この男のどこが神官かと心底、思う。これほど武器の腕が立つ神官がいることが少しばかり信じがたい。マルサド神の神官でもあるまいに、と皮肉に思う。
「ちっ」
 舌打ちを一つ。何もなかった顔をしてカロルは腕を一振りした。手にした炎の剣が溶けるよう消えた。
「おや、いいんですか」
「なにがだ」
「剣。あぁ、あなたは邪魔なのかな」
「違う」
 邪魔なわけはない。このような場所にいて、使い慣れた剣があれば当然ありがたい。が、そもそも魔術師が魔法で出現させた武器とは言え、使うこと自体が珍しいのではあるが。
 カロルが剣を消したのは、単にすぐに発動させることが可能だからだ。他の長い呪文にくらべれば瞬時に発動するといってもいいほど、短時間で剣を現すことができる。それならばずっと顕在化させておくのは体力の無駄だった。
「なるほどねぇ」
 一人でリオンがうなずいている。訝しげにカロルはそちらを見たけれど彼は何も説明しようとはしなかった。まるで自分が言わなかったことを理解してでもいるようだ、そう思えばどことなく安心してしまう。それが忌々しかった。
「さて、と。行きますか」
 ひとしきり納得したリオンがカロルを促す。まるで立場が逆転してしまった。これではリオンに率いられてでもいるようだ、と思ったカロルは腹立ち紛れ彼を追いこす。あっさりと抜き返された。
「馬鹿じゃねェの」
 罵るもののいささか覇気が足らなかった。そうは言ったけれど、馬鹿は自分のような気がして仕方ない。
「こちらのようですねぇ」
 まるでかまいつけることなくリオンは廊下を探りつつ歩いていた。言うべき言葉のなくなったカロルは諦めて後ろに従う。
「あぁ、ありましたよ」
 見れば一枚の扉だった。やはりこの階は螺旋を描いているのだろう、ちょうど中心部と思しきあたりに扉は位置していた。
「カロル、頼んでいいですか」
「やなこった」
「そう仰らず」
 にっこりと笑って平然とリオンは言う。カロルは横を向いて舌打ちし、扉の前に立つ。
「我が愛撫に身を委ねよ、ロー<解錠>」
 言葉通りの愛撫の手つき、それが愛しいものの肌でもあるようカロルはそっと扉を撫でる。堪え切れぬげに鍵が外れた。
「うーん、ぞくぞくしますねぇ」
「黙れ、クソ坊主」
「いやぁ、色っぽいです。とても素敵だ」
「死にてェか、腐れ神官」
「それ、やめてもらえませんかねぇ」
「なにがだ」
「ちゃんとリオンって呼んでくださいよ」
「誰が呼ぶか!」
 鼻で笑ったカロルは扉に手をかける。開こうとしたはずなのに、いつの間にか開いた扉の向こうでリオンが微笑んで扉を押さえていた。
「あなたのそういうところ、とっても可愛いですよ」
 口を開き様に呪文の詠唱をしなかったのは褒められてしかるべきだ、とカロルは思う。思い切り罵ったあと二三度リオンの頬を張り倒す。ようやく気持ちが落ち着いた。
「さて、行きますよ。カロル」
 この丈夫さはいったいどういうわけだろうと、ほんのわずかの間であってもカロルは唖然とした。たかが神官。戦士ではない。それなのにいかに魔術師に殴られただけとは言え、カロルは魔術師としては非力な方ではない。
「馬鹿ほど丈夫ってやつだな、テメェは」
「なんです? それは」
「知らねェか? シャルマークの四英雄の」
「あぁ、カルム王子。そういえば丈夫な方だったと言いますねぇ」
 カロルは四英雄、と言った。巷間に伝わる三英雄ではなく。それなのにリオンはそれこそが当然だとでも言うよううなずく。
 初めて好感を持った。半エルフの師を持つカロルは、半エルフに対する迫害を許せない。記憶から消し去るなど、卑怯以外の何物でもないと感じている。
 だからシャルマークの英雄の一人としてリィ・サイファをきちんと数えるリオンにほんのわずかなものであったとしても好感を持った。
「腐れ神官め」
 吐き出す言葉はどこか柔らかかった。
「なにがです?」
「愛と慈悲を説く神官のくせに王子を馬鹿呼ばわりすんじゃねェよ」
「そうは言いますけどねぇ。伝記などお読みになったことは?」
「師匠から聞いてる」
「そうでしたね」
 言えばいとも簡単にカロルがメロールの弟子であったとうなずいた。メロールの弟子であればシャルマークの英雄たちのことは知っていて当然だ、と。
 どうやらこの神官は歴史の勉強も好きだったらしい、とカロルは思う。そのことも好意を増させる遠因となった。このような男ではあるのだが、カロルは勉学と言うものが実は好きなのだ。もっともそうでなければとても魔術師など務まらない。
「カロル」
 不意に硬度を増した声がする。腕を取られるままカロルはそっと足を踏み出した。わずかに体が揺らぐ。隣で眩暈をこらえるような声がした。
「腐れ神官、生きてるか」
 いつの間にか閉じてしまっていた目を開く。突如として景色が変わる。まったく見覚えのない狭い部屋だった。片隅に階段がある。見回してもただそれだけしかない。扉も何もなかった。
 カロルの言葉に呻き声だけが答えた。どことなく安堵した。何もかもやられてしまっては腹立たしいだけ。この神官にも不得意がある、と思えば知らず笑みが浮かんでしまう。
「転移ですね?」
「一階にもあっただろ」
「非常に気分の悪い思いをしましたよ」
 慣れない間は中々につらいものだ。転移のたびに胃がせり上がるような心地がする。ずいぶん前に慣れてしまったカロルは当時のことを思い出しては口許を緩めた。
 メロールが維持しているサイファの塔は、外見からは想像もできない広さを持っていた。塔の内部のほぼすべてが魔法空間で構成されている。当然、移動は空間と空間を捻って繋いで行われる。ある種の転移だった。
 メロールはそれを移動地点を定めた短い移動のための仕掛けとして発達させ、今に至る。今この塔の内部にある転移の罠もそれを利用したものだった。
「どうも転移は苦手で」
「普通はそうだろうな」
「あなたもですか」
「俺はとっくに慣れた」
 慣れなければサイファの塔では身動きができないのだから致し方ない。
「ここはどこかがまず問題だな」
 辺りを見回しても手がかりになるようなものはない。あるのはただ一つ上り階段だけ。
「一階から上ってきた階段のあった部屋のすぐ横、と言うか北側ですね」
「なんだと?」
「ですから」
「なんで断言しやがる」
「だって、わかりますから」
「だからそれがなんでかって聞いてんだ、ボケ」
「なぜと言われてもエイシャの神官と言うのはそういうものですから」
 困ったよう、リオンが首を傾げては笑った。幻想と真実を司るエイシャの神官ならば、まず己の位置くらいはわかって当然、と言うことか。心身両面において。
「けっ、都合のいい野郎もいたもんだ」
「ほら、お役立ちでしょ?」
 ここぞとばかり言うリオンにかまわずカロルは階段に向かった。
「狭いですねぇ」
 またもやいつの間にか前に出たリオンが階段を上りきっては見回す。そこは正に階段しかない。今までのどこの部屋よりも狭い、二人で並んで立つと窮屈な程だ。
「とりあえず出て見ますか」
 扉を抜けて行くリオンの背中をなぜとなく見ていた。と、リオンが溜息をつく。
「なんだよ」
 わけもなく慌てた。振り返ったリオンが情けない顔をしていた。
「どこにも通じてねェ、とか言わねェだろうな」
「言いませんよ。逆です」
「なに?」
 リオンを押し退けるようにして扉を抜けた。
 そこはあまりにも広かった。左も前も闇がある。魔法の明かりが届く範囲を超えて空間が広がっていた。右手の壁が聳え立つだけにいっそう広大に感じた。
「ふざけた造りにしやがって」
 カロルは塔の主を罵り、見えもしないのに目を凝らす。どうやら少し慣れてきたらしい。左斜め前あたりに壁らしきものが見えた。
「あそこ、見ろ」
「はいはい。あぁ、何かありますねぇ」
「とりあえず目指してみっか」
「了解しました」
 反論もせずリオンが微笑んで前に立つ。こうも従順に返答されると反ってやりにくい。むっつりと唇を引き結んであとに従った。
 少しばかり進むと壁が見えてきた。どうやらそれなりに広い部屋がこの空間の中心にあるらしい。カロルが言うより先にリオンが左手に首を出しそちらを窺う。
「部屋のようですねぇ」
「だな」
「とりあえず突き当りまで行ってみましょうか」
 提案にうなずきカロルは彼の後ろに従った。暗く広大な空間だ。なにが出てきてもおかしくはない。むしろ多数のダムド派と名乗る兵隊崩れに襲われても不思議ではない。
 が、何もでてこなかった。静寂の中に二人分の足音のみが響く。緊張だけが高まっていく。
 カロルはリオンの背後でそっと唇を噛んだ。まだ三階。たった三階。フェリクスがいる場所まで後どれほどあるのか。このようなところで怯んでいる暇はなかった。
「周ってみましょう」
 声をかけ、リオンが部屋と思しきものの壁伝いに進もうとする。その足が止まった。
「さっさと行けよ、クソ坊主」
「そうしたいんですけどねぇ」
「だったら行きやがれ、ボケ」
「カロル、ちょっと前に来てもらえませんか」
 情けない口調にカロルは嬉々として前に出る。そして足を踏み出そうとして止まった。
「ほらね」
 あなたでもそうなるでしょ、と言いたげにリオンがカロルの肩越しに覗き込んでくる。
「たぶん、ここに壁があるんですよ。全然見えませんけどね」
「だったらそう言いやがれ、腐れ神官が!」
 すっかり試させられてしまったカロルが罵声を上げ続けるのに疲れるまで、ずっとリオンは黙って微笑んでいるだけだった。




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