それから数日を経て三国会合はつつがなく終了を見た。それならばはじめからもう少しゆっくりとミルテシアを出ればよかったようなものだったが、王妃がのんびりとお出まし、というわけにはやはり行かないのだろう。アケルはそう思う。
「そろそろですよ、姫様」
「わかってるわ。落ち着いてちょうだい、アンナ」
「あれ、わたくしは。姫様こそ」
 言いつつどう見てもエレナは母のほうがおろおろしているように見えて少し笑ってしまう。もうすぐだった、シャルマーク王ブレズが花嫁に会いにくるのは。緊張した空気を和ませたいとエレナがアケルに演奏を頼もうとした時、扉に音。ひっとアンナが息を飲む。が、すぐさま立ち直って侍女の一人に扉を開けさせた。
「ブレズ陛下並びにアデルハイト陛下のお越しにございます」
 侍女が告げたとき、すでにその場の全員が立って王を迎えていた。恭しく頭を下げる侍女たち、侍女頭のアンナ。無論、ラウルスとアケルも。そして優雅に腰をかがめるロサマリア。
「はじめまして、花嫁殿。ブレズです」
 声にアケルは危ういところで顔を顰めるところだった。あまりにも印象が違った。ロサマリア以前に十一人もの王妃がいたとはとても思えない柔らかな面差し。体つきもどちらかと言えばほっそりとした、美しい王だった。そして何よりまだ若い。
 だが声の響きがことごとくそれを裏切る。紛れもない悪寒をアケルは聞く。あの響きを。混沌の声を。
「ロサマリアにございます、陛下」
 改めて礼をするロサマリアの手を取り、助けて王は彼女に腰下ろさせた。その仕種も優しく穏やかそのもの。アンナがほっとした気配がした。
「どうか固くならないでください、我が王妃よ。あなたは私の花嫁なのだから」
「はい――」
「彼らを紹介してくださるかな?」
 王の目が辺りを見回す。当然にして侍女のことではない。ラウルスとアケルだった。それに目を留め口を出したのはアデルハイト。ロサマリアは所詮、男爵令嬢でしかなかった女性だ。夫とはいえ初対面の国王に気軽に接せよと言っても無理だろう。助けの手にロサマリアが目許を和ませた。
「彼はヴァリス侯爵の庶子、ラウルス・アンセル子爵だ。ロサマリア王妃の家宰を務めている。王妃も伯父が傍におれば心安くすごせることだろう」
 言われたラウルスはもったいないお言葉、などと呟きつつ頭を下げて見せる。あまりにももっともらしくてアケルなど嘘くさく感じるのだけれど、どうやら周囲はそうはとらなかったらしい。
「こちらは吟遊詩人のアクィリフェル。当代のカルミナムンディだ。羨ましいな、ブレズ王」
「ほう、なんと! カルミナムンディか……。その上、見目麗しいときている」
「残念だったな、ブレズ王。カルミナムンディはアンセル子爵の伴侶だよ」
 にやりと笑うアデルハイトと並ぶと、どちらが男性かわからないほど優しげな笑みのブレズが困ったような目で花嫁を見る。
「誤解しないでください、ロサマリア。私は美しいものが好きです。が、愛でると言うことを楽しむだけなのですよ」
「はい――」
「まだまだ緊張しているようだな、王妃? どうだろう、ブレズ王。なにもここからこの可愛い人を攫って行こうと言うのではないのだろう? わたくしはこの人が妹のように可愛いのだ。少し身内でおしゃべりをしてもいいだろうか?」
「もちろんです、アデルハイト女王」
 にこりと笑ったブレズが潔く退出する。その姿の清々しさに侍女たちがほっと溜息をつく。なんと羨ましい王妃様、そんな呟きまで聞こえた。
「さぁ、お前たち。身内の会話だと言っただろう? ゆっくりとさせておくれ」
 笑いながら言ったアデルハイトの言葉。侍女たちがくすくすと笑みをこぼしつつ部屋から出て行った。だから誰も気づかなかったらしい、彼女が人払いを命じたのだとは。さすがだ、と小声で言うラウルスに、アケルもうっかりうなずいてしまった。それを見咎めた女王がじろりと睨んでくる。が、悪戯半分だったらしい。
「さぁ、ロサマリア。緊張しないで。と言っても、すぐ気軽にしろと言っても無理かな? ところでアクィリフェル。何か演奏してくれないかな。聞き耳をたてられて喜べる習癖を持っていないのだ」
「――心得ました、陛下」
 一瞬言いよどんだのは笑いをこらえきれなかったせい。うつむいたアケルの口許がひくりひくりと痙攣していた。ラウルスもまた、腹に最大限の力を込めて笑わないよう鋭意努力中。ただその中でも思ってはいた。アケルの音楽があれば、盗聴など完全にできようもないと。アデルハイトとしては音で会話を誤魔化したい程度のことだったのだろうけれど。
「さてロサマリア。率直なところを聞かせてほしい。ブレズ王をどう思った?」
 ロサマリアが高位の貴族の娘であったならば、ここは言葉を濁して済ませた。あるいは、アデルハイトに彼女もまた姉に寄せるような思いを抱いていなければ。
「どうぞお怒りにならないでくださいませ。私……怖くて……」
「なんと姫様! あんなにお優しくていらっしゃったものを」
「わかっているの、アンナ。でも、私……」
 ほろほろとアケルのリュートが響く中、ロサマリアは怯えていた。ラウルスはそんな彼女を黙って見ている。勘の良さは誰譲りなのだろうと思いつつ。
「アンナだったね? 実はわたくしも同感なのだ」
 アデルハイトの言葉に乳母が言葉を失う。おろおろと辺りを見回し、娘を見る。エレナもまた首を振って戸惑っていた。
「ふむ。――ところでアウデンティース王、あなたはどうご覧になりましたか」
 言われた瞬間、ラウルスは咳き込みそうになった。うっかり返事をしそうになるほどなめらかなアデルハイトの言葉だった。
「わたくしが気づかなかったとお思いか? いや、実は気づかなかったのだがね。城に戻ってからどこかで見た顔だと気にはなっていたのだが……」
 腕組みまでして見せるアデルハイトにラウルスは唖然とする。彼が、というよりその場の誰もが。アケルすら例外ではなく。
「古文書の中で見た、と気づいたのは城を発つ前日だったよ、アウデンティース王」
「……古文書?」
 諦めて天を仰ぐラウルスにアデルハイトがからからと笑う。ちらりと見やれば悪戯っぽい顔をしていた。
「我が建国王ルプス様はあなた様がお子、よもやお子のご趣味をご存じないとは言わせませんぞ」
「……そーいや、あいつは絵が趣味だったわ」
 長々と溜息をつき、礼儀もへったくれもあるものかと女王を前にしてどさりと腰を下ろす。それを彼女は咎めなかった。どころか大笑いしていた。
「中々素晴らしい絵でしたよ、アウデンティース王。実にそっくりだ」
「焼いてくれ、頼むから!」
「とんでもない! 我が祖の絵画ですぞ」
 渋い顔をするアデルハイトにロサマリアが小さな小さな笑みをこぼす。もしかしたらアデルハイトよりなお渋い表情のラウルスを見たせいかもしれない。
「ずいぶん長生きだな、アウデンティース王」
「それで済ませる感性がわからんが」
「意味のわからんことをごちゃごちゃと考えるのは性に合わん」
「実に男らしい性格で何よりだ」
 彼の嫌味にアデルハイトが優雅極まりない会釈をする。やればできるがしたくない、というところかとアケルは納得して笑いを噛み殺した。
「あなたもだぞ、狩人」
 アデルハイトは奇跡だった。ラウルスは思う。奇跡以外の何物でもないと。アケルが音を外していた。
「なんですって!?」
「狩人、と言ったよ。赤毛の方」
「それも……ルプス殿下が」
「いや、ラクルーサのケルウス王の手記だったかな? アウデンティース王の側にいる赤毛の男と言ったら例の狩人だろうと見当をつけたまで」
 がっくりと肩を落とすアケルをロサマリアがくすりと笑う。緊張がほぐれたならば何よりだ、と皮肉に思いつつアケルもまた諦めて腰を下ろした。
「誰だ、こんな女に王冠を与えたやつは」
 聞こえたぞ、と言わんばかりに眉を上げて見せてアデルハイトはラウルスを睨む。アケルは頭を抱えて溜息もつけない。そしてアデルハイトは偉大だった。一連のやり取りなど無視して微笑む。
「さてお二方。なぜロサマリアの側についているのか聞かせていただけると信じているが?」
「それが信じているって顔か? こっちが喋らなかったら大陸中に触れ回ってくれるって顔だろうが」
「おぉ、なんと悲しいことを仰せか。信頼ほど大切なものはないと言うのに」
 大袈裟なアデルハイトに、ついにロサマリアが笑い声を上げた。それにちらりと笑みを送るから、本当に強張った彼女の心をほぐしてやりたいとは思っていたらしい。
「実に白々しいぞ、アデルハイト女王」
「なにせ祖父がさっさと王冠を被りもせずに放り出した故な。女二代で王冠継げば否が応でも世故長けるわ」
「なるほどな。一理は認める。あなたが祖父君の行方をご存じないとは思えんがな」
「無論知っているよ。戻ってくる気がないこともな。ふむ、あなたもご存じだったか」
「知っているとは言っていない」
「知らないとも言っていなかったがね。アウデンティース王」
 アデルハイトの勝ちだった。ラウルスが敵うはずもない相手のようアケルには思える。そして彼がそれを嫌がっていないこともまた。
「ミルテシア女王陛下。我々は、かつての大異変の残滓を追う者。他にも色々してはいますが、そういうことです」
「現時点で色々の内容は問わないよ、狩人殿。むしろ大異変の言葉がわたくしには恐ろしい」
「怖がってください、目一杯。心の底から。あれを僕らはこの目で見ています。怖がる程度では足りないことも。そこで女王陛下」
「シャルマークに、気を付けてくれ」
「どういうことだ、アウデンティース王」
「そのままだ。俺にもアケルにも詳細がわかっているわけではない。何が起こるかなんぞわかってるはずもなし。ロサマリアは守る。できるだけ人々も守る。が、あなたにも気を付けていただければこんなに助かることもない」
「なるほど――」
「万が一の際には、アデルハイト女王。ロサマリア様をお頼み申し上げます」
「頼まれるよ、狩人殿」
 力強い笑みだった。心を鷲掴みにされるような。ラウルスがほっと息をつく。アケルが微笑む。アデルハイトの眩暈のような、美しい響き。
「どうした、狩人殿」
「――なんと頼もしいお方かと思って。ラウルスより先に会っていたら惚れたかも」
「おい!?」
「妬かないでください、こんなことで!」
「先に言ったのお前だろ!?」
 口々に言い合う二人にアデルハイトが肩をすくめる。普段からこうなのか、とロサマリアに問うような眼差しを送れば、彼女も沈痛な表情で応える。そして二人、顔を見合わせて同時に吹き出した。




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