確かめるよう扉に手をかければ、やはりしっかりと鍵がかかっていた。 「アレク王がいりゃあ簡単なんだけどなぁ。面倒くせェ」 甚だしく不遜な言葉を吐き、カロルは首をかしげる。ただ、真実でもあった。遺跡の探索者として名高かった王ならば、このような鍵を開けることなど児戯にも等しいだろう。 ゆるり、鍵を掌で撫でた。もしもここが闇の中でなく、見る者がいたならば頬を赤らめたかもしれない。そのような手つきだった。 「我が愛撫に身を委ねよ、ロー<解錠>」 詠唱と共にかちりと音がする。難なく外れた鍵ににんまりとし、扉に手をかければ軋みもなく開いた。 それが油断であったのだろうか。咄嗟に落ちてきたものをカロルはよけることが出来なかった。 「ちっ」 体についたものを振り落とす。じんわりと肌が痛んだ。 「スライムかよ!」 このような動作の鈍いものを避けられなかったとは恥とばかりカロルは手を一振りし焼き払う。 身悶えするスライムが、二つにわかれ、火を避けていた。それを蹴り飛ばして火炎の中に叩き込む。そうでもしないと危険だった。 たいして素早い生き物ではない。が、体に取り付いたら最後、その生き物を溶かして食い尽くす。そして食われたものはスライムに同化するのだ。 「ぞっとしねェな」 魔物に殺される中にあって、もっとも不名誉な死と言える。鈍いだけあって、焼いてしまえばどうと言うこともないのだから。 肌に触れた部分を見れば薄く食い破られたのだろう、火傷のような跡になっている。それに舌打ちし、荷袋の中から傷薬を探し出しては塗りたくる。 「みっともねェなぁ」 誰に見られるわけでもないと言うのにカロルは苦笑して肩をすくめた。 魔法の明りを灯してみればさして広くもない部屋だった。大きさも先程のものと大差ない。あたりを見渡せば、ちょうど部屋の中央に華奢なテーブルがある。 怪訝に思って近づけば、その上に乗っている物が目に入る。このような場所に不似合いな物。カロルは笑った。 「もうちっと考えろよな、馬鹿馬鹿しい」 吐き出すように言い、それ以上近づかなかった。 テーブルの上に乗っていた物、それは大粒の宝石だった。きらきらと薄明かりの中で輝いている。松明とは違う赤みを帯びない魔法の明りに照らされて、それは妖しく揺らめいていた。 ふと足元を探る。具合のいいことに敷石が砕けたものだろう、手頃な小石が落ちている。カロルはそれを拾ってそっと下がってはにんまりとする。 「よっと」 そしてテーブルに向かって放り投げたのだ。その瞬間だった。宝石が変化する。瞬く間に触手のような物が飛び出して小石を打った。はずが、そこには何もない。ただ塵だけが漂っていた。 「おー、怖ェの」 少しもそうは思っていない口調でカロルは言い、再び宝石に擬態した物を見つめた。 単純な罠だった。欲に駆られたものが手を出せば、あの小石のように攻撃されるだろう。いかに小石とは言え、石は石である。それを瞬きの間に破砕し尽くした物と対峙するのは賢明ならば避けるべきもの。それをわかっていて為したカロルを、見た者がいたならば目をむくに違いない。 一つ肩をすくめてカロルは歩き出した。すでに部屋の奥、階段を見つけている。暗い上り階段はそれだけで不気味ですらあった。 「さて、お次はなにかね」 まったく注意を払っているようには見えなかった。まるで城中を散歩でもしているような足取り。それでも技量を持った者が見たならば油断はしていないとうなずくはずだ。カロルは足音を立てていなかった。 上りきったそこは小部屋だった。わずかの間、敵を警戒し、何もいないと知るなり足を踏み出す。 それを狙っていたよう、炎が噴き出した。小部屋中、灼熱した炎に包まれる。カロルなどひとたまりもない。 だがしかし、彼は微動だにしていなかった。炎に照らし出された明りの中、薄く微笑さえしているではないか。 「ヘタクソ」 ぼそりと言ってなにも起きていないよう歩き出す。彼のローブは焼け焦げもしていない。となればこれは幻影なのか。だが、幻影であったとしても本人がそれを真実だと思えば傷を負う。 カロルははじめから見抜いていたのか。揺らぐ火明りに照らされて、深くかぶったフードの奥、口許が笑っていた。 部屋を抜ければ長い廊下が待っている。いささか面倒になってきた。まだ塔に入ったばかりではあるのだが、どこをどう進めばいいものかまったくわからない場所の探索である。 だから少し息を入れたいと思ったのだろうか、カロルが止まる。が、そうではなかった。彼の目は数人の人影を捉えていた。 「何者だ、あんた」 影が剣を構える。どうやら傷を負っているものがいるらしい。剣を構えたものも額から血を流していた。 「人に物を聞くときはそっちから名乗んな」 ほっそりとした姿にカロルを女と思っていたのだろう、人影が彼の声を聞いてはぎょっとしたよう顔を顰める。 「……ダムドに与する者か、国王派か。それだけ聞かせてもらえばいい」 「ま、どっちかって言ったら国王派だな」 「では、敵ではない、と言うことになる」 曖昧なカロルの物言いに不満そうな声音。それでも人影は剣を引いた。ふっと魔法の明りで彼らを照らす。率いているのは男。戦士だろう。背後に見えるのは神官に魔術師、それと深い火傷を負った戦士だろう男がもう一人見えた。 「こんな所に一人で……いや、仲間を失ったか?」 「馬鹿言ってんじゃねェ。まだ二階だぜ? こんな所でくたばるようなヤツ連れて来られるかってんだ」 鼻で笑ったカロルに傷を負っていたものがかっとする。立ち上がりかけたものを最初の男が制し苦く笑う。 「それも、そうだな」 「おい、お前ら。死にたくなかったらとっとと帰んな」 「なにを……!」 さすがに激高した仲間を今度は制することができなかったのだろう。困ったようにカロルを見ている。 「魔術師ごときに説教されるいわれはない」 「ごときたァ聞き捨てならないな。可哀想にな、あんた。仲間からごとき呼ばわりされてるぜ」 「彼は違う!」 「さぁて、どうだかな」 からかうよう言うカロルについに傷を負った戦士が剣を抜きかける。さすがにそれは先頭の男が制止した。 「あんた、ここのことをよく知ってるのか」 フードの陰でカロルが微笑った。 「それでこそリーダーだな」 「茶化すな」 「この塔に入ったのは初めてだがな、俺はここの主とは古い馴染みでね。あいつの考えることくらいは見当がつく」 「なに……!」 「だから罠がわかるって言ってんだよ、ボケ」 馴染みの言葉に顔色を変えた戦士に更なる暴言を吐き、カロルはそっと視線を巡らせる。 「お前ら、あれにかかって行ったんだろ」 そう示したのは廊下の果てにある一体の彫像。火竜を模した物だろうか、精巧なそれは炎の揺らぎまでも見えるようだった。 「そうだ」 渋々といった口調で彼らはうなずく。それからカロルはうなずき返し、ゆっくりと手を上げた。 「ただの彫像が、動いたように見えた。違うか? だから攻撃した。攻撃した途端に爆発でもしたんだろう。そっちの戦士の傷は大方そんなとこじゃのねェのか」 「……あっている」 「だろーな。で、お前らが退いたら彫像は復活、次の獲物を待ってますってわけだ。ッたく陰険なやつ」 最後の罵りは無論、塔の主に対してのものだろう。示し合わせたわけでもないのに彼らは一様に溜息をつく。 「たぶん、階層を上がれば上がるほど、お前らが死体になる確率も上がる。さっさと帰んな」 「ずいぶん優しい言い方だな」 「あん?」 「たぶんではないだろうな」 言って戦士がちらりと仲間を見る。傷を負った戦士が顔を伏せていた。魔術師ごときと侮った人間に自分が負傷した理由までも推測されてしまっては真正面から見つめることなど、とてもできないだろう。 「あんたはどこまで行くんだ」 もう帰還を決めたのだろう。妙にさっぱりとした顔をして戦士が聞く。 「行きつくとこまでだな」 「最上階と言うことか」 「ちょいとばかし用事があってな」 「ダムドを倒す?」 さらりと言った割に侮蔑は含まれていなかった。そのことにかすかにカロルは微笑する。こんな場所でもなかったならば酒の一杯でも奢りたいところだ、と。 「ついでにそうなっちまうかもしれねェ」 その言い様に、一斉に彼らが笑った。首をかしげるカロルに向かい手を振る彼らはおそらくカロルの言葉を信用できなかったのだろう。 無理もないこと、とカロルは意に介しもしない。黙って肩をすくめて別れを告げた。 「さっさと帰れよ」 「わかっている。感謝するよ、魔術師殿」 「けッ、気色わりィ」 吐き出すカロルに戦士は再び笑った。 できれば生きて帰って欲しいと思う。まだ二階。それでも罠の仕掛けられた魔術師の塔。一歩踏み誤るだけで彼らなどはすぐさま死体になってしまう。 もっともそれ以上はカロルが考えても仕方ないことだった。あとは彼らの運でも信じるよりない。廊下の果ての火竜の像をよけて進んで振り返る。 階段の部屋の前で冒険者たちが待っていた。カロルが振り返るのを。 「馬鹿ばっかだなぁ」 フードの陰から漏れる声は意外な程に温かい。軽く手を振れば振り返してくる手。そしてカロルは廊下を曲がった。 一瞬、目を疑う。振り返る。やはり同じ形の彫像だった。廊下の突き当たりに、よく似た火竜の像がある。少し離れてカロルはそれを確かめた。 「馬鹿にされてる気がしてきたな」 溜息まじり肩を落とす。そしてそのまま進んだ。進むに連れ、火竜の彫像が動き出す。前に来たときそれはかっと目を見開いた。 「イリード<護盾>」 たった一言の呟きめいた言葉。火竜が放出した炎はあっけないほど簡単に避けられた。カロルの前に出現した魔法の光を帯びた盾が炎をそらしている。 カロルが微笑んだ。手を閃かせる。と、盾が収束し、炎を跳ね返す、彫像に向かって。重い破砕音を立て、彫像は砕け散った。 |