リオンのハルバードが一閃する。たった一薙ぎに鮮やかな風鳴りがする。残光を残し飛んでいくゴブリンの首。悲鳴を上げる隙もなかった。扉の向こう、ぎょっとして立ちすくむゴブリンの影。 「押し戻せ!」 カロルの言葉にリオンはハルバードを横様に構えゴブリンに突っ込んで行く。慌てて応戦しようとしたゴブリンだったが、リオンの勢いに怯んでは足を止めた。 その瞬間にカロルの魔法が飛ぶ。咄嗟に気配を感じたリオンが体を開く。その横をすり抜けていく大きな何か。彼の目にも鮮やかに見える魔力の塊だった。 「閉めろ!」 開いた体の勢いのまま、リオンが扉を蹴り飛ばす。壊れそうな音を立てて扉が閉まった。と、中で聞こえる轟音。扉は震えただけだった。 「カロル」 「あん?」 「なにやったんです?」 体勢を立て直し、いつでも応戦できるようハルバードを構えてリオンは顔だけを振り向けた。決してカロルの魔法を信用していないわけではない。ただ、何事にも絶対と言うものがないことを知っている。 たかがゴブリン。カロルの魔法から逃れられはしないだろう。けれど、万が一にも扉を抜けてくるものがいた場合、魔術師を危険にさらしたくはなかった。 「なに笑ってやがる」 リオンの口許に浮かんでいる笑みをカロルは見た。彼の笑みを見ると不思議に感じる。笑顔、と言うのはこのようなものだったな、とカロルは思うのだ。他者から、特に人間から向けられてきた数多の顔。嘲りや不安。リオンが浮かべる温かいそれとはまるで違う顔の数々。嫌なものを振り払うようカロルは視線をそらした。 「別に?」 カロルがそらした視線の先、扉の向こうから響く音にリオンは彼の力を感じる。魔術師。確かにそうだ。けれどカロルならばゴブリンごときに後れを取ることはないだろう。そうリオンは思う。瞬く間に炎の剣を出現させ、一刀両断にする様が目に浮かぶようだった。それだけの実力も体力も彼にはある。魔術師にしては筋肉質な彼の体をすでに知っている。 「嘘つけ。にやにやしてんじゃねェよ。気色わりィ」 「気のせいですよ、カロル」 「けっ」 言えばきっと怒るから、リオンはただ笑うだけではぐらかす。そうしていても怒っていることに違いはないのだ。今はとにかく戦闘中である。中の騒ぎが静まるまでは、遊んではいられない。 「それで?」 「あぁ……」 ちらりと扉を見てカロルがにんまりとした。リオンは視界の端でその笑顔を捉える。 「血の海はごめんだからな。窒息の呪文を使ってみた」 「カロル……」 「なんだよ」 「使ってみた、と言う言葉に不安を覚えるのは気にしすぎでしょうかねぇ」 呆れ声にカロルは笑い声を立てた。その聡さが好もしい。正直に言えば、神官などにしておくのはもったいない、そんな気がしている。鍵語魔法を学ばせたらきっと面白いことになるのではないだろうか。適性もありそうなことではある。そこまで考えて教えたいと思っている自分を見つけてカロルはぎょっした。慌てて当面の問題に戻る。 「まだ未完成だからなぁ。いいんじゃね? 好きなだけ気にしろよ」 部屋の中がどのような状態になっているかはさすがのカロルにも若干、不安がある。音を聞いている限り、確実に効果は発揮しているようではあるが、どう魔法が働いているかまでは断言できない。がっくりと肩を落として見せるリオンを一瞥し、カロルはじっと扉に視線を注ぐ。 「もうちょっと手加減して欲しいんですけどねぇ」 「してんだろ」 「どこがです?」 「俺が突進してない」 「あぁ……」 カロルならばやりかねない。重くなってしまった肩をもてあますようリオンは自らの肩を叩き、そしてその手が止まる。 カロルが自分の忠告を気にかけている。手加減しろと言った言葉通り、無茶な魔法の使い方はしていないらしい上、後ろに下がっている。少なくとも、カロルなりに従ってくれている。 「ボケ坊主」 「なんです?」 「ボケがぼーっとしてんじゃねェ。大ボケ」 そのことにカロルも気づいたのだろう。罵声には勢いがない。振り返れば、間違いなく罵り声を上げるだろうからリオンは振り返らない。黙って扉を睨んだまま笑みを浮かべた。 「収まったようですねぇ」 「だな」 「開けていいですか?」 「一応」 「はい、気をつけます」 「うっせェ!」 先取りした言葉にカロルが案の定、苛立った声を上げる。それを耳に心地良く聞きながらリオンは扉に手をかけた。手振りで背後のカロルに移動を伝える。それを見ては扉の正面からカロルは離れた。 「開けます」 一言呟くよう言い、リオンは扉を引き開ける。咄嗟に体をかわした。何かに引きずり込まれるような感覚。 「ボケ!」 カロルの手がリオンを掴む。よろめいた体を支えていた。 「なにやってやがる」 「すみません」 「大ボケ坊主に昇格だな」 鼻で笑ってカロルは手を離した。扉の蝶番のほうにカロルは立っている。そしてその場で扉を押さえていた。 「すぐ済むな」 「なにがです?」 「これ」 「そう言われましても。なにが起こっているやら」 部屋の中に向かって姿なき物が動いていた。二人の体の脇をすり抜けて行きながら中へ中へと移動している。 「まだ正確に動かねェなぁ」 「呪文?」 「おう。ゴブリンの呼吸を止めるはずなんだけどな、どうも大気そのものがなくなったらしいな」 「カロル……」 「部屋の大気が消えて、今こっちの部屋の大気が中に移動してる。わかるか?」 「わかりますけどね」 「んー。帰ったら師匠と研究し直しだな、こりゃ。まだ使えねェ」 「だったら使わないでください」 「実験にゃちょうどいいだろ」 「そう言う問題ですかねぇ」 ぼやくよう呟いたリオンの言葉をカロルは無視してのけ、部屋の中へと足を進めた。そして眉を顰める。 ゴブリンは一匹残らず苦悶の表情も露に死んでいた。喉をかきむしり、のた打ち回り、目を見開いて。 「いっそ燃やしたほうがマシだな」 「そのほうが慈悲ある行為と言えるでしょうねぇ」 「まったくだ」 むっつりと口をつぐんでカロルは辺りを見回す。同じ死ぬならば、炎で一瞬のうちに燃やされたほうがまだ楽だろう。わずかばかり忸怩たる思いがする。 「じゃなかったら魔法の完成度をあげてくださいよ」 「そうだな」 珍しく素直にうなずいた自分にカロルは気づき、憤然と顔を上げた。リオンはそっと視線を下ろしゴブリンのために祈っていた。 「偽善者」 「なんですって?」 「人間は平気で殺したくせに」 「平安の祈りは捧げてますよ。私の気休めですけどね」 怒りもせず、リオンは言う。かすかに口許が悲しげだった。カロルは目をそらし、一度きつく目を閉じる。自分の手が血塗れになるのはどうでもいい。これが為すべきことなのだから。だが、彼は。 「私は私の意思であなたについてきています」 「テメェ」 「とりあえず、移動しませんか?」 「おいクソ坊主」 「あとです、あと」 そう、手を振ってさっさと行ってしまった。唇を噛みしめその背中を追うよりない。 リオンは南側にひとつある扉に向かっていた。様子を窺い、首をかしげる。そして何者もいないと判断したのだろう、そっと扉を開いた。 「うん、やっぱりね」 そう満足そうに呟く。小振りの部屋にはリオンの想像通り何者もいなかった。部屋の隅に汚い箱が積んであるばかり。 扉が閉まる音で振り返れば、カロルが睨んでいた。腕を組み顎を上げ、燃える翠の目。 「カロル。怒ってますね」 「当たり前だ」 「どうしてです?」 「テメェが俺のことなら何でもわかってるってェ口ききやがるのが気にいらねェ」 「そう言われましてもねぇ。わかるものは仕方ないですし。黙りましょうか?」 うなずけばよかった。けれどカロルはそう出来なかった。なぜかなど、自分でもわからない。こんな場所で連れが無言でいたら気が滅入って仕方ない、それだけだと思う。 「あなたのことなら手に取るようにわかりますよ」 「なんでだ」 「好きだからですよ、あなたが落ち込んだらすぐ気がつきます」 「ふざけんな」 「本当のことを言ってます」 軽く首を傾げてリオンが微笑む。嘘では、なさそうだった。だから余計、信じられない。いや、信じたくない。 「あぁ……そうか。あなた疑ってますね?」 「あん?」 「私が魔法か何かであなたの心を読んでるんじゃないかと疑ってませんか?」 「俺は神聖魔法はよくわかんねェからな」 「そんな魔法はありませんよ。と言っても信じるかどうかはあなた次第ですけどね」 「またそれかよ」 「当然です」 リオンが近づいてくる。わずかに口許が緩んでいた。下がることはせず、カロルは見返した、睨むように。 その頬にリオンの指先が触れる。目をそらさずきつく睨む。リオンが今度こそはっきりと笑みを浮かべた。 「仮にそんな魔法があったとしても、あなたの意思に反して使いはしません」 「けっ」 「あなたの嫌がることはしませんよ」 「信じろってか?」 皮肉に言った。信じて欲しいとは決して言わないリオンに苛立つ。言って欲しいわけではなかったけれど、信じるかどうか決めるのは自分だとばかり言われていれば混乱もまた募るばかりで解消の仕様がない。 そんなカロルの表情を見て取ったリオンはここぞとばかりにんまりと笑う。頬に触れさせていた指先は、掌に替わっていた。 「えぇ。ですからちゃんと聞きますよ、なにするときでもね。キスしていいですか?」 一瞬なにを言われているのか理解出来なかった。瞬きをする。それからカロルは己の頬に血が上るのを覚えた。無論、怒りに。 「寝言は寝て言えクソ神官!」 側にいるのをいいことに、腹に拳を叩き込めば幾許なりともすっきりした気分になる。そして悟った。そのためにリオンはあのようなことを言い、あれほど側にいたのだ、と。わかってしまえば忌々しく、なおかつ胸が温まる。 |