人を脅かす音を立てて扉の鍵が開く。いやな軋みを上げて開いた扉の向こう、人相の悪い男たちが立っていた。
 そのときカロルは黙って格子の前に座っていた。まるで諦めて捕まっている、とでも言うように。
「間抜けが捕まってやがるぜ」
 顔を見合わせて男たちが笑う。ぴくり、カロルの肩が動いたが、じっと黙る。
「おとなしくしてりゃ、痛い目にゃあわさねぇからよ」
 下卑た笑いを上げながら男たちが鉄格子の前に立った。二人ともが無抵抗、と見たのだろうか、無警戒に鉄格子の鍵を開いた。
「おら、来やがれ」
 乱暴にカロルの腕を取る。ちらりと見ればリオンもまたおとなしく腕を取られていた。顔を伏せ、カロルはひっそりと笑う。
「誰が間抜けだって?」
 低い声だった。あるいはそれは恐怖の声に聞こえたかもしれない。かすかに震えさえしていたのだから。これでせっかくの魔封じが無駄になった、と。
「あんだって?」
 怪訝そうに男が顔を近づける。そしてぎょっとしたよう、体を引いた。
 カロルは笑っていた。
「我が手に灼熱の炎、イクス<蒼炎刀>」
 詠唱の瞬間、カロルの手の中に炎が燃え立つ。青い炎はわずかの間に剣となる。男は残像すらも見なかっただろう。瞬きの間に首が転がっていた。
「てめぇ!」
 残りの男たちがいっせいにカロルに向かった。剣の一振りで一人ずつ。魔術師とは思えない剣さばきにひるんだよう足がたたらを踏む。
「来たれ幻影、汝の内に真実を見よ」
 そこに響いたのは静かな声だった。するりと心の内側に入り込むような声が彼らの耳に届いた途端、胸を掴んで顔色を変える。
「ひっ」
 そこにありえないものを見たよう、恐怖に染まった。カロルが近づく。男たちは魔物でも見たよう慄いて背を向けるなり駆け去った。
「なにしやがった」
 振り返った先でリオンが微笑んでいた。
「なに、ちょっとばかり幻を見ていただきました」
「幻影の呪文か?」
 それにしては恐怖に強張った顔をしていた、そうカロルは思う。
「彼らの心にある恐怖を引きずり出しただけですよ」
「へぇ」
「ほら、お役立ちでしょ、私」
 言って首をかしげるのにカロルは思わず舌打ちをしてそっぽを向いた。
「ついて――」
「行きますからね」
「二度と――」
「戻れなくってもけっこうですよ」
「人の話を先取りすんじゃねェ!」
「それは失礼」
 少しも謝っているように見えない、そうカロルは唇を引き締める。
「テメェはなんにもわかっちゃいねェんだよ」
「でしょうねぇ」
「だから」
「それでもいいですよって言ってるんです。人間の運命なんてそんなもんですから」
「馬鹿か、テメェは」
 吐き出してカロルはそれ以上かまうのをやめた。二度と帰れなくともいい、そう言っているのだから利用するまで。神官がいれば有利なのは当然だ。
「勝手にしろ」
 背後で笑い声が聞こえた。カロルは振り返りもせず鉄格子と扉を抜ける。そこは闇だった。
「あぁ、一階のあの廊下か」
 独り言を言いそのまま突き進む。案の定、すぐに突き当たる。正面に扉。どうやら今の牢は先程通ったときには見つからなかった隠し扉の向こうにあったらしい。ちょうど鍵がかかった階段の扉がそこにあった。
 再び鍵開けの呪文を唱えて扉を開ける。今度もスライムが降ってくる。が、二度目である。すでに構えていた剣で持って両断すれば、剣の炎に焼かれてすぐさま縮んで果てた。
「それは魔法の剣ですか、カロリナ?」
 背後から覗き込むようにしてリオンが問う。振り返ればいささか自分より高い位置にある頭が不愉快だ。
「カロリナって呼ぶんじゃねェって言ってんだろうが、ボケ」
「そうは言いましてもねぇ」
「……カロルだ」
 名乗りたくなどないのに名乗る羽目になった。それでも女名前で呼ばれるよりはずっといい。不機嫌にカロルは言い、真正面に向き直る。
「炎を呼び出して硬化させる。剣と言うよりは物質化した炎だな」
「なるほど」
 うなずく気配に、どうにもわかっていて問われたような気がしてならない。思わず振り返ればいつの間にか横に立っている。気配の掴みにくい男だった。
「テメェ、ほんとに神官かよ」
「なんでです?」
「そんな物騒な得物持ってるくせに殺気もさせねェ。使えねェとは言わせねェからな」
「言いませんよ」
「だったらなんでだ」
「鍛錬の成果、と言って欲しいですね」
「けッ。武闘神官でもあるまいし」
 エイシャの神官がどういうものかカロルも知りはしなかった。だからあるいはマルサド神の武闘神官に相当するような位階があるのかもしれない。それにしては若い、とも思うのだが。
 部屋の奥にある階段を警戒しながら上る。もっとも歩き方を見ているだけでリオンの腕のほどは知れている。それに先程の呪文。
 あっさりと多数に向けて放った幻影の呪文があれほど効果を挙げるとは。鍵語魔法の使い手であるカロルは神聖呪文を研究したことはない。
 だからわからないのだ、とは言えるのだけれど、並々ならぬ信仰心を持つ呪文の使い手であることだけは確かなようだった。
 そっとカロルは首を振る。純粋に力の産物である鍵語魔法と違って神聖魔法は信仰心に左右される。あれだけのことをやってのけるということはそれだけリオンの信仰は篤いという証明でもあった。
「テメェ、幾つだ」
 ふと思って尋ねてしまった。気づけば自分の前を歩いている。いつの間に抜かしたものかまったくわからなかった。呆れ果てて物も言えない。
「うーん、あなたより年上でしようかねぇ」
 魔術師の年齢がわかりにくいことを知ってか知らずかリオンは首をかしげては飄々と言う。
「馬鹿言ってんじゃねェよ」
「なぜです?」
「魔術師ってなァ、普通の人間より老化が遅せェんだ」
「ではあなたのほうが?」
「テメェが幾つか聞いてねェ」
 言ったものの、確実に自分のほうが上であることは知っている。少し、楽しくなっている自分が訝しい。
「三十を少し超えましたよ」
 聞いてぎょっとした。とても見えなかった。それでも単に年齢が量りがたい男だと言うだけなのだろう。リオンは鍵語魔法も真言葉魔法も使えるようではないのだから。
「あなたは?」
 平然と問うてきた。階上の小部屋はいまや炎に包まれている。やはり幻影と真実の女神に仕えると言うだけはある。この程度の幻など彼にとっては児戯に等しいのかもしれない。
「十五のときに魔法を習い始めた。もう四十年近く前になるがな」
「とすると五十過ぎですか。ははぁ、おっさんですねぇ」
「誰がだよ!」
 あなた以外に誰がいる、そう嘯いてリオンは小部屋を抜けた。あまりに呆れてしまってつい、立ち止まってしまう。それにリオンが振り返っては手招きをする始末。これではどちらがどちらについてきているのかわからない。
「オッサンで悪かったな。どうだ、がっかりしただろ、さっさと帰れよ」
「どうしてです? あなたがおっさんでもいいですよ、顔は好みですし」
 平然とリオンは言ってのけ、それ以上のカロルの口を塞いだ。
「馬鹿だな」
 腹立ち紛れカロルはそれだけを言い、廊下を進む。先程冒険者たちがうずくまっていた場所にはかすかに血の跡が残っている。彼らは無事に塔から出られただろうか。わずかに気がかりだった。
 一つ目の火竜の像を超え、二つ目をあっさりとかわし二人は進んでいく。問題はここからだった。
「どうするよ」
 前と同じように扉を開ければまた落とし穴が待っている。二度も落ちるのは願い下げだった。
「さっき通ったときにちょっと気がかりなことがあったんです。少し待っててもらえませんか」
 そう、リオンは左手を壁につけてゆっくりと進んだ。時折、首をかしげているところを見れば何かを探しているらしい。
「あぁ、ありました」
 振り返って目を細めては微笑う。妙に人懐こい顔だった。カロルが問うより先に軽く壁を拳で打つ。と、そこに現れたのは一枚の扉。
「隠し扉か」
 階下にもあったのだからここにあるのも不思議ではない。だが、それを見つけたのが自分ではないと言うことがカロルには不愉快だった。まるでこの神官が同行するのが定めでもあったように感じてしまう。
「これで落ちなくて済みますねぇ」
 飄々と言うリオンにカロルは答えず黙って扉に手をかける。それを制してリオンが率先して扉をくぐった。
「なにしやがる」
 思わず肩に手をかけてこちらを向かせては睨みつける。
「魔術師を先に立たせるわけにはいかないでしょうに」
「前衛を務める神官ってのも聞いたこたァねぇな」
「仕方ないでしょ、二人しかいないんだから」
 あっさりと言ってリオンは自分の肩にあるカロルの手に己のそれを添える。大きくて無骨な手だった。これが治癒を得意とする神官の手か。あるいは祈りに明け暮れる神官のものか。どちらでもない。戦士の物に最も近い。不意にアルディアの手を思い出した。優しく美しい半エルフの手は、やはり戦士特有の荒れ方をしていた。
「綺麗な手ですねぇ。魔術師ってこんな手をしてるんですか」
 気づけは彼の両手に自分の手が挟まれている。呆然とした。だいたいリオンは武器をどうしたのだ、あのような嵩張る物をその辺に置くわけにもいかないのに、と見れば器用に脇に手挟んでいた。
「離しやがれ、クソ坊主!」
 罵り様に跳ね除けて剣を振る。今の今まで脇に挟んでいたハルバードが一瞬のうちに動いては、剣を弾き返す。見れば楽しげにリオンが笑っていた。




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