まるで何事もなかったよう、カロルは足を進めた。細い廊下が左手に折れている。
「舐められてんなぁ」
 最初の火竜の像は攻撃しなければ爆発することはなかった。ならば二番目もそうなのだろうと思わせてその実、近づくと火を吐く仕掛け。単純すぎて頭痛がする。
「ッたくよ。なに考えてんだ、あの馬鹿は」
 ぶつぶつと一人で苦情めいた罵声を漏らし進んでいく廊下は、先程に比べればずいぶんと狭い。ちょうど半分ほどだろうか。
 ふと足を止めてカロルは首をかしげる。それから振り返りまた前方を見る。
「こりゃ、螺旋か?」
 どうやらこの階は螺旋を描いて廊下が構成されているらしい。ずいぶんと面倒なことをする、と思うのだが、見抜いてしまえば足取りもはかどると言うもの。地図もなしに歩くのはやはり、カロルにとっても難儀だった。
 また扉がある。重厚なそれは重く簡単には開きそうにない。そっと押してみる。がつりと噛みあったそれは微動だにしなかった。
「重いだけじゃねェな」
 肩をすくめ呪文を唱えれば、カロルが押しもしないと言うのに滑らかに、まるで重さを感じさせない動きで扉は開いた。
「一々鍵かけんじゃねェよ、面倒くせェ」
 罵って足を踏み出す。と、体が揺らいだ。はっとしたときにはすでに遅い。それをカロルは悟っていた。
「ちっ」
 舌打ちひとつ。その間に体は階下へと落ちて行った。
 背中がずきりと痛む。確実に一階分は落下したらしい。魔法の明りを飛ばして辺りを窺えば、見えるのは鉄格子。
「ぬかったぜ」
 火竜の像を単純極まりない、と馬鹿にしていた自分が簡単な罠にはまってしまった。そのことが意外なほどに悔しかった。
「あのぅ。降りていただけませんかねぇ」
 不意に聞こえてきた声。それはカロルの体の下から聞こえた。
「あん?」
 見ればどうやら先に囚われていたらしい人物の上に落下したらしい。どうりで背中が痛む程度で済んだはずだとカロルは内心にうなずく。
「わりィ」
 カロルにしては素直に謝り体をよければ相手のほうが体が痛むのだろう、節々を叩いている。妙に年寄りくさい仕種だった。
「あんた、神官か?」
 薄明かりの中、堅い革鎧をまとった若い男が見えていた。その下に見えるのは明らかに神官服。喉元には見かけない聖印がある。腰に下げている小さな透かし彫りの珠が武装に不似合いだった。
 仄かな明りでは定かではないが、どうやら黒髪に黒い目をしているらしい。そのことがかすかにカロルの胸を痛ませる。
「えぇ、そうですが」
「馬鹿じゃねェの」
「なにがです?」
「神官がこんなとこくんじゃねェよ。一人で」
 どうやら辺りを見回しても彼の仲間らしき者はいなかった。はぐれたにしては態度がふてぶてしい。
「そうは言いますがねぇ。あなただって一人でしょうに」
「俺はいいんだ」
「どうしてです?」
「用事があるから」
「……とするとダムド派ですか?」
 困ったような顔をして尋ねる所を見れば彼は国王派なのだろう。だがそれにしては敵と思しき相手に対して恐怖もしていない。腕に自信がある、と言うことかもしれない。
 見れば彼の傍らに転がっているのは槍に似た長柄武器。確か城の騎士のひとりがハルバードと言っていたのをカロルは思い出す。ちょうど槍の先に斧を取り付けたような恐ろしい武器だった。それなりの技量を持つものが扱えば絶大な破壊力を発揮する。ただ城の騎士が言うには扱いにくいらしい。ましてこのような通路ばかりの場所では。だが男はそれを別段、不都合にも思っていないらしい。
「そう見えるか?」
「見えませんねぇ」
「だったら聞くんじゃねェ、ボケ」
 どうにも調子が狂いそうだった。こんな場所にこんなおっとりとした男がいること自体が信じがたい。
「ところで用事、と言いますと?」
「うるせェな、用事って言ったら用事だよ」
「うーん、教えてはいただけない?」
「別にいいけどな」
「では?」
 言って彼は胡坐をかいて肩を叩く。やはり、調子が狂う、カロルはこっそりと溜息をついた。
「馬鹿な弟子を連れ戻しに来たんだ」
「捕まっている?」
「とも言うな」
「ははぁ」
 何事かを納得し、彼は一人うなずいている。それからカロルを見やってにっこりと笑った。
「と言うとあなたはメロール・カロリナ、ですね?」
 ぎょっとして声もない。なぜそのようなことを知っているのか、そう思う。常にフードを深く被ったカロルの姿はほとんどの人間が知るものではなかった。ふと髪に手をやる。落下の衝撃でフードは肩に落ちていた。
「……テメェ、なんで知ってやがる」
「たいしたことじゃ」
「俺が聞いてんだ、吐け」
「はいはい」
 呆れたよう彼は笑い、ぐるりと首を回した。やはり年寄りじみている。
「聞く耳を持ってさえいればね、聞こえてくるものですよ。宮廷魔導師団の一員、メロール・カロリナの愛弟子が塔に囚われているというのはね」
「有名か?」
「それほどでもないでしょう」
「テメェ。なにもんだ?」
「何者と言うほどのことでもないんですけどねぇ」
「さっさと吐きやがれ」
「ただの神官ですよ」
 聞いて呆れる、とはこのことだろうか。カロルの罵声にも顔色ひとつ変えずににこにこと聞いている。あまつさえ一人で塔に挑んでいる。ただの神官など信じられるわけもない。
「最近じゃ、神官ってなァ武装するのかよ」
「マルサド神の神官は武装しますよ」
「ありゃ戦神だからだろーが」
 どう見てもマルサド神の神官ではない。まず聖印が違う。カロルはラクルーサの宮廷にいるのだ。四英雄の一人、サイリル王子がマルサド神の武闘神官であったためにラクルーサの王宮ではマルサド信仰が深かった。
「テメェは違うだろ」
「えぇ。エイシャの神官です」
「エイシャ?」
 聞き覚えがない神だった。アルハイド大陸は大小無数の神殿があり、神も無数にいる。シャルマークの大穴が塞がって以来、あちらこちらに神殿が増えたせいで、さすがにすべてを把握するのは難しい。
「幻想と真実の女神。つまり永遠の青春の女神ということです」
「わかんねェよ」
「子供ですね」
 言って彼は朗らかに笑った。罵声を浴びせようとしたカロルだが何を言っても無駄な気がして目をそらす。
「で。エイシャの神官が何でこんなとこにいるんだよ」
「我が女神はお話がお好きなんですよ」
「は?」
「エイシャの神官は旅をしたり探索をしたりするのが務めです。女神を楽しませて差し上げるためにね。ですから吟遊詩人などに信者が多いのですよ」
「てことはテメェは女神の吟遊詩人ってとこかよ」
「あぁ、ぴったりですよ、それは」
 嫌味で言ったことを納得されてしまった。カロルはあらぬ方を見つめてようやく気づく。どうやってここを抜け出すべきか、と。こんな場所で和やかに歓談している場合ではない。
「テメェがなにもんでもどうでもいいか。俺は行くからな」
「ご一緒しますよ」
「邪魔」
「そう仰らず」
「来るな」
「あなたとご一緒したらきっとエイシャの御心に適う探索ができる、と踏んでいます」
「邪魔だって言ってんだよ」
「それに……」
 聞く耳持たず立ち上がりかけたカロルに向かい、彼は言葉を切った。思わせぶりな態度に思わず顔を向けてしまい舌打ちをする。
「んだよ、さっさと言いやがれ」
「すごく好みなんです」
「……は?」
「あなたが好みだって言ってます」
 心底ぞっとした。体中に鳥肌が立っている気がする。いや、きっと気のせいではない。女名のせいで勘違いでもしているのだろうと思いたかったが、どうにもその様子もない。彼はカロルの内心を察したよう首をかしげて微笑んだ。
「あぁ、別になにをする気もありませんよ? 我が愛はエイシャに捧げていますから」
「どの口でぬかすか、腐れ神官」
「いいじゃないですか、顔の好みくらいありますよ」
「女神のお耳に達したらお怒りだろうなァ」
 苛立たしげに言うカロルだが、彼は意に介した様子もない。不意に近づいてきたかと思えば露になったカロルの淡い金髪に指を滑らせた。
「触んじゃねェ、クソ坊主!」
 払い落とせば笑っている。どうやらからかわれたらしい。そうわかったところでカロルの気の晴れようはずがなかった。
「綺麗ですねぇ」
「野郎が面ァ褒められて喜べるか!」
「うんうん、その態度も大変好ましい。それに私を連れて行けばお役立ちですよ」
「ほざけ」
 とは言ったものの、事実は彼の言うとおりだった。魔術師一人がそもそも無謀なのだが、神官がいてくれれば傷を負ったときも安心できる。小さな傷は傷薬で治すとしても血を止める程度では疲労がたまる。その点、神官による神聖魔法の治療は瞬時かつ完全に治すことも可能だ。非常に有利、と言えた。
「俺についてくると、二度と俗世に戻れねェぞ。さっさと帰んな」
 だがカロルはためらう。
「……素晴らしい」
 が、彼はうっとりと天を仰いで溜息をついた。
「あなたと二人で迷宮をさまよう。それはそれで大変、素敵です」
「人の話を聞けよ、ボケ」
「できれば名前を呼んでいただきたいものですが」
「だったらさっさと名乗れ。いや、名乗るな。ついてくんなって言ってんだろうがよ!」
「ご一緒しますって。リオンと呼んでくださいね」
「やなこった」
 これ以上会話を続けても益はなし、とカロルは彼に背を向け鉄格子に向かう。当然、鍵がかかっていた。おまけに魔封じまでされている。これでは魔法で開錠することもできないとカロルは顔をしかめる。
「カロリナ、お客さんのようですよ」
 のんびりとした神官の声にカロルははっと前方を見る。それからにんまりと笑った。鉄格子の向こう、扉が開こうとしている。
「カロリナって呼ぶんじゃねェ!」
 それから思い出したよう振り返っては罵る。魔法の明りに仄かな金髪が照り輝き、翠の目が楽しげに笑った。




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