リオンの目に、竜牙兵はきらきらと輝く魔法をまとって見えていた。薄青く煌いているのは、カロルの魔法の持つ色合いなのだろうか。思えば彼の剣は青い炎。ならばそれは彼が好む色なのかもしれない。 「本当に綺麗だなぁ」 リオンは神官である。その彼にとっても鮮やかに見える魔法だった。それならばいったいカロル自身にはどのように見えているのだろうかと思う。同じ視覚を共有できないことをわずかに残念に思った。 「どこがだよ、あん?」 「とっても素敵じゃないですか。私、竜牙兵なんて見たことないですし」 「そりゃそうだろうな」 呆れたような声音で言って見せるけれど、カロルの顔は満更でもなさそうだった。真言葉が廃れてしまった現在において、それを扱い得るということは誇ってよいことだと言える。もっともラクルーサの宮廷魔導師としては大きな声で言えることでもないのだろうが。 「いまのこの世に竜牙兵を作れる人がいるなんて聞いたことないですしねぇ。もう伝説だと思ってましたよ」 「まぁな」 「やっぱり真言葉が?」 「おうよ。今じゃ、そうだな……師匠と俺くらいじゃねェのか?」 うなずく顔は今度ははっきりと誇らしげだった。それを横目でちらりと見てリオンは羨望を感じる。カロルがフェリクスに寄せる師としての愛情。想像でしかないが、彼の師は同じようにカロルを愛してきたのだろう。 そのような密接な関係を教え子と築いたことのないリオンにはわからない。同じ魔法と言っても神聖魔法はつまるところ祈りなのだ。鍵語魔法のよう、技術の習得ではない。 その差異が、師弟の関係にも大きく影響を及ぼしているに違いなかった。フェリクスを救いたいと願うのと同じくらいの強さで、カロルはメロールに誇って欲しいのだろうとリオンは思う。 「寂しいですねぇ」 リオンがそのように思う相手はいない。もっとも違う意味でならばエイシャ女神がいると言ってもよいのだろう。だが生身の相手ではないそれはやはり違う、と思うのだ。 「なにがだよ?」 「いえ、別に」 「さっさと吐け。楽だぜ」 にやり、カロルが笑った。ぞんざいな言葉といい加減な態度。どうしてこれほどまでに心和むのかわからない。それが愛おしいと言うことなのかもしれない。 「せっかくの綺麗な竜牙兵なのに、と思って」 どこでもない場所を見てリオンは言う。それからにっこりと笑って見せた。それにカロルは不機嫌な顔をする。訝しく思うより先に腹に拳が来た。 「カロル?」 「嘘は嫌いだ。嘘つくくらいなら喋んじゃねェ」 「あ……」 まさか悟られるとは思っていなかった。わずかながら甘く見ていたことをリオンは知る。黙って彼の前に立ち、そっと髪に手を滑らせた。 「邪魔だ、ボケ」 煩わしそうに首を振る。だが謝罪は受け入れられたらしい。仄かに目元が和らいでいた。 「魔術師の師弟と言うものはちょっと羨ましいな、とそれだけです」 「おいコラ」 「私にも教え子がいますけどね、それほど親密でもないですし」 意外なほどあっさりと白状したのがカロルには驚きだった。誤魔化したのだから言いたくないことなのだろうと思っていたのに。 そして内容にはもっと驚く。確かに魔術師の師弟と言うのは比較的仲のいいものではあると思いはするが、だからと言って皆が皆親密であるとは言いがたい。 「まぁ、フェリクスとも師匠とも仲いいけどよ」 「でしょ?」 「でも師匠は師匠と仲悪かったらしいぜ?」 「……ややこしいですねぇ」 「どこがだよ? だから俺らが仲いいんであって、別に魔術師全般がそうだとは限んねェよ」 どうやらカロルは慰めてくれているらしい。ふと気づいた。だがそれを感じてリオンは内心で苦く笑う。魔術師全体の話をしているわけではなく、単に彼らが羨ましいのだ。さすがにそうは言いかねただけで、的の外れたカロルの言葉はリオンの横を素通りしていく。 「俺もフェリクスとは最初からうまく行ってたわけじゃねェし」 ぽつりと言ったカロルの言葉。リオンは慰めようとしてくれる、その意思だけを汲み取ることに決め静かに視線を彼に戻した。 「そうなんですか?」 「出会い方が最悪だったからな」 言ってカロルは言葉を切る。リオンが気づいていないわけはなかった。だが彼はもどかしいほどに優しい。 「わかってんだろ? あれは闇エルフの子だ」 「えぇ、気づいてました」 「俺に向かって武器振り回しやがって。半殺しにするしかなくってな」 虚ろな笑いを漏らすのは当時のことを思い出したせいか。そっと伏せたカロルの瞼には、今とさして変わらないフェリクスの幼い姿が映っていた。 「それは……大変でしたねぇ」 「まったくだ。師匠にはこっぴどく叱られるわ、あれはあれで殴りかかってくるわ。野良猫に芸仕込んだほうがまだ楽だったな」 「想像を絶する苦労のようですねぇ」 思わずリオンは笑ってしまった。彼の脳裏に去来するのは威嚇する猫の調教をしようとするカロルだった。 「なに笑ってやがんだよ。ッたくよ」 むっつりと言ったカロル自身、笑っていた。冗談めかして腹に拳を打ち込んでくる。わざとらしく大袈裟にリオンが飛び退いて見せれば笑顔が深くなった。 「さぁ、行きましょうか」 その笑顔を見ることが出来るだけで充分だ、そうリオンは思う。心の中、そっとエイシャに感謝を捧げる。彼と言う人に出会えたこと、それだけで生きていてよかったと心から思う。 「おうよ」 思う存分笑って気分も引き立ったのだろう、カロルが唇を吊り上げて目を煌かせる。話題のせいだろうか、彼の目こそ猫の目めいて見えた。 カロルが嬉々として手を振る。存在すら忘れ去られたよう佇んでいた竜牙兵が、その仕種一つで命を吹き込まれたよう動き出す。 「うん、やっぱり素敵」 呟き声を無視してカロルは竜牙兵を操る。作ってしまえばそれほど面倒な魔法でもなかった。二人の前に立ち、盾となるよう命ずるだけ。 「カロル?」 少しばかり顔を振り向けて問いかけるリオンに黙って首を振る。扉は竜牙兵に開けさせる、と。 「いいんですか?」 「そのほうが安全だからな」 「了解しました」 目に柔らかい色を湛えてうなずいたリオンにカロルは舌打ちをする。うっかり言ってしまった言葉。あからさまではなかったけれど、リオンを案じた言葉だと彼は悟っただろう。 何も言わず、前に向き直ったリオンの背中。広くて大きな背中だと思う。カロルの身近にはなかったものだった。 思いを振り切りカロルは手を振る。竜牙兵がリオンの前を進んでいく。程なく扉の前に達し、器用にそれを開けた。リオンが小首を傾げて感心している。 「おいコラ、クソ坊主」 「あ、はい。すみません」 「行けよ、ボケ」 意外に器用な竜牙兵につい見惚れてしまったリオンの背後から声が飛ぶ。はっと気を取り直してハルバードを構えた。 それが幸いした。小部屋の中から突進してきたもの。ざわりと肌が粟立つ。 「なんだよ、これ!」 後ろでカロルが絶叫する。リオンは答えずハルバードを薙ぎ払う。がつり、と当たって食い込んだ。彼の唇から聞こえたのは舌打ち。珍しく苛立たしげにハルバードを振る。 そこにいたのは人であり蠍であった。人間の上半身に、蠍の下半身を持つ生き物。知性が高く魔法を能くするものもいると言うが、眼前のそれは違うらしい。目は濁り、口許からは泡を吹いている。 「下がってて!」 言うまでもないことをリオンは言い、竜牙兵と共に突進していく。狙いは上半身だった。硬い蠍の外骨格に阻まれては彼のハルバードといえども強力な打撃を与えられはしない。 竜牙兵が突き進む。恐怖心のない命なき生き物。骨の剣を構えアンドロ・スコーピオンに向かっていく。そこにカロルの魔法が飛んだ。最初の驚愕からは立ち直ったらしい。小さな火球だった。だがそれは魔物の足を止めるに充分。そして竜牙兵とリオンが武器を振るうにもまた。 血飛沫を上げて竜牙兵の剣が食い込んだ。聞くに堪えない悲鳴が上がる。身を振りほどくようもがいた魔物に竜牙兵が体勢を崩した。 それを予期していたリオン。風鳴りの音が聞こえる勢いでハルバードを振る。アンドロ・スコーピオンの腕が飛ぶ。 痛みに正気づいたのだろうか、憎しみのこもった目をリオンに向け、そして魔物は高々と尾を上げた。 「気をつけろ!」 カロルの声にリオンはうなずく。多少、息が上がっていた。それを見て取ったのか、魔物の唇がいやらしく歪んだ。 注意していたにもかかわらず、リオンのハルバードが一瞬遅れる。蠍の尾が、毒針を飛ばした。太い、クロスボウの矢ほどもあるそれが向かってくるのを、リオンはなぜかゆっくりと感じる。 「ボケ坊主!」 かわせない。あれが突き刺さったら、生きていられるのだろうか。ぼんやりと思う暇などないはずなのに、確かにリオンはそんなことを思った。 そのリオンの前、竜牙兵が身をさらした。隙間だらけの骸骨の体で彼の前に立つ。喉をさらして魔物が笑う。 突然、笑い声が途切れた。竜牙兵の構えた骨の盾。淡く輝く。ぎりぎりと聞こえる魔物の歯軋り。カロルが竜牙兵の盾に魔法をかけたのが間に合った。 「行け!」 それは竜牙兵に向けてだっただろうか。けれどリオンは声と共に飛び出した。今度こそはしくじらない。唇を噛みしめてハルバードを構える。両手で掴み、脇に挟むよう固定する。 鬨の声を上げ、リオンは駆けた。まるで騎士の突撃のようだ。再びカロルの魔法。今度は彼のハルバードに。赤い炎をまとったハルバード、リオンは自らの体ごとアンドロ・スコーピオンに突っ込んでいく。 「が――!」 声にならない声だった。身悶えする魔物の背後にまわった竜牙兵が、剣でその尾を叩き切る。ふっと息の抜けるような音。信じられないものでも見たよう、振り返った魔物の目が丸くなり、そして急速に光が失われた。 |