ハイドリンに到着したのはすでに夕刻だった。二人こそ旅慣れていたけれど、ロサマリアは違う。さすがに顔色がよくなかった。
「少し、外に行ってきたいんですが……」
 アケルの言葉に休んでいたロサマリアが顔を上げる。どこに行くのだろう、と疑問に思ったことだろう。だがそれ以上に反応したのはアンドレイだった。
「どこにだね?」
 質問が少しばかり素早すぎた。これではミルテシア女王の密偵かと疑っているようなものだった。ラウルスが気づいたことにアケルが気づかないはずもない。が、彼は顔色一つ変えずに微笑む。
「古代の石碑があるんです。僕は、吟遊詩人ですから……。よかったらアンドレイ卿、ご一緒なさいませんか?」
「石碑――。ふむ。同行しようか」
「では妃殿下、少しお暇をいただけますか」
 かまわない、とうなずくロサマリアを横目に、ラウルスが席を立とうとする。それをアケルは笑って止めた。
「あなたは遺跡がお好きじゃないでしょう? いいですよ、ご休憩なさっていらっしゃればよろしい。アンドレイ卿はご興味がありそうですしね」
 それはロサマリアにはこう聞こえただろう。護衛が二人ともいなくなるのはよくない、と。だがラウルスには違う言葉に聞こえた。
「では行ってまいります」
 アケルの背中を苦笑で追う。そのまま見送るだけではなく、いまからでも追いかけたかった。
「伯父様?」
「いや……。すまない。気にしなくて――」
「よいようには見えませんから伺っているんです。ご自分のお顔がご覧になれればよいのに」
 厳しい言葉とは裏腹の柔らかな笑み。ふと懐かしい娘を思い出す。それに首を振るラウルスにロサマリアが頬を膨らませた。
「姫様。なんと言うお顔をなさるんですか」
「アンナ、見逃してちょうだい」
「母が見逃しても私が見ていましたよ、姫様」
「エレナまで……。私がくつろげるところはないのかしら!」
 笑う女たちの中、ラウルスは一人遠くを見やる。アケルの目的地がラウルスにはわかっていた。
「伯父様?」
「ラウルス卿。お話になれることならばお口になさった方がよろしいかと存じますよ。姫様は詮索好きでいらっしゃいます」
 からかうような乳母の声にロサマリアが抗議の声を上げ。それすら華やかだった。
「――アケルは、俺の妻の墓参りに行ったのさ」
 う、と声を飲んだのは若いエレナ。確かに今の言いようでは返す言葉などないだろう。己で気づいて苦笑する。
「あれは、いつもこのあたりを通るときには墓参りに行ってるよ。たいていは俺も一緒だがね」
「なんと申し上げればよいのか……」
「うん? アケルは気にしていないみたいだ……と言うより、妻が俺の元にきたときにはあいつはまだ生まれてもなかったしなぁ。死んだときですらまだほんの子供だっただろうしな」
「ラウルス卿。それは――」
「いいえ、アンナ。私、聞いたことがあるわ。アルハイド王家はずいぶんと長命だったのだって。確か、お祖父様が持ってらしたご本に書いてあったの」
 そのとおり、とでもいうようラウルスはうなずく。同時にジュラールがどれほど勉学に励んだのかと思えば微笑ましい。政治向きではない、そう言われてのち、彼は学問に打ち込んだのだろう。
「大異変のことは、知っているな? この三叉宮は、昔アルハイド王家の城があった場所だ。大異変で崩れて、当然王家の霊廟もなくなった。石碑を立ててくれたのは、名も知らぬ民たちさ。――ありがたいことだよ」
 だからそこに王妃の亡骸はない。ただ墓と言っても石碑があるだけ。そこに旅の途次、アケルは立ち寄っては様々なことを語るのだ、とラウルスは言う。それからロサマリアを和やかな目で見やっては小さく笑う。
「王妃は、名をロサと言ったよ」
「え――」
「ロサ・グローリア。ちなみに娘は、亡くなった母を偲んで母の名を自分のものにした。ティリア・ロサ。シャルマークの女王だ」
 言われなかった言葉がロサマリアにはわかったのだろう。ほんのわずかばかり青ざめる。
「ですが、ラウルス卿。あなたがたの娘、と以前おっしゃったではありませんか」
 アンナの言葉にラウルスはうなずく。それからただの他愛ない雑談なのだと知らせるよう、くつろいだ笑みを見せる。
「娘の生まれ変わりはあなたがはじめてではないよ、ロサマリア姫」
 それだけでラウルスは言葉を止める。それ以上は彼女が知る必要はないと。ラウルスはアケルの心情を慮っただけだ。いまでもまだ、彼にとってシェリを亡くした痛みは強い。自分がティリアを思うように。
 わからないなりに、聞いてはいけないことだと悟ったロサマリアはやはり賢い娘だった。彼女とアンナ、そしてエレナを交えての会話はまるで少女たちのよう。ラウルスは昔シェリが友達と話していた場面を思い浮かべては苦笑する。
「ただいま戻りました」
 ちょうどアケルが戻ったのはそんな時だった。彼は三人の女たちを見るなり目を細める。ラウルスと同じことを思ったらしい。
「アンドレイ卿は?」
「お疲れになったようで少しお休みになるそうですよ」
「お前、何かやったか?」
「とんでもない。ただ、色々と喋り倒しただけですよ?」
 長の年月、蓄えに蓄えた伝説に巷説。アケルが本気になって語れば一晩ではとてもすまない。それを滔々と聞かされたのだろうアンドレイ卿が哀れになり、だがラウルスは吹き出していた。
「すまん」
「いいえ。ご機嫌伺い、してきましたよ。今度は、一緒に行きましょう」
「あいよ」
 二人のやり取りにロサマリアが複雑な顔をし、アンナが吹き出す。それにアケルはラウルスが喋ったであろうことを悟った。
「どこまで話したんです?」
「ま、だいたい?」
「だったら――妃殿下。僕は自分が生まれる前のことを気にしても仕方ないと思うんです。それだけなんですよ」
「でも……なんとなく、微妙な気はしない?」
 思えばロサマリアはこれでも新婚の花嫁。かつ、自分の前には十一人もの王妃がいたのだ、夫には。はたと気づいてラウルスは膝を叩きそうになる。
「僕が気にしない、と言ったのは本当ですよ? ただ、妃殿下は気になさっても不思議ではないと思います」
「なぜ?」
「一つには、僕はロサマリア様ではないから。僕が感じたことをあなた様が感じることはないんです。それと――それこそなんとも微妙な話題ですけど」
 乳母殿に詫びるような目をした後、アケルは言葉を続ける。それでアンナにはわかっただろう。
「僕はこれでも立派な男なので、いくらどうしようと子を産むことはありません。産みたくもないですが」
「お前が産んだ娘だったら俺、絶対溺愛しただろうけどなぁ」
「ラウルス……。自然の摂理と言うものを一から学びなおしてくるんですね! なに馬鹿なことを言ってるんですか!? そんなこと言うと、孕ませますよ!?」
「……おい」
「なんですか!?」
 声高に怒鳴るアケルにロサマリアはきょとんとしていた。エレナはわかったのだろう。ほんのりと頬を染めている。当然にして乳母殿は渋い顔。
「申し訳ないな、グリズベリー女男爵。この男はどうにも言葉が荒っぽくていけない。おまけに長いこと男の二人旅だったからな」
 アンナに詫びて見せるラウルスの言葉で、アケルはようやく自分の言葉遣いに気づくありさま。だいぶ疲れているらしい。
「一度は見逃しましょう、カルミナムンディ。ですが、ここにおわすのがシャルマーク王妃殿下であることをお忘れなきように」
「はい……申し訳ありませんでした」
「ところでカルミナムンディ。先ほどの話は本当ですか」
「はい?」
「あなたはその、なんと申し上げましょうか。ラウルス卿にであったとしてもお子を授けることがおできになるのですか」
 こほん、とアンナが咳払いをする。さすが乳母だ、とラウルスは笑いだしそうになる。こればかりは他の女が口にできることではない。
「先ほども申し上げました」
 す、とアケルが背筋を伸ばす。生真面目な表情を取り繕うのは、ロサマリアのためだった。いい加減に彼女も何が話題になっているのか気づいている。
「自然の摂理に反することは無理です。相手がラウルスであるのならば、せいぜいそのような幻想を与えられる程度です」
「というのは?」
「例えば徐々にお腹が膨らんでくる、とか。そう言うことですね」
 言われてラウルスは身を震わせる。子供はどちらかと言えば好きなほうであったし、妻が身籠った折には何より嬉しく、彼女を大切にもしたものだ。が、孕むのが自分となれば想像を絶する、としか言いようがない。
「同時に、生命を操ることはできません。僕にできるのは、宿ると決まっている命ならばそれを守ること、あるいは宿りを速めること。その程度です」
「充分です、カルミナムンディ。万が一の際には――」
「待ってちょうだい、アンナ!」
 悲鳴じみたロサマリアの声だった。だがそれをアンナは重々しく留める。王妃になると言うのは、そういうことなのだとばかりに。王家の血を繋いでいくこと。それが王妃にとっての第一の義務だと。
「それは……わかっているけれど……」
「ロサマリア姫。何もそんなに急ぐことはない。あなたはまだ若い」
 ラウルスの言葉にロサマリアがほっと息をつく。整理しきれない思いが色々あることだろう。それはアケルにでも相談すればいい、そうラウルスは思う。少しだけ、立場が似ている二人だから。
「ロサマリア様。大丈夫です。僕らが必ずお守りしますから」
「私が――」
「僕の娘の生まれ変わりとは関係なしに、です。あなた様に好意を覚えているから、と申し上げては無礼ですか?」
 にこりと微笑むアケルにロサマリアもエレナも男性を感じなかったらしい。乳母のアンナですらほっとした顔をし、よろしく頼むとアケルに頭を下げる始末。
 ラウルスにはわからなかった。ロサマリアに子ができるまでシャルマークは安全なのか。ブレズとの間に子があるほうがよいのかどうかすら。




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