魔術師たちのやり取りに、ノキアス王が興味深げな顔をしては再び首飾りを覗き込む。妙に惹きつけられる輝きを持っていた。これが魔法を宿した道具、と言うことなのかもしれない。ふと王は己の指に目を落とす。
「エイシャ女神の司教、リオンよ」
 王にとってエイシャ女神の神官は馴染みのないものだった。ラクルーサは伝統的にマルサド信仰が強い。シャルマークの英雄、サイリル王子の影響であった。そのせいだろう、どこか未知の人物を楽しむような声だった。
「これを封じたというのはそなたかね?」
「はい、陛下」
「なぜそのような事をしたのだろうか」
 リオンには王の意図が咄嗟にわからない。メロールが危険だといっているものをあえて問うには。
 そう思ったことで気づいた。喋らせようとしているのか、と。わずかにカロルに視線を向けかけ思いとどまる。
「メロール・カロリナがフェリクスより首飾りを奪ったとき、彼は重傷を負っていました」
 ゆっくりと口にするリオンの言葉にノキアスは改めてカロルが生死の境をさまよった事を思う。
「そのせいもあったのでしょう。私に封じるよう指示をしましたが、彼の言葉がなくとも私はそうしたに違いありません」
「それは、なぜだね?」
「私は神官ですから彼ら魔術師の行使する魔法に詳しいとは言えません。その私ですら感じ取れることのできる強力な魔力を首飾りから感じました」
「だから封じたというわけだね」
「はい。掌が焼けるように痛みました。邪悪だと、感じたのです」
 わずかに言いよどんだリオンの言葉をカロルは聞いていた。邪悪だと断定して見せること、それも神官の言葉だ。信じない者はいないだろう。だがそれは危険でもあった。
「そのような魔法の道具です。陛下、闇エルフの使うものに違いはありません。私は操られていたのです」
 カロルは内心でうなずく。ダムドの反応はありきたりすぎて少しも新鮮味がない。だがこの場合はありがたかった。
「フェリクスは闇エルフの血を引くもの。邪悪と言うならばこれ以上はありません」
 勝ち誇ったダムドの言葉だった。傲然と顔を上げ、ノキアスを見る。対する王の顔は冷ややかだった。
 なぜ王がそのような顔をするのか理解できずダムドは怯んだ。だが言葉を発したのはトランザム騎士団長だった。
「アデル・ダムド」
 堅苦しい声でトランザムが呼びかける。いやでも右手が剣の柄にかかっているのが目に入った。
「フェリクスは陛下の宮廷魔導師団の一員である。フェリクスを邪悪と断じることは、すなわち陛下が彼を魔導師団にお加えになった事を批判するものだ」
「違う! 闇エルフが邪悪なのであって――」
「そのとおり」
 冷静なメロールの声がダムドの言葉を奪った。そこに闇エルフと血を同じうする半エルフがいる事を失念していたようダムドがはっとする。
「闇エルフは悪に堕した存在だ。それを否定はしない。だが、フェリクスは人間である。かつて神人の子らと呼ばれた我らの血を受けてはいようとも、フェリクスは人間として生まれ、定めに従って死の時を迎える。フェリクスが邪悪なのではない」
「我ら、と言われたか」
「半エルフも闇エルフも出自は同じ。だが、その相違についていまは論ずる場ではあるまい」
 メロールの言葉に何か失策がありはしないかとダムドは目を血走らせる。
「フェリクス。そなたが首飾りを手に入れた経緯を語るがいい」
 ノキアス王の言葉にフェリクスが体を強張らせた。うつむいて唇を噛みしめているのがリオンの目には見えた。肩に手を置いているカロルには、フェリクスの動揺がさらに強く伝わったことだろうとリオンは思う。
「言えないのか」
 強い王の声にフェリクスは憔悴しきった顔を上げた。黒い目に苦悩が宿っている。かすかに首を振り向け、カロルを仰いだ。
「言いたくない……」
 カロルにだけ聞こえればいいとの小声だった。だが緊張に震えた彼の声は、彼の意思に反して遠くまで響いてしまう。
「陛下。やはりこの者は闇エルフの手を借りたに違いありません。ですから言えないのです」
「ダムド」
「はい、陛下」
「黙れ」
 冷然と発せられたノキアスの声にダムドが顔色を失った。今までは半ば若い王、経験も少なく臣下の意のままになる王と侮ってもいたダムドだ。信じられぬげに王を見た。
「フェリクス。言え」
 その寸隙をつくようなカロルの声だった。まるで剣で貫くようだとリオンは思う。事実、フェリクスは喉元に剣を感じでもしたよう仰け反った。
「カロル師――」
「すべて、話せ。それがお前の償いだ」
「僕は……」
 それでも言いたくない。フェリクスの目が語る。カロルは何の感情も宿らせない目でフェリクスを見つめ返した。
 フードの陰にあってもカロルの意思を感じ取ったのだろう。フェリクスが諦めたよう視線を下げた。
「その首飾りは元々私のものではありませんでした」
 フェリクスの口許に、リオンは自嘲の笑みを見た。何もかもを諦め切ったような顔をしている。背筋が冷えそうになった。思わず神官の目で彼を視そうになり、慌てて自制する。何を見るにせよ、動揺するのは避けられそうにない。
 リオンはフェリクスよりもカロルを案じていた。宮廷だからと言う以上にカロルは距離を置いているような気がする。いまから始まる何かは、あるいはカロルにとってもつらいことなのかもしれない。
 そう思えばこそ、リオンは自らを律する。なにがあろうとも、自分だけはカロルの味方であると彼に伝えることができたなら。密やかに溜息をついた。
「では誰から手に入れたというのだね」
「陛下」
 王を信用して話していいのだろうか。そして自分の言葉を最後まで聞いてくれるのだろうか。フェリクスはメロールに視線を移し、次いでカロルを見る。二人ともがしっかりとうなずいた。
「その首飾りはダムドが持っていたものです」
 一瞬、室内が静まり返った。次いで大臣たちの狂気の怒号が聞こえる。多くは偽りを罵る声だった。フェリクスはうつむく。やはり自分の言うことなど。
 そう思うフェリクスの肩に置かれたままのカロルの手が、力をこめて注意を促す。おずおずとフェリクスは視線を上げた。
 王が、じっとフェリクスの言葉の続きを待っていた。大臣たちの狂乱など意に介しもせず、フェリクスだけを待っている。フェリクスとノキアスの視線がひたと絡んだ。
 かつん、と小さな音がした。トランザムが手にした剣を鞘のまま、床に突き立て一同を見据えていた。
「諸君。静かにできないのならば退席したまえ」
「なにを言うか、この者をこそ退席させるべきだ。いや、すぐさま死刑に処するべきだ」
「陛下?」
 目をむいて言う大臣の言葉を受けたトランザムはただ一言、己の国王に呼びかけただけだった。
「財務大臣を放り出すのは待ってほしい、トランザム。真相は別の所にあるはず、と私は思う。フェリクス、続けよ」
 一礼してトランザムが下がり手から剣を離す。その事実に財務大臣が青ざめた。自分の発言が自らの命を縮めさせたのだと悟ったのだろう。
「ダムドは……ダムドが……。私の寝所を訪れました」
 ぐっと唇を噛んでフェリクスは言った。その意味が理解できなかったのは二人の半エルフたちだけだっただろう。だが彼らの顔にも次第に理解が広がる。
「そのようなことは嘘だ!」
 ダムドの必死の抗弁が、反ってフェリクスの言葉の真実を裏付けるようだった。
「数回ほどは、追い返しましたが、次第に私の過去を公にすると脅迫してくるようになりました。……私には逆らえませんでした。そして最後には首飾りの魔力をもって私を支配し意のままにしようとしたのです」
 言い終えたフェリクスががっくりとうなだれる。今度は大臣たちも言葉もなく魔術師の弟子を見つめていた。
「ダムドよ、相違ないか」
「……確かにフェリクスと関係を持ちました。ですが合意の上のこと」
「先程は否定したが」
「あまり体裁のいいことではありませんので……」
 苦渋に満ちた声でダムドが言う。そして忌々しげにフェリクスを見た。その目が歪む。カロルがはっとしたのをリオンの目は捉えていた。
「陛下。私はこの者に誘惑されたのでございます。闇エルフの血を引く者……いえ、あのような生業をしていた者。手練手管に私こそが逆らえませんでした」
 そしてダムドはフェリクスを見据えた。こうなった以上、体裁には構っていられないと決断した顔だった。フェリクスが隠してきた過去を暴かずにはいるものか。ダムドの目がいやな色に濁った。
「それはどういうことだね」
 当然、王はそう問わざるを得ないだろう。ダムドはそれを意図してわざと曖昧な言い方をしたのだから。無言で佇む黒衣の魔導師の存在がわずかに気にかかる。だがフェリクスの過去を知ればいかに師とは言え弟子を庇うことはない、ダムドは内心で勝利を確信した。
「いまはフェリクスと名乗るこの者は、宮廷魔導師団に加えられる以前、娼家におりました。そう……確か青い薔薇、えぇ、青薔薇楼と言う店でした。お調べくださればすぐにでもわかることです。私が誓って真実を申し上げていることが、おわかりいただけます」
「なに――」
「陛下は我が身をひさいで暮す者らのことなどご存知ありませんでしょう。この者は自らの体を商品としていたのです。誠に不徳の至りではございますが、私は一時期その娼家に通っておりました。間違いなく、この者は男娼でした」
 どこか嬉々として言うダムドの言葉を大臣たちまでもが怪訝な顔をして聞いていた。体裁が悪い、などと言うものではない。
 一国の大臣ともあろうものが娼家に通っていたなど大きな声で言えるものでは決してない。どころか隠してしかるべき事。
 そして彼らのうち何人かが王を見る。あるいはこの事を知っていたからこそ、国王はこれを内々の会議としたのか、と。さすがに眉を顰める大臣たちにダムドは殊勝げに頭を垂れて見せた。
「宮廷でこの者を見たときの私の驚きを慮ってはいただけませんでしょうか。きっとその事を脅されるのだとばかり。怯える私をこの者は誘惑いたしました。ですから――」
 リオンは言い募るダムドの言葉に耳を閉ざしたかった。わずかとは言えフェリクスを知っている。そして今ダムドと言う男を見た。どちらが真実を語っているか、リオンには明らかだった。




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