カロルの口が悪いのはよくよく知っていたメロールだが、それにしても、と呆れる。もっともそれを平然といなしている神官の態度もたいしたものだと、思いはしたが。 「マルサド神の神官を助け手に貸したんだけどね」 ふっと笑ってメロールが口を挟んだ。それにリオンが頼りなげに笑う。どこかカロルは癇に障って仕方なかった。 同時にやはり致命傷だったのだ、と思う。精神の均衡を崩していたとは言え、よくぞあそこまできっぱりと刺し貫いたものだとフェリクスの度胸のよさにいっそ感嘆してしまいたくなる。 その自分を引き戻したのだ。リオン一人ではとても足らなかったのだろう。間違いなく静謐の間での神聖魔法の儀式があったはずだ。 カロルは神聖魔法はよくわからないなりに、その魔法儀式が神官に及ぼす負担の大きさだけは理解していた。なまじの神官では、己の体にかかる魔力の負荷に耐え切れなかったことだろう、とも。そのカロルの疑問を打ち破るようなことを口にしたのは、メロールだった。 「まさか愛すべきエイシャの寵愛深き司教殿とは思いもしなかった。その若さでね」 知っていたの、とメロールがカロルに目顔で問う。よもや知っているはずなどなかった。ならば、理解できる。彼が司教の位階を持つならば、静謐の間での儀式に耐えうるだけの魔力を持っている、と。唖然としてリオンを見ればなぜか照れたように笑っていた。 「マルサド神の神官たちは好意でしてくれたんですけどねぇ。我が最愛のエイシャはいささか嫉妬深くおわして」 「なんのことだ、あん?」 茶化すようなメロールの言葉も、それに応じるリオンもいやだった。彼らだけで進んでいく会話と言うものが、いやだったのかもしれない。 視線をそらせば二人揃ってカロルを笑った。声を立ててではなかったけれど、気配でそれと知れる。自分が眠っていた間になにがあったのだろうか。思えば思うほど不快でならないカロルだった。 「私が倒れたあと、マルサド神の神官たちが回復の治癒魔法をかけてくれたんです」 「だから?」 「私はエイシャ女神に忠誠を捧げた身ですから。他の神々に仕える神官の治癒魔法を受けると具合が悪くなるんです。向こうは私を平神官だと思っていたんでしょう。そうであればこれほど酷い目にあうこともなかったんですが……なにしろ私、司教ですし。エイシャ女神に愛されてますから」 「……伝説かと思ってたぜ」 「事実ですよ」 あっさりと言ってリオンは力なく笑った。いまだ体調が悪いのだろう。顔色はそのせいだったのかとカロルは思う。 「戦神の神官たちはマルサド神の叱責、と呼ぶようだね」 メロールがその現象についてだろう、リオンに言えば、彼はうなずいて語る。 「そうらしいですね。我々はエイシャ女神の嫉妬、と言いますが」 「それはやはり神の性格によるものだろうか」 「と、我々は考えます。魔術師はまた別の考え方をするのでしょうけれど」 何もこの状態で話すようなことではない、とカロルは思う。これほど具合の悪い人間を捉まえて追究するようなことか、と。 「愛すべきエイシャはお前たちにとっては可愛らしいお方なのかもしれないな」 どこか笑いを含んだメロールの声にカロルは目を瞬く。先程も彼は確かそのように女神を呼んだ。 「師匠」 「なんだね」 「なんですか、そりゃ」 「それじゃわからないだろう」 半ば呆れ声、残りは笑い声。機嫌がいいらしい。ふとカロルは気づいた。まだ礼も言っていない。いまさら、言い難かった。 「愛すべきエイシャって言ったじゃないですか。なんですか、そりゃ」 「エイシャ女神の正式な敬称だが? 神官たちは最愛のエイシャ、と呼ぶね?」 「はい。神官に限らず信者たちもそうですが」 どこかおかしそうなリオンの口調にカロルの目が険しくなった。ゆっくりと彼を見据える。虚ろに笑ってリオンが目をそらした。 「知らねェです」 むっつりと言ったカロルの言葉に非難を感じたのだろう。メロールが目を細めてはカロルを見た。 「教えてある。自分の不勉強を棚に上げて何を言うか、愚か者。あぁ、旅に出たくなってくるね。まったく」 「……このクソ爺」 「カロリナ?」 「なんにも言ってねーです」 「……よろしい」 ついにリオンが吹き出した。不自由な体を折って笑っている。腹立ち紛れに殴りたくともカロルもまた、動けなかった。 「テメェ、わかってたな?」 「うーん。なにがです?」 「とぼけてんじゃねェ! 俺が気づいてないの知っててやってやがったな!」 「気のせいですよ、カロル」 「どんな気のせいだ、あん?」 どこまでもとぼけとおすつもりらしいリオンをカロルは睨みつけ、いっそ眼光で射抜ければいいと思う。腹立たしくてならなかった。 「何のことかな、カロリナ?」 「なんでもねーです。つか、それやめてください」 「素直に白状すれば、やめてあげるよ。カロリナ」 にこやかに言う師にカロルは溜息をつく。この人間に慣れすぎた半エルフをどうしてくれようかとも思う。 が、やはり言う気にはなれない。メロールは人間に慣れているとは言え、やはり異種族だ。本当のところを言えば羞恥に襲われて動揺することになるのは間違いない。 いまはただ、弟子が命を取り留めたのが嬉しくて彼なりに浮かれているのだろうとカロルは察する。定められた時を持たない、と言うのがどういうことなのかカロルにはわからない。 それでも彼の目はたくさんの死と別れを見てきたのだと不意に思った。メロールが唯一友と呼ぶリィ・サイファとの別れ。はじめて仕えたアレクサンダー王とサイリル王子の死。そしてそれ以来王家の人々と、それにまつわる人々の死。 「師匠」 「なんだね」 「俺、生きてますから」 「なにをいまさら」 わずかに動揺したメロールの声。やはり自分を失うかもしれない恐怖に堪えてくれたのだと今にしてわかる。 「ありがとう、師匠」 「まったく。それは目が覚めて一番に言うことだろうに。口を開けばボケ、ボケと。困った子だ」 「んなこたァ、言ってません!」 「うーん、私にもそう聞こえましたけどねぇ」 「テメェまでなに言ってやがる。果てろボケ!」 「ほら、言ってるじゃないか」 口を挟んだリオンを罵れば、にんまりとメロールが笑う。嵌められた気がしてならなかった。唇を噛むカロルをなだめるようメロールが笑みを浮かべる。 「フェリクスがどうなったのかも、聞かなかったね?」 だがその顔のままメロールはさらにカロルを陥れた。リオンは込み上げてくる笑いをこらえるのに必死だった。 「だから生きてるのは知ってるって――」 「それからどうなったのかは知らないだろう?」 「あ――」 あれほど救出に手を尽くした弟子の行方をカロルは完全に失念していたらしい。リオンは零れ出そうになる笑みをこらえつつ、カロルを見やる。 もっとも、カロルがメロールに寄せる信頼は絶大なものらしいから、彼がいれば大丈夫、と意識の外に追い出してしまったせいもあるのだろうとリオンは考えた。それがリオンの切なさを煽った。 「フェリクスが元凶のひとつだというのは確かだからね。いまは地下牢にいる」 「そんな、師匠!」 抗議しそうなカロルをメロールは手で制し困ったような顔をした。 「わかってるよ、何か事情があったらしいことはね。ただ、事は政治に絡む。お前の回復を待って御前会議がある」 「……わかりました」 「付近の被害も、最小限に抑えられたから」 「ボケ。テメェか」 「私は半分くたばってましたから。メロール師ですよ」 「ふうん」 いささか、意外だった。そこまでメロールが手回しよくしたとは思いがたい。それを察したよう、メロールが一言アルディア、とだけ言った。 他の人間たちを動かしたのはメロールでも、実際に作戦を立てたのはアルディアなのだろう。遥か昔、半エルフの里で同族を束ねていたと言う彼ならばそのくらいは易いはずだった。 「なるほどね」 にんまりとカロルは笑う。途端にそっぽを向いて頬に血の色を上らせたメロールをリオンが不思議そうに見ている。 だからカロルはいまのところリオンとの間になにがあったのかメロールには言うまい、と思う。半ば無理やりだったものの、物の弾みと勢いで互いの体を楽しんだなどと言えば、半エルフは卒倒しかねない。 「師匠」 「あぁ、ダムドね」 「どうなりました」 「とりあえず眠りの魔法は解いた上で簡単な尋問をしたそうだ。そのあとはフェリクス同様、地下牢行き」 「そうだ?」 「私は立ち会っていないから」 「なんでです?」 「なんで、だ? 愚かな未熟者が死に掛けていたからに決まっているだろう!」 ひとつ頭を叩かれた。カロルは言葉もなくうなだれる。それほど案じてくれたのかと思えば心の中が温かかった。 「ありがとうございます。師匠」 「殊勝ぶってもだめだからね。それより礼はリオンに言いなさい」 「ぜってェいやです」 メロールが彼の名を呼んだ。たったそれだけのことが異常なほど癇に障った。視界の端にリオンがにんまりするのが目に入ってしまう。頭に血が上った。 「礼を言われたくてしたことではないですけど、どうしてもって言うなら拒みません、私」 にやにやと笑いながらリオンが言う。わざとカロルを怒らせているとしかメロールには思えなかった。礼くらい素直に言えばいいものを、と思う反面そうはできないカロルの性格も知っていた。どこかおかしくなる。リィ・サイファを思い出しては内心で密やかに笑った。 「ふざけたことぬかしてんじゃねェぞ、クソボケ神官が!」 怒りと言うものはずいぶんと人間の精気を掻き立てるものなのだな、とメロールは思う。持ち上がらないはずの体を持ち上げるどころかカロルはリオンに飛び掛り、彼の頭を殴りつけていた。 「もう、カロルってば」 こたえた様子もなくリオンが笑う。それがまたカロルの癇に障った。飛び掛りはしたものの、巧く動かない体がもどかしくてならなかった。これではまるでリオンを押し倒してでもいるようにしか思えない。 「テメェ――」 その後カロルがなにをどう続けるつもりだったのかは謎となる。カロルは後頭部に凄まじい打撃を感じた。昏倒する寸前、メロールに殴られたこと、リオンの腕に抱きとめられたことだけが妙に意識の隅に残った。 |