階段を上がったそこはやはり小部屋だった。が、しかし直後にリオンが呻き声を上げる。次いでもう一度。カロルもかすかな感覚を二度捉えていた。 「ボケ、起きてるか」 「……なんとか」 口許を押さえてまだリオンが呻いている。覗くともなく覗き込めば淡い魔法の明りの中でさえ青ざめて見えた。 「転移ですよね」 「わかってんなら聞くんじゃねェ」 罵りつつ再度ちらりと顔色を窺う。多少、血の気が戻ったようだが、まだ気分は悪そうだった。 「ちょっと休むか」 リオンに言うわけではなく呟いた言葉に彼は首を振る。 「大丈夫です、行きましょう」 「別にテメェに言ったんじゃねェ」 「わかってますよ、もう大丈夫ですし、あなたも平気でしょ」 と、今度はリオンがカロルを覗き込む。わずかに腰をかがめて覗くのが不愉快だ。それほど身長に差があるわけではない。 「目障りな野郎だな」 「でもけっこう頼りになるでしょ」 「誰がッ!」 言ったものの、その事実を認めないわけにはいかない。不機嫌まじりカロルはにんまりと笑った。 「で、ここどこだよ。あん? 頼りになんだろ」 二度転移したはずではある。階段を上がった場所は東北の隅であったはずだけれど、転移したとなるとここがどこかはカロルには見当もつかない。 リオンに尋ねたのは言外にわかるものかとの意がこめられていた。ほんの少し、カロルが認めはしない内心の一部が、エイシャの神官にならば感じ取れるのかもしれないという期待を持っていた。 「三階の中央部分に大きな部屋があったの覚えてます? あそこの北西の隅ですね」 本人が自覚してもいない期待はあっさりと満たされた。おかげでカロルは返事もしない。黙って辺りを見回すだけだった。 彼らの左手に急遽取り付けたような木の扉がある。カロルが観察する限り鍵もかかっていないようだ。先程のよう、こちら側から閂が差してあるということもない。ただの扉だ。 「面倒くせェなぁ」 ついぼやいた声にリオンがかすかな笑いを漏らした。そちらを見やれば何食わぬ顔をしているのが忌々しい。 ここが大きな部屋の北西の隅と言うことは、透明な壁に隔てられた階段に向かうためには前方へ進めばいい。が、扉は左手にしかない。 「着実に行きましょう、着実に」 リオンの声がしたけれど、カロルは聞く耳持たず扉を開けた。どうせ自分が扉に手をかける頃にはさっさと彼が前に出ているのだ。 「カロル!」 案の定、前に出ていたリオンが声を飛ばす。小部屋からどうやって潜んでいたのかと思うほどの魔物があふれ出てきた。 「ゴブリンです、下がってて」 冷静な声にカロルは待機を決断する。 惚れ惚れとするような戦いだった。狭い部屋だというのに器用に扱われたハルバードの一閃ごとに見事ゴブリンの首が飛ぶ。一度に一匹といわず数匹ずつ。反対にまわろうとしたゴブリンをリオンは一瞥したかと思えば、すっとハルバードの柄を滑らせて石突で敵を打つ。あまりにも滑らかな動きに見えもしなかったのだろう、もんどりうって倒れたところをカロルの魔法がゴブリンを焼いた。 「助かりました。ありがとう、カロル」 血溜りから振り返って笑みを浮かべる。戦いの余韻など塵ほどもない。一振りしたハルバードから血が飛んだ。 「暇だったからな」 事実、カロルが手を出すまでもなかった。黙って見ているだけが嫌でしたことでしかない。守られるなど、柄ではなかった。 そんなカロルにリオンは答えず。ただ笑みが深くなっただけ。それから無言のまま次の部屋へと進んだ。 同じような大きさの、同じような部屋だった。扉の位置さえ変わらない。 「カロル」 「なんだよ」 「これ、開けるとどうなると思います?」 「美人のねーちゃんが出てきて酒でも飲ましてくれるってか?」 「期待しましょうかねぇ」 「ボケは馬鹿か?」 「せめてリオンは馬鹿かくらい言ってください」 「どっちでも一緒だろうがよ」 当然、敵が出てくる以外考えようがない。ゆっくりとハルバードを構えてリオンが扉を蹴破った。 「まぁ、こんなもんでしょうねぇ」 足でゴブリンの死体を蹴りよけてカロルの場所を作ってはリオンが嘯く。 あっという間だった。先程も見事だと思ったはずなのに、今度は手を出す暇さえなかった。完全に観戦しているよりない。そのことを不満に思うより、わずかに勝るのは驚嘆。 「カロル、飽きませんか?」 ふっと口許を緩めて振り返る。思わずカロルは目を瞬かせた。 「うーん、いいですねぇ」 「なにがだよ」 「いまの顔」 聞きたくないと心から思う。目をそらしてしまった自分に対して不機嫌になるカロルの横顔にリオンの声が届く。 「素敵でしたよ、カロル」 「うるせェ、クソ坊主」 「あなたのちょっと困った顔って、とても可愛らしいです」 「黙れって言ってんだがよ?」 「はいはい」 聞いている節があるとは思えない声音でリオンがする返事だが、そもそもカロルはまるで信用していないのだからどちらでもいいことかもしれない。 「次も一緒だな」 小部屋を覗き込んだカロルは溜息をつきたくなってくる。こちらの体力を削るための捨て駒なのは明らかだ。ちらりと部屋の中を見やり、壁と天井を確認する。急遽作られた部屋部屋なのだろう、強化の文様は刻まれていなかった。 「付き合いきれねェ」 呟き様リオンを振り返る。まだにやにやとしていた。ついでとばかり一度彼を蹴り腹いせをしたカロルは仄かに口許を歪めた。 「おいボケ神官」 「なんです」 「階段、どっちだ」 尋ねれば不思議そうに首を傾げてリオンがちょうど南を指す。それは二人の右手だった。 「具合もいいな、よし、下がってろよ」 「ちょっと、カロル。なにするんですか」 「いいから下がってろ。ちまちま行くのは性にあわねェ」 嬉々としてカロルが扉を左に見て南に面した。緩やかな詠唱の声が聞こえだし、リオンは首をひねる。いったい何をしようと言うのか見当がつかなかった。 「焼き尽くし業火と化せ。狂乱し我が敵を撃て、バサルド<爆炎>」 カロルが魔法を放つ。危うくリオンは薙ぎ倒されそうになる。二人が立つのが精一杯の小部屋の中で放つような魔法ではない。炎に煽られて目を庇えばようやくそれが壁を突き抜けていくところだった。 「あぁ……」 納得できた。あまりにも無謀。塔の主に同情したくなってくる。いったい誰が面倒だからと言って壁を突き破ろうとするものか。 溜息まじりカロルを見やったリオンをわずかに振り返り、彼は笑う。とんでもないことをしているはずなのだが、生き生きとしていて綺麗だとリオンは思わず見惚れた。おかげで今度は体勢を整える暇もなかった。 「吹き荒れよ風の王。すべてを飲み尽くし破壊を尽くせ、バシルト<竜舞>」 突風と言うも生易しい風が吹き荒れた。リオンは背中を壁に打ち付ける。風は炎を追い、そして互いに相手を巻き込むよう拡大していく。 小部屋の壁が次々と破壊されていくのを、立ち直ったリオンは呆然と見ていた。時折、赤いものが混じるのは魔物の血だろうか。手間がかからなくてよいと思うか呆れるべきか、若干の考えどころかもしれない。 「よし、終わった」 莞爾としてカロルが振り向く。急速に収束していく炎に髪も目もが照り映えていた。 「あぁ……」 まじまじと破壊し尽くされた部屋の残骸を見、それから輝かんばかりのカロルを見つめる。 「なんか言いたいことがあるのかよ?」 「素敵だ」 うっとりと呟いたリオンにカロルは思わず腰が引けた。ぎょっとして顔色を窺う。打ち所がおかしかったか、そう思ったのは一瞬で最初からこういう男だったと思いなおす。 「あなたのそういう無茶苦茶なところがとても好きです、私」 「ほざけ」 「どうしましょうねぇ。うん、そうですね」 「一人でボケてんじゃねェ!」 「あぁ、いや。あなたのことが我が女神の次に好きだな、と思って」 「次かよ」 知らず笑い声を上げていた。別段、女神の次だということを不満に思ったわけではない、断じて。 「私はエイシャ女神の神官ですからねぇ。女神を一番に愛してますよ、当然ね」 「だからなんだよ、俺にゃ関係ないね」 鼻で笑ったカロルにリオンは何も言わずに微笑むだけ。二つ同時に放った大きな呪文のせいで高揚しているだけだとカロルは思う。かすかに感じた動悸は鍛錬不足のせいに違いない。 「それにしても派手ですねぇ」 ちらり前方を見てはリオンが言った。 物の見事に何もなくなっている。向こう側の階段まで素通しだった。散発的に聞こえる呻き声に目をつぶればこれはこれで壮観な眺めと言えるかもしれない。 「障害物を残しとくのは趣味じゃなくてよ」 いかにもカロルは楽しげだった。まるで魔法を覚えたての少年のようだとリオンは思う。彼自身、覚えがないわけではない。神聖魔法を覚えたころはついつい使ってみたくてたまらなかったものだ。 「うん、まぁ。壁は乗り越えるものでしょうが、障害物は叩き潰すべきですしねぇ」 神官らしからぬというべきか、青春の女神に仕える神官らしいというべきか。どちらにしても返答のしようがないことをリオンは軽々と言い足元を確かめていた。 「なんだ、それ?」 「え?」 「壁ってなァ、ぶち壊すもんじゃねェのか」 「……カロル」 「乗り越えたら、絶対あとでまた出てくるぞ、壁ってやつァ」 「普通はそうは考えませんが、あなたらしいとは言えますねぇ。素敵だなぁ、本当に。うん、ここにきてよかった。私はなんて幸運なんだろう」 心から幸せそうな笑みを浮かべて目を閉じる神官に薄ら寒いものを感じてカロルは黙る。気づかないうちに下がったのだろうか、足がいつの間にか瓦礫を踏んでいた。 |