リオンの攻撃に、砕け散る硝子細工のような破片が飛び散った。所詮は氷、かわすまでもないと侮ったリオンの腕、破片が突き刺さる。 「ちっ」 リオンは舌打ちをし、破片を振り落とそうと手を添えるその掌までもが切れて愕然とした。 「クリスタル……!」 彼の声に合わせたよう、氷の装束を剥ぎ取られたクリスタルゴーレムが猛り狂う咆哮を上げた。透き通った魔法生物であるのに違いはない。ただ段違いの硬度を持つ。 リオンはゴーレムを睨み据え、そしてハルバードの刃に手を滑らせた。撫でただけにしか見えない動作。けれどたったそれだけで武器がまとったカロルの炎が消し去られる。 背後でカロルが息を飲む音がした。いまは詫びている暇などない。今度は柄に沿って手を滑らせれば、エイシャの聖性がハルバードを満たしていく。 ふわり、ハルバードが輝いたかに見えた。リオンはにやりとし、神聖魔法を帯びたハルバードの、なぜか石突を向けてゴーレムへと突進する。 ゴーレムの吼え声。まるでそれは勝利を確信するかの。突きこまれた石突を、かわすでもなく頑丈な掌で受け止め。 リオンの目が輝いた。と、ハルバードが姿を変える。石突であった場所に刃があった。命のないはずのゴーレムが愕然としたよう立ち尽くす。するりとハルバードが二つに分かれる。長大な長柄武器を両手にそれぞれ構えて飛び込んでくるリオンを抑える隙などない。 風鳴りを立てたハルバードが胴体に食い込みかける。それを防ぐよう体をひねったゴーレムに、反対の手の武器が閃く。蕩けるよう、胴に向かった武器がかき消えた。 「こっちだ!」 ごつり。重たい音がした。今度こそ、ハルバードが胴にめり込んだ。聖性をまとった武器をこじるようひねれば鋭い破片が飛散する。ぴしり、と頬にあたって切れては一筋の血が流れ出す。 「そこだ!」 食い込んだハルバードをまるで踏み台にするよう、カロルが跳んだ。軽やかな跳躍に、一瞬目を奪われる。 そのカロルが手にしているのは変わらず炎の剣。だが噴き出す青い炎の強さがカロルの思いを物語っている。 飛翔するカロルの剣から逃れようとゴーレムが身悶えた。が、そこにはリオンがいる。ハルバードを深く、さらに深く突き立てたリオンが。 ゴーレムには見えただろうか。翠の目が煌いたのが。カロルの剣がゴーレムの肩口に振り下ろされる。正確に一撃だけ。ふわり、飛び降りたカロルが振り返った。 「下がれ!」 咄嗟に従う。すぐさまカロルも下がってきた。視線だけはゴーレムから外さないままに。 「いいんですか」 「おうよ」 「もう……?」 魔術師の一撃で、倒れるとは思いがたかった。が、それを言いかねて言葉を濁したリオンに向かい、カロルがにんまりと笑う。 「あれで充分だ」 カロルが指差す。リオンの目が見開かれた。彼らの前でゴーレムが崩壊していく。動きを止めただけではない。さらさらと、まるで氷が水に還るよう、溶けていく。 「クリスタルなんですけどねぇ」 思わず呟いたリオンにカロルが笑った。そして何気ない動作で結界を張る。油断、していたのかもしれない。リオンは。 少なくともカロルは気を抜いてなどいなかった。わずかに間に合った結界に衝撃波が襲い掛かる。ゴーレムの、最後の崩壊だった。 「すみません」 「ボケ」 「はい」 悄然とするリオンの肩をカロルは叩き、攻撃の時間を稼いだ礼に代えていた。途端にほころんだリオンの唇を見もせずカロルはゴーレムの残骸に目を据え続ける。危険はないか、と窺っているようだった。 「なにをしたのか、聞かせてもらえませんか?」 「あん?」 「今後の参考、と言うやつです」 「あぁ、あれな」 カロルが与えた攻撃のことを言っていた。さほど重たい剣ではない。剣の衝撃で破壊できたならば、リオンのほうがまだ適している、と言える。 「あそこに生命を表す神聖文字が刻まれてた」 淡々とカロルはそのようなことを言う。知らずリオンは彼をまじまじと見つめていた。 「神聖文字……ですか……」 「読めんだろ、テメェも」 「普通、読めません」 「神官のくせに」 「そうは言いますけどねぇ。簡単なものならなんとかなりますよ? でも生命のような複雑なものは、ちょっと」 「面倒くせェってわかってんだったら読めんじゃねェかよ!」 「一瞬で読むのは無理って言ってます」 「けっ」 カロルはあっさりとそのようなことを言う。だがリオンは彼の知識に呆然とする思いを隠しきれなかった。 伝説に言う。神聖文字とはかつてアルハイド大陸に君臨した幼き神、神人たちの言語なのだ、と。神人たちが去りし後、当然のよう言葉も廃れた。過去には神官たちは皆、神聖言語を学び使いこなしたとは言うが、現在においては高等学問のための言語であり、使いこなす者など一握りしか存在しない。 それをわずかの間に読み取ったカロル。身のうちが震えるようだった。 「テメェとは修行してる時間の長さが違うんだよ、ボケ」 そんなリオンの思いを読み取ったよう、カロルがどこでもない場所を見やって言った。 「まったくですねぇ」 いつか彼の持つ知識に匹敵したい。唐突とも言える激しさでリオンは思う。 「あ……」 思わず声を上げ、すでに残骸とも言えなくなっているゴーレムに視線を向けた。 「今度はなんだよ?」 「ちょっと嫌なことに気がついちゃって」 「さっさと吐けや、ボケ」 「うーん。あなたはとっくに気づいてたんでしょうけどね。あなたのほかにもう一人、神聖言語を使える魔術師がいるんだなぁ、と思って。ちょっと怖気づいちゃいそうです、私」 「いまさらなに言ってやがる、ボケ坊主」 「そうは言いますけどねぇ」 「ゴーレム作んのなんかたいした手間じゃねェよ。理論がわかってりゃ、できる」 「問題はそこですねぇ」 「あん?」 「理論がわかってて、実行できる魔術師かぁ」 真実恐れているとはとても思えない嬉々としたリオンの声に、カロルは呆れ顔をして彼を見上げる。それになぜかリオンがにんまりと笑った。 「なんだよ?」 「うーん、もし私がその人好きになっちゃったりしたら、どうします、カロル?」 「……物凄く好都合だ」 「可愛い、カロルってば」 返答はなく、結界を破りついでにカロルの拳が飛んできた。いつのまに消したのか、剣を振るわなかったことだけでもリオンは礼を言いたい気分だった。 「嘘ですよ、カロル」 「うっせェよ」 「好きですよ、あなたが」 「勝手にほざいてろ」 「あなたが聞き飽きるまで言ってようかなぁ」 「とっくに飽きた」 ひらひらと手を振って行ってしまうカロルの背を追いかけ追い越す。髪に手を触れれば嫌がるよう首を振る。 「カロル」 「うるせェって言ってんだ、ボケ」 煩わしげに見上げた視線がわずかに揺れているような気がした。覗き込むようかがめばかすかに目をそらす。その仕種がリオンに彼の揺らいだ心を確信させた。 「愛してます」 そっと耳許で囁く。カロルは面倒そうに首を振って歩いていってしまった。が、彼の背中から険が消えていることを、リオンの目は見て取っていた。 「あ。ありましたよ、カロル」 「どこだよ」 「あっちの隅です、ほら」 ゴーレムのわだかまった残骸の欠片を踏み越えて二人は進む。どうやらリオンには目指すものが見えているらしい、とカロルは黙って彼の背後に従った。 「やっぱり氷柱ですね……とすると。うーん」 触れないよう手を差し伸べるだけにとどめてリオンが氷柱の前に佇んでいた。それは前の部屋から跳ばされたときと同じように見える氷の柱だった。 「なに考えてんだよ?」 「ちょっと待ってくださいね」 「早くしろよ、ボケ」 言葉ではそう言いはしたものの、カロルは焦らせる気などさらさらなかった。待てと言うからには何か理由があるはずだった。 その間に先程のリオンの言葉の意味を思う。いったいどういう意味だったのだろうか、と。深い意味などないのかもしれない。ただ、浮気をしたらどうするのか、と聞いているだけとは思えなかった。そもそも今の時点で問われて答えられる問題でもない。 カロルは想像する。おそらくは、もしも自分が裏切ったらあなたはどうするのか、そう問われたのだろう、と。言葉を変えてみればあながち間違ってはいない気がしなくもない。 リオンが自分を裏切る。内心で思っただけでぎょっとするほど強い怒りが湧き上がる。怒りと言うよりはむしろ、哀しみかもしれない。知らずカロルはローブの胸元を掴んでいた。抑えかねる痛みがそこにありでもするかのように。 「……殺しちゃうかもな」 漏れ出した言葉が、自分のものだと認識するまでに時間がかかる。呆れ顔のリオンが振り向いたことで、それと知った。 「なに物騒な独り言を言ってるんです?」 「うっせェなぁ」 「殺したいのはダムドですか、カロル?」 「うるせェって」 あらぬ方を向いたカロルにリオンはにやりとし、もつれた金の髪をかき上げた。 「もしかして私ですか?」 「だったらどうするよ、あん?」 「いいですよ」 「なに言ってやがるボケ坊主」 「あなたにだったら、殺されてあげます」 うっとりと笑って言った神官の目をカロルは凝視する。嘘をついているようには思えなかったけれど、真面目なのだとも思えない。思えないのではない。真剣だなどと、間違っても思いたくなかった。 「この腐れ坊主が!」 輝くリオンの目に、からかわれていたのだと知った。それは無性に安堵するような、そんな思いだった。 |