だから、なんだというのか。リオンが怒ろうがどうしようが知ったことではない。カロルはリオンを見上げる。無表情な目にリオンがわずかに怯んだ。
「ふざけんじゃねェ」
 掴まれた手を払い落としては立ち上がる。触られているのも忌々しかった。
 庇われるなど、恥辱。守られるなど、不快。誰がなにを言おうと自分は一人で立ってきた。親はいた。師もいた。だからなんだというのか。
 今ここにいる自分は、自分。女のように腕の中に庇われるなど誇りが許さない。カロルはやはり表情をなくしたままリオンを見下ろす。
「テメェは俺をなんだと思ってやがる」
「カロルはカロル。違いますか」
 けれど静かな怒りに燃えるリオンは臆すことなく言い返す。彼の目にはカロルのような炎。
「詭弁だな。テメェは俺の気持ちなんざ全然わかっちゃいねェ」
「わかってるつもりです」
「はっ。だったらとっとと失せろ。テメェとこれ以上一緒に行くなんざァごめんだ」
「嘘ですね」
「触るんじゃねェ!」
 リオンが伸ばした手を払う。打たれた手のその痛みよりも別の場所が痛むとでも言いたげにリオンが見上げてくる。カロルは答えない。
「大事なテメェの女神と行け。俺は俺で勝手に行く」
「カロル……」
「ふざけたことぬかすなよ。テメェが女神をどう思おうが俺の知ったことじゃねェ」
 言い捨てて、背を返した。背後でリオンが立ち上がる気配。カロルは意に介さず新しい扉へと向かう。彼が封印した扉だ、破るのは難しいかもしれない。が、開けてくれと頼む気にもならなかった。
「――私のなにがあなたにわかる。あぁ、わかるわけはありませんね」
「テメェじゃねェからな」
「そうですよ、私は私。あなたもあなただ。なんの違いがありますか、カロル」
「黙れ」
「うるさいですよ」
 投げ遣りめいた口調に、気づけばカロルは振り返っていた。そして息を飲む。目前に、リオンが立っていた。
「あなたを女の代用と見做しているとでも? 見くびられたものだ」
 冷たい声がリオンの怒りの大きさを物語る。わざとらしくかがんで覗き込んでくる黒い目の中、自分の物ではない炎をカロルは見て取った。
 それがカロルに移ったよう、罵声を浴びせかける直前。炎がカロルを襲った。
 なにが起こったのか、わからなかった。背中が激しく痛む。肩の傷が開いたらしいと理解したのはもう少しあとになってからのこと。今は目の前が真っ白だった。
「守られるのが嫌? 庇われるのが嫌? なにを馬鹿なことを。守られているのはあなただけじゃない、庇われてるのはあなただけじゃない」
 ゆるり、リオンが足を運ぶのを目にした。そしてカロルは壁に打ちつけられていたのだと知る。リオンに殴られたのだろう、頬が痛かった。口を開ければ仄かな血の味。
「わからないんですか、カロル。それほどあなたは愚かですか」
 片膝をついて目を覗かれた。そらすこともできずカロルは睨み返す。拳で唇の血を拭う。
「私もあなたに守られ庇われている。あなたは私を女のように守ったんですか。力ない、弱いものとして守ったんですか」
 壁に手をついたリオンがくちづけの距離でカロルを問い詰める。体の近さにくらべて、言葉の距離のなんと遠いことだろうか。
「戦ってるんです、私もあなたも。戦い方の違う人間が二人。お互いに協力しているだけ、それだけでしょう。それをあなたはなんだと思ってるんですか」
「離せ」
「カロル。私はあなたに守られた。生きている以上、誰かに守られるのは当然です。その分、誰かを守るんです。その程度のことは理解して受け入れなさい」
「うっせェ!」
 掴まれた髪が痛かった。顔も目もそらせないよう、リオンが掴んだ髪。そのようなことをせずとも、逃れられなどしないのに。
「まだわからないんですか、あなたは」
「わかってるよ! わかってる……うるせェよ、テメェは」
「カロル」
 わずかに力が緩んだ一瞬を狙って髪を振りほどく。痛みを払うよう手櫛で髪を梳けば頬が軋んだ。また唇から血が流れ出す。
 はっとしたようリオンが目を上げた。いつの間にか伏せていた彼の目。黒いそれの中にもう炎はなかった。
「すみません……」
 荒れた指先が、唇に触れる。カロルは逆らわず受け入れた。リオンが微笑う。笑っているくせに、泣いてでもいるようだった。
「テメェの言いたいことは理解した。俺が……」
「誤解していたのも、理解したいただけました?」
「知るか!」
 言って顔をそむけた。最前、動かすこともできなかったリオンの視線の圧力が今はない。
 カロルはそらした先で目を閉じる。少なくとも、リオンが女扱いしていないことは、理解した。守るべき弱い者、庇わねばならない弱者と見ているのではないことは、理解した。
 理解したからこそ、こうしているのが嫌だった。このまま彼を連れて行くことへの迷いが再びカロルの中に湧き上がる。言えば、間違いなくついていくと言い張るに決まっている。それでもなお。それだからこそなお。
「あなたがあなただからこそ愛しく思っています。性別はどうでもいいって、言いましたよね」
「うるせェよ」
「カロルが好きですよ。私にできる限り、怪我をさせたくない。あなたが好きだから」
「うるせェって」
「ごめんなさい、痛かったでしょう」
「別に」
「……あなたに痛い思いをさせてしまった」
 視界の端でリオンがうつむいたのが目に入る。膝の上で握り締められた拳がかすかに震えていた。
「あのなぁ」
 そっぽを向いたまま、カロルは言う。言葉を、聞く気があるのだろうかと怪しみながら。リオンは黙ったまま。それでも気配が耳を傾けていた。
「……悪かったなァ、俺だろうが。テメェに落ち込まれたら俺はどうすりゃいいんだよ」
 言ってしまってから、唇を噛みしめる。再び噛み破ってしまったのだろう、血の味が口の中にあふれかえって不快だった。
「カロル……」
 肩の上、リオンの額が置かれた。触れば思いのほかに柔らかい髪。傷口の開いた肩は軋みを上げたけれど、悪くはない気分だった。
「あ……」
「なんだよ」
「血が……。すみま……」
「謝んなって言ってんだろうが、ボケ!」
 面と向かって罵った。それから互いに顔を見合わせては苦笑い。言葉の距離が近くなる。
「だいたいテメェは……」
「待って」
「あん?」
 はっとしてリオンが体を起こす。遠ざかった温もりが少し寂しい。そのようなことを思った自分をカロルは叱咤し、リオンの視線の先を見やった。
「やられた……!」
「なんだよ!」
「水牢ですよ、嵌められた!」
 そして壁際を見る。水が滴り落ちていた。すぐさまそれは太い流れへと変わって行く。密閉された小部屋が、水を満たすのはそう遠いことではない。
 リオンは言うだけ言って、カロルを引き起こす。その途端に顔を顰めたカロルを見ては青ざめる。肩から血が滴っていた。
「カロル、肩」
「生きてるよ。これくらいで死にゃしねェ」
「責任取ります」
「うっせェ、ボケ!」
 抗議にもかかわらず、リオンはカロルを肩に担いだ。片手で彼を支え、片手でハルバードを握る。
「もがくと落ちますからね」
「落とせ!」
「怪我が増えますよ、いいんですか」
 言いつつリオンは扉に向かう。さすがに疲労の取れていない体で男一人担いでいくのはリオンにとっても楽な作業ではない。
 だが、リオンはそれを喜びを持ってした。カロルが、言葉だけで抵抗したせい。彼はリオンが動きやすいように、とじっとしている。それが今は何より嬉しかった。
 自らが封じた扉を開く。幸い待ち伏せはなかった。いま敵がいれば、容易く二人ともが討ち取られたことだろう。
 暗い部屋の中にカロルが明りを飛ばす。正面に扉。封じようと振り返りかけたリオンの背をカロルは叩き、先に進めと促した。
「何故に汝その身を開きしか、トー<鎖錠>」
 接触せずに使うのは、余計な体力と手間がかかる。それでもカロルは為した。リオンのために。それが彼を守ることになるのならば。
 リオンに担がれたまま、仄かに微笑う。なにを拘っていたのだろうか、と。自然にしていたことではないか。彼に守られ、彼を守り。ここまで来たのはそうしてきたから。
「カロル?」
「なんだよ」
「笑ったような気がして」
「先行け、先」
「はいはい」
 戯れに背を叩く。痛がるふりをするリオン。本当に痛いのかもしれないと不意に気づいた。リオンが自分の肩の傷を完治させていない。だからこそ、リオンに殴り飛ばされ壁に打ちつけた程度のことで傷口が開いた。本来、完治していれば背中が痛むぐらいのことで済んだはずだった。
 それはリオンがしたくともできなかったからなのではないか、彼の傷はそれほどまでに重かったのではないか、と今にしてカロルは思う。ならば彼自身の傷だとて、治癒魔法をかけたとは言え完治には程遠いはず。
「行きますよ」
 扉に手をかけリオンが一気に開けた。そしてほっと息をつく。少なくとも敵はいない。カロルは背後の扉を封じてから魔法の明りを先行させ、室内を照らし出す。同じように何もいない、なにもない小部屋だった。
「位置的に、もう一つ二つありそうです。進みます」
「……大丈夫かよ」
「あなたが案じてくださったから、平気です」
「けっ」
 吐き出すよう鼻で笑い、けれどカロルは軽くリオンの首に腕を絡めた。驚いたリオンの気配。
「動くんなら、この方が楽だろうがよ!」
「もう……照れるあなたは可愛いですけど、耳許で大きな声出さないでくださいよ」
「うっせェ、ボケ!」
 ひときわ大きな罵り言葉を、わざとリオンの耳許で怒鳴るカロルだった。




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