翌朝、アケルとラウルスは常のように王妃の居間で待っていた。すでにアンナとエレナも控えている。待つほどもなく、扉が開き満足げなブレズが姿を現した。
「陛下にお目覚めのご挨拶を」
 典雅な吟遊詩人らしい語調と仕種でアケルが礼をする。侍女たちはそれらしく、ラウルスは家宰として威厳と丁重を兼ね備え。毎日の光景だった。ブレズはそれにも満足そうに微笑み、ちらりと寝室を振り返る。
「おはよう。王妃はいささか疲れているようだ。もう少し朝寝をさせてやるつもりだ。そう心得るように」
「は――」
 家宰が答える声にブレズは無造作にうなずき廊下への扉の前に立つ。アケルが開けば何を言うでもなく消えていく。廊下にはすでに王の侍従が待っていた。
 誰からともなくほっと息をつく。ブレズは確かに国王だ。威もあれば鷹揚でもある。だが違う、とアケルは思う。真の王とはあのようなものではない。ただ一人、アケルが真の王と思う男は消えたブレズの姿を見ていた。
「ちょうどいい。少し時間をください」
 アケルの声にラウルスが振り返る。言われた侍女たちは不思議そうにアケルを見やった。
「妃殿下をお救いするために、あなたがたの力が要ります」
 その言葉に、侍女たちの顔が真剣になる。ロサマリアが休んでいるのを確かめて、四人はその場に座った。珍しくラウルスが淹れた茶を前に、アケルは話し出す。
「――いまはまだ、僕の勘の類としか思えないことなので、詳細は省きます。お二人には、先の王妃様がたがどのような亡くなり方をしたのか、探ってほしいんです」
 勘の類などとんでもない、ラウルスは思っている。アケルには事実、真実だ。だがそれを説明する手立てがなかった。
「……それが、姫様のお心を慰めることになりますのか」
 アンナの沈んだ声は、昨夜もまた彼女が痛手を受けたことを語っている。乳母としてはやりきれないことだろう。
「いいえ」
 首を振ったアケルに、ならばよけいなことをしている暇はない、アンナはそう言った。無論、娘のエレナも。いまは二人ともが全力を尽くしてロサマリアを慰めていた。
「お心を慰める役には立たないかもしれません。まだ、わからないと言うのが正直なところです。ですがグリズベリー女男爵」
 吟遊詩人の貫く眼差しにアンナは射抜かれた。以前、アデルハイト女王が彼を狩人、と呼んでいた。正にこれは狩人の目、そう思う。
「妃殿下の――お命を救う可能性は高まります」
 エレナが小さく悲鳴を上げた。娘をたしなめるアンナは真っ直ぐとアケルを見る。わかっていたことだった。シャルマークが危険だとは。だがこうして口にされれば青ざめると言うもの、エレナのように。しかしアンナはきつく唇を引き結んだだけ。
「承りましょう」
 頼もしい言葉にほっとアケルが息をつく。ラウルスもまた強張りを解いていた。
「ではグリズベリー女男爵は、下級貴族の女性をあたってください。エレナさんは侍女たちを」
「俺は?」
「貴族を誑し込んでくださいよ。あなたなら男でも女でも好き放題でしょう」
「お前なぁ……」
「人あしらいがお上手でいらっしゃるから、と褒めたつもりですが? 我が王?」
「褒めてるように聞こえないっつーの」
 ぼやくラウルスにエレナが微笑む。アンナまでもが表情を和らげた。二人の狙いどおりに。あまりにも硬くなられては、ロサマリアの周囲が先の王妃たちに興味を持っていると触れ回るようなもの。そのあたりを二人に注意すればしっかりとうなずき返してくれた。
「では、時間を見て。ですができるだけ早く探ってみてください」
「あなたはどうなさるのですか、カルミナムンディ」
「僕は――非常に不本意ですが、手あたり次第、誰彼かまわず、ですね」
 渋い顔のアケルにラウルスが大笑いをした。ラウルスはそうすることでアケルを慰める。彼がそのような手段を嫌うことを知っている男だった。
「どういうことですか?」
「この男は――」
 ラウルスがちらりとアケルを見やって微笑んだ。肩をすくめるアケルを抱き寄せて撫でてやりたくとも、人目があるいまは自重すべきだろう。思った途端、凄まじい目で睨まれた。
「吟遊詩人だからな、女男爵。吟遊詩人と言うものは語って騙ることが仕事だ。騙してすかして話を聞き出すくらいお手のものだろう」
「嫌な言いかたしないでください。本意じゃないんだ!」
「だが姫の命がかかってる」
「だからやるんです。ほら、もういいでしょう。働きますよ!」
 アケルの言葉に二人の侍女の口許がほころんだ。出会ってさほど時間が経っているわけでもないロサマリアを本当に思う彼らの心が染み通る。
「ではまいりましょう。エレナ、あなたは姫様のお目覚めをお待ちするように。お目覚めになったら私と代わりましょう」
「はい、アンナ様。お気をつけて」
「あなたに案じられるほどまだ耄碌してはいませんよ」
 ふん、と鼻を鳴らすアンナにラウルスが忍び笑いを漏らした。侍女として上役を敬うエレナと、母として娘を気遣うアンナ。よい母娘だと思う。
「ラウルス、待機してください」
「あいよ。気を付けてな」
「僕が、何に気を付けるんです?」
 にやりと笑ってアケルはさっさと出て行ってしまった。エレナは少しばかりほっとする。他の侍女たちに聞かせられる話ではない。だからこそ、自分一人でここで王妃を待つのかと思えば不安だった。
「刺繍でも持ってきたらどうだ? 手仕事をしていると気が紛れる、と聞いているが」
「どなたにです?」
 悪戯っぽいエレナの言葉にラウルスは肩をすくめて答えない。母のアンナはいまだ彼がアルハイド王であったと言うのが信じがたいらしい。だが娘のエレナは信じている。いまの世にはいない王の姿を見る、そんな気がする。それでもこうして気安く接してくれる彼が心の底からありがたかった。
 本来ならば自分の書斎で片づけるべき仕事をラウルスもまた用意していた。ブレズ王にはすでにその手腕を褒められている彼だ。元々王妃に下された所領にはいささかの問題があったらしい。だがラウルスは王妃の家宰としてあっさりとそれを片づけている。アケルにとっては当然のことだったが、アンナにとっても意外だったらしい。
 しばらくの間、無言で互いに仕事をしていた。エレナのそれは仕事と言うよりは手すさびのようなものではあったが。ふと、音がした。
「まぁ、王妃様。おはようございます。ご機嫌はいかがでいらっしゃいますか」
 刺繍を投げるよう置いてエレナが飛んでいく。ロサマリアは傍目に見ても憔悴していた。エレナの声に軽くうなずき、目を伏せる。
 それからしてまず尋常ではなかった。ロサマリアはまだ夜着姿と言ってもいいほど。さすがに上着を羽織ってはいたが、いくら家宰とはいえ夫でもない男の前に出てくる恰好ではない。
「エレナ。姫がお風邪を召すといけない。まずお着替えを手伝ったらどうだ」
 ラウルスに言われてはじめてエレナもその事実に気づいたのだろう。さっと顔色をなくしてロサマリアを寝室に連れ戻す。
「さすが、乳母子。遠慮がないな」
 くすくすとラウルスは一人笑っていた。乳母の乳で育てられれば、乳母の実の子とも親しくなる。ラウルスにもかつてそのような相手がいた。王位に就く前に、事故で死んでしまった男だったが、気持ちのいい男だったと思い出す。そうするうちに、体を締め付けないゆったりとしたドレスに身を包んだロサマリアが再び出てきた。
「家宰様、妃殿下のお相手を務めてくださいますか。私はご朝食を用意してまいりますから」
「承りましょう。妃殿下、こちらへどうぞ」
「えぇ……」
 ラウルスが差し出す腕に軽く手をかけたロサマリアを認め、エレナは飛んでいった。よほど案じている。その姿にロサマリアがまたうつむく。
「姫。あなたのために皆が一生懸命だ。あなたは一人ではない。陳腐な言葉だが……そう思えば多少は違うかな?」
 座らせて、その顔を覗き込むラウルスをロサマリアはじっと見ていた。みるみるうちに涙がたまる。ラウルスは慌てず騒がず手巾で涙をぬぐってやった。
「アケルが、あなたを助けられるかもしれない手段を見つけた。というより、手掛かりはわかったから、いまなんとかしようとしている。女男爵も手を貸している。彼らが戻ったら、今度は俺とエレナが出かける手はずになってる。もう少しの辛抱だ」
「――はい」
 きゅっと唇を噛むその姿。頼りなくて、儚げで、いまにも枯れてしまいそうな花のよう。ラウルスは気づかれないよう背後にまわした手で拳を作る。あるいは。もしかしたら、亡くなる前のティリアはこのような姿だったのか。不意に思ったせい。ラウルスが想像を巡らせるより先、エレナが戻ったのは幸いだった。
「召し上がるといい。少しでも食べなくてはいけない」
 嫌がるロサマリアに、ラウルスは果物を剥いてやる。すでに丁寧に飾り切りが施された柑橘だった。その厚い皮を取り去り、一口に入るほどの大きさに切り分けてやる。それから笑顔で彼女を見つめた。
 しばしの間二人、見合っていた。エレナが緊張を隠せない呼吸をしている。どれほど経っただろう。おずおずとロサマリアが果物に手を伸ばした。ゆっくりと口に入れ、噛みしめる。物を味わうのは久しぶりのような気がした。柑橘のさわやかな香りに心が和む。
「……なんだか」
「うん?」
「もしも、私に優しいお父様がいらしたら、こんな感じかしら。そう、思って」
「俺でよければ代わりをするよ」
 にこりと微笑むラウルスに、ロサマリアは今日はじめて笑みを見せた。エレナがほっとしたと同時に嬉しくなったのだろうはしゃいだ声を上げ、茶を淹れる。
「さぁさぁ、王妃様。お好きなお茶ですよ。そろそろ少なくなってきましたからね、お祖父様に送っていただかなくちゃ」
 ミルテシアから持参した彼女好みの茶は、ラウルスの心を刺激した。匂いの強い香草茶。昔ティリアが好んでいたものとは違う。だがなぜかあの茶の香りを思い出していた。




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