ダムドの言い募る言葉を、ノキアスはじっと目を閉じて聞いていた。よもや自分の大臣がそのような事をしていたとは信じがたい。だが反逆の事実を否定するために彼はそのことに関しては真実を語っているのは、間違いがなさそうだった。
「ダムド」
 静かにノキアスが呼んだ。その声をフェリクスは唇を噛みしめうつむいて聞いていた。大臣と、宮廷魔導師団の一員とは言えまだ弟子の身分である、その自分の言葉と王がどちらを信じるか、彼には明白なことのように思われた。
「そなたはきっと脅されると思った、と言ったな。どうだったのだ」
「は……?」
「フェリクスに脅されたのか、と聞いている」
 ダムドは顔を上げ王を見た。自分を見据える視線から目がそらせない。額に汗が滲んだ。
「それは……その……」
「よい。フェリクス」
「はい、陛下」
「ダムドが持っていたはずの首飾りがなぜそなたの手に入ったのか」
「……ダムドに、襲われました」
「違う!」
「黙れ、ダムド。続けよ、フェリクス」
「……力では、かないません。まして言う事を聞かねば、私の過去を公にすると言っているのです。私にそれ以上逆らえましょうや? 圧し掛かってくるダムドへのせめてもの抵抗をと、見るからに明らかであった魔法具を引きちぎりました」
「それで?」
「私の力至らず、魔法具に支配されたのは私でした。その後のことは霞がかかったよう、ぼんやりとしています。このような屈辱を与えたダムドを許しはしない、このような世界など滅びればいい、とただ、それだけを」
 言い終えてフェリクスはうつむきかけ、そして肩のカロルの手を意識しては思いとどまる。あたたかい師の手がそこにある。震えもせず、嫌悪に強張りもせず。それだけが唯一の慰めだった。
「よくわかった」
 王の声にフェリクスははっとした。まさか自分の言葉を少しでも信じてもらえるとは、思ってもいなかった。
「陛下、その者の言うことは偽りにございましょう」
 ダムドの背後に立つ大臣が勇を鼓して声を上げた。カロルは冷たい視線をフード越しに投げつける。それを感じたのだろう、わずかに怯んだ。
「どういうことだね」
「その者はいまだ未熟とは言え魔術師。そうだな、メロール・カロリナよ」
「そのとおり。そろそろ私の名を許してもよい、と思っていた」
 カロルの言葉に大臣が勝ち誇った顔をした。フェリクスはその表情を見ることはなかった。もしもう少し堪えていたなら、自分は彼の名を与えられたのだ、独立を許された立派な魔術師となれたのだ。そう思ってもあれ以上耐えることはできなかった、と心のどこかが叫ぶ。
「陛下、お聞きになりましたでしょう。魔術師ともあろうものが支配された魔法の道具にございますぞ。ダムド殿が平気で持っていられた、と言うのがまずおかしい。偽りにございます」
「カロリナよ」
 大臣の言葉にうなずきつつも、ノキアスは彼を呼ぶ。その顔を見れば大臣の言葉をこそ疑っているのは明らかだった。
「それに関してはどう思うね?」
「私より適任がございましょう。……エイシャの神官よ、陛下にご説明を」
 ちらりとカロルはリオンに視線を移す。フードの陰に隠れてカロルの顔は見えない。だがリオンには彼の強い心痛が感じられてやりきれない。
 このような場でそうするわけには行かないのは、よくわかっている。だがいつものように呼んで欲しかった。彼の罵り声が、無性に懐かしい。
 リオンは一礼してノキアス王へと顔を向ける。その顔には何の表情も浮かんではいなかった。
「魔法具を封じる際、何か合言葉のようなものを知覚いたしました。魔術師でなくとも使用できるよう、通常の言語によって魔法具を自らの支配下に置くためのものでしょう」
「メロール、そういうものかな?」
「リオンの申したことに間違いはありません。魔法具と言うものはそのようにして魔力のない人間が使用することもできるように作ることが可能です。陛下、お忘れでしょうか。以前お目にかけたことがございましょう、リィ・サイファの首飾りを」
「おぉ、あれか! なるほど、魔法の道具と言うのはすぐさま邪悪、と言うわけではないのだね」
「仰せの通りにございます。そこにこめられた魔法と使い手の思惑次第。火は便利なものですが、火事を起こします。ですが火が邪悪ではないのと同じこと」
「なるほど。よくわかった」
 満足げにうなずいた王にダムドが唇を噛む。このままでは、自分は反逆者にされてしまう。それだけは避けたかった。地位と名誉を失うなど、堪え難い。
「魔法は邪悪ではないかもしれません。ですが、男娼などの言葉に惑わされて――」
「フェリクスは、我が弟子。侮るならば私が相手をするが」
「反逆者を庇い立てするか、メロール・カロリナ!」
「陛下。フェリクスが為したことは陛下への反逆ではありません。ただダムドを殺したかっただけでしょう」
「私は陛下の大臣だぞ! その私を殺したいだと!」
「フェリクスの、屈辱をご想像ください。ようやく抜け出したはずの境遇を、十年以上経ってから思い出させられた恐怖を」
 手の下で、フェリクスの肩が震えた。カロルは一度ゆっくりと息を吸う。喚き散らしているダムドの声がいつの間にか聞こえなくなった。
「自らの体に対価を求めるなど、誰が好き好んでいたしましょうか」
「金をとって売っていたのは男娼どもだ!」
「フェリクスが得ていたのは、金銭ではありません。生命です。そうしなければ、フェリクスは生きてはこられなかった。そうして生きてきたのです」
「カロリナ、生命とはどういう意味だね?」
 下情に通じているはずもない国王の疑問にカロルはフードの陰で苦く笑った。嗚咽をこらえているのだろう、フェリクスの肩は震え続けている。
「娼家の者は、男も女もそれ以外に生きていく術を持たない者たちです。金銭を得ているのは、彼らを売り物にしている主。彼らは主に雇われ、その日の食事を得ています」
「つまり……」
「はい。自分の体を売ることができなければ、飢えて、死ぬだけです」
 ついに耐え切れなくなったフェリクスの喉から声が漏れ出た。カロルはぎゅっと肩を掴む。それでもまだ堪えようとしているのだろう、フェリクスは体中を強張らせていた。
「メロール・カロリナ。ずいぶんとよく知っているな」
 ダムドの皮肉な声にカロルは視線を向けた。フードに隠されているはずなのに、リオンには彼の目が見えた気がした。射殺せるものならばそうしてやりたい、と言いだけなカロルの翠の目が。知らずハルバードをきつく握っていた。
「陛下、私はダムドと言う男をよく知っています」
 だがカロルは構わず王に向かって言葉を続けた。フェリクスを庇うことこそが重要だとばかり。だがリオンは不穏を感じ取った。カロルはさらにダムドを叩き落そうとしている、と。
「花街……娼家が集まっている場所の事をそう呼びますが、花街でのダムドの評判は酷いものです」
 フードから見えているカロルの形のいい唇が歪んだ。ぎょっとしたようフェリクスが体を震わせる。
「フェリクス。試みに問う、答えよ」
「はい、師よ」
「ダムドはお前をただ抱くだけだったか」
 おそらくはそうだろうと思ってはいたが、決して答えたくはない問い。だがカロルを信じる。フェリクスの脳裏に黙って我が身を貫かせたカロルが浮かんだ。
「……いえ。縄目が消えぬほど、縛られることもありました。時には酷く打たれることも」
 フェリクスの頭上で溜息が聞こえた。カロルが深く吐いた息。だがカロルだけだった。列席の者たちすべてが驚愕に鋭く息を吸う。
「陛下。アデル・ダムドはごく若いころからそのような習癖の持ち主です。そのような男に脅されたフェリクスは、逆らえなかったと私は推察いたします」
 まるで一同の驚きなど知らぬげにカロルは淡々と言葉を繋いだ。カロルはそっと視線を上げ、二人の半エルフを見やる。眩暈でも起こしそうな顔をしていた。
「ダムド……そなた……」
「陛下! お信じにならないでください。メロール・カロリナ、なぜそのような偽りを言う! 貴様が私のなにを知っていると言うのか!」
 リオンは頭の後ろが冷えていくような気がした。カロルがなにを目論んでいるのかはわからない。けれどそのダムドの言葉こそ、カロルが待っていたものだと一瞬にして悟った。
 握りなおそうとしたハルバードに、すでに手指が張りついてしまっていた。内心で自らの緊張を苦く笑う。一度指を引き剥がし、改めて握った。
「私はお前を知っている」
 カロルがダムドに向け、ダムドだけに向けて言う。だがはっとしたのは彼ではなく、フェリクス。跪いたまま師を見上げた視線が揺れる。
「偽りを言うな! 私はお前など知らん、よって、お前が私を知っているはずがない!」
 不思議なものだった。言い募りながらダムドは思う。同じ宮廷に長く仕えた者同士でありながら、いままでこの黒衣の魔導師とは一切の接触がなかった。いまさらながらに疑念に駆られた。
「だが、私はお前を知っている」
 息を飲んだのは、メロール。何事かを悟ってしまったのか。カロルは師にわずかに視線を向けるにとどめた。
 フェリクスは驚きに声もなかった。ばらばらだったものが、すべてきちんとあるべき場所に嵌った。フェリクスの長年の疑問が氷解していく。知りたくなど、なかったかもしれない。
「戯言を……!」
 嘲笑も露に言ったダムドに向かってカロルは一歩、踏み出した。否。カロルは動いてなどいなかった。それなのにダムドはカロルの圧力を感じた。ぎょっとしたよう膝を下げかけ、悔しそうにダムドが唇を噛む。
「知っている、知っているとそればかり。ならば何を知っているか言うがいい。その証拠を見せるがいい!」
 カロルは意に介した様子もなく、ダムドにじっと視線を向けているだけだった。隠れて見えない目にひたと見据えられダムドは震える。そしてカロルはゆっくりと王に向かって一礼した。
「いままでご無礼をいたしました。できることならばあと数十年はこのままでいたかったのですが」
 わずかに苦渋の滲む声。だが、誰がなにを言うよりも早くカロルの指がフードにかかる。跳ね除けたフードから、淡い金の髪がこぼれだした。




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