カロルには、老侍従長がなにを言うか、半ば見当がついていた。だがじっと待つ。なにも焦って事を進めることはなかった。焦ればそれだけ不利になる。
 ぎゅっと胸のうちが痛んだ。リオンは、いまどうしているだろうか。
「メロール・カロリナ殿」
 呼吸を整えたのだろう。侍従長が改めて彼を呼ぶ。無言で佇む魔術師がなにを考えているのかなど、窺えはしなかった。
「ご気分がよろしいようなら、会議にご出席いただきたい」
 やはり、とカロルは内心にうなずいた。フェリクスの事情を知らなくとも、メロールは手を打ってくれている。
 このまま闇に葬らせることだけはしないと、できる事をしてくれているのだと思えばカロルの心は温まる。あるいは考えたのはアルディアかもしれない。彼のほうが、そのようなことに馴染みがある。
「会議は、すでに?」
「はい。そろそろ皆さんお集まりでしょう」
「わかりました。伺います」
 ゆっくりとうなずいて見せたカロルに侍従長はほっとした顔を見せる。それがカロルは不思議だった。首を傾げれば老人はわずかに照れたよう、笑った。
「サリム・メロール殿がもう大丈夫だと仰ってはいたが、信じがたくてな」
「メロール師が仰るならば」
「いやいや、真実だろうかと疑ったわけではないのだが……首席魔導師殿は私にそう仰ったあと、すぐさま他の方々を集めておしまいになったものだから」
「なるほど」
 師の手の早さにカロルは口許だけで笑った。これでは宮廷の面々がなにを画策する間もなかっただろう。
 いや、違う。カロルは否定した。自分が眠っている間、メロールが時間を稼いでくれたのだ。そしておそらくここが限界だったのだろう。
「参りましょう」
 これ以上、メロールに負担をかけ続けるばかりではあまりにも不甲斐ない。カロルはぐっと腹に力を入れて侍従長を見た。
 彼もまた何事かを了承したよううなずき扉に向かう。二人そろって廊下を歩んだ。なにを話すこともなかった。
 それぞれが緊張を感じていたせいかもしれない。老人はこれからなにが起ころうとしているのか理解できない不安だっただろう。彼の長い宮廷生活の間にこのような事件が起こった例など、ありはしないのだから。
 不意に侍従長の足がカロルの予想から外れる。思わず立ち止まりかけたカロルを彼が振り返った。
「申し訳ない。お伝えするのを忘れていたらしい、年ですな」
 あからさまに老齢を言い訳にして彼は言う。カロルはあっさりと肩をすくめた。
「会議はこちらで」
 そう老人が指し示した方向にある部屋。それがカロルには意外だった。そちらには小さな部屋しかない。ならば、廷臣たちは集まらない、と言うことなのだろうか。
「サリム・メロール殿のご提案で内々の会議、と言うことになったようです。が、陛下にはもちろん御臨席を賜ります」
 カロルは黙ってうなずいた。事を明るみに出さずに済まそうとするのはメロールの心遣いかもしれない。真実は、限られた人々だけが知ればよいこと。
 不遜とも言えるカロルの態度に、侍従長は何も言わなかった。それがメロール・カロリナのやり方だと知っていた。彼が仕える国王がそれを許すならば、侍従ごときがなにを言う必要もない。
 二人は再び足を進める。カロルの中で緊張が高まっていく。フェリクスは大丈夫だろうか。精神の平衡を崩していた上、あれほどの魔力を行使したあとだ。体も心もつらいだろう。
「魔術師、メロール・カロリナが参りました」
 侍従が扉の前で到来を告げる声にカロルは正気づく。その彼の眼前で静かに扉が開いていった。滑るような足取りで侍従長が進む。とても老人とは思えない滑らかさだった。
 その後姿を見つつカロルもまた室内へと進んだ。見回さないよう心がけながら集まっている者たちを確かめる。
 主だった大臣たちは皆出席している。一段高くなった場所に取り急ぎ設えられたのだろう、玉座には王が座していた。わずかに強張った顔をしているのは、事件の大きさのせいだろうか。
 その左前、一切から若い王を守るようメロールが立っていた。カロルを見ては静かにうなずく。その脇にそっとアルディアが控えていた。右前には決然とした顔をしたトランザム近衛騎士団長が両脇に居並ぶ大臣たちを見据えていた。
「メロール・カロリナ」
 王に呼ばれカロルは彼の前に頭を垂れる。ふわりとローブが揺らいだだけでやはり顔は窺えなかった。その事を不満に思う大臣もいるのだろう、気配がざわめく。
「大変な怪我だったと聞く。もういいんだろうね?」
「はい」
「すべてはそなたの功績だ。もしものことがあってはメロールに顔向けができなかった」
 言ってノキアス王は銀の指輪をいじりながらかすかに笑った。はっとしてカロルは顔を上げそうになる。それを促すようノキアスが再びカロルを呼んだ。
 が、しかしカロルが言葉を発する機会は奪われた。大臣たちのざわめきが気配では済まなくなる。そしてカロルは悟った。それを狙っての王の言葉だったか、と。内心でにんまりと笑う。
「陛下。お言葉ですがあの惨状をご覧になったはず。功績と言うのはいかがなものかと」
 苦々しげな声は誰だろうか。カロルは顔を巡らせることなく相手を探る。それを捉えたメロールがそっとカロルにだけわかるよう首を振った。相手にする必要はない、と言うことか。
「私からも申し上げたき議がございます」
「ほう、なんだね。カロリナ?」
「陛下。ダムドを捕らえる事ができたのは、私一人の力ではありません」
「あぁ、もちろんそうだ。忘れていたわけではないよ」
 妙に真剣なカロルの言葉を待っていたかのよう、ノキアスは侍従の一人に合図をする。一礼し扉を出て行く。
「メロール・カロリナ殿」
 その間を突いての先程の大臣の声だった。深くフードを下ろしたままの顔をカロルはそちらに向ける。
「そなた一人ではない、と言うならば他に誰がいたのか。そして例の場に捕らえられていたと言うそなたの弟子がなぜ地下牢に入れられているのか、無論説明していただけることとも思うが」
 皮肉な声に大臣の苛立ちが感じられた。しかしカロルにとってその言葉はありがたいばかりだった。
 大臣のおかげで、彼ら廷臣たちには真相が知らされていないのを知ることができた。口許が緩まないよう、心する。
「そのことは私から。いまだカロリナは本復したとは言いがたい故」
 緩やかな半エルフの声。慣れているはずの大臣たちもぎょっとした。それはこのような場でメロールが発言することの珍しさもあったのかもしれない。
 そして廷臣たちは知った。ダムドが操られていたこと、フェリクスが操っていたこと。そして彼自身、強力な魔法具に精神の均衡を崩されていた事を。
「何と言うことだ。だから魔術師など――!」
 言った途端、言葉に詰まったのはその魔術師がここに二人もいるという恐怖だろうか。メロールもカロルも言葉を発しはしなかった。
 ざわめく彼らを抑える術もなく、狂乱が広がりかけたとき扉が開いた。いままで侍従が用を言いつけられて出て行った事を失念していた者もいるのだろう、いっせいに口を閉ざし冷たい沈黙が広がった。
「諸君。話題のダムドとフェリクスだ。その後ろにいるのは」
 王の言葉に従って、皆が皆そちらを見た。つられるよう、カロルも振り返る。フードの陰に隠された彼の目は見えはしなかった。けれどカロルの目は大きく見開かれていた。
「エイシャ女神の司教。リオンと言う。彼がカロリナを助けた者だ」
 温かいノキアスの声にリオンが微笑を浮かべて礼をした。どうやら手酷い扱いは受けていなかったらしいことは窺えた。何よりカロルに安堵の息をつかせたもの。リオンの手にはハルバードがあった。このような場所での武装を許されている。それはとりもなおさず彼への信頼を表していた。
「アデル・ダムドよ」
 玉座の前に引き出されてきたダムドに対する王の声は一変して冷酷な響きを帯びる。寛恕を願うのだろう、大臣の一人がダムドの側へとついた。
 顔を上げたダムドは、酷い有様だった。跪かせられた体を一人では支え難いと言うよう揺らしている。側の者がそっと肩を支えた。
「そしてフェリクス」
 言うまでもなくカロルはダムドと同じよう跪くフェリクスの背後に立つ。彼を守るように。その自分を見守るリオンの視線を感じながら。
 ダムドとフェリクスは互いに対決するよう向かい合わせになる。共に背後に庇護者を置きつつ。その彼らに向かって王が言った。
「私に対しての反逆は許さない。死罪と知っていてのことだろう」
「陛下、私はこの魔術師に操られていただけにございます。陛下に対して剣を向けるなど!」
「フェリクス。相違ないか」
 じっと見据えてきた王の視線にフェリクスが怯んだ。黙ってカロルは彼の肩に手を置く。
「……陛下に私が剣を上げるつもりはありませんでした」
 呟きの大きさ。けれど一同に声は聞こえたことだろう。愕然として二人を見る大臣たちの視線。
「魔術師の弟子の言い逃れにございましょう。彼でなければいったい誰がなにをしたと言うのです」
 大臣の一人が勝ち誇ったよう言った。うつむきかけたフェリクスの肩に置いた手にカロルは力を入れる。はっとしたようフェリクスが顔を上げた。
「メロール」
「はい、陛下」
「そなた、魔法具と言ったね?」
「申しました」
「それはどのようなものなのだろうか」
「実物をご覧になったほうがよろしかろうと、ここに」
 そうメロールがローブの中から取り出したもの。カロルがリオンに預けたあの首飾りだった。フェリクスの喉から引きちぎったときのまま、鎖が切れて揺れていた。
「これが?」
 興味深げに手を伸ばそうとするノキアスの手を優しく、だが有無を言わせぬ手つきでメロールが止めた。
「やっとのことでカロリナが封じたものです。陛下が囚われることはなかろうと思いますが、危険は冒しませんよう」
 静かなメロールの言葉に魔法具の危険を知ったのだろうか、ノキアスの顔色が変わった。だが人間の目にはただの美しい首飾りだった。これが、との疑問が表情に表れていた。
「メロール師。私ではありません」
「あぁ、やはりね。そうではないかと思ってはいたのだが」
 カロルは心の中で毒づく。わかっているならば最初からそう言えばいいものを。もっとも、メロールが大臣たちに聞かせるつもりで口にしていることも、見当がつくだけに怒れないカロルだった。




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