一月の間に少しずつ情報が集まりはじめていた。とはいえ、アケルは厳しい顔を隠さない。これと言って決め手がない。ブレズがなにをしようとしているのか、現状ではまったく見当もつかなかった。 「なるほどな、八番目の王妃は――」 ラウルスがアンナから聞き取りをしていた。何を聞いてきたか、だけに注目していたアケルとは違い、ラウルスは誰がどこで何を聞いてきたか、又聞きならば誰に聞いたのか、噂ならばできる限りの出所を記す、そのような記録のとり方をする。 「お手上げですね」 アンナからの話でも、よくわからなかった。おそらくほぼすべての王妃の死因だけはわかっている。が、アケルのみはそれが表向きのものだと聞いている。 「裏がありそうか?」 「これでなかったら僕は吟遊詩人廃業ですね」 「普通の吟遊詩人ってのはこういう仕事をするもんか?」 訝しげなラウルスの、作られた声。アンナをくつろがせるためのものだとアケルにはわかっていた。お手上げだ。そう言ってしまった瞬間の彼女の落胆した表情。つまらない弱音を吐いた、そう後悔してもはじまらない。 「ラウルス。何か手はありませんか。嘆いていてもどうしようもない」 「まぁな。手、というわけじゃないが……」 「なんです?」 「本人に聞くってのはどうだ?」 ラウルスの言葉を聞き取ることができないなど滅多にあるものではない。それがいまだった。アケルは眉根を寄せ、ラウルスをじっと見る。 「意味がわかりません」 そもそも本人とは誰を指すのか。ブレズにまさか聞くわけにもいかないだろう。 「死んだ王妃たちさ」 「はい!? なに言ってるかわかってます? 普通、死人は喋りません! 聞けるものならどれだけ楽か。あなたはどうやって亡くなったんです? ブレズ王はあなたに何をしたんです? これで全部解決だ!」 「だから、そう怒鳴るな。女男爵が目を剥いてるぞ」 「私はそのようなことはしておりません。が、カルミナムンディの申すことにも一理あるかと存じますが、家宰殿」 アケルとアンナと二人がかりで冷たい目で見られてしまって、ラウルスは冗談を言った覚えはないのだが、と呟く。 「あのな、アケル。お前には耳がある。たとえば墓所で、死者の声を聞いたりはできんもんか」 言われた瞬間、アケルは黙った。それまでまだ小声で文句を言っていた彼がぴたりと。ラウルスはその姿に黙って待ったが、アンナはそうはいかない。 「なにを馬鹿なことを――。失礼、家宰殿。ですが、無茶を口になさるものです」 その場に他人がいなくとも彼女はラウルスを家宰殿、と呼ぶ。どことない他人行儀に彼女の疑念を思わなくもないラウルスだった。釈明する方法もないからそのままにしているのだが、意外とアケルのほうが苛ついていたらしい。 「グリズベリー女男爵。ラウルスが正解です。気がついた。僕にはできますね」 「なにを……」 「単純なことです。僕は単に世界を聞く耳を持っただけの狩人です。が、ラウルスは違う。彼の頭上にはかつて王冠があった。権力がどうのじゃない。彼はこの世界の王だった」 「おい、アケル――」 「王だと言うことがどういうことだかわかりますか、グリズベリー女男爵。彼にとって、すべての人々は我が子同然と言うことです。我が子のことがわからない親はいない」 「いいからアケル。結論だ」 「要するに、霊廟に行きましょう。聞けばわかるっていったのはあなたですよ!」 「あいよ。だったらそのように。で、どういう理由で俺とお前が王家の墓所に行く?」 アンナもどうやらアケルが不快になったらしいことくらいは見当がついた。だが理由まではわからない。ラウルスがそれをたしなめ、二人の間ではすでに決着を見たことも。小さく頭を下げればラウルスの目が笑った。 「そろそろ妃殿下もシャルマークの地に落ち着かれたころです。が、色々とお忙しくていらっしゃる」 忙しいと言うより疲労困憊している、主に精神の面が。夜な夜なブレズのあの訪問を受けていればたまらないだろう。 「ですからね、ラウルス。あなたは妃殿下の庶出の伯父ということになってるんでしょう? 庶出の伯父様が、妃殿下に代わってシャルマーク歴代国王陛下並びに妃殿下にご挨拶をする、というのはさして不自然な提案でもないかと存じますが、我が王?」 からかうアケルにラウルスは溜息をつく。不自然どころか自然極まりない。いつの間にこのような手段を手に入れたものか。 「あなたと付き合っているとだんだん良くない手口を覚える気がしますよ、僕は」 「まったくもって反論のしようがないな」 「それでも別れる気はないですけどね」 にやりと笑みをかわす。途端にアンナが声を荒らげた。二人揃って飛び上がるものだから、先ほど感じた申し訳なさが飛んで逃げていく。 「なにを馬鹿なことを言ってらっしゃるのですか! 姫様は――」 「わかっている。女男爵。すぐに手を打とう、アケル。行くぞ」 「はい、ラウルス。ではちょっと行ってきます、グリズベリー女男爵」 叱られるのを避けようとしているとしか思えなかった、アンナは。だが最低限の仕事はするだろう。かすかな溜息は、空虚な室内に溶けていく。 「お母さん?」 入れ違いに戻ってきたエレナが声をかけるまで、アンナはそうして座っていた。黙って首を振り、手仕事を持ってくる。緻密で鮮やかな刺繍だった。ロサマリアの名にちなんだ薔薇模様が半分がた埋まっている。すべてを刺し終えたら姫様に差し上げよう、少しでも喜んでいただけるように。アンナはそれだけを考えて手を動かした。 一方二人はなんの妨害もなく王家の霊廟へと入り込んでいた。アケルが作った言い訳が効いたらしい。ブレズ王からは殊勝なこと、と王妃の代理人に対して褒詞があったほど。 「ここでいいか?」 「いいですけど、本当にここ、霊廟なんですか?」 アケルの疑念ももっともだった。廟と名がついていても、事実上そこに建物はない。王城の裏庭にあたる静かな場所が王家の墓地となっていた。 「普通は石棺に遺体を納めて廟に祀るもんなんだが……」 「昔は、そうでしたよね」 アケルが指しているのはアルハイド王家の霊廟だろう。ラウルスは黙ってうなずく。 「ティリアだよ。まぁ、ティリアの息子と言ったほうが正しいか。あるいは、メレザンドかな」 「え――」 「あの娘を暗く寂しいところに葬るのが嫌だったんだろうさ。あれは、母親に似て草花が好きだったからな――」 だから当時は中庭であったこの場所が選ばれた。冬を除いては花々が絶えないこの庭が。冬は冬で美しく雪が積もるこの庭が。 「まず、姫様にご挨拶をしましょうか」 ラウルスの返答を待たず、アケルは建国女王の墓碑へと足を進めた。眠りを乱すまいとアケルは語りかけはせず歌う。ここにこうしてあなたのお父上は生きて元気に過ごしておいでだと。昔の約束を思い出す。 ――お父様をよろしくね、アクィリフェル。 その約束の言葉がアケルの耳に蘇る。まるでいま再び語りかけられたかのように。歌の間、ラウルスがそっぽを向いていたのもアケルは聞いていた。ティリアを思う父の心すら間近に感じる。 「もう、いいか」 歌が切れてしばしの間、まだ墓碑の前に佇むアケルにラウルスは無言だった。アケルが大きく息をしたとき、ようやく声をかける。 「えぇ。次行きましょう。仕事です」 「おうよ」 「ラウルス」 「なんだよ」 「正解でした。――言うには、ためらいがあるんですけど。姫様のお体があそこにある。それが聞こえました。魂は、僕らが疾うに知るように生まれ変わってますから、姫様ご自身ではない。姫様のお体が語る言葉、とでも言うのかな。巧く言葉になりませんけど」 「あれは、なんて言ってた?」 「お父様をよろしく。僕には、そう聞こえました」 ラウルスは答えなかった。黙ったままアケルの肩を抱く。縋るように、耐えるように。アケルもまた無言だった。次の墓につくまでは。 「……一人でずいぶんと墓を増やしたもんだな」 ブレズを指してラウルスが皮肉に言う。それで自分を取り戻したつもりだろう、彼は。アケルは違いを聞き取っていたけれど、あえてそれを指摘するほど不器用でもない。 「これ、全部そうだよな?」 「たぶん。そっち見てまわってください。僕はこっちから見ていきます」 あいよ、と気軽に片手を上げ、ラウルスが周囲を巡っていく。ちょうど円を描くように墓はあった。途切れた部分でアケルに合流すれば、彼も同じ結論。 「なんか、変だよな?」 「これ、死者があと一人ってわかってるような、そんな作りですよね」 「ロサマリアで完成、というところだな」 「問題は何が、ですよ。何が完成するんです?」 「墓で作った円が。――待て、わかってる。そんなことでごろごろ殺されたんじゃたまらん」 「わかってるなら言わないでください!」 憤然と言って、恐らくはロサマリアのために空いているのだろう円周の途切れた部分にアケルは膝を組んで腰下ろす。リュートを構えれば、どこからどう見ても吟遊詩人。亡き王妃に捧げる哀歌、というところか。アケルの音楽に耳を傾けるラウルスだったが、アケルの顔色は刻々と酷くなっていった。 時折顔を上げて墓を見る。歌っている最中に、そのように体を動かすこと自体がまず尋常ではない。彼の歌は世界の歌。歌っている間、アケルはこの世界そのものだ。体など、二義的なものに成り果てる。だからこそ、おかしい。 「アケル――」 呼び声と同時にアケルがリュートを止めた。ふり仰ぎ、ラウルスを見つめた目にはあからさまな動揺。 「誰もいません」 「うん?」 「ここには、誰一人として葬られていない……」 「おい」 「念のため、大地にも虫にも鳥にも木々にも草にも歌った! 誰も王妃たちを知らない……。どういうことだ、これは」 アケルがふらりと立ち上がり、墓が描く円の中へと入り込む。無意識のなせる動作だっただろう。あるいはだからこそ。中心でぴたりとアケルは止まり、ラウルスを振り向いた。その顔は紙よりも白く血の気を失っていた。 |