目で詫びたと思った途端、そのようなことをリオンは言う。呆れて言葉もなかった。
「野郎の抱き方なんざ、どこで覚えやがった腐れ神官が。ケツまで使うか、普通。信じらんねェ!」
「えー、まぁ。それは、その。うん、そうか」
「なんだよ」
「悪くはなかった、と。そういうことですね?」
「そうは言ってねェ! だいたいな、野郎に抱かれてイかされて、喜べとでも言うつもりかテメェは! いっぺん死んでこい。いや、殺す。犯して殺す。死ね」
「あぁ……あなたにだったらいいですねぇ。うん、それは悪くないなぁ」
「腐れ外道! 変態坊主! うっとりすんじゃねェ、気色わりィ」
 心から気味悪そうにカロルは言って彼の頬を平手で叩く。もっとも、彼自身が意図したよりずっと弱い平手打ちは、まるでじゃれているようにしか自分自身にも見えなかった。
「だいたいな、テメェにゃ女神がいるんだろうが、最愛のエイシャがよ」
 思い切りそっぽを向いた拍子に、肩の辺りで淡い金髪が勢いよく揺れた。リオンはそれを和やかな目をして眺め、そっと耳許に囁く。
「焼きもちですか、カロル?」
 返答は、魔法で来た。詠唱をしたとも気づかせない短い間にリオンの息が詰まる。何かが首を絞めていた。ついでとばかり腹に拳がきたあと、ようやく解放されたリオンは呆れ顔で荒く息をする。
「そんなに照れなくてもいいでしょうに」
「誰がだ!」
「あなたですよ。確かにエイシャは我が最愛の女神。ですけど、私も生身の男ですからねぇ」
「だからなんだよ」
「人間の中では、あなたが一番好きですよ。今の所はね」
「けっ」
 吐き出して、カロルはいっそう目をそらす。一々つけられた人間の中だの今の所だのが癇に障って仕方なかった。
「野郎が野郎に言う台詞じゃねェな」
「別にいいでしょうに」
「あん?」
「私はエイシャの神官ですよ」
 一見、脈絡のなさそうな言葉。が、含みがあるような気がして仕方ない。思わずカロルはリオンに視線を戻していた。
「酷いな、忘れたんですか? この目に視えるのは人間の顔貌だけではありませんよ。私が惹かれるのはその人の本質そのもの。性別はどうでもいいですね」
 まるでたいしたことではないとでも言いたげな口調。カロルはじっとリオンを見ていた。嘘を、ついているとは思っていない。そのようなことをする理由がない。ならば真実だとでも言うのだろうか。この自分の本質に惹かれると言うのは。
「いい加減な野郎だぜ」
 きっぱりとカロルは言ってそれで話を終わらせた。彼にとって性別がどうでもいいものならば、自分にとってはリオン自身がどうでもいい。そう、カロルは内心に呟いた。
「どこがです?」
 が、しかしリオンは話を終わらせる気はないらしい。忌々しげな一瞥を与え、カロルは唇を引き結ぶ。
「顔が好みだの本質に惹かれるだの。勝手なことばかり言ってらァ。信じらんねェな」
 顔をそむけたカロルの頬にリオンは指先を滑らせる。きっと睨みつけられ苦笑と共に離した。
「信じるかどうかは、あなた次第ですよ」
「あん?」
「愛してますよ、カロル。でも、私の言葉を信じるかどうかを決めるのは、あなたです」
 いまのカロルが受け入れる気にはならない言葉だと、リオンは理解していた。それでも今、言っておきたかった。
「あなたに魔法をかけるために抱きましたが、あなたでなかったらああいう手段は取りませんでした」
「本人の意向を無視して抱くんじゃねェ。惚れてんならなおさら!」
「……それは盲点でしたねぇ」
「テメェ」
「うーん、考えつかなかったなぁ。今度は聞いてからにしますね」
「次はねェって言ってんだろうが、この腐れ外道!」
 ひどく生真面目なことを言ったかと思えば、そのようなとぼけたことも言う。いったいどういう男なのだろうとカロルは思う。
「愛してますよ、カロル」
「うるせェ」
「信じますか?」
「……とりあえず保留」
 その言葉に。思わずリオンは吹き出した。ゆっくりと顔中に笑みが広がっていく。嬉しくて抱き寄せれば罵声は飛んでくるものの、意外と抗いはしなかった。
「うん、いいな。保留。素敵だ、あなたは」
「腐れボケ。なに言ってやがる。さっぱりだ」
「いいんです。あなたが好きだな、と確認してただけだから」
「うるせェよ、ボケ」
 罵るカロルを覗き込む。途端に翠の目がそれていく。そっと口許に笑いを刻み、リオンは彼の頬にくちづけた。
「テメ」
 喚きだそうとする唇に指先を当てる。むっつりと黙った。
「あなたは私の光。輝ける銀の星。あなたの炎にさらされていると、本当に気持ちいい……」
 見上げたカロルが見たものは、心からくつろいで目を閉ざすリオンの顔だった。
「信じて欲しけりゃな、まずそのこっぱずかしい台詞をなんとかしろ」
 罵りと言うにはかすかな甘さを含んだ言葉がリオンの耳に届くと共に、彼は目を開く。柔らかい黒い目が仄かな笑みを湛えていた。
「これが私です。それを信じるかどうかを決めるのはカロルですよ」
「けっ」
「私はそのままのあなたが好きです。魔術師一人で戦おうとする無謀さも、とめどなくあふれてくる罵詈雑言も、とても素敵だ。だから私も自分を偽りません。私だって、もう少しまともな神官面もできるんですけどね」
「褒めるのと貶すのを一緒にやるんじゃねェよ」
 言いつつカロルは自分の声が笑っているのを知った。目覚めたときの気分は最悪だったが、今はさほどでもない。そのことにかすかな驚きを感じた。
「だいたい、できるんだったら最初にしろよ。神官面」
「そうは言いますけどねぇ」
「できねェんだろ?」
 からかうよう、にんまりとカロルは言った。困り顔のリオンが目をそらすのを楽しげに見ている。
「できますよ」
「嘘つけ。テメェは最初っからテメェだった」
「うん、それはそうですよ」
「あん?」
 何か、聞いてはいけないことを聞いたかもしれない。一瞬カロルの脳裏にいやなものが去来する。それを視界の端に認めたのだろう、にやつくのはリオンの番だった。
「あなたに一目惚れでしたからね」
 耳許に囁き。カロルが罵るより早くリオンは体を離し、わずかに髪に唇を掠めさせた。
「けっ。神官面してたほうが多少の好意は持ったかもな」
「まぁ、そう言わず。あなただって宮廷魔導師の顔は持ってるでしょうに。好きこのんで大事な人の前でそれ、かぶります?」
 カロルは唇を結んでリオンを見た。彼が言っていることは正しい。人間世界で生きていく以上、誰しも仮面を持っている。カロルだとて変わらない、リオンもまた。
 メロールを思う。フェリクスを、アルディアを。自分は彼らの前では好きなように振舞っている。決して宮廷に赴くときのような顔ではなく。
「私だってそうですよ。好きな人の前では素の自分でいたいです」
「一々なんか癇に障る野郎だな。言いたいことはわかるけどよ」
 苦々しげに言ったカロルに、リオンはうなずく。それだけ伝われば、充分だった。肩を抱いていた手を離せば、わずかに震えた。
「カロル」
「うっせェ」
「いや、そろそろ服着たほうがいいんじゃないかと思いまして。そんな格好してるとまた襲いますよ」
「ふざけたことぬかしてんじゃねェぞ、腐れ神官」
「大真面目です」
「うるせェ、ボケ!」
 いったい誰がこんな格好にしたのだとぶつぶつと口の中で言う声をリオンはきっと聞きつけているのだろう。身支度をする間、ずっと微笑ましげに眺めている視線を感じていた。
 視線を下ろせば嫌でも目に入るくちづけの跡。いっそエイシャの神官の特殊魔法で幻覚にかかったと言われたほうがずっと気が休まったことだろうに。わずかな溜息がカロルの唇から漏れる。ふと心づいてリオンを見た。
「どうしました?」
「あんまり眺めてると金取るぞコラ」
「幾らです?」
「乗るんじゃねェよ! 違う。濡れた布が欲しい。そのくらいはしろ」
「ん、なぜです?」
「体。拭きてェの、わかる?」
 精一杯、嫌味たらしく言ったカロルの言葉に、リオンの口許がほころんだ。
「それだったら私がしておきましたが? 後始末も全部――」
 その先を、リオンが口にすることはできなかった。身支度の途中で、カロルが思い切りよく蹴りを飛ばしては飛び掛る。粗末な寝台が、不満の軋み声を上げていた。
「カロル、待ってくださいって」
 彼の両手首を握り締め、リオンはあたふたと弁明を試みる。翠の燃える目に聞く気があるのかどうかはわからなかった。
「テメェ……」
 情事の後始末をされたことがよほど気に食わないらしい。確かに正体をなくしている間にどんなことをされたのかと想像するといたたまれなくはあるのだろう。喚き散らすこともできずに睨みつけるカロルを見るのはリオンの喜びだった。
「なに笑ってやがる」
「カロルって可愛いなと思って」
「ぬかせ、ボケ」
「本当に」
「うるせェ、外道!」
 今にも手の中に剣を出現させかねない剣幕に、リオンは口許を緩めた。あまりに愛おしくて、余計に怒らせたくなってしまう。
「そんな格好してると私、押し倒されるのかと思っちゃいますが?」
 殴りかかる体勢のまま、カロルはリオンに手首を掴まれている。そのおかげでまるで圧し掛かるようになっている体勢に、ようやくカロルは気づいたらしい。
「誰がテメェを!」
 吐き出すよう言ってカロルは手首を振りほどき、寝台を降りた。その言葉にあった仄かな羞恥に、気づいたのは本人ではなくリオン。
 漆黒のローブを羽織り、淡い金の髪を手でさばく彼の背中を、リオンはずっと笑みを湛えて見つめていた。




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