二人は緩やかな眠りの中にいた。リオンの回復を促す香りだけが結界の中にたなびいている。傷は深く重い。充分な休息を取らねばこの先、進むことはできないだろう。 カロルは穏やかな眠りの中にいながらもリオンの腕を感じていた。温かい腕が自分の体にまわっている。それは眠りに入る前のことだった。 「カロル」 「なんだよ」 「ちょっとだけでいいですから。お願い、聞いてもらえませんか?」 そのような物言いに思わず警戒を強めたカロルをリオンが笑う。横たわったすぐ側に彼の顔があった。 「言うだけ言ってみろよ」 自分のせいでリオンが傷を負った。必ずしもそうであるとはいえなかったけれど、少なくとも自分に衝撃を緩和する魔法をかける間が彼の時間を奪ったのは確かだった。もしリオンの魔法がなければ、重い怪我をしたのはカロルのほうであっただろう。しばらく経ってからカロルの口を開かせたのはそんな思いだった。 「少し眠ったほうがいいと思うんです」 「そりゃな」 「あなたの結界があるから、危険はないはずですし」 「おうよ」 「私が眠ってしまっても香の効果が切れることはありませんから」 「で? さっさと吐けや、ボケ」 笑いまじりに言えばリオンが困った顔をする。それほど言いにくいことなら、いっそ言わずにすればいいとカロルは思う。いずれにせよ嫌なら拒むのだから同じことだ、と。 「あなたを抱いて寝たいんです、私」 「テメェ……」 「あ、そうじゃなくて。抱っこしたいだけです。無体はしません」 「ふざけんな!」 言った途端、激しい落胆の表情を浮かべた。罠だとわかっていてさえカロルは嵌らずにはいられない。むっつりと繋いだままの手を離す。 「カロル」 懇願の口調。聞こえないふりをした。そのまま一度目を閉じ、大きく息を吸う。それから彼の腕の中にもぐりこんだ。 「カロル……」 「うっせェ。黙れや」 「はい」 満足そうな声が頭上から聞こえた。それが妙に嬉しくてカロルを戸惑わせる。同行者に傷を負わせてしまった。すでに戦友と言っていい程度には絆を持った。その男が自分を助けて怪我をした。その罪悪感からしたことだった。そのはずだった。けれど。 やはりリオンの負傷のほうが遥かに重いものだった。カロルのぬくもりを腕にすると間もなく規則正しい寝息が聞こえてきた。それを耳にカロルもまた眠りに落ちていた。 とろとろと眠る。時折、目覚めては水を飲み食べ物を口にした。そして眠っている相手の腕の中に入り込んではまた眠る。互いに目覚めて顔をあわせることはなかった。しかし常にその存在に慰められて傷を治した。 どれほど経っただろうか。目覚めたカロルは体の重さが消えているのに気づく。慎重に体を動かせば違和感はなかった。傷は完治していた。 「どうです?」 半身を起こしたカロルを、まだ横たわったままのリオンが眺めていた。魔法の薄明かりに照らされた顔色は悪くはない。 「なんだ、起きてやがったか」 「何時間か前に」 「テメェはどうなんだよ」 自分の傷は治ったらしい。眠りだけではない、彼の魔法が功を奏していた。けれどリオンは一時は死にかけたのだ。 「私ですか? 完璧です」 言いつつ起き上がった動作にも不安はなさそうだった。だがリオンは必要とあらば傷の程度を隠そうとするだろう。だから彼にカロルは厳しい視線を向けた。 「嘘つきやがれ」 「あなたに嘘なんてつきませんよ、本当に治ってます」 「見せろ」 眠りと目覚めの間にリオンは鎧を解いていた。薄手の神官服だけを身につけている。どうりで温かかったわけだ、とカロルは関係のないことを思っては仄かに耳が赤らむのを自覚した。 思いを振り払うよう首を振り、リオンの服に手をかける。にやにやとしているのが気に入らなくて軽く頬を張り飛ばした。 「へぇ……」 知らず感嘆の声が上がっていた。あれほどの酷い傷が治っている。そして瞬きをした。確か、内臓を傷つけたと言っていたはず。 「カロル?」 ちらりと見上げてきた目にリオンはわずかに怯んだ。なにを考えているかすっかりわかってしまう。翠の目に浮かんだ険悪でいながら楽しげな色。リオンは腹に力を入れた。 それを見計らってでもいたようカロルの拳が腹に決まる。魔術師のくせに重たい拳にリオンは呻き、涙目になるのを抑え切れなかった。 「……思い切りよくやってくれましたね、カロル」 「治ってんだな、ほんと」 「確認するにしても、もうちょっと方法を選んでください」 「一番早ェだろ」 嘯いてカロルがにんまりとする。殴った詫びなどと言うつもりはないだろう。けれどカロルの手が神官服を整えてくれた。それをリオンはほのぼのと眺める。 「あなたも良くなったみたいだし、これはもういいですね」 きちんと直された神官服の襟を、照れくさくなっては自分の手でもう一度リオンは整える。それから誤魔化すよう銀珠を手に取った。なにをしたわけでもないのに煙が消え、程なく香りも薄れていった。 カロルがじっとそれを見ている視線を感じていた。やはり魔術師と言うものは魔法に対して興味がある、そのようなところだろうと思っていたリオンは不思議なものを目にすることになる。カロルは消えていく最後の煙に、落胆を見せたのだった。 「カロル?」 思わず問いかけてしまった。はっとしたようカロルがあらぬ場所へと目をそらす。リオンは彼の目の前に手を差し伸べ銀珠を振った。 「気に入ってもらえたみたいで、嬉しいです」 「そんなんじゃねェよ」 「もしお望みなら、定着させることもできますよ」 「あん?」 「魔法を帯びていない香りを作ることもできますしね。実のところ、香油はエイシャ神殿の主要な収入源だったりします」 「腐れ神官どもめ」 リオンの言い様に思わずカロルは吹き出す。神官だとて生きていく以上、金がかかるというのはわかってはいるのだが、どうにも神に仕える者たちはふわふわと浮世離れした生き方をしているような気がするせいで、生計を立てる必要があるようには思えないのだ。金、などと口にするとなぜか生臭く感じる。 「信者じゃなくとも買っていきますからねぇ。そう言われても致し方ないかと私も思います」 「どんなやつが買うんだよ」 「うーん、主に若い女性でしょうか。あとは恋人に贈る男性ですかねぇ」 「変なやつら」 「そう言わずとも」 「違げェよ、テメェら」 カロルはつまらなそう、顔の前で手を振った。どうやら若い女性、という辺りがお気に召さなかったらしいと気づきリオンは内心で歓喜に震える。 「香りはテメェらの本質みたいなもんだって言ったじゃねェかよ。それを切り売りするか、普通?」 不機嫌もあらわにカロルが言った。もしかしたらこの自分の香りを身につけた女がいるのかもしれない、そうも思っているのかもしれない。どこまで意識しているのかはわからなかったけれど。そこまで思ったリオンはひっそりと首を振る。それほど執着されている気はしなかった。ただの願望だった。 「私はあなたの前では嘘をつかないって言ったでしょ」 「だから?」 「香りも同じですよ。これは私が作り出す中で一番、自然なものです。神殿に納めるものとは全然違いますよ」 カロルがちらりと視線を向けてきた。リオンは微笑んで黙った。カロルの顔に浮かんだ仄かなもの。満足に見えた。 「変なやつら」 再度言ってカロルは話しを打ち切った。口を閉ざして伸びをする。ローブの袖がずれて細い腕が白く浮かび上がった。 「なに見てやがる」 「いやぁ、綺麗だなぁと思って」 「けっ」 「細い割に力ありますよね、あなた」 「それなりに筋肉はつけてっからな」 誇りを滲ませてカロルが言う。子供のように可愛らしい態度だと思ってしまうのがリオンは不思議でならなかった。自分よりずっと年上だとわかっている。それでいてなおカロルを可愛いと思うのはなぜであるか彼は知っていた。 「惚れた欲目でしょうねぇ」 思わず漏れてしまった独り言にリオンが気づくより先、カロルが反応する。無言のまま拳が飛んできた。ぼんやりとしていたリオンはよけることも腹に力を入れることもできず呻く羽目になる。 「気色わりィこと言ってんじゃねェ、腐れボケ!」 「カロルってば、照れてます?」 「もういっぺん殴られてェか?」 「どうせ殴るくせに」 「黙ってりゃ殴んねェよ」 「本当かなぁ」 不審を浮かべたリオンをカロルはきつく睨み上げ、今度は肩の辺りを殴りつけた。おそらく意識するより先に手が出たのだろう、殴ったあとにはっとした顔をするのがおかしくてリオンは忍び笑いを漏らす。 「ほら、やっぱり殴ったじゃないですか。そういうカロルも可愛いですけど」 「そういうこと言うのがわかってっから殴ったんだ!」 「カロルってば可愛い」 理不尽なことを言って誤魔化しようもないことを誤魔化そうと努力する彼を見ているのは楽しかった。何より、すっかり元気になった彼を見ているのが。 「なんて顔してやがる」 「はい?」 「テメェの面。そんな顔すんじゃねェよ」 どんな顔をしていたというのだろうか。リオンは聞かなかった。カロルも言わなかった。互いに無言のまま顔を見あわせにたりと笑う。 「くたばって、何日くらい経ってんのか、テメェわかんだろ」 わざとらしく話題を変えたカロルにリオンは笑いを噛み殺し、殴られるより先に神妙な顔つきをしてうなずいてみせる。 「一週間ほどは寝てましたね」 あっさりと言ったリオンの言葉に、カロルは絶句するより他になかった。 |