突風に、体の平衡を失いかけリオンはハルバードを床につく。屈辱めいたものが脳裏をよぎる。二人の魔術師は、微動だにせず睨みあっていた。そっとカロルの背後にまわりこむ。いつでも彼を援護することができるよう。彼が、フェリクスの命を奪うことのないよう。
「ボケ」
 カロルが視線を動かさずリオンに言った。
「下がってな」
 フェリクスの目が険しさを帯びる。なぜ、その男なのか。なぜ自分ではないのかとでも言うように。リオンは内心で首を振る。言ってやりたかった。そのような関係ではない、と。
「そう言われましてもねぇ」
「テメェと遊んでやる暇はねェ」
「いいですよ、観戦してますから」
「けっ」
 それを最後にカロルは口をつぐんだ。じっとフェリクスと睨みあう。リオンがカロルの言葉を容れたふりをしてわずかに下がった気配。意図せず、魔術師たちの呼吸が一致した。
「凍え万物の精気を奪い尽くせ。永久の眠りよ――」
「爆流となり吹き荒れよ炎」
 リオンははっと息を飲む。カロルの手加減を感じ取る。危うい、そう思った。一瞬にして治癒魔法を詠唱し、待機。
「――バシェイザ<氷爆>!」
 叩きつけるようなフェリクスの声。事実それは圧倒的な圧力をもってカロルに襲い掛かる。氷系の最大呪文がカロルの身に降り注ぐ。
「ズムサルド<火炎>」
 が、カロルの炎がフェリクスの冷気を押し戻す。体にまとわりつくような重たい冷気だった。それがカロルの、フェリクスよりも弱い炎の魔法に負けていく。
「カロル!」
 彼もまた、カロルの温情を感じたのだろう。苛立たしげにその師を呼び、突進した。互いに魔法を維持したまま、体を入れ替える。ちらり、フェリクスの喉もとの首飾りが煌いた。
 リオンはこのような戦いなど、見たことがなかった。魔術師同士の戦いも稀ならば、これほど高度な魔法を容易く維持して移動し戦闘する魔術師を見るのもはじめてだった。
「綺麗……」
 知らず、場違いな溜息が漏れる。カロルの美しい魔法が辺りを飛びかう様も、フェリクスの魔法がカロルを襲う様も、いまだかつて見た例がないほど美しい情景だった。
「食い破れ凍えし牙、シェイザ<氷牙>……!」
 フェリクスの放った氷がカロルの腕に当たった。偶然だったのだろう、当たったフェリクス自身が驚いた顔をする。たらりと袖口から血が滴った。
「麗しきエイシャよ、御身によりて真を求む」
 静かなリオンの声。待機していた治癒魔法を放った。カロルが煩わしげに片手を振る。礼のつもりだろう。
「ずるいね」
 ちらり、フェリクスがリオンを見ては笑った。
「まずいことをしてしまいましたねぇ」
「ボケっとしてんじゃねェ、クソ坊主!」
 詠嘆するリオンにカロルの声が飛ぶ。咄嗟に物理防御の魔法盾を展開する。魔法耐性にはある程度自信がある。だがリオンでも体めがけて飛んでくる大きな氷の粒をすべてよけられる自信まではない。
 そしてすぐさま安堵の息を漏らすことになった。魔法盾に凄まじい音がした。リオンはその中で目を見開く。ありえないほど巨大な氷の粒。粒などとは言えない。子供の頭ほどもある氷が幾つもリオンをめがけている。そのすべてが、魔法盾によって防御された。
「きりが、ないみたい」
 フェリクスが微笑んだ。リオンに集中していると見たのだろうか、カロルの牽制のような火球。そっと身をひるがえしてフェリクスはかわした。そして唇に詠唱。
「凍え万物の精気を奪い尽くせ。永久の眠りよ――バシェイザ<氷爆>」
 あのフェリクスの呪文を浴びせられたらひとたまりもないだろう。あっという間もない。魔法盾すら砕け散り、思考の速さでリオンの形をした氷の彫像が出来上がるに違いない。そう思うのに、リオンは動けなかった。
「万物の歪みを正し守護せよ、ジャルダス<魔盾>――!」
 冷気がわずかに肌に達した。あるいは気のせいだったのかもしれない。リオンの体をカロルの魔法が覆っていた。
「ぼさっと突っ立ってんじゃねェよ、ボケ!」
 振り返りもしない。顔も体もフェリクスに向けたまま。そのままの姿勢で背後に手だけを突き出したカロルの魔法。正確に、リオンに効果が発揮される。
「なにそれ、カロル」
「教えてある」
「知ってるよ、それは。絶対魔法防御? ずるいね」
「ボケたことぬかしてんじゃねェぞ、クソガキ」
 軽く片手を振った。詠唱したとも見えないのに、フェリクスの周囲を火球が飛び回る。幻惑する動き。けれどフェリクスは惑わされはしなかった。
「そんなにしてまであの人のこと守りたいんだ?」
 同じく片手の一振り。火球が一瞬にして氷に覆われ、そして消えた。
「許せない。僕がこんなにつらいのに。絶対――」
 フェリクスの視線が真正面からリオンを捉えた。
「なんだってんだよ、あん?」
 カロルの嘲笑めいた声。挑発している。師のすることなど、わかっているのかもしれない。フェリクスは視線を動かすことなく笑った。
「殺す」
 ぽつりとした呟きにも似た宣言。背筋が冷えて当然のその声に、リオンは哀れみを覚えた。恐ろしいと思うにはあまりにもカロルの口調に似ていたせいかもしれない。
「やれるもんならやってみやがれ!」
 カロルが嘲笑う。あからさまなほど高らかに詠唱する。防御にまわったフェリクスが苛立たしげな顔をするほどに。
 事実、現時点でフェリクスがリオンに対して打つ手はすべて封じられていた。リオン自身が施した物理防御に加え、カロルの絶対魔法防御がある。いかなる魔法もリオンに届くことはない。
 反面、リオンの魔法も魔法盾から外に行使することはできない。二人の魔術師は、治癒魔法を失った。これで対等だとも、言えた。
「酷いね、カロル!」
「なにがだよ!」
「僕が、どんなに――」
「うっせェ、聞き飽きたぜ」
 まるで剣士の演舞のようだとリオンは思う。剣の代わりに魔法を操り、鎧の代わりに魔法をまとう。閃く魔力と互いの体。見ているうちに恍惚としそうになった。
「ダムドが、僕になにしたかも知らないくせに!」
 カロルを撃ったのは、その言葉だったのだろうか。フェリクスが呆気にとられるほど易々とカロルの肩から血があふれた。
「……なに?」
 低い声。肩の傷を押さえることもせずフェリクスを見ていた。リオンは盾の中、歯噛みする。ここから出ることができたならば。カロル自身が解除する気のない魔法盾はリオン一人の力で破れるものではなかった。
「ほら、やっぱり知らないじゃんか!」
「言わなかったなァ、テメェだろうがよ」
「言えるわけがない!」
 自らを、フェリクスが嗤う。仰け反って笑う。首飾りがひるがえった。リオンに彼の表情は定かに見えはしなかった。けれど頬に伝う透明なものは、見えた。
「ねぇ、カロル。知らないでしょ! ダムドが夜中に僕の部屋に来たなんて」
「おいコラ」
「脅されたよ、昔なにしてたか知られたくなかったらってね!」
 フェリクスの狂気が凝ったかの吹雪が部屋中に渦巻いた。一点だけ晴れた箇所。リオンが青ざめている。彼になどフェリクスは目もくれず、吹雪の向こうの師を見ていた。
「なんであんなのが生きてるんだよ!」
 吹雪の中から氷の粒が突進した。かすかに聞こえる呻き声。リオンはどうすることもできずハルバードを握り締めるだけ。
「あんなのがいる世界なんて要らない! みんな死ねばいい!」
 泣きながら、フェリクスが氷の弾丸を撃っていた。時折、血煙が上がる。そこにカロルが立っている。しかし姿は見えなかった。
「全部殺す。みんな死ねばいい。そしたら――」
 陶酔したよう語るフェリクスの言葉が止まった。驚愕に目を見開いているのだろうか。否、彼は微笑っていた。限りなく嬉しげに微笑っていた。
 その肩が、割れた。カロルが負った傷と寸分違わぬ場所。まるで狙ってでもいたようだった。いや、狙っていたのかもしれない。
 吹雪の向こうから、血塗れのカロルが現れた。手には鋭い炎の矢を持っている。それが、フェリクスの肩口を襲ったものだった。
「そしたら、どうすんだ。テメェはよ?」
 青い炎の矢が投擲された。かわしかけた体を矢は追尾する。すべてを避けることはできないと悟ったのだろう、急所のみを庇って数本のそれを身に受ける。静まっていく吹雪に血の色が混じった。
「……じゃないか」
「聞こえねェ!」
「死ぬに決まってるじゃないか! こんな世界――」
「この醜悪でどうしょもねェ世界にはな、よく聞けフェリクス」
 その耳を閉ざすよう、フェリクスが魔法を放った。カロルの足元から冷気が忍び寄り、腿に達するより早くカロルの手によって無効化される。
「これで中々生きてりゃ面白れェこともある」
「あるわけないじゃんか! そんなものなにもない!」
「見てから言いやがれクソガキ!」
「もうなにも見たくない! みんな死んじゃえ。カロルも死んじゃえ!」
 はらはらと、涙を流しながらフェリクスが呪文を詠唱した。そのたびに、カロルが無効化する。唱えても、唱えても。煩わしそうな無造作な仕種でカロルはフェリクスを叩き落す。
 胸に迫るものを抑えきれずリオンは唇を噛んで彼らを見ていた。フェリクスが痛ましくてならなかった。同時にダムドに対する嫌悪がこらえきれない。
「同情してんじゃねぇ、ボケ!」
 リオンは息を飲む。真正面を向いたままのカロルが、リオンの気配を悟っては怒鳴った。それがたまらなく嬉しかった。
「ダムドがしたこたァ、許せねェ。それはそれだ。このクソガキがやったことも、許せることじゃねェ。だいたい脅されたってのが気にいらねェな!」
「カロルに……わかるわけが……ない!」
 肩で息をつきながら、フェリクスはまだ魔法を放とうとしていた。それを傲然とカロルは見やり、言葉を繋ぐ。
「テメェの過去は過去だ。それがあるからテメェだろうがよ! 泣いて喚いて嫌がりゃ消えてなくなんのかよ、あん? 受け入れろ。恥じるな。自分の足で立て。自分で立って、歩け! それが……生きるってことだ!」




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