わずかばかり自分の頬を傷つけて飛んで行った火球の果てで起きた爆発を、リオンは見やり肩をすくめる。それだけで何も言わなかった。
「さ、行きましょう」
 そうカロルを促す。どこか物足りない、そうカロルは思う。いっそ殴りかかってでもくれればやりがいがあるものを、こう相手にされないとまるで自分が馬鹿のように思えてしまう。
 そんなことを思った自分にカロルは肩をすくめる。そしてそれが、つい今しがたリオンが見せた仕種と同じだと気づいては腹立たしい。返事もせず背中を追った。
 一度、階下に降りる。そしてすぐ隣にあるもう一方の階段を上った。
「こっちのほうが酷いですねぇ」
 踏み段に足をかけるたびにがらがらと崩れそうになる。カロルの放った魔法の余波が階段を崩れさせていた。
「うっせェ」
 背後からぼそりと呟いたけれど、多少は悪いと思ってはいる。もっともそれは自分が上りにくい、と言う理由があったせいではあるのだけれど。
「さっきの、凄かったですね」
「なにがだよ」
「あれは炎系の最大呪文ですか」
 竜に食らわせた魔法を言っているのだろう。見えもしないのにカロルはにんまりと笑った。
「おうよ」
「もうちょっとで危なかったですからねぇ。障壁を張るのが間に合わなかったら私、死んでます」
「嫌味か、それは」
「はい、よくわかりましたねぇ」
 声が笑っている。が、本人が言うのだから嫌味でもあるのだろう。
 カロルは竜の後ろにリオンがいるのを忘れていたわけではない。ただ、彼ならば間違いなく自分の身を守ることが可能だと思っていただけだ。決してそれを本人に言うつもりはなくとも。
「ほんとはあんなもんじゃないぜ」
「え? そうなんですか。余裕ですねぇ、ドラゴン相手にしては」
「ちげェよ。余裕もクソもあるか。最大呪文叩き込んでもまだ生きてるような化けもん相手にかますほど馬鹿じゃねェ」
「だってあなた、いま」
「違うって言ってんだろ。あれは本当はもっとすげえ呪文だがよ、ちょっと使う場所がな」
「うーん、鍵語魔法はよくわかりませんねぇ」
 そう言ってリオンは首をひねるものの、どこまで本当だかカロルは疑う。鍵語魔法を使えないのは本当だろうが、それにしては魔法の本質をよく捉えていると思う。
「まぁ、それよりも当面はこちらですね」
 階段を上り終えた場所をリオンは見回した。もっともだ、とばかりカロルも無言で同意する。
 正方形のなにもない部屋だった。いったい何に使用するものだか理解ができないが、この塔自体が意図のない小部屋で構成されていることを考えれば不思議でもなんでもないのかもしれない。
 リオンは正面、北側に位置する扉をじっと見ていた。何者かの気配がする、そう小声で言う。それからどうするかと目顔で問うてきた。カロルもまた言葉を使わずリオンを下がらせる。
 ゆっくりと呼吸をする。体の中に魔力の高まりを感じ、疲労を意識から一時的に追い払う。そしていつしか閉じていた目を開けたとき、翠の目が輝いた。
 リオンの唇から溜息が漏れる。感嘆のそれだった。カロルの掌から魔力の塊のような炎が噴き出し、扉を破る。
 一瞬、向こう側で人影が見えたような気がした。そしてそれは瞬きの間に燃え尽きる。それだけではなかった、リオンの目に見えていたもの、次の扉。それすらも炎が突き破る。
 どこまで行ったのだろうか。カロルが満足げな笑みを浮かべて炎を消したときにはそこにまっすぐな通路が出現していた。
「派手ですねぇ」
「うるせェ」
「疲れませんか?」
「だからさっさと済ませてェんだろうがよ」
「なるほどね。じゃあ、行きますか」
 一つうなずきリオンが足を踏み出した。重い靴の下からまだ熱気が伝わってくる。どれほどの高温であったのか窺い知れるというもの。
 どうやらいたと思しき敵の姿はどこにもない。当然だ、とリオンは内心にうなずいた。あの高温に生き残るものがあったのならば、それは人間でも下級の魔物でもない。それらはすでに燃え尽きて灰になっていた。
 通路の行き止まり、左手に扉があった。幸運なことに鉄の扉で焼け落ちてはいなかったが、不幸なことに鉄の扉であったがために溶けている。
「俺のせいかよ?」
 じとりと振り返ったリオンに思わずカロルは言ってしまった。
「あなた以外に誰のせいだと?」
「うるせェよコラ。なんとかしろよクソ坊主」
「はいはい、なんとかしますよ私がね」
「黙ってやりやがれボケ」
 リオンは言われたとおり返事もせず取り掛かる。それが反っていっそうリオンの不満の意思を伝えていると感じたカロルは居心地が悪くてかなわない。
 ごそごそと身じろぎをしていた彼の体がはっと立ちすくんだ。
「カロル?」
 呼び声に答えなかった。ゆっくりと振り返る。何者もいない。それなのに声が聞こえた。
「カロル」
 リオンのものではない声。耳に馴染んだ幼い声がいまここで聞こえる。
「……フェリクス」
 そっと視線が床に落ちた。そこにカロルが見出したもの、水晶の欠片だった。粉々に崩れて原型をとどめていない。それでも水晶がまとう魔力はいまだ見て取れる。
 カロルの放った炎に焼かれて崩れたのだろう。互いの魔力が拮抗して水晶は破壊されてしまったのに違いない。
 崩れたそれをそっとカロルは拾い上げた。また、耳に聞こえる声。
「カロル」
 水晶の向こうでフェリクスが呼んでいる。姿は見えない。それでも間違いなく幼い弟子の声だった。
「幻覚です」
 静かに肩に手が置かれる。まるで慰めてでもいるようだとカロルは思う。
「わかってらァ」
「お弟子さんですか」
「黙れよ」
「頑張りましょうね」
「うるせェって言ってんだろ」
 塔の主が配したものなのだろう。いずれ乗り込んでくるに違いないカロルを幻惑するために。たった一人の弟子の姿をここに置くことでカロルが惑うように。
「けっ」
 鼻で笑ってカロルは手の中に水晶を握り込む。自分が無謀とも言える炎の魔法を放ったことが幸いした。幻覚だとわかっていたとしてもフェリクスの姿を見て平静でいられる自信がなかった。
「カロル。開きましたよ、行きましょうか」
「おいコラ、クソ坊主」
「なんです?」
「どうやったんだよ、それ」
 呆れて尋ねてしまった。溶けて壁と半ば融合した扉は、けれどすっかり開いている。
「説得しました」
 リオンはにっこり笑ってそれだけを言った。そして扉の向こうへと消えていき、カロルを振り返る。
 大きな呼吸を一つ。カロルは呆れたふりをしてリオンに続く。扉を閉める前、ほんのわずかの間カロルは水晶があった場所を見つめ、欠片を投げ捨てた。
 そこは広い部屋だった。二人は立ち止まり、まずはとカロルが魔法の明かりを飛ばす。ゆらゆらと飛ぶ明りが部屋を一周し、南側に扉がある他は何もない、と二人の目に見せる。
「まず扉まで行きましょう」
 カロルの返答も待たずリオンが前を歩く。特別、異存があるわけではないのだが、勝手にされると苛立ちが募る。腹立ち紛れ、彼の背を殴りつければ自分の拳のほうが痛かった。
「カロル、手を貸してくださいよ」
「んだよ、ボケ」
「これこれ」
 言ってリオンが指したのは扉の表面だった。何事かが刻んであるのが見て取れる。
「あん?」
「謎々を解けば扉が開くんじゃないかと思うんですけど」
「せめてリドルと言えよボケ坊主。で、なんだって?」
 魔法の明りを近づけて表面を覗く。華奢で装飾的な文字は読みにくかった。
「うーん、そうですねぇ。『我は幻想。儚き望み抱き、脆くも破れる。我が名を唱えよ』と書いてあるように見えますが」
「俺にもそう読めんな」
「これ、答えはなんでしょうねぇ」
 リオンが扉の前で首をかしげる。そして思い出したようカロルを振り向いた。
「これ、解かないと開きませんね?」
「ぜってェとは言えねェな」
「まぁ、とりあえずはでいいです」
「だったらそうだろうよ」
「ではちょっと休憩、しません?」
「あん?」
「ちょうどいいでしょ、ここは。私、向こうの扉封じてきますから」
「おいコラ待ちやがれ腐れ神官!」
 カロルの言葉など聞いてもいないふりをしてリオンがさっさと離れていく。最前、開いた鉄の扉の辺りがぼんやりと一度光ったから、すぐさまに封印してしまったのだろう。
 そっとカロルは舌打ちをした。何もかも勝手にされている、そう思う。が、自分の体が休息を求めていることも確かだった。それを見抜かれたのが忌々しかった。
「我が名を唱えよ、か……」
 リオンからそらした目が扉に吸い寄せられる。答えがわかる気がした。もっとも、いまそれを口にしては扉が開いてしまう。せっかくのリオンの心遣いが無駄になる、そう思ったことでもうひとつ舌打ちをした。
「いやなこと言いやがるぜ」
 誰に聞かせるものでもない呟きはカロルのものとは思えないほど低く切ない声だった。
「なにか言いました?」
「うるせェ、クソ神官」
「うーん、聞き間違いかな?」
 いつの間にか戻ったリオンがそれだけを言って微笑む。確実に聞いた、とその黒い目が語ってはいたけれどカロルは見て見ぬふりをする。
「殲滅すんじゃなかったな」
 思わずそんなことを言ってしまった。会話をしたい気分ではないというのに。
「あぁ、そうですねぇ。さっきの一人くらい生かしておけばお弟子さんの居場所がわかったかもしれませんものねぇ」
 うなずいたリオンの脇腹を、カロルは思い切り蹴り飛ばす。言い当てられた悔しさや、焦りが渾然となったそれをリオンは甘受する。かっとなったカロルが殴りかかってこようとする両手を今度はそっと受け止めた。




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