呆れ果てて物も言えなかった。寝たり起きたりを繰り返していたからカロルには時間の経過がわからない。だが一週間とは思いもしなかった。突如として焦りが蘇る。
「おいコラ」
「なんです?」
「嘘ついちゃいねェだろうな?」
「まだ疑いますか、あなたって人は」
 笑うリオンの態度があまりにも自然でカロルは信用せざるを得ない。そもそもそのようなことで嘘をついても彼に益はないはずだった。
「おい、ボケ」
 ふと思いついて彼を見る。信用するつもりではいるのだが、疑わしい視線になってしまうのは避けがたかった。
「ここに入ってから……俺と会ってからどれくらい経ってる?」
 カロルの感覚では、せいぜいが数日と言うところだった。だがリオンの感じる時間の流れとの差異を考えれば、自分の感覚があてにならないことを認めないとならないらしい。
「うーん、そうですねぇ」
 突然に問われてリオンは戸惑った。エイシャの神官の感覚は、確かなものを知らせてきてはいるのだが、意識しなければそれとわかるものでもない。
「数週間、と言うところでしょうか。正確にはちょっと。時間をくれれば思い出しますが」
「けっ。充分だ」
「お役に立てて光栄ですねぇ」
「言ってろ。ボケ」
 カロルは狼狽を隠しきれず言葉を吐き出す。今フェリクスはどうしているだろうか、メロールが心配していることだろう。そんな当たり前のことをぼんやりと考えていた。
「以前、聞いたことがあります」
「あん?」
「こういう魔力に満ちた迷宮は時間の感覚が狂うものらしいですよ」
「あぁ……」
 言われてカロルも思い出す。確かにリィ・サイファの塔では体感する時間と実際の時間が違う。ここも魔術師の塔なのだからそれが当然と言えば当然かもしれない。あちらの塔では慣れていて意識もしない。それに思い至らなかったのは不覚としか言いようがなかった。
「ほら、シャルマークの大穴」
「あん?」
「本、読んだことあるんです。あれって王宮だったんですってねぇ」
「おう、そうらしいな」
 カロルはメロールの話を思い出していた。彼はリィ・サイファや、アレクサンダー王から話を聞いた、と言っていた。本になっていたとはカロルは知らなかったが、大方サイリル王子の懐旧譚か何かだろう。
「大穴に挑む前はまだ、それほど寒くはなかったらしいのに、出てきたら真冬だったって書いてありました」
「そういや、そんなこと聞いたって言ってたな」
「あ、メロール師がですか?」
 なぜか嬉しげに言うリオンがどことなくカロルは不快だった。思えばエイシャ女神は物語を好むとか。ならばリオンにとって今こうしていることとシャルマークの冒険譚は同じものなのかもしれない。
「うーん、いずれ伺いたいですねぇ」
 やはりそうなのかと思ってしまう。どうでもいいことのはずだった。自分にとってリオンは信用しきれない一人の男であるにすぎない。それでもカロルは目をそらしたくなった。
「あなたと一緒にいれば、いずれ聞くこともできますね。カロル」
「勝手にしろ」
「やだな、カロル」
「なにがだよ」
 言って視線を戻してしまった。失敗に気づくより先にリオンがにんまりとする。
「私はあなたと一緒にいるのがとっても楽しいです。物語を集めるのも好きですけどね、あなたと平穏無事な人生を送るのも悪くはないなぁ」
「ほざけ、ボケ。どこが平穏だよコラ」
「あなたが好きですよ、カロル」
「エイシャ女神の次にな」
 あえて皮肉な意味を持たせたつもりはなかった。けれどそのカロルの言葉にリオンが激しい反応を見せた。
「もう、本当にカロルってば可愛いんだから」
 腹を抱えて笑うリオンをカロルは不快げに一瞥し、殴る気にもなれないでいる。むっつりと黙って立ち上がりかけ、はたと止まった。
 あまりにもわざとらしかった。リオンが気づかないわけがないのだ。カロルが焦燥に駆られたことに。時間を知った途端、湧き上がる焦り。それが次なる負傷に繋がらないとは言えない。むしろ危険は増大する。
 だからリオンは大袈裟に笑って見せる。大丈夫だ、と。何の保証もないことながらカロルはそれが体に染みとおって行くのを感じる。いまだ信用とは言えなかったけれど、ある意味では信じはじめた証かも知れなかった。
「ボケてねェで行くぞ、腐れ坊主」
「うーん、あんまりにも……」
「屑肉になりてェか?」
 これ見よがしにリオンの顔の前、カロルが拳を突き出して振って見せる。その仕種にもリオンはひとしきり笑い、本当にカロルが魔法を放とうとする寸前になってようやく立ち上がる。
「さぁ、行きましょうか。カロル」
「テメェを待ってたんだろうが!」
「おや、お待たせしました」
 厚かましくも平然と言ってリオンはハルバードを握り武装を確認する。いつの間に手に取っていたのだろう。わずかの間カロルは唖然とし、いつものことだと自分を取り戻す。
「解くぞ」
「はい」
 結界にカロルは触れ、長い間自分たちを守ってくれた魔法の壁を消し去った。蕩けるようになくなっていくそれをリオンが残念そうに見つめる。
「テメェだってできんだろうが」
「できますよ」
「だったら……」
「あなたのほうが綺麗ですから」
「言ってろ」
「個性ですかねぇ。あなたの魔法はとっても素敵ですよ」
「撤回する。黙れ」
「いやです」
 妙にきっぱりと言ったリオンを憤然と見たカロルは悪態をつくのを断念し、代わりに一人さっさと歩き出した。
 細長い部屋のほぼ中央部にいるらしい。構造を考えれば北側に何か上階へ戻る手段があるだろう。そう考えたカロルは魔法の明りを天井付近へと飛ばした。
「お。あったな」
 嬉々として言うカロルは見つけた何かを見つめながら歩き出す。自然、足元が疎かになった。
「カロル!」
 はっとして足を止めるより先、リオンの腕が腰にまわった。抵抗を封じられカロルはそのまま運ばれる。
「危ないですよ」
「なにがだよ!」
「下。スポアがありました」
 リオンが指差した場所を見やれば確かにもったりとした何かがある。よくよく目を凝らせば黴状生物がそこにあった。
 黴と言って侮ってはならなかった。スポアは外部から与えられた刺激によって拳大の胞子を飛ばす。切りつけようが踏みつけようが同じことだった。そして飛び散った硬い胞子が辺り構わず破壊を尽くすのだ。鋼鉄の礫が凄まじい勢いで散乱するに等しい。それを認めたカロルの顔色が変わるほどに、単純ながら恐ろしい生き物だった。
「礼は言っとく」
 ぼそりと言うカロルに向かい、リオンはにこやかにうなずいてみせる。まだ腕はカロルの腰にある。それに気づいたカロルが払い落とすのとリオンがにんまりするのが同時だった。
「いえいえ」
「だがよ!」
「はい?」
「抱いて運ぶんじゃねェ!」
「だって、そのほうが早いでしょうが」
「そういう問題か?」
「踏んじゃってからじゃ遅いです」
 確かにそれは一理ある。だがしかし納得行かないのはなぜだろうか。口をつぐんでリオンを睨みつけ、カロルは論理の誤りを見つけ出そうとでも言うようだった。
「スポアの胞子がぶつかったりしたら死んじゃいます、私」
「とっとと果てやがれボケ」
「もうカロルってば」
 その先リオンがなにを続けるつもりであったか、カロルにはわかったけれど聞く耳を持つつもりはなく、そしてリオンも続けることはできなかった。振り向き様、カロルの拳が腹に入った。
「痛いです」
「どこがだよ!」
「腹が、です」
 あまりにも淡々と言うものだから本当に痛いのかどうか怪しいものだとカロルは思う。殴りつけた硬い腹に、拳のほうが痛んだ。
「危ないですからね、もうちょっと安全な所で遊んでください」
「どこだ?」
「うーん、例えば結界の中だったらいいですよ」
 そう言われると反って殴りにくいものだとカロルは知った。忌々しげにリオンを見やり唇を噛む。それから視線を上に戻した。
「あぁ、あれですねぇ。さすがカロル」
 どうやら褒めているらしい口調でリオンはカロルの視線の先を見つめた。目を凝らしているのだろう。思いの外に真剣な顔をしていて少しだけカロルは戸惑った。
「上げ蓋、かな?」
「みてェだな」
「困りましたねぇ」
 腕を組んでリオンが首をかしげた。二人はたっぷり二階分、落下している。一方が相手を抱えあげても到底届く距離ではなく、階段梯子の類などどこにもない。
「なんとかする」
 カロルが顔を引き締めて言う。それをリオンはじっと見つめ首を振った。
「なんだよ?」
「あなたがするより私がしたほうがいいでしょう」
「あん?」
 どういうことだと問い詰める視線がリオンを貫く。決して侮辱しているわけではない、と目顔で詫びてリオンは目を上げ蓋に戻した。
「あそこまで行って、上に行ってからロープを下ろします。一時的に分断されるわけですから、新しい場所には武器を使える私が行ったほうがいいです」
 実にさらりと言う。だからカロルはわずかの間とはいえリオンの言葉の意味が取れなかった。
「どういう意味だ、ボケ」
「そのままですよ」
 肩をすくめてリオンが言う。なぜ、分断の道を取るのか。共に行けばいい。そうできない理由があるのだろうか。
「あなた、どうするつもりだったんです?」
 問われてカロルは言葉に詰まった。まだなにも思いついていなかった。魔法を使ってあそこまで飛ぶことは実際、可能だ。だがそれではリオンの提案と大差ない。どちらが先に行くかと言う問題でしかなくなってしまう。
「テメェはテメェで行け。俺は俺で行く」
 そのような無駄をリオンが納得するはずもない。当然のよう、カロルの言葉は退けられた。




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