リオンの背後を、緊張しながら上っていく。カロルは高ぶっていた。もしかしたらここでフェリクスの情報を手に入れることができるかもしれない。望みが闇に襲われて消耗した体を満たす。リオンの魔法で一時的に回復しているとは言え、根源的な疲労は去っていなかった。
 階段を上がりきる。そこは何者もいない部屋だった。だが、やはり明かりはここにもある。確実に何かがいるのだ。
「いいですね?」
 振り返りもせずリオンが確かめる。北側の扉に彼は対峙していた。
「おうよ」
 高まる気持ちが声に表れでもしたのだろうか。リオンはわずかに振り向いて、笑った。
「なんだよ」
「いいえ?」
「さっさと……」
「はいはい」
 最後まで言わせずリオンは生返事を返し、そして腰に下げていた銀の珠をとる。
「なんだ、そりゃ?」
 繊細な鎖を左手に絡めているリオンに向けて問えば聞こえなかったふりをされた。
「おいコラ」
「内緒です」
「テメェ」
「行きますよ、カロル」
 向こう側にいるだろう者を慮って二人は小声だ。心の底から怒鳴り声を上げて罵りたいのをカロルは耐え切る。向こうにはフェリクスの居場所を知るかもしれない者がいるかもしれない。そう思ってはあまりに不確かな望みだ、と笑えてしまう。
「おう」
 カロルの返事にリオンはうなずく。そしてハルバードを構え。
「おいクソ坊主」
 カロルは呆れた。いったいどこに扉を蹴破って武器を振り回して突進する神官がいるというのか。一瞬、立ち尽くし、そしてカロルもまた内部へと走りこんだ。
 すでに中は阿鼻叫喚のさなかだった。ハルバードの一閃ごとに敵兵の腕が、はらわたが千切れ飛ぶ。ハルバードの斧の刃が敵の兜を割り、槍が腹を貫く。返り血を浴びて嬉々たる顔でもしているかと思えば案外真剣な顔をしてリオンは戦っていた。
「おいコラ、残しとけよ!」
 あたり一面、燃やし尽くすわけにも行かない。得意の炎系魔法を使うのは論外だった。片手に炎の剣を現しては突撃してくる敵を払う。その合間合間に小さな風の刃を起こしては敵の塊を切り開いた。
「一人でいいでしょ!」
 言い返してくる声が聞こえはしたが、カロルには返答する余裕はない。そもそも乱戦になっているのが痛かった。
 この状況下ではさすがのカロルもリオンを巻き込まないようよけて魔法を放つことができない。リオンだとて魔法防御をする余裕はないだろう。
「ちィ」
 振るった剣が敵兵の体に食い込んで動かない。ざっくりと肩を割られながらも敵がほくそ笑んだのをカロルは見た。瞬間、剣を炎に戻す。
「がっ」
 肩から一気に燃え上がった敵兵が悲鳴とも苦鳴ともつかない声を上げ、よろよろと後ずさる。そこをリオンのハルバードの一薙ぎに巻き込まれ倒れた。
「カロル、ちょっと時間ください!」
「無茶言うんじゃねェ、ボケ!」
 言い返したもののカロルはすぐに詠唱に入る。自分とリオンの体の周囲に結界を作る。そして編み上げた魔法を放った。
「暗黒より来たれ刃、シルト<風刃>」
 小規模に、抑制してはいる。が、武器を手にするしか能のない敵兵には大打撃だっただろう。あちらこちらで悲鳴が上がる。
 が、抑制している分、それは致命傷にはなりえない。正に時間稼ぎでしかなかった。風の刃が部屋中で舞い踊る。まるで大気が赤く染まったよう、血煙が上がっていた。
 呪文の制御に気をとられていたカロルの耳に届いた音。涼やかな、場違いなほどに美しい音色。結界が割れた。
 はっとしてリオンを見る。ハルバードの先に銀の珠が絡んでいる。まるで理解できないながらもカロルは一瞬にして魔法を解除した。
 そっと、リオンが微笑んだような気がする。この状況で。ありえない、とかすかに首を振りかけた視線が捉えたもの、それは銀の珠から立ち上る一筋の煙。
 銀珠を絡ませたままハルバードが敵兵の間に振られる。ぎょっとしたよう立ち竦み、刃が体に触れなかったのをいぶかしむ敵だった。そして再び剣を取る。
 しかしその表情にカロルは変化を認めた。どこかぼんやりとした顔、何度も繰り返す瞬き。眉を顰めたカロルの横にリオンが戻った。
「その男は敵だ!」
 そして叫ぶ。突然、正気づいたよう敵兵たちは剣を振り回し始める。いままでの、自分の味方に向かって。先ほどの煙はおそらく混乱をもたらすものなのだろうとカロルは思う。敵だと叫ぶことで誤認させ、同士討ちをさせる。
「動かないで」
 そっと小声でリオンが囁く。カロルは黙ってうなずいた。
 あまり、見ていたいものではなかった。自分が剣を振っているときには感じないもの。凄惨過ぎる。けれど目をそらすことは出来なかった。
 いまここで流される血は、自分が為したもの。ダムド派といえども、あるいは魔物であろうとも。自分が命を刈り取っているに違いはない。唇を噛みしめ、カロルはじっとそれを見つめている。彼らが自分たちの手で死んでいく所を。
「おい」
 もう、あと数人だった。見回せば、元の色がわからないほど床は血だらけだ。壁に飛び散った生血がとろりと流れる。
「はい」
 リオンも言葉少なに側を離れる。一人を確保しようと言うのだろう。カロルは炎の剣を手に、敵兵に歩み寄る。
「カロル」
 囁きほどの小声でリオンが止めた。しかし彼は首を振り、剣を一閃させた。リオンが一人を捕まえたのを視界の端で捉える。さらに一閃。残ったすべての首が飛んでいた。
「私がやってもよかったんですよ」
「うるせェ」
「まぁ、あなたの戦いですけどね。少しは力になりますよ」
「うっせェよ。ボケ」
 いまは言葉は要らなかった。優しい言葉など欲しくない。ゆっくりと目を閉じて魔法を開放する。剣は揺らめきを残して消えた。
「魅了系、使えるか」
 敵兵が彼に押さえ込まれて足掻いている。今リオンが敵対の意思を見せたことで魔法は解け、敵兵は正気を取り戻しては暴れている。
「あなたのほうが得意では?」
 リオンはなんなく敵兵を押さえていた。軽く腕を取っているだけのように見えてまったく動けないらしい。それどころか悲鳴も上がらないのだからたいしたものだ。見れば敵兵の額には脂汗が浮いていた。
 その状態でリオンは飄々と問うている。つくづく敵にしたくはない、そうカロルは思う。リオンの問いにカロルは渋々うなずいた。彼の言うことはもっともなのだ。敵を魅了し、自分の問いに答えさせる魔法は神聖魔法にも鍵語魔法にも存在する。しかし本来、神に属する魔法である神聖魔法より、ことこの呪文に関しては鍵語魔法のほうが効率がいいのは当然でもある。
「俺がやると襲われんだよ」
「はぁ、上手ではない、と」
「ちげェよ」
 婉曲な表現で下手だと笑うリオンにカロルは苦笑する。なぜか肩の力が抜けた。気持ちを切り替えようと深呼吸すれば血の匂い。
「なるほど。正に相手を魅了してしまう、と。うーん。私に使ってみませんか?」
 血臭に、意識が途切れたのかと思った。思わずじっとリオンを見てしまえば聞き間違いでもなんでもなかったことが知れる。
「どういう意味だコラ」
「いやぁ、あなたを襲っても申し訳が立つなぁ、と」
「ボケたことぬかしてんじゃねェ。犯して殺してもいっぺん犯すぞコラ」
「うーん、あなたの趣味をとやかく言うつもりはありませんけど。うん、死姦はよろしくないですねぇ」
 言葉の意味を理解しているのか、それともあえて曲解しているのかリオンは真面目な顔をして苦言を呈し、それから一転にたりと笑った。
「まぁ、返り討ちの覚悟ができたらいつでもどうぞ」
 絶句するカロルに代わって震えたのは敵兵だった。濃密な血臭の立ちこめる部屋、切り飛ばされた体の一部があちらこちらに転がっている。まだ死に切れない兵の呻き声さえ聞こえているというのに。
 たった二人で乗り込んできた。どこから見ても魔術師の装いをした男と軽装の鎧でありながら長柄武器を使う男。たかが二人。しかしその二人に仲間が、二十人すべてがほとんど一瞬で殲滅させられた。
 いま取られているこの腕から伝わってくる痛みを彼は思う。いっそ殺して欲しいと思うほどの激痛に声もない。暴れるなどいまは論外だった。さっさと逃げておけば良かったと思う。金目当てでこんな所に来るのではなかった、つくづく思うがすでに遅かった。
「さてと。遊んでないで片付けますかねぇ」
 茫洋とした声に敵兵は目を上げる。一瞬、意識がなくなっていたらしい。彼の眼前には美しい銀の珠があった。
「見えますよね?」
 どうあっても見落としようのない物がすぐそこで揺れている。薄く立ち上る煙。男はそれに目が吸い寄せられる。だから彼は目の前の男が口の中で紡ぎあげる詠唱が聞こえなかった。煙には香りがついていた。それを意識したとき、耳に何かが聞こえる。
「大丈夫かな?」
「う……あぁ……。なんだか頭が重い。負傷したらしい」
 リオンの問いかけに男が答える。実に見事なものだった。ここまで簡単に魅了の魔法を使うとは思ってもいなかったカロルは密かに舌を巻く。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ、平気?」
「あぁ、大丈夫だ」
「じゃあ」
 目顔でリオンがカロルを呼ぶ。彼自身はそっと下がって呪文を維持するためだろう、銀の珠を揺らしている。
「フェリクスと言う男を捜している。まだ……子供だ」
「子供……」
 首をひねる男に向け、カロルはフェリクスの容貌を描いて見せる。素直に伸びた黒髪が柔らかく首筋を覆っている様。いつもどこか怯えたような黒い目。すがり付いてくる小さな手までも。
 敵兵に語りながら、カロルの脳裏にはくっきりとフェリクスの姿が見えていた。




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