燃え盛る炎の中、リオンが薄く目を閉じて立っていた。まるで心地よいものを浴びているとでも言うよう口許にわずかな微笑さえ刻んで。カロルはその様をじっと見ていた。
 よくぞここまで信用できるものと思う。これが彼の言う信じることなのだとしたら、自分にはとても無理だ、とも。
 リオンは一切の抵抗をしていなかった。彼もまた、魔法の使い手である。意識しなくとも、攻撃魔法に対しては無自覚のうちに抵抗が生じる。そのはずだった。
 ならばリオンは自覚的に抵抗を封じたのだ。カロルの魔法に対して。そのことがわずかな痛みを伴いつつカロルの胸を温めた。
「いいぞ」
 手を閃かせて炎を消す。ごくわずかの間だった。威力を制御された炎はリオンの肌すら焼いてはいない。革鎧など温まった程度だろう。
「すごいですねぇ」
「なにがだよ」
「それだけ完全に制御できるのってすごいなと思って」
「なるほどな」
 上の空でカロルはうなずく。リオンはそれをどう思ったものか口を閉ざして自分の体を見下ろした。油の残滓すら残っていない。体に傷をつけず、すべての油は燃え尽くされていた。
「カロル」
「なんだよ」
「好きですよ」
「俺は無理」
「はい?」
 きっぱりとした口調。紛れもない拒絶の意思。けれどカロルの声にそれだけではない苦渋が滲む。思わずリオンは彼の頬に手をあてていた。
「テメェみたいにそう簡単に信じられない」
 嫌がりはしなかった。それどころか気づいてすらいないのかもしれない。視線を床にさまよわせたカロルの淡い金の髪に指を滑らす。
「別にいいですよ」
「おいコラ」
「あのね、カロル」
 髪の中、指を埋めて梳かせば仄かに冷たくて心地良い。そのようなことをしてもカロルは気づかなかった。
「私には私のやり方がある。あなたにはあなたのやり方があるのと同じようにね」
「……で?」
「いますぐ信じろとは言いません。信じてくれとも言いません。あなたが決めればいい。ゆっくり時間をかけてでいい。それに……」
 わざとらしく言葉を切ればつられたようカロルが目を上げた。やっと髪にある手に気づいたのだろう、煩わしげに首を振る。
「あなたについていくと二度と俗世には戻れないらしいですからねぇ。時間はいくらでもあるでしょ?」
 振り払われないのをいいことに、リオンは再びカロルの頬を包み込む。今度は両手で。ほんのりと、頬に血の色が差した。
「テメェ」
「それってずっとあなたと一緒にいられる、と私は解釈していますが?」
「勝手に言ってろ、ボケ」
「そうします」
「その代わり、寝言は寝て言え」
 カロルは莞爾とし、そして体を振りほどく。いつの間にか腕の中に包まれている。油断も隙もない、そう心のうちで笑った。温かい腕を払うのにほんの少しではあったが抵抗を感じる。まだ疲れてもいないのに、疲労のせいだと思いたかった。
「わかりました。心ゆくまで寝ながら言いますよ」
「おいコラ」
「寝てならいいんでしょう?」
 笑うリオンにカロルはきつい視線をくれ、それから思い切り体ごと彼からそむける。そして背中を向けたまま笑った。
「ほんとに言ったら大笑いだな」
「そうですか?」
「器用過ぎだからな」
 言ってカロルは思う。この男ならば寝言のふりをして言いかねない、と。振り向いて彼を見る。にんまりとしていて、そのつもりなのが容易に知れた。
「行くぞ。次」
 喉の奥で笑う。いい気分だった。塔に入ったときには思いもしなかった。重苦しい心を抱えてきたのに、これはこれでけっこう悪くはない。
 いつのまにやらリオンを許せてしまっている。そんな自分が不思議だった。信じられはしない。けれど少なくとも昨夜のことは許せている。あのような所業など、自分の意思を無視したやり方など、決して許しはしないと思ったはずが。カロルの口許がわずかにほころんだ。
「鍵がかかってますねぇ」
 リオンの声に心づいてはそちらに向かう。入ってきた正面、西側に扉が一枚。リオンがその前で苦心惨憺している所を見れば難度の高い錠なのだろう。
「代われ」
「開けないでくださいね」
「あん?」
「鍵だけ開けて……」
「うっせェなぁ。わかってるよ」
 うるさげにカロルは手を振る。が、それほど煩わしいとは思っていない。それがリオンには見えている。だからこれはカロルのただの口癖のようなものなのだ。あるいは彼は心底いやな相手には口をきかないのかもしれないな、不意にそんなことをリオンは思った。
「おいクソ坊主」
「どうしました」
「思ったんだがな、鍵。あったよな?」
「あ」
 呆然とした声を上げたリオンをカロルは笑った。衛兵のいた部屋で先程見つけた鍵。二人して失念していた。
 照れ笑いをしながらカロルに渡せば無造作に鍵穴に差し込んだ。
「開いたぜ」
 鍵があったのはありがたいものの、カロルの魔法を見損ねてしまってリオンは肩を落とす。彼がどう思っているのかは想像するよりないけれど、リオンは彼の魔法が好きだった。鮮やかで、彼自身のように美しい。
「なんだよ?」
 不審げな声を立ててカロルが見上げてくる。それで黙ってリオンは首を振り扉の前に立った。耳を澄ませる。何者もいないらしくはあるけれど、ガーゴイルの罠のことが頭の隅を掠めていく。他人の評価と言うものをたいして気に留めないリオンではあったが、カロルには無様な所を続けてさらしたくなかった。
「開けます」
 小さな宣言。リオンの横に魔法の明りが漂い寄ってくる。カロルの言葉にしない心遣いにリオンはわずかにうなずくことで感謝を伝え、一気に扉を蹴った。
 明りが、先行する。扉の内にするりと入り込み、内部を照らす。今現在、目視しうる敵はいない。それを確かめてリオンは室内に足を踏み入れた。
「うわ」
「おい」
「あぁ……大丈夫です。少し驚きましたが」
 咄嗟によけたのが幸いだった。リオンの足元で松明が燃えていた。もうだいぶ燃え進み、少し遅ければ燃え尽きてしまっていたかもしれない。
「なるほどな」
「カロル?」
「あっちで油、こっちで火」
 言いながらカロルが向こうとこちらと指差す。そして肩をすくめた。
「ガキくせェ」
「うーん、確かに幼稚ですねぇ」
「だな」
 呆れて言うカロルにリオンは苦笑する。いかに幼稚な罠であったとしても、もしも油が体に付着したままであったならば。効果は絶大と言わねばならない。
「カロル」
「なんだよ、うっせェなぁ」
「まだありがとうを言ってなかったと思って」
「うるせェ」
「ありがとう、カロル」
 体をかがめ耳許で囁く。すぐさま腹に衝撃が来た。殴られついでとばかりリオンは唇を彼の頬に掠めさせ、再び痛みを甘受する。唇に残る彼の頬の感触に、これくらいならばやすいものだと思ってしまう自分。それをリオンは笑った。
「おいコラ、ボケ坊主」
「なんです?」
「俺が嫌ならしないって言ったなァ、どこのどいつだ」
「だったら力いっぱい嫌がってください。私、疎いからわからなくって」
「この腐れ外道!」
 茫洋と言ってのけるリオンの頬を張り飛ばそうとすれば今度は簡単に掴まれた。忌々しくてならない。悪くはない気分だなど、思った自分が信じがたい、そうカロルは内心で、とても口には出せない罵声を彼に浴びせた。
「カロル」
「うっせェ」
「聞いてもいいですか」
「ダメ」
 言った途端、リオンが吹き出した。不機嫌そうにカロルは見やり、けれど自らの失敗も悟ってはいる。ふいとそむけた顔が赤みを帯びていた。
「せっかくキスしていいか聞こうと思ったのに」
「聞こえない」
「もう一度言いましょうか?」
「何度言っても聞こえねェ!」
「じゃあ――」
 そのあとなにを呟いたのか、カロルは強いて考えまいとする。いずれ聞かないでするか、聞かなくてもしていいのか、そのようなことを言っているに違いない。
「カロル」
 不意に背後から抱かれた。温かい腕に包まれて、聞こえない耳を開いてしまいそうになる。
「離せ、腐れ神官」
「ちょっとだけですから、我慢して」
「クソ坊主。さっさと……」
「離しますから待ってくださいって」
 抱き上げられ、無理に移動させられる。まるで女のような扱いにカロルは体を振りほどこうとする。しかし逞しい神官の腕はいくら武器を扱うといっても魔術師の体ごときが抵抗しても無駄だった。
「はい、いいですよ」
「テメェ」
「カロル、カロル。下見てください」
「あん?」
「スライム。危なかったんですよ」
 獲物を溶かして融合させ、自らの体内に取り込んでは栄養とする魔物。それが足元に迫っていたのに気づかなかったとは不覚。カロルは唇を噛む。
「おいコラ」
「はい?」
「なんで抱き上げる。口で言え、口で」
「だって聞こえないんでしょ、私の声は」
 皮肉げに言っているくせに笑いを含んだリオンの声。カロルはかっと頬に血が上るのを覚えた。それが怒りなのか羞恥なのかは判断がつかない。また、つけるつもりもなかった。カロル自身は怒り以外の何ものでもない、と信じ込んでいるのだから。
「テメェ!」
「カロル。階段、ありましたよ?」
「この腐れ神官が!」
 リオンの耳にはカロルの罵声が心地良く響く。他人はどうか知らないけれど、リオンには彼が照れて喚いているようにしか聞こえなかった。




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