フェリクスが、カロルを睨み据えた。彼の言葉など、何も聞きたくないと心を閉ざした目をしながら、その師を睨んでいた。 「そんなこと……できるわけないじゃんか! もうあんなことするの嫌だ。カロルに魔法習って、あんなことしないで済むと思ったのに……!」 絶叫と共に放つ氷の弾丸。カロルの眼前で水と戻って蕩けて消えた。 「グタグタこだわってんじゃねェ! いまさら過去が変わるか!」 「カロルにわかるもんか!」 「うるせェ、クソガキ!」 カロルが詠唱したとも思えない速さで魔法を行使する。フェリクスの体を炎が包み、すぐさま消える。 ちりちりと、髪の焼けた嫌な匂いがした。リオンの鼻先にまで漂ってくる匂い。だがフェリクスの肌までをも焼いてはいないようだった。わずかに焦げたローブを構いもせずフェリクスの目はただひたすらにその師を見ている。 「僕の気持ちなんか、カロルは少しもわかってくれない――」 カロルの周囲を冷気が取り巻く。絶対魔法防御の盾に守られているリオンには、その冷たさがわからない。だが、部屋中が軋みを上げたことでそれと知る。さっとリオンが青ざめた。 「そんなカロルなんか、死んじゃえばいい――!」 もどかしくてならなかった。フェリクスの憎しみも理解することができる。カロルの弟子を思う気持ちもよくわかる。それだからこそ、二人の魔術師の戦いが哀しくてならない。 その間に入っていくことのできない自分が、リオンは切なくてならない。カロルの放った防御魔法の盾が、リオンから神聖魔法の手段を奪っていた。外部の魔法から一切の影響を受けないかわり、リオンもまた外に魔法を放つことはできない。この戦いを止める手段が、見出せない。こうして盾の中にいる限りは。 渦巻く冷気がカロルを押し包む。今度は一瞬で無効化することはできなかった。肌がひび割れるように痛い。凍って割れた皮膚から淡く血が滲んだころ、やっと解除に成功する。 「ちっ、成長したもんだぜ」 皮肉に笑ってカロルも火球を放った。わずかな隙を作るために。火球ごときがフェリクスにあたるとは思ってもいない。 そのときだった。互いに、相手しか見ていなかった。そのせいで気づくのが一瞬遅れる。冷たく何かが割れる音。魔法盾が破壊された音だと気づくまでに半瞬。 「テメェ!」 フェリクスに向かって、リオンが飛び込んでいた。自らが張った物理防御の盾が、内部からの攻撃に耐え切れず破砕された音を撒き散らしながら、リオンがフェリクスに突っ込んでいく。 「邪魔だよ!」 フェリクスの手の一振り。冷気の塊りがリオンを襲う。が、絶対魔法防御の盾に阻まれ効果を発揮しない。ハルバードの一閃。 「ちっ」 その師とよく似た舌打ちをし、フェリクスが飛び退いた。彼を追い、再度ハルバードを構えたリオンの体が、不意に飛んだ。 「くっ」 床に激突した体が軋む。慌てて目を見開く。その目の前に飛んできたもの、威嚇でしかない。が、確かにリオンに向かって無数の火球が飛んできたのだった。 「俺の可愛い弟子に手出しすんじゃねェ、クソボケ!」 カロルはその手に炎の剣を出現させ、リオンに向かう。咄嗟にハルバードで受けた。受けなければ、そのまま切られただろう。ぞっと背筋が冷える。 「カロル……」 呟きは、一つではなかった。 「黙って見てろ。ボケ坊主」 思いのほかに柔らかい声音にはっとした。どこまで本気だったのか、リオンは図りかね体の力を抜く。彼ら師弟の争いに、介入することはできない。ただそれだけが叩きつけられた痛みと共に染みとおってきた。 やめさせたかった。できることならば。だからリオンは自分にできるたった一つのことをした。けれど、無駄だった。悲しみと自嘲に唇が歪みそうになる。強いてそれに耐えて二人の魔術師を見る。戦いを、その行く末を見据えることが自分にできる最後のことだとばかりに。 「……それでも僕は、あなたなんか大嫌いだ」 覇気を失ったかの声。信じられたはずのただ一つのものを信じ切れなくて惑う声。リオンはこのよく似た苦痛を胸に抱く師弟を見つめる。 「だから、殺す」 「おう、できるもんならやってみやがれ、未熟者!」 「できるさ!」 自らの戸惑いを振り払うよう、フェリクスは大きく声を上げた。低く高く詠唱する。カロルは聞こえているはずなのに対抗呪文を編み上げようとはしなかった。じっと待つ。 「カロル!」 その師への、最後の呼びかけだと言わんばかりの声を放ち、フェリクスの魔法がカロルを襲った。 「――ちィ」 侮っていたのだろうか。カロルの体が冷気の波に襲われた。まるで魔力を伴った津波だった。煽りを食らった部屋の壁が歪む。と、爆発が起きた。どん、と腹に響く音がする。リオンは思わず顔を覆い、それから光を感じて天井を見上げた。 そこに、天井はなかった。唖然として辺りを見回す。壁も、天井もない。びょうびょうと風の吹きすさぶ床だけが、残っていた。 「カロル!」 思わず呼んだ。どこに、と彼を探す。そして我が目を疑った。この破壊を尽くす氷の魔法が、彼だけを襲っていなかった。否、襲いはしたのだろう。けれどカロルの周りだけ、何事もなかったかのよう静寂だった。 「クソガキ」 フェリクスの魔法よりなお冷たい声。淡い金髪が光に輝き、血の汚れをくっきりと見せた。そして傲然と弟子に笑みかけた。 「テメェが正気だったなら、この俺と開けたところで戦う愚を犯すことはなかった」 ゆるりと笑った。勝利を確信したかの表情。フェリクスは彼の言葉の意図が知れず唇を噛む。リオンはそのフェリクスを見ていた。正気を失っている。カロルは確かにそう言った。 「おいコラ、ボケ」 カロルはフェリクスを見つめたままリオンに呼びかけていた。フェリクスが体を強張らせる。 「前に言ったな? あんなもんじゃねェってよ。見せてやるよ――」 ふっと口許がほころぶ。リオンは体を堅くして彼の魔法に備え、そして苦く笑う。その必要がないことに気づいた。 「開け天空の門。星界の彼方より飛来せよ虚無の炎――」 カロルの淫靡なまでに優しい声がゆるゆると響き渡った。囲いを失った床の上、吹き抜ける風が彼の戦いに汚れたローブをはためかせる。信じがたいほどに美しい、リオンは表現する言葉を持たないことを惜しんだ。 「――イル・ケオに顕現し」 カロルが片手を掲げた。彼の指先にふっと光が灯ったように見え、それが目の惑いでない証しに次第に大きくなっていく。 その頃になってようやくフェリクスが防御姿勢に入る。だがリオンの目には不自然さが際立っていた。彼がその師の最大魔法を知らないなど、ありえない。それでいながらフェリクスはごく当たり前の防御の体勢をとっているだけだった。 「我が敵を撃て、イルサゾート<虚炎業爆>――!」 指先の光が、フェリクスの体に向かって突き進む。嘲るよう体を開いてよけたフェリクスは愕然とした。光が、消えた。 すでに巨大な光球となっていたものが、突如として光を失う。ぎゅっと縮まり、溶けてなくなる。リオンはしなくてもいい、頭では理解しているのに体を堅くしていた。 そしていまさらながらに飛び出した。自分はカロルの魔法に守られている。だが、ダムドは。フェリクスを思えばこのまま死なせてしまったほうが良いのだろうが、それではカロルがダムドを虜にしただけの意味がなくなる。慌てて意識を失ったダムドの体の上に伏せた。 「なにを……!」 フェリクスの声が掻き消える。消えたはずの光球。音が聞こえそうな勢いだった、それが圧倒的な光を放って拡大したのは。 「ちっ」 舌打ちをしてフェリクスが逃れる。いや、逃れようとした。光が彼を襲った。幾つもの筋に分かれてフェリクスを撃つ。彼の眼前に展開された氷の盾。光が撃ち抜くやすぐさま新しい盾が出現する。 が、それで終わりではなかった。リオンは愕然とする。彼の言葉の意味がいまこそわかった。空から、ありえないものが落ちてくる。星の欠片としか思えない物。火の尾を引き、巨大な岩がフェリクスに向かって落ちていく。 「カロル!」 悲鳴じみたフェリクスの声。慈悲を求めているのだろうか。そうではなかった。憎しみに凝った音が滴るように漏れだしている。二重三重に設けられた氷の盾が、フェリクスの体ごと弾き飛ばされる。 雨のように降り注ぐ流星が、氷の盾を破壊する。本来ならば、その有様に相応しい涼しげな音がしたことだろう。けれど強大な威力を持つ流星の破壊音にかき消された。 流星の欠片が、床を撃つ。氷の破片を撒き散らして床が壊れていく。わずかに残っていた壁はすべて、吹き飛んだ。流星に、空の曇りまでもが吹き飛ばされのだろうか。ありえないほどうららかに美しい空が広がっているのを体を起こしたリオンが呆然と見上げる。 だがフェリクスもそのまま倒されはしなかった。体中から血を滴らせ、片腕は折れたのだろうか、嫌な角度に曲がっている。その体でカロルに向かって魔法を放った。 「凍え万物の精気を奪い尽くせ。永久の眠りよ、バシェイザ<氷爆>――!」 何者も凍らせずにはいない冷気の波がカロルに押し寄せ押し包む。いまだかつてない威力を伴ったそれに、カロルは押されそうになっては眼前に腕を十字に構えた。 そこを焦点とするよう、フェリクスの魔法が威力をさらに増大させていく。ぎちぎちと音がするほどの魔力をカロルは肌で感じていた。 「ちっ」 舌打ちをしつつもなぜかカロルは対抗呪文を編もうとはしていない。リオンの顔が青ざめていく。それを尻目にカロルの体が宙に浮いた。 冷気の波に、押し上げられている。わずかに仰け反ったカロルの喉。それをフェリクスがにたりと見た。リオンは腹の中をぎゅっと掴まれたような思いで見続けるしかなかった。何もできない。自らの無策をこれほど悔やんだことはなかった。 「カロルより、僕のほうが強い――!」 フェリクスの、勝ち誇った絶叫が辺りを圧する。無駄なことだとは、あとで思った。だがリオンはなぜかしっかりとハルバードを握りなおしていた。 |