狂ったよう、ダムドがカロルと剣を合わせる。圧し掛かるよう鋼の剣を振り回すダムドに対し、カロルはどこか嘲笑を滲ませたまま相対していた。 このままでは危険だ、そう思ったわけではない。けれどリオンは二人の間にハルバードを突き入れては跳ね上げる。金属の高い音がして、ダムドは飛ばされそうになった剣を慌てて握る。 「貴様――!」 ぎらり、リオンを睨んだ。敵、と認識したのだろう、ダムドがリオンに向かっていく。それを背後からカロルの剣が襲った。 はっとしてダムドが振り向き様に剣を振る。魔術師の剣、と侮っていたわけでもないだろうけれど、一瞬遅かった。頬に避け切れなかった剣先が傷を負わせる。つ、と血が滴った。 「よくも……ッ」 今度はカロルの正面を向く。その様にリオンは不可解を覚えた。ダムドは戦いの最中に、複数の敵を認識できていない。 リオンに攻撃されればリオンを、カロルが剣を振ればカロルを。一度に一人しか対応ではないなど、普通に考えてありえるわけもない。 「ダムド!」 すっとハルバードを振った。音がしそうな勢いでダムドが振り返る。剣を掲げて突進してきた。跳ね上げて石突で腰を打つ。呻き声を上げるダムドにカロルが剣を突き入れ、かわされる。 リオンには、それで充分だった。間違いなく、正気を失っている。そうではないか、と想像しはしたが、このことでそれは確信となった。 正気をなくしているというよりは何者かに操られている、と考えたほうが正しいのだろう、と先程のカロルを思い出す。彼はダムドが反乱を志したわけではないことを無言のうちに言った。だからこそダムドがカロルの声音を聞いても動揺しなかったのがうなずける。そうリオンは再確認した。神官の目が視ている真実、カロルが知らせたくないと思っている事実はやはり間違ってはいなかった、と。リオンは内心で暗澹たる思いに駆られていた。 「カロル!」 「なんだよ!」 少し、息が上がっていた。ここまでの疲れがカロルの体を蝕んでいる。それに気づいたよう、ダムドが嫌な笑いを漏らし突きかかってきた。 「魔術師、どこですかね!」 体を開いてダムドの剣をかわす。それからカロルはにやりと笑った。 「俺に聞くんじゃねェよ!」 冷たい鋼の音。カロルはダムドを殺す気はない。手傷を負わせて捕らえられれば上等、そう思ってきた。いまのダムドを見てなおさら殺せなくなった。 「ちっ」 舌打ちを一つ。面倒でならなかった。いっそ殺してしまったほうがどれほど楽かと思う。爆炎の魔法一つでかたがつく。残るのは灰だけだろうが、そのほうがカロルにとってはずっと楽だ。 「その程度か、黒衣の魔導師よ……?」 ダムドはカロルの思いになど気づきもせず彼を煽る。カロルの唇が嫌悪に強張るのをリオンの目は捉えていた。 「魔術師がいないのを、気にしているようだな?」 「だったらなんだってんだよ、あん?」 「この塔を建てた者……」 大袈裟に剣を振った。カロルにあてようというのではない。芝居かがった仕種。 「魔物を召喚した者……」 一歩踏み込む。カロルがよける。にんまりとするダムド。 「いまも魔力を行使している者……」 その言葉にカロルが顔色を変えた、と見たのだろう。ダムドの顔に歓喜がよぎる。だがカロルは無表情のままだった。 「ほう、やはり気になるらしい……」 それなのに喉の奥でダムドが笑った。不意に剣を収めて飛び退く。そして再び芝居がかかった仕種で剣を掲げてカロルを見据えた。氷に反射する光が、鋼の剣にあたって砕けた。 「その目で見るがいい――!」 振り下ろされた剣が風鳴りの音を立てた。剣先が立てたにしては、涼しすぎる音だった。まるでリオンが幻影を破った音のような。 なにを考えたわけでもない。咄嗟のことだった。リオンはダムドの背後を取り続けていた。が、突如としてカロルの側へと戻る。自然、ダムドの前に二人が並ぶ。 かつり。何者かが何かを食んだような音がした。カロルが口許に微笑を浮かべ、視線を落とす。思わずつられてリオンも視線を床へと向けた。 「水晶……」 唖然とした声だった。リオンにして、幻と真実を司るエイシャの神官にして見破れなかったものがそこに存在していた。 床から、巨大な水晶の塊が生えてくる。ずっ、と音を立てて迫上がってくる。まるで悪夢めいた情景だった。 ダムドの姿が水晶の影になり、そして水晶越しの歪んだ像が笑う。狂気を滲ませた笑いが、この場をいっそう悪夢にしている。リオンの背筋に冷たいものが走った。 「カロル――」 透明な塊の中、小さな子供が泣いていた。否、子供ではない、少年。だがリオンの目には幼子のように見えた。 浅黒い肌、短く切った黒髪は素直に顔の周りに広がっていたのだろう、以前は。いまは乱れて張りついていた。実用的な衣服もまた肌に張りついている。それが長期間にわたって囚われていることを表していた。 黒い目が、恐怖を滲ませてカロルを見つめている。涙、と見えたのは間違いだったらしい。リオンはこのような状況でありながら、目を瞬いた。 「助けて、カロル……」 はっとしてフェリクスが声を上げた。やはり子供じみた仕種。カロルからおおよその年齢を聞いているにもかかわらず、リオンは彼が子供に見えて仕方ない。 捕らえられた水晶の壁を必死で叩く。拳のあたる音があたりに響いた。リオンはちらりとカロルを窺う。カロルは微動だにしない。 「助けて、やらないのかね?」 淡くダムドが笑っていた。手遊びのよう、剣を弄んでいる。きらきらと鋼に光があたった。見るともなしに見ているうちに、幻惑されそうになりリオンは目をそらす。ぎゅっとハルバードを握りなおした。 「カロル……!」 ダムドの声にあわせるよう、フェリクスが叫んだ。その目は懇願をこめてカロルをひたと見つめている。 「貴様の弟子が、呼んでいる」 ちらりとダムドがフェリクスを見た。途端にフェリクスが体を縮ませる。 「哀れな。そうは思わないかね、黒衣の魔導師よ」 剣の切先が水晶を指し示し、戯れのよう水晶に切りつける。短い悲鳴が上がり、フェリクスは逃れる場所もないというのに、水晶の反対側へと体を貼りつけた。 「こうして、わしのために魔力を供給し続けている。可哀想だとは、思わないかね?」 再び水晶に剣。今度は硬質な音がした。不可解だとばかりダムドが水晶を見つめる。そこにはリオンのハルバードがあった。 「嫌がらせが、過ぎますよ」 嫌悪もあらわにリオンが言う。このようなことは彼の主義からは甚だしく乖離しているのだろう。この期に及んであまりにもまっすぐなリオンにカロルは笑み漏らした。 「カロル――!」 その笑みを目に留めたわけでもないだろうに、フェリクスの声が切迫感を伴ってカロルを呼んだ。 「おうよ」 カロルはそちらを見もせず、返事をする。返事だけを、する。それから無造作に青い炎を振った。 「茶番はここまでだ、ダムド」 「なにを――!」 「あんたに付き合うのはここまでだ」 冷たいカロルの声。リオンは戦いが再開されるのを肌で感じた。ハルバードを薙ぎ払った。カロルを援護する。剣のものとは比べ物にならない大きな風鳴り。よけ切れなかったダムドの衣服が剣風で裂けた。 「貴様――ァ!」 若かりし頃の端正さの名残を、かろうじて留めていたダムドの顔が、見る影もなくなる。憎しみに凝り固まったかの顔でリオンに向かって突進した。 「あんたの相手は俺だろうがよ!」 背後から、肩先を打った。カロルの炎の剣が、ダムドの肩を焼く。苦痛に悲鳴を漏らしかけ、ダムドが息を飲む。屈辱だ、と。 「馬鹿は、寝てろ」 カロルの静かな声。戦いの最中だとは、思えなかった。それがリオンをたまらなく切なくさせた。炎の一閃。本来ならばそれはダムドの首を一瞬で刎ねるものだった。が、寸前で軌道を変えた剣。ダムドが首を自らの剣で庇ったとき、カロルの炎はそこにはない。 「なに――」 軌道が変わったわけではなかった。カロルはダムドの眼前で剣を消した。そしてわずかな隙を突き、反対の手に出現させる。ダムドが鮮やかな青い炎を認めたときには、すでにできることなど何もなかった。 「ボケ!」 突然の罵声に、ダムドが目をむく。しかしそれはダムドに発せられたものではない。リオンが指示に従って背後にまわる。その動きを目に留めたのだろうダムドの眼球が動き、そしてその腹に向かってなぜか炎の剣の柄が叩き込まれた。 「が……!」 苦痛の呻き声。呼吸さえできなくなったダムドが体を折っては膝をつく。そこに襲いかかるリオンの魔法。とろりと目が濁り、そしてそのまま床へと倒れ伏した。 「こんなもんですかね?」 「おう」 「とりあえず、寝ててもらいましょ」 珍しくリオンが鼻で笑った。蹴り飛ばすようにしてダムドを部屋の隅へと追いやる。魔法の眠りに囚われたダムドは、身じろぎ一つしなかった。 「さて、と」 厳しい目をしたカロルが水晶を見た。フェリクスは戦いに恐怖したよう、目を見開いたまま硬直している。 「水晶、割るんですか?」 「なに言って……」 カロルはじっとリオンを見た。わざとらしいにもほどがある。視線を感じたのだろうリオンがにんまりと笑った。 「このままじゃ、困りますものねぇ」 言って眉を上げて見せた。それでカロルは知る。おそらくは、何も気づいていない。それを表現するための演技なのだろう。それが誰に向けての演技なのかは、自明のことだった。 「まぁ、そりゃな」 くっとカロルが笑った。そしてフードを取り去る。血に汚れた淡い金髪が、氷の間に煌いた。 「カロル――助けて、カロル――!」 再びフェリクスの声。水晶を激しく叩いてカロルを見ていた。 「あぁ、待ってな」 無造作にカロルが水晶の元へと歩いていった。ゆっくりとリオンも彼に従う。氷の広間に聳え立つ水晶の牢獄。悪夢と言うには、あまりにも美しかった。 |