら他の神官の手を借り、静謐の間を使ったとはいえ。
「司教、か……」
 高位の神官だろうとは思ってはいたが、そこまで高位を有するとは思ってもいなかった。自分の神殿を持っていてもおかしくはない。放浪しているほうが、おかしい。
 だがそれがリオンには似合っていた、そう思えばカロルの口許に笑みが浮かぶ。押さえた腹の傷跡に温かいものがある気がしてならない。
「馬鹿みてェ」
 自らを笑い飛ばしてみる。やはり、気が晴れるわけでもなかった。リオンが去っていくのを見たくないのだろうとは、思う。
 カロルの心にこの一ヶ月ずっと響き続けている声。リオンの囁き。塔の中で言われた言葉が何度も何度でも蘇っては消えずにこだまする。
「気のせーだって。決まってら」
 リオンが、いまどこにいるのかカロルが決して知ろうとはしないリオンが、どこからか囁いているとはとても思えない。思いたくない。
 窓枠に腰掛けてフェリクスを見つめ続けた。荒れ果てた土を掘っている。手に取ったそれがぼろぼろと崩れていくのを見たのだろう、頭を垂れた。
「頑張りすぎんなよ、馬鹿弟子」
 聞こえはしないのを知りつつカロルは言う。彼に助言すること。今カロルにできるのはそれくらいしかない。
「もう、面倒くせェなぁ」
 生きていることが。さすがに口に出すのははばかられ、それだけは言わなかった。けれど自分の心は偽れない。
 あれからカロルは宮廷でも顔を隠す事をやめた。最初のうちは当然だが誰も彼がメロール・カロリナだとはわからなかった。
 そのうち、なぜ彼が顔を隠していたのか、そして出自までもが宮廷に知れ渡る。噂話を止める術などない以上、覚悟していたことではある。フェリクス一人をそのような目にあわせたくないからこそ、した決心だった。
「ちっ」
 カロルの素顔を知った者の中にはやはり愚か者もいた。カロルの過去が知れた以上、何事かを申し出る者もいた。大半を冷たい一瞥で黙らせてきたとは言え、不愉快には違いない。
 積極的に死にたいと思っているわけではなかったが、いささか生きているのが面倒だとは思うようになってしまった。
「違うか」
 もっとずっと前からかもしれない、とカロルは思う。自分の血を飲み、肉を食らって生き抜いてきたも同然な少年時代。なにがあっても生きて見せると誓っていたはず。そう思わなければ、生きてこられなかった。
 そしていま、生きている。自らのしてきた事を恥じはしない。生き抜いたことを誇りにも思う。それでも、知られたくない人間が一人、できてしまった。できてしまったのに、知らせなくてはならなくなった。
「わけわかんねェ」
 恥じないといい、知られたくないと言う。自分で自分のことがわからなかった。視界の端、部屋の隅に立てかけたリオンのハルバード。手入れの仕方などわからなかったから放ってある。それでも聖別された彼の武器は輝きを失わずにそこにある。
 それがカロルをかき乱した。リオンはわかっていて、これを自分に預けたのだろうか。戦闘の途中で同じ事をしてのけた男のことだ、違うとは言い切れない。
「違う」
 カロルは唇を噛んでは自分に言い聞かせる。希望など持てるはずもないこと。自分を律するのに精一杯だったカロルは、あのときのリオンの表情を覚えてはいなかった。
 同情だったら許さない。軽蔑だったら殺してくれる。どんな形でもいい。早くすべてを終わらせたかった。
 何かきっかけでも掴めないかと探っていたのだろうフェリクスが諦めて荒地から立ち去るのが窓から見えた。
「死ねねェ」
 少なくとも、フェリクスがあの地を元に戻すまでは。自分の弟子を放って行けるほど非情にはなれない、今はまだ。
 あるいはこんな気持ちになったとき、半エルフは旅に出るのかもしれないとカロルは思う。永遠に帰ってこない旅と言うのはどのようなものなのだろうかと思う。
 どこか行き着く場所があるのだろうか。それとも放浪を続けるのだろうか。そこまで思って舌打ちをした。放浪の単語に彼を思う。
「疲れた……」
 誰もがきっとカロルらしくないと言うだろう。窓に額を預け、ぼんやりと眺めるでもなく外を見ているなど。
 一人でいるときくらい自分を甘やかしてもいいじゃないか、カロルは思いそして内心で自らを嗤う。以前はそのようなことはなかった。じっと何かを待つなど、何かを待って立ち止まるなど、あまりにも自分らしくはない、カロル自身でさえそう思う。だが、動けなかった。
「さっさと……」
 はっとカロルが体を起こした。今のいままで打ちひしがれていたなど、何者にであっても窺わせることすらしたくない。毅然として振り向いた。扉の前、誰かがいる。入室の許可を求めるて扉を叩く音にカロルは答えた。
「どうぞ」
 静かに開いていく扉から、目を離さない。なぜと言うわけではない。ただ、自分の憔悴具合を他人に知られたくないせいであるのだろう。普段よりずっと硬いカロルの顔がそれを物語っていた。
「いま、ちょっといいですか?」
 開ききることなく、扉の隙間から顔を出した男。覗き込むようにしているのは、部屋に入りたくないからか。カロルは黙ってリオンにうなずいた。
「よかった。お邪魔かな、と思ったんで」
 言うとリオンはカロルの思いなどどこ吹く風と入ってくる。ゆっくりと扉を閉める音がやけに耳障りだった。
「休憩中だって聞いたんで、どうかなと思ったんですけど。解放されたらまずあなたのところへ、と思ってましたから」
 近づいてくるリオンの何気ない表情のひとつも見落としはしまいとカロルは黙って彼を見ていた。それをどう思ったのかリオンが少しばかり笑みを浮かべる。
「ハルバードなら、そこにある」
 用事はそれだろうと決め付ける。指差したほうをリオンは見もしない。肩をすくめて困ったよう口許を緩めただけだった。
「持っていけばいい。軟禁は終わったんだろうから」
「終わったんですかねぇ」
「出てこられたなら、そういうことだろう」
「カロル」
 口調の硬さにリオンは彼を呼ぶ。途端に目をそらした。それが悔しかったのだろう、唇を噛むのが見えてしまった。ゆっくりと深く、リオンは息を吸った。




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