いったいどうやってかわしているものか、カロルの拳は一度としてリオンにあたらない。遊ぶよう笑っているばかりなのが癪に触ってカロルは怒りを収めた。 「おい、腐れ神官」 「なんです」 「テメェ、なにを感じてる?」 腰に手を当てカロルが唇を引き結んでいる。先程リオンが言った違和感が気になっているのだろう。 「ダムドですけどね」 「あぁ」 「大臣でしたよね。ラクルーサの」 「おうよ」 「……魔法、使えるんですか」 「あん?」 カロルらしくもない疑問だった。そのことがリオンは不思議で仕方ない。そして思い直す。彼にとって魔法とはごく当たり前のものなのだと。あって当然のものに不可思議を覚えはしないだろう。 「ここ、魔術師の塔ですよね。私は話しに聞くだけで実見したことはありませんが」 「そりゃそうだろうな」 カロルはにんまりとする。このなんでも知っている風な口をきく神官が無知を認めるのがどこか楽しい。 もっとも、これはリオンに分が悪い。魔術師の塔自体がその辺にいくらでもあるものではない。だからこそ塔の主以外で入ったことのある人間など、数えるほどしかいないだろう。 「これをダムドが作ったんですか、カロル?」 言われて初めてカロルは何度か目を瞬いた。それからゆっくりと首をかしげる。 カロルはやはり疑問に思っていなかったのだ、とその仕種でリオンは確信した。わずかに苦笑めいたものが浮かぶのを抑えきれない。 「なるほどなァ」 「不思議に思わなかったんですか?」 「いや、テメェはそんなこと考えてたんだな、と思ってな」 「なにか、おかしいですか?」 思わずリオンはきょとんとした表情を浮かべカロルを見つめ返していた。今度はそのカロルの口許に微苦笑が浮かぶ。 「ダムド自身が作る必要はねェよ」 「え?」 言われていることを理解するのに時間がかかりそうだった。ここは逆臣ダムドが叛乱の拠点に作ったもの、そう聞かされてはいなかっただろうか。 「どっかのボケ魔術師が手ェ貸したのかもしれないし、俺の馬鹿弟子がやらされてんのかもしれねェ」 「あぁ……」 そういうことだったのか、とはじめて納得の行く思いだった。だからこそカロルは一刻も早く弟子の元にと行きたがっているのだろう。不本意な力を行使させまいとして。 この罵声ばかりを浴びせているような男の弟子に見せる情愛が、どこかリオンは羨ましい。きっと弟子も彼が救出してくれることを心から信じているのだろうと思えば余計に。 「ま、わかんねェけどな。他にもやりようはいくらでもありそうだし」 「そうでしょうか」 「少なくとも師匠はそう言ってる」 「なるほど。偉大なる魔術師、サリム・メロールが言うならば信じましょう」 「おいコラ、俺が言うんじゃ信じらんねェのかよ」 「そんなこともないですが」 言ってリオンは笑ってしまう。自分のことを信じないと言う男が自分の言葉は信じろと言うその矛盾。まっすぐで可愛らしい。 「それと、忠告しとく」 「伺いましょうか」 「偉大なって形容詞をつけていいのは魔術師リィだけだそうだ」 「はぁ?」 「リィ・ウォーロック。知らねェだろうけど、うちの師匠の師匠の師匠だ」 「それはまた遠いですねぇ」 「まったくだ」 どれほど遠いのかを思ってカロルは笑う。メロールより話しだけは聞いているものの、彼が物心つく前に亡くなったはず、言っているのだから人間であるカロルにとっては伝説以外のなにものでもない。 そもそもメロールが生きてきた時の長さすらカロルには想像もできない。彼が幼児であった頃のことなど考えるだけで眩暈がする。 ましてそれ以前など現代を生きるカロルには神話に等しい。ただし間違いなくリィ・ウォーロックこそが今日この日に至るまで及ぶ魔法の創め、魔術師の始祖だった。 「さて、休憩も済みましたし行きましょうか」 「済んだか?」 「もうちょっと休んでもいいですけど」 「テメェの相手して疲れただけって気がすんのは気のせいか?」 「気のせいです。行きましょう」 きっぱりと言ってリオンは扉に向かう。が、カロルは見た。その肩が笑いの衝動に震えていることを。何を考えるでもなく思わず肩を殴りつければわざとらしい笑い声。せめて痛がるふりくらいしろ、そう心の中で罵った。 「この謎々、いやリドルですけどね」 リオンが扉に掲げられた一連の語句を示す。装飾体で何度見ても読み難かった。 「我は幻想。儚き望みを抱き、脆くも破れる。我が名を唱えよ」 難儀しているらしいリオンに向けてカロルはもう一度読み上げる。ほっとしたような感謝の眼差しについ、目をそらした。 「なんでしょうねぇ。幻想、じゃなさそうですし」 「ボケ坊主」 「なんです?」 「せめて用意をしてから答えろよ」 言ってカロルは失敗を取った。彼はとっくに準備を整えている。軽く握っただけのハルバードは、けれどすぐさまでも振るうことが出来るだろう。 「うん、そうですねぇ。そうしましょう」 が、リオンは顔だけ振り向け、微笑んでそう言うだけ。言い返しさえしなかった。それがカロルの癇に障る。 「さて、と」 再び扉に向いたリオンが深呼吸をした。と、二人の体が仄かに輝く。不注意から詠唱が聞こえなかったのか、とカロルは唇を引き結ぶけれど、すぐに愕然とした。速い詠唱で聞こえなかっただけ、と理解したせいで。 自分の体を見下ろせば、柔らかい輝き。リオンの護身の魔法に包まれている。なぜとなく、彼自身を思わせるような温もりのある光だった。 振り向きもせず考え込んでは様々の言葉を試しているリオンの背にカロルは微笑む。 彼は自分の言葉に向かって適当に返事をしたわけではなかった。準備などできていると言い返しもしなかった。その上であの言葉に従ってあえて「準備」を整えてみせる。他人だったならばあざといと思うだろう。けれどそれがリオンの気遣いだとわかってしまった。不快で、そしてなぜか嬉しい。 「うーん、これも違いますねぇ」 まるでそのようなことがあったなど覚えてもいないような顔をしてリオンは首をひねっている。いくらやっても正しい答えがわからないのだろう。 「腐れ坊主」 「はい?」 「準備はいいんだな?」 「問題ないですよ。はい、大丈夫です」 「なんかいるだろうしな」 「扉の向こうですか? えぇ、いますよ。生きてはいないらしいですが」 あっさりと言う言葉だけに信憑性がある。そして神官であったことを思い出した。生なき存在を感知するならば、彼の方が適任と言える。 「なら行くか」 カロルの言葉にリオンは驚いた顔をした。それにカロルは莞爾とし、扉の前に立つ。それから一瞬、途方に暮れた。 「……愛」 軋んだ音を立て、扉が開き行こうとする。それにつられたようリオンがカロルを背後に下げた。けれど、彼の顔に浮かぶのは呆然とした表情。 「なんでです。どうして愛など……」 「うっせェ! 恥ずかしいから言うんじゃねェ。俺は塔の主たァ古い馴染みなんだよ! あれの考えてることなんざお見通しだってーの。それより」 「はい、あとは私が」 カロルの言い分に苦笑してリオンは改めて扉に正対した。不意に何者かの声が響く。 「よくぞ答えた。褒美を受け取るがいい――」 深い場所から響き渡るようでもあり、耳許で囁かれたようにも聞こえる。リオンがハルバードを握り締め扉を抜けようとする。その背後にカロルは従った。 扉の向こうは真の闇。見えもしない場所に向け、リオンがハルバードを一閃させては何かを薙ぎ払う。まるで示し合わせたよう、カロルは魔法の明りを一瞬にして拡大させ、リオンの目とする。 「ちっ」 しかし目は見えなかった。否、部屋の構造は見えた。けれどそこにいる何者かが見えない。闇が凝り固まって二人を圧倒するよう伸し掛かってくる、そんな気がした。 「カロル!」 不意に足の力が抜けそうになる。腕に何者かが触れたと思った途端にひんやりと意識が遠くなった。すぐさま回復する。リオンの魔法と知れた。舌打ちを一つ。庇われているのは性に合わない。 物の試しとばかり、カロルは火球を飛ばす。闇にあたった場所で解け消えるように見えたけれど、多少の効果はありそうだった。 「ボケ!」 呼び様、カロルが再び魔法を放つ。今度はリオンのハルバードに。聖別されたそれが苦手なのだろう、闇はするりと身をかわしているものの傷は負っているらしい。 「感謝します!」 リオンの叫び声と共にハルバードが炎をまとった。燃える刃が闇を捉える。心が凍るような悲鳴が聞こえた。 「イクス<蒼炎刀>――!」 それを見てはカロルも剣を取る。炎そのものであるカロルの剣はいっそう効果があった。リオンに比べれば劣る技量でありながら、カロルの剣は闇を捕らえて離さない。 リオンのハルバードにまとわせた赤い炎、カロルの炎が凝固した青い残光。闇の中で躍るそれは見る者がいたならば溜息をつくような情景だっただろう。 切りかかるたびに震えがくる。恐ろしい悲鳴に心が萎えかけるのを救うのはどこかでハルバードを振るっているらしいリオンの雄叫び。 「けっ」 温順な男のくせに敵に対しては容赦の欠片もない。そして殲滅の後に、血塗れの床の上でまた暖かな微笑を浮かべるのだから始末に悪い。そうカロルは苦笑う。 そしてきゅっと唇を引き締める。この敵は血塗れにはならないだろう、そんなことを思って。油断は出来なかった。 「ちぃ」 一瞬の気の緩みを突かれた。闇がまた触れてこようとする。あの冷たい感覚が蘇ったカロルは、わずかに体の動きが鈍くなるのを感じた。 眼前に迫ってくる凝った闇。カロルはじっとそれを見つめているような気がした。ほんの一瞬にも満たない間の出来事だったろうに。それでもそれは凝視ではなかった。屈服はしない、そんな睥睨だった。 |