まるで獣のようだった。扉の向こう、狂気に顔を歪めた男が立っている。厚い毛皮が男を人間ではないもののように見せていた。
「来たか――!」
 ぶん、と風鳴りの音がする。男が剣を振ったのだった。長大な剣だった。肩に担いだ大剣を、その威力を見せつけるよう振り回す。凝った部屋の大気がかき回されて、血の臭いが濃くなった。
「ダムド様に楯突く者は死ね!」
 無言でリオンが突進する。問答は無用、と言うことだろう。薙ぎ払われたハルバードを男は意外なほどの身軽さでよけた。
「魔術師と戦士……いや、神官か。ここまでに仲間を失ったか? 貴様らの道もここまでと知れ」
 にんまりとする。人間が、このような表情を作ることができるとは信じがたいほどの顔だった。男が再び剣を肩に担ぐ。そこから振り下ろされる力は想像するだに恐ろしいものとなるだろう。
「おい、けだもの」
 男が歯噛みした。声の主へと視線を移す。カロルがそこに立っていた。
「フェリクスを探している。子供だ」
「なに……? ダムド様の人質か」
 ちらりと男の視線が動いた。カロルはそれを見逃さない。
「上、か」
「そうだ。このすぐ上の階にダムド様はいらっしゃる。人質も、そこだろう」
「なるほど」
 カロルが微笑った。この場にそぐわない、満足げな顔に男が目を見開く。侮辱されたと感じたのだろう、ぎちりと歯が鳴った。
「貴様らが、先に進むことはない。ダムド様第一の将である――」
 カロルは言葉を待たなかった。走り込む。咄嗟に男がよけた。が、それすらも見切っていたと言わんばかりの動きでカロルは駆ける。
 男が体勢を立て直すよう、身を引いた。反対からリオンが迫るのを視界の端に映し舌打ちをする。そこに薙ぎ払われるハルバード。
 かわす。はっとして顔を伏せた。眼前に青い炎。思わず上げた腕で顔を庇う。
「が――!」
 その腕に男は信じられないものを見た。厚い毛皮を、その下の頑丈な籠手を破り食い込む青い剣を。
「貴様……ァ」
 血を振りまきながら男が下がる。その足をリオンのハルバードが狙った。切り裂かれた脛からも血が滴る。
 担いだ剣を振り下ろすその一瞬。カロルはそれを狙っていた。男が呆然と目を開く。剣が炎に変化する。目を狙われる、それを感じた男が首をひねって避けた。
 炎が凝った。再び剣の形に定まった青い炎。カロルが防御を捨てた大振りで男に打ちかかる。男がそれを悟ったときには遅かった。男の首に剣が食い込む。
 そのまま振り抜いた。炎の軌跡に従って、首が飛ぶ。呆気ないほど軽く遠くへ。死体の山の上、何が起こったのか永遠に理解することのない顔をした男の首が転がった。わずかに遅れて首を失った体から血が噴き出し、カロルの髪に顔に降り注ぐ。
「殺しちゃってよかったんですか」
 返り血を、全身に浴びたカロルが振り返った。首を一振りし、顔にまつわりつく髪を煩わしげに振り払う。
「フェリクスのこと、もっと知ってたかもしれませんよ?」
 責められているのかもしれない、不意にカロルは思う。そしてなにを責められているのだろう、と疑問に思う。前に出たことか。気づいては苦笑したくなった。
「まぁな」
「カロル」
「うっせェ」
 顔をそむけて剣を消し、ローブの袖で返り血を拭う。ごわごわと血の固まった袖が痛かった。
「情報は大事にしたいんですけどねぇ、私」
 ちくりと言うのにカロルはリオンを振り返る。そして肩をすくめてまた遠くを見た。
「テメェが知らなくていいことまで喋られたら面倒だからよ」
「カロル……」
 背後でリオンが絶句した。ゆっくりと彼が近づいてくる気配がする。黙ってカロルは立っていた。
「だから、殺したんですか」
 そっと後ろから手が伸びてくる。優しいくせに抗わせない手が肩にかかってリオンへと向かせた。
「おう」
 口にしたくないことを言わされたよう、カロルの口調は冷たかった。が、リオンはその言葉に微笑った。
「ありがとう、カロル」
 神官のものとは思いがたい武器を持つ荒れた指先が、頬を拭った。袖口で髪に飛んだ血も拭う。
「そのせいで死なれたら後味わりィだろうがよ!」
「うーん、もしかしてそれって予測の範囲内の危険でしたか?」
「だからついてくんなって言ってんだ、ボケ!」
「なるほどねぇ」
 いまさらのよう、腕を組んで納得したよううなずいているリオンにカロルは呆れて言葉もなかった。なぜこれほどまでに同行を拒んだのか、彼は理解していなかったと言うのだろうか。そして理解していても、リオンは共にくることを望んだのだとカロルは悟る。
「ま、ここまで来ちゃいましたしね。とりあえず移動しませんか」
 言ってリオンは部屋の隅の氷柱を指差した。やはり、そこにそれはあったか、カロルは唇を噛みしめる。
「おいボケ」
「はい?」
「テメェ、部屋は四つって言ったよな?」
「言いましたよ、推測ですが、ともね」
「うっせェ。だったらもう一度推理しろ。これはどこに繋がってる?」
 憤然と言うカロルをリオンは楽しげに見つめ、固まりかけた頬の返り血をさらに指で拭った。
「おいコラ」
「考えてますってば」
「ほんとかよ?」
 疑わしげなカロルの声にリオンは目を細め、わざとらしく血を拭う。そうしつつも、神官の感覚は働かせていた。それを感じ取ったのだろう、今度はカロルも黙った。
「塔の主は几帳面と見えます。どの階もほぼ正方形ですね。この階もそうです。四つの部屋が四隅にあるんです」
「まぁ、性格的にそうだろうな」
「あぁ、そうか。あなたはご存知なんですもんね」
「おう」
 何気ない言葉だった。だがリオンは自分の言葉の何かにカロルがわずかな反応を見せたことを感じ取る。それに気づかなかったふりをしてさらに首をひねった。
「四隅ですから、中央部分に十字路が残ってますね」
「なるほどな」
「これはそこに跳ぶはずでは?」
「あてずっぽうと大差ねェな」
 不機嫌そうにカロルが肩をすくめた。リオンもまた同じ動作をしている。
「ここまで来て壁の中に実体化させて殺すなんて事はしないんじゃないですか、性格的に?」
「そりゃそうだな」
 その一言で無謀とも言える行動は決まってしまった。いままでだとて、考えてみればどこに出現するかはわかっていなかったのだ。もう一度同じことを繰り返したとてそれこそ大差ない。
「行くか」
「はい」
 互いににんまりと笑いあい、手を差し伸べあう。悪い気分ではない。それも口にはせず互いが心の内で思ったこと。握り合った手で、氷柱に触れる。ゆらり、視界が揺らいで二人は別の場所へと転移した。
「……気持ち悪い」
「慣れたんじゃねェのかよ」
「そのつもりでしたが」
 弱々しげなリオンの声が肩の辺りから聞こえた。カロルは軽口を叩きながらも彼の体を支えていた。そう簡単に慣れるはずがないのはよくわかっていたこと。しっかりと抱いた体が心地良かった。
「そのままでいい」
「はい」
「頭だけ働かせろ」
「はい」
「ここはどこだ?」
 しばらく返事が返ってこなかった。ちょうどいいとばかりカロルは周囲を見回す。魔法の明りを飛ばせば、長く通路が伸びていた。前に後ろに、そして左右に。リオンに聞くまでもなかったかもしれない。ここがどこにしろ、カロルの目は目的のものを見つけ出していた。上階へと続く、階段を。
「推理が当たったみたいです」
「だな」
「カロル」
「あん?」
 そっと埋められていた額が離れた。間近で見る顔色は決してよくはない。顔を顰めてもう少し休んでいてもいいとカロルは彼の背を叩く。
「当たりだったんですから……」
 リオンは大丈夫だと言うよう首を振ってはかすかに微笑った。それから拗ねたよう唇を尖らせる。妙に子供じみた仕種だった。
「ご褒美が欲しいってか?」
 鼻で笑って軽く腹に拳を打ち込んだ。軽いなどと言うものではない、撫でているに等しい拳だった。
「はい」
 だがリオンはそんなカロルの態度には構うことなく嬉々と言う。呆れつつもカロルは思わず吹き出していた。
「おいボケ」
 支えた体を引き寄せる。照れたようリオンが目を閉じてわずかにかがんだ。その耳許にカロルの唇。
「……痛いです」
 リオンの耳は、がつりと音がするほど強く噛まれていた。耳許で忍び笑いが聞こえたけれど、気休めにもならない。
「褒美目当てに働くんじゃねェ! ボケ!」
「少しくらい褒めてくれたっていいじゃないですか。もう」
「あー、はいはい。よくやった。偉い偉い」
「気持ちがこもってません」
「テメェは要求が多いんだよ!」
 耳のすぐそばで喚き散らされてはうるさくてかなわないだろうとカロルは思う。だがリオンはそれさえも快いと言わんばかりにうっとりと微笑んでいる。
 急に馬鹿らしくなった。ひとつ腹を殴りつけて憂さを晴らす。ただの気持ちの整理のようなものだった。リオンが困ったよう笑ってそれまでとなる。
「階段、ありましたね」
 カロルの変化を敏感に感じ取ったリオンの言葉。カロルは黙ってうなずいた。いままでの戯れが嘘であったよう、引き締まった精悍な顔をしている。
「ボケ」
 もう眩暈も吐き気も収まっただろう、カロルの目が言っては体を離した。が、リオンはそこに違うものを読み取る。カロルの唇が引き締まり、翠の目が決然とした色を宿した。




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