甘やかなくちづけが、気恥ずかしい。そのような関係ではない。ただ、体の相性がいいだけだ。それを認めるのが忌々しくはあるが、事実だとカロルは思う。くちづけも、悪くはなかった。それでも彼自身を欲しいとは思えない。リオンを信用できるとは、思えない。胸の中に湧きあがってくる思いをねじ伏せカロルは笑みを浮かべた。 「カロル」 「なんだよ」 「いやぁ、その……」 腕の中で何事か、急に困ったよう脱力したカロルを見ていたら、まるで彼が照れでもしたようでリオンは自分まで恥ずかしくなってしまった。若干の違和感を覚えはするが、それでもそのようなことを問えば罵声が飛んでくるのはわかっているから言葉を濁す。 「さっさと言えよ、ボケ」 が、濁しても結局、怒鳴られるのは同じことだった。ついリオンは含み笑いを漏らし、それを咎めるようカロルが睨むのも同じこと。 「ちょっと不思議に思うことがあって」 だからリオンは別の話題へとすり替えた。それを誤解してカロルがわずかに体を硬くする。気づかなかったふりをして抱きしめた。 「ほら、ケイブトロルがいたじゃないですか」 「あぁ……」 「あれってどこから来たんだろうと思って」 やっと違う話だと納得したのだろう、腕の中でカロルが力を抜いた。ほっと肩に頭を預けてくる。淡い金の髪が視界の端で揺れた。 「テメェなぁ」 「……何か、おかしいこと言いました?」 「言ってんだろ」 心底から呆れたよう、カロルが言う。ついで見上げてきた目は猫の目めいて翠に笑う。 「ケイブトロルがなんだってんだよ、あん?」 「だって、あれは洞窟なんかの暗闇に住む種族でしょ。どうやってここまで連れてきたんだか」 「んなこと言ったらな、下にいたドラゴンはどーなんだよ、あん?」 「あ……」 ぽかんとしたリオンの表情を、カロルは面白そうに見ていた。もっともあそこまで意外なものがいると、人間と言うものは認識を誤るもので、今まで彼の意識に不思議と映らなかったのも無理はないことかもしれない。 「そう言えば、そうですねぇ。不思議だなぁ」 「いまさら何言ってやがる、間抜け面」 「酷いな、カロル」 「けっ」 吐き出して、うつむく。けれどリオンは彼の口許が緩んでいるのを目にしている。だからまるで嫌な気持ちはしなかった。 「カロル」 「なんだよ!」 「あれって、どうやって連れてきたんでしょう?」 「うっせェなぁ。神官のくせに」 「それが何の関係が?」 「知りたがりは魔術師の性癖だぜ、神官はもうちょっとのんびりしてんだろうがよ」 「まぁ、たいていは。私はそうでもないですけど」 「んなこたァ知ってる」 呆れ声の中に滲み出す温かいもの。カロルはそれを不思議なもののように聞いていた、自分の声だと言うのに。苛立たしく身じろげば、わずかにリオンが体を強張らせた。 「おいコラ」 伸び上がりリオンの髪を掴んだ。痛そうに顔を顰めるのがわざとらしい。睨み据えれば笑って目をそらす。 「テメェ、傷治ってんのか?」 「えー、あー。まぁ、だいたいは」 「治せ」 「はい?」 「いますぐ完治させろ。できるはずだ」 「大丈夫――」 「だと思ってたら言わねェよ、ボケ!」 凄まじい剣幕だった。再び燃え上がった翠の目に見つめられてリオンはたじろぐ。それは同時に歓喜だった。神官の目で視れば、そこにも炎が見えただろう。怪我を案じて罵る彼の炎に包まれている自分が。しかしリオンはそうしなかった。しなくとも、彼の目には見えていた。 「はい」 ゆっくりとうなずいた。目に見えてカロルが安堵する。それを本人が気づいていない風なのがまた快かった。 カロルを腕に抱いたまま、エイシャへの祈りを捧げる。もしも女神がご不快ならば、祈りは聞き遂げられはしないだろう。詠唱の完成と共に、腰の傷が温まっていく。程なく完治した。 「なんで今まで……」 「ちょっと疲れ気味だったんで、後で治そうか、と」 「嘘じゃねェだろうな?」 「もちろんですとも」 「その言い方が信用できねェ」 言いつつ気の緩んだカロルはまた胸に頭を預けてくる。まるで彼のほうが疲れ切ってしまったようだった。 「あなたに嘘ついたことなんかないのになぁ。悲しいです、私」 「言い方が嘘くせェんだよ、テメェは」 「まぁ、自覚してはいますけどね」 言えばカロルが鼻で笑った。押し殺した笑い声が漏れそうなのをリオンの胸に顔を埋めてこらえるものだから、リオンはどこかたまらない思いに駆られる。 「カロル」 「うっせェな」 「あなたの言うこと聞いたんだから、ご褒美が欲しいなぁ、私」 カロルの頭が跳ね上がる。リオンを睨みつけて唇を噛みしめた。それをリオンは悠然と受け流す。どうするのか決めるのはあなただ、目顔でそればかりを語る。 「クソ坊主」 ぼそりと呟いてカロルが腹を殴りつけてきた。多少の落胆を隠せないリオンの頬に柔らかいもの。 「あ……」 「なにか言ってみろ。屑肉だぞ、屑肉」 「はいはい」 たかが頬へのくちづけひとつ。それくらいのことに妙に照れるカロルが可愛かった。もしかしたら、その程度のことだからこそ、照れるのかもしれない。 「それで、カロル」 「まだなんかあるのかよ!」 「いや、ドラゴン……」 「しつこい野郎だなァ。嫌われるぜ」 「あなたに嫌われなければ万事問題ありません」 「……ちょっと嫌いになりかけた」 「カロル?」 「うっせェ! なんでもねえよ! ドラゴンな、ドラゴン!」 失言に声を荒らげるカロルを優しい目をしてリオンは見下ろす。視線を感じて目を上げたカロルの額に軽いくちづけ。目をそらしたカロルの頬は血の色を浮かび上がらせていた。 「たぶん、想像だけどな。召喚されたんだろ」 「そんなことがダムドに……あぁ、そうか」 「言っただろ、この塔を建てたのもヤツだとは限らないってな。だったら魔物を召喚したのがダムドである必要もない」 「うーん、面倒ですねぇ」 「なにが?」 「いや、敵がどれくらいいるのかな、と」 「別にどうでもいいや、俺」 「はい?」 「ダムドなんかどうでもいい。馬鹿弟子つれて帰れば終わり」 「……なるほどねぇ」 少しだけカロルの気持ちがわかるような気がするリオンだった。思わず苦笑が浮かぶ。 リオンにとってエイシャが一番だと仄かな嫉妬を見せるカロル。それならば彼にとってフェリクスは何者なのだろうかとリオンは思う。大事な弟子、それ以上の者ではないと聞かされているにもかかわらず浮かんだのはやはり、淡い嫉妬だった。 「テメェはダムド退治しに来たのかよ?」 「いえ、そんなことはないですが」 「そういや、なんでこんなとこにいんだ?」 いまさらな質問のようで笑えてしまう。探索をするのが務め、というようなことを言っていたような気がしなくはないが、どうにもそれだけとも思いがたい。 「言ってみれば物の弾みですね」 「なんだそりゃ」 「いやぁ、誤解だったんですよねぇ。話題の塔を見にきただけだったんですけど、護衛の兵士に入るのかって聞かれてうっかりうなずいてしまって」 あまりにもあまりな返答にカロルは脱力する。よくぞこれで生きていられると思いはするが、あのハルバードの技量を見れば出会ってしまった敵にこそ同情したくなる。 「エイシャにお話をして差し上げるために塔を見にきただけだったんですけど。でも、あなたに会えたからこれはきっとエイシャのお導きに違いありません」 「なんでそうなんだよ!」 「なぜと言われても私、神官ですから」 にっこり笑って言うリオンを呆気にとられてカロルは見つめ、次いで盛大に笑った。日ごろ、運命のどうのと言う努力を知らない人間は軽蔑に値するとカロルは思っていたはずなのだが、どうも神官が真面目な顔を取り繕って言うと妙な説得力がある。そしてそれに嫌悪を覚えない自分を見つけてカロルは意外にも悪くはない気分だった。 「こんなボケ神官がいていいのかよ」 「そんなこと言いますけどねぇ、あなただって……」 「俺がなんだよ、あん? こんな優秀な魔術師がどこにいるよ」 「自分で言いますか? あなたが素晴らしさは私も認めるところですけどね、カロル」 「だったら――」 「さっき、真言葉魔法、使いましたね?」 咄嗟にカロルは言葉をなくした。よくぞ聞き分けたと感嘆するばかり。思わず見上げてはまじまじと彼の目を見つめてしまった。 「ゴブリンに向かって、光の矢を放ったでしょ?」 リオンが記憶を喚起するようさらりと言う。無論、カロルは覚えていた。 あの場合は、最善だったと思っている。ある程度の詠唱時間がかかる鍵語魔法より、真言葉魔法のほうが速度的に有利な場面がある。あのときがそうだった。たった一言とわずかな動作。それこそが真言葉魔法の威力だった。 「テメェのことがわからねェ」 ぼそりとカロルは呟いた。真言葉の響きを聞き取れる人間が今の世にどれほどいるのだろう。だからこそ、真言葉魔法は安定を失ったのだから。そうでなければわざわざ鍵語魔法が開発されることはなかったはず。 「私は私ですよ、カロル」 「うっせェよ、ボケ」 「あ、そういうこと言いますか?」 「あん?」 沈んでしまったのだろうか。唇を噛んでいた跡がある。リオンはそっと指を滑らせたしなめる。どこか淫靡な仕種だった。 「お師匠様に、言いつけますよ?」 「勘弁してくれ!」 珍しく真剣なカロルの悲鳴にリオンは目を細める。それから思わせぶりにそっぽを向けば、ずいぶん長い間カロルはメロールの説教の非道さを詰っていた。 |