己の過去同様、おぞましい自分の思いを知ればいい。カロルの言葉と思いはノキアスではない一人に向けられていた。
 中途半端な同情など要らない。いっそ蔑めばいい。どこか自分の見えない場所に行けばいい。どちらにせよ、離れて行ってしまうのならば。
「命を失った者を再びこの世に帰還させることができないか、研究したことがあります」
「それは、なぜ?」
 わかってしまっただろうに、カロルの残虐をあえて口にさせようとする。それはノキアスが下したダムドへの裁きのはじめだったのかもしれない。
「一度殺したくらいでは飽き足らない男がいました。望む限り何度でも殺すことができるように」
 うっとりと呟くようなカロルの声に大臣たちは言葉もない。ダムドはそんなカロルを血の気を失いきった顔で見上げていた。
「フェリクスの気持ちが、よくわかります。この身に屈辱を与えた人間をすべて探し出して殺してまわりたい。このような世界など、滅びればいい。……よく、わかります」
 カロルは視線を落とした。ローブの裾を、フェリクスが握っていた。その黒い両目から、大粒の涙が零れ落ちている。それなのに彼は笑っていた。泣き笑いの顔に浮かぶこれ以上にない満足。カロルは黙ってうなずく。柔らかい黒髪に手を置けば、こらえきれなくなったフェリクスが声を放って泣き出した。
「出自を、話しておけばよかった。今はそう思う。……が、言えるもんでもねェしな、フェリクス?」
 荒い言葉で茶化したカロルの声を何度も、何度もうなずいてフェリクスは聞いている。自分も言いたくなどなかった。自分を拾ったときに、カロルは悟っていたはずだけれど、一度として口にしたことはなかった互いの出自。
「ですが、陛下。この世を壊してまわってもおそらく私は虚しいだけであったでしょう。際限なくダムド殺しても、私の過去がきれいになるわけでもない」
 ローブの裾を掴むフェリクスの手をカロルは包み込む。思い出したくもない事を、すべて思い出してしまった。逃れたはずの過去からの痛打。
「フェリクスが望んだのは、ダムドのすべてを剥ぎ取ることだったと私は思います。そうだな?」
 嗚咽をこらえフェリクスがうなずく。大臣たちはしんとして声もなかった。カロルは視界の端にトランザムが痛ましそうに目をそらしたのを見た。リオンは、どのような目で自分を。思えどもとても目を向けることはできなかった。
「地位も名誉も権力も、すべて奪いつくし……生き恥をさらすがいい。それこそが我らの望み」
 王に向けていた目をダムドに移しカロルは宣言する。ノキアスが、それを容れてくれるだろうことは確信していた。
「なにを……貴様が、そのような……」
 力ない抗いに、あのころの思いが蘇る。あのように、自分は抵抗の無駄を知りつつ抗っては陵辱されたのだ。体の奥底から沸きあがってくる憎悪に身を委ねかけ、カロルは必死に自制した。
「メロール・カロリナの進言を容れる。アデル・ダムドよ、お前の為したことは我が国の恥部として、後世への教訓として正史に刻まれるだろう」
 ダムドの声なき絶叫が響いた。そしてその瞬間、カロルとフェリクスの復讐は達成されたのだ。もっとも、後になって思ったことだった。二人とも今はそれを冷静に受け止めるだけの余裕はなかった。
「フェリクスよ。そなたの為したことは紛れもない悪事であった。そなたは師を、あるいはメロールを信用じて一切を打ち明けるべきであった。信頼の欠如が、このような事態を招いたと思えば残念である。だが、そなたは同情に値する。悪事を為したとは言え、我が臣の一人が原因でもあればそなたの罪を減ずる。フェリクス、崩壊した塔の跡地は荒れ果てている。そなたのすべてを賭けて元に戻せ。それを償いとする」
「師として、弟子に代わって御礼申し上げます、王よ。必ず五年の間に荒地を緑野に戻してご覧に入れます」
「そなたも手を貸すつもりかね?」
「弟子の罪は師の罪なれば」
 一礼したカロルをフェリクスが強張った顔で見上げた。これほどまでに大事にされていたのに、自分はなぜカロルにすべてを告げなかったのだろう。いまさらながらに悔やまれた。フェリクスはぎゅっと自らの手を握り込む。カロルの期待に応えたい。必ず、償いを済ませる。そして今度こそ、自分の足で歩く、と。
「陛下、アレクサンダー王に倣うおつもりはありませんか?」
 そっとメロールが振り返って言った。いまここでなにを言うのか、と大臣たちが訝しい顔をする。が、ノキアスはしたり顔をしてうなずいていた。
「アレク王は、当時迫害の極みにあった半エルフを保護され、ラクルーサ王国に魔術の花を咲かせました。我が国が栄えた一端は、僭越ながら我ら半エルフの努力にもよるもの」

「我が力及ばず、いまは再び半エルフも魔術師も迫害されてはいるけれどね」
「それが時代と言うものにございましょう。王よ、アレク王のよう、賢王の名をお残しになられませ。貧民を救済なさいませ。子供が売られることがなくなれば、自然と幼い者が厭わしい行為を為さずに済むようにもなりましょう」
「難しいね、それは」
 貧民を救済することが難しいと王は言っているのではなかった。人間の、性の話をしていた。だが、半エルフには理解できないことだろうと王は思う。彼らは人間ほど強い欲望を持たないらしい。
 おそらく貧しい者を救ったとて、娼家はなくなりはしないだろう。そもそもカロルもフェリクスもあるいはその魔法の才能を、あるいはその血を忌まれて売られたのだ。そのような者たちを貧民救済などをしたくらいで救えるものだろうか。けれどすべての者を救えなくとも、一握りの者であっても救えるかもしれない。それを望むしかなかった。
「例えば、どのような事をしたらいいだろうか」
「私は政策には疎いのです。ですからほんの例え話としてお聞きください。王が公のための事業を起こすというのはいかがでしょうか」
「ほう……。それに貧しい者たちを使うというのだね。働かせ、それに見合った金銭を得れば、少しは暮らし向きも楽になるかもしれない、と」
 ほうと大臣たちの間から溜息が漏れた。そのような事を考えた者など誰一人としていなかった。いままで公共事業を起こしてこなかったわけではない。道路も水路も国民を徴用して作っていたのだ。大臣たちは唸る。そんな彼らの表情にノキアスはひそやかに笑った。
「メロール。それは本当にそなたが考えたのかな?」
 驚いたのだろう、振り向いたままのメロールが何度か瞬きをした。それをノキアスは面白そうに見ては言葉を促す。
「ご明察、恐れ入りました。カロリナの考えにございます」
 大臣たちが一礼したメロールを見ては呆然とし、次いでカロリナを見ては呆気にとられる。そして自分たちがいかに地位の上にのうのうと座り込んでいたのかを知る。ある者はそれを恥じ、ある者は不快に思った。
「わかった。落ち着いてからゆっくり話を聞かせてもらおう。まずは目先の事を片付けてしまわないとね」
 王の指図に従ってゆっくりと、近衛騎士がダムドとフェリクスを引き立てていく。ダムドはさらに犯した罪を語らされるために、フェリクスはそれを裏付けるために。
 カロルは無言で弟子の後姿を目で追った。従容として罪につく姿ではない。償い、そして前に進む事を決心した頼もしい背中だった。
 すべてが終わった、とカロルは息をつく。フードを戻しかけ、そしてやめた。いまさら顔を隠す意味はない。自らを恥じることなく生きていけばよいだけのこと。
 そしてそれがどれほど難しいことか。カロルは内心に自嘲した。フェリクスにできることが自分にはできない。一歩も進めない。どこにも、行かれない。あるいは、行きたくないのかもしれない。そんな思いに囚われたカロルを引き戻したのは王の声だった。
「リオン司教。そなたにも話を聞きたい。留まってもらえるね」
 依頼ではあった。だが、王の依頼だった。リオンは拒めない。無論、拒むつもりもなかった。
 丁寧に一礼したリオンに王がわずかに申し訳なさそうな顔をする。いささか意外だった。その分、リオンはこの若い王に好感を持つ。
「カロリナを助けてくれたそなたに対してこのような事を言うのは憚られはする。が、国を守るのが我が使命である。ラクルーサの秘事を知ったそなたを、解放するわけにはいかない」
「メロール・カロリナより、すでに知らされております」
 リオンが発した名の響きにカロルは心の内で身を震わせた。なぜあの男がそう呼ぶと冷たい感じがするのだろうか。
「そうか、それならば話は早い。拘束するわけではないが、秘事を漏らさないと確かになるまで王宮からは出られないと思ってもらいたい。メロール。そのような手段はあるかな」
「考えてみましょう」
「ではそれまでは、元の部屋に戻っているがいい」
 つまりは再び軟禁に戻るわけだとリオンは内心で溜息をつく。いまはそのような事をしている場合ではないはずなのに、煩わしかった。
「こちらにどうぞ」
 ダムドたちと同じよう、近衛騎士がつく。どこか不快ではあったが、リオンはそれを表情に出すことはなかった。何よりもカロルが気にかかる。
「失礼ですが」
「はい?」
「武器を」
「あぁ……」
 この期に及んでなにを言うのだろうか、とリオンは思った。だが、長きに渡っての軟禁を申し渡されたのだったと気づく。実力行使で突破されるのを恐れているのだろう。ふと思いついたことをリオンは言った。
「メロール・カロリナ」
 呼び声に、カロルが振り向く。信じ難いほどの無表情。息を飲めば腹の中に冷たい石があるようだった。
「カロル」
 正式な名ではなく、以前呼んでいたように。それでも彼の顔は変わらなかった。ゆっくりと話がしたかった。だが、ここでは無理だ。
「これ、預かってもらえません?」
 言ってリオンが差し出したものにわずかにカロルの表情が動いた。気づけば伸びていた手を自ら訝しむような目で見ている。ハルバードの柄に触れてはじめてカロルの目に生気が宿った。
「確かにお預かりする」
 だがカロルの口調は宮廷魔導師としてのそれ。リオンは内心で落胆するが顔には出さなかった。少なくとも、武器を受け取ってくれた。その意味を彼が知らないはずもない。
「お願いしますね、カロル」
 ここが宮廷ではないような口をきく。だがカロルは黙ってうなずいただけだった。悪態もなければ罵り声もない。カロルがカロルではないような気がした。そっとリオンは神官の目で彼を視た。あふれんばかりに燃え盛っていた炎のような彼の本質は、その輝きを鈍らせていた。




モドル   ススム   トップへ