カロルの目に浮かんだ仄かな安心をリオンは穏やかな思いで見て取った。一つうなずき振り返る。そこには転移の氷柱があった。 「で?」 むっつりと不機嫌なカロルの声が追いかけてきた。氷柱に眼差しを据えたまま、腕組みをし首をかしげた。 「想像ですけどね」 そう言いおいて首を振り向ける。それでいいとばかりカロルがうなずいた。 「あと二つはあるはずの部屋もまったく同じ構造だと思います」 「なんでだ」 「階段の位置、覚えてます?」 「わかるかよ!」 「いや、そうじゃなくて」 思わずもれた苦笑にカロルが罵声を飛ばそうとするのを手で制し、リオンは言葉を選んで話しを続けた。 「部屋の中での場所ですってば」 言えばようやく納得したようカロルがうなずく。それから思い出すよう視線が宙を泳いだ。 「部屋の南東の隅だったな?」 「はい。部屋はほぼ正方形と考えていいでしょう。その南東の隅に階段があって、この氷柱も南東の隅です。そして出てくるのが北西の隅」 そしてリオンは思わせぶりに抜けて来た扉の向こうを振り返った。カロルがその視線の先を追う。 「到着点と出発点に奇妙な重なりがあるとは、思いませんか」 「なるほどな」 「塔の主の癖かもしれませんね」 「あん?」 「妙に律儀と言うか、構造を想像しやすいんです」 まるでなんでもないことを言う口調だった。だがその言葉にカロルは内心で驚愕していた。やはり、連れて行くべきではない。見えなくていいものが彼には見えすぎる、と。 「カロル」 「うっせェ」 「ついていきますからね」 そしてやはり、見透かしたように言ってはリオンが笑う。すぐ側にリオンが立っていた。見上げるでもなく見ないでもない。 「しつこい男だぜ」 溜息まじり呟けば明るい笑い声。カロルは自分の本心がわからなくなりつつあった。最後まで行を共にしたい。いずれ、近い将来に離れていく男だ。それまでのほんのわずかな間だけでも。 そう思う反面、彼に最後を見せることだけはしてはいけないと戒める誰かの声。リオンの未来もあるいは命すら奪うことになるかもしれない。 「何度でも言わないと置いて行かれそうですからねぇ」 「置いてきてェよ」 「しみじみ言わないでください」 カロルの心の内がざわめいていることなど、とっくにわかっているはずなのに、飄々とただ言葉面だけのこととして言うリオン。ちらりとカロルは見上げ、諦めたよう肩をすくめた。 「さて、と。次の想像ができたところで進みますかね」 「なにが出てくっかわかったもんじゃねェけどな」 「ちなみに想像、できます?」 「まぁ、氷系統のなんかだろうよ」 「……それくらいは私にもわかりますって」 「だったら聞くな!」 華やかな罵声に今度はリオンが肩をすくめる番だった。それからふとカロルの目を覗き込む。 「なんだよ?」 「寒くないですか」 「あんまし。テメェはどうなんだよ」 「寒いです。手がかじかむほどではないですが」 やけにきっぱり言ったリオンについ、カロルは笑った。知らずうちに手が伸びる。リオンの指先に触れていた。 「冷てェじゃんかよ」 「ハルバードぶん回すに支障があるほどじゃないです」 「……ほんとに神官か疑わしくってならねェ」 「私は――」 「言うな、いいから!」 言わずもがなのことを言ってしまったカロルは慌ててリオンの言葉を止める。聞けば聞くほど信用しがたくなるのはなぜだろうか。 だがそれは、今までの感情とは何かが根本的に違っていた。心の奥底で、信じたいと願っているせいかもしれない。 「あなたは大丈夫なんですねぇ」 「わかってるんだから聞くんじゃねェよ、ボケ」 「まぁ、話には聞いてましたけどね。魔術師の知り合いっていないんで」 魔術師は、気候や温度に左右されにくい、と言う。まったく左右されないわけではなく、凍死もすれば焼死もする。だが普通の人間に比べ、遥かに温度に対する耐性があった。 「不思議ですねぇ」 「あん?」 「神聖魔法も鍵語魔法も、元をただせば同じもののはずじゃないですか」 言われてみればそうだった。カロルは唇に指先を当て、知らずうちに考え込んでいる。力ある存在との盟約によって発動させる契約魔法――一般的に契約相手は神だと言われているが定かではない――はすでに廃れていて現存しない。 しかしそれが人間の魔法の全ての始まりだと言われている。そこから派生したのが鍵語魔法の元となった真言葉魔法と神官たちの使う神聖魔法だ。 それなのに、気候に耐性を持っているのは、魔術師だけであって神官は違う。言われてみるまで考えたこともなかったカロルは場所を忘れて没頭しかけた。 「神々に愛されてますからね、私たち神官は」 そんカロルを愛おしげに見やってリオンは言う。はっとしたようカロルが顔を上げるのはリオンの言葉の刺激的な表現にだろうか。 「テメェ……」 「我々神官には、神の恩寵がありますから。多少の不快さは試練、と捉えることになってます」 「なんだよ、なってるってなァ」 「人間ですから。そうでも思わないとやってらんないんです」 あえて無頼を気取って見せる口調があまりにも似合わなくてカロルは笑う。それにリオンは口許をほころばせた。 「動かないとほんとに凍えちゃいます、私」 「うっせェ、行くよ!」 「では」 そう、手を伸ばしてきた。先程と変わらない。けれど少しだけ取るのをためらった。リオンは笑みを浮かべたまま、待っている。 不意にカロルは気づいた。それを、見たかった。にやりと笑って手を取る。冷たい手を握り締めれば、リオンが氷柱に触れた。 一瞬にして視界が暗転し、元に戻る。すぐさまリオンが役に立たないことがこれまでの経験からよくわかっているカロルは、彼を腕に抱いたまま辺りに警戒の視線を飛ばす。 「けっ」 リオンの、言ったとおりだった。最前の部屋と同じ場所に飛ばされている。彼がいなかったならば、そして扉が閉まっていなかったならば、また同じ場所を堂々巡りしているのではないかと不安になったことだろう。 完全に、同じ構造だった。ちらりと視線を巡らしただけで扉を発見できる。先程、迷ったのが嘘のようだった。 「つーことは、と」 戦いを予感してカロルの声が弾む。リオンを神官らしからぬ、と言うならばカロルだとて同じこと。一瞬にして出現させた炎の剣を握り締めればその思いに感応したかのよう、煌々と照り光った。 「おいボケ」 「……もうちょっとです」 苦しげな呻き声。度重なる、立て続けの転移がつらくてならないのだろう。すぐに慣れろと言ってどうなるものでもない以上、回復を待つよりない。 カロルはリオンの背をなだめるように撫で、ふと思いついては水袋を渡す。ほっとしたよう受け取りかけ、指先に力が入らないのかかすかに震えた。 「ちっ」 舌打ちをひとつ。我ながら気恥ずかしいだけだとわかっているそれには少しも慰められることはなく、カロルは苛立たしげに水袋の口を開けては彼の唇にあてがった。 「ありがとう」 息をつく音が耳許で聞こえる。思わず抱き返していた。ゆっくりと一度閉じた目を開けば視界にあふれるリオンの髪。カロルはきつく唇を噛む。黒髪に、フェリクスを思う。 「おいコラ」 「もう、大丈夫そうです」 「ボケ」 「本当ですよ、カロル」 違う誰かの面影を見たと、リオンは悟った。カロルは決して自分に弟子の姿を重ねてなどいない。それならばもう少しくらい信用してくれるはず、リオンはそう思う。けれど黒い目、黒い髪。それがカロルにはフェリクスを思い出させずにはいられないらしい。 「行きましょう、カロル」 それならば、出来得る限り早急にフェリクスを救出すること。そうすれば、カロルの目に映るのは、フェリクスではなくなる。そうであることを祈ってリオンは苦笑した。 「手ェ見せろ」 「はい?」 素直に差し出した手をカロルは取った。じっとリオンを見据えれば目を瞬いている。 「行くか」 手は嫌な冷たさをしてはいなかった。指も震えてはいなかった。無理をさせている、その思いが忸怩たる感情を呼び起こすけれど、今は彼を信じるよりなかった。そしてそう思えた自分にカロルはどこかほの温かいものを覚えた。 「行きましょう」 うなずいてリオンが扉に振り向く。ハルバードを握る仕種も普段と変わらないもの。カロルは彼の背中にほっと息をついて自らも戦いに備えた。 「開けます」 静かに言った声とは裏腹の乱暴さでリオンが扉を蹴り開ける。毎度のこととは言え、もう少しなんとかならないのかと悪態の一つもつきかけたカロルの喉が締め付けられる。 室内に、吹雪が吹き荒れていた。そんなはずはない、首を振りかけ慌ててリオンを見る。寒さに対応できるだろうかとの懸念。 そのときリオンはすでに扉の内側へと走り込んでいた。ハルバードを構えてさえいれば、吹雪くらいどうと言うことはないと言いたげに。 「あのボケ!」 罵声を一つで押しとどめ、カロルは咄嗟に呪文を詠唱する。本来的な使い方ではないもの。 「守護せよ、オムサ<焔盾>」 リオンの前面に炎の盾を展開する。ないよりはまし程度には、寒気を緩和してくれるはずだった。吹き荒れる雪の中、リオンの姿を見失いそうになるのを恐れ、カロルもまた部屋の中へと飛び込んでいった。 |