すっかりとロサマリアがくつろいでいた。初対面の男二人だと言うのに、完全に信頼してしまったらしい。アケルはそれがわずかばかり苦々しい。彼女が、ではなくこれを図ったのであろう存在が。 「さて、お二方にはまだ相談がある」 「うん、何をだ。ジュラール卿」 若干、楽しげにも聞こえかねないラウルスの声。彼もまた同じ苛立ちを覚えているとアケルは知る。それだけで心慰められる心地だった。 「あなた様に卿などと呼ばれますると何やら腰が落ち着かなくていけませぬな」 「何を今更。さっきまでと何も変わっていないだろうが。卿は俺の正体を知っていた。そうだろう?」 小さな笑いにジュラールは目を細める。アルハイド王国華やかなりしころを思うのか。あの時代の素晴らしさを。アケルは知っている。ラウルスも知っている。確かに黄金の日々だった。だがいまだとて。 「それももっともですがな。問題はそれでもありますよ」 「うん?」 「あなた様を何とお呼びしたらよいのか、ですよ」 「だから――」 言い募ろうとしたラウルスに、アケルは思わず声を上げていた。三人分の注目を浴びてしまってやりきれない。嫌そうなその表情に目を留めたラウルスが苦笑した。自分の苛立ちに気づいたらしい。 「ロサマリア様のお輿入れに、僕らが随行するのは既定の事実と言うことでよろしいんですね?」 「そういう話をしてたんじゃなかったか?」 「確認ですよ、確認。で、僕はいいでしょう。ロサマリア様お気に入りの吟遊詩人が一人や二人ついて行ったってなんの問題もない。ですよね、姫君?」 「もちろんです」 「ということで、問題はあなたですよ、ラウルス。あなたがどういう名目でついて行くか、です。ジュラール卿がお気にかけていらっしゃるのもそれでしょう。どうしたんです、勘が鈍ったんじゃないんですか? これでアルハイド王国史上もっとも偉大な国王と謳われたお方だって言うんですから、目の前が暗くなりますね」 「……久しぶりの悪口雑言をありがとうよ」 「どういたしまして」 にっこりと笑うアケルに微笑み返すラウルス。祖父と孫が呆気にとられ、次いでくすりと笑った。どうやら二人はこうしてあるらしい。それを飲み込んだ、という笑みだった。頭のいい人たちだ、つくづくアケルはそう感じる。 「罵詈雑言はともかく、アケルが言うのももっともか。ジュラール卿、何か考えはあるのかな?」 「一応は……そうですな。孫につけてやる家臣団に――」 「いいえ、お祖父様。私は数多くの家臣を連れてまいるつもりはございません」 「なにを、ロサマリア!」 家臣と言うものは何も家うちを、この場合は王妃の領地他の経営をするために連れて行くだけのものではない。最後の一手として、ロサマリアの身を守るためにこそ存在する。だからこそのジュラールの青ざめ方だった。 「いいえ。シャルマークには危険がある。それはすでにどなたも重々承知のこと。ならばお祖父様の家臣を連れて無駄に死なせるわけにもまいりません」 ラウルスはそんな姫を見ていた。苛立ちの向こうにある懐かしさ。あの娘ならばそう言うであろう言葉。濃厚すぎる影にやはり腹は立つけれど、心にぬくもりを覚えるのもまた確かだった。 「とはいえ、まったく連れて行かないと言うのも不審。姫の家臣に混ぜていただいてもかまわないかな?」 「どうぞそうしてくださいませと伏してお願いいたさねばならないことにございます、アウデンティース様」 顔を伏せたアケルが小さく笑った。ロサマリアの真剣な口調の中に悪戯の軽やかな響きまでも彼は聞き取る。そういうことをする娘がかつていた。 「お願いするのはこちらだと思うが……。それと、アウデンティースはやめてくれ」 「なぜにございましょう」 「それもやめてくれ。家臣に敬語を使う主人がどこにいる」 「横柄な家臣もいたものですけどね」 「それをお前が言うか、アケル?」 呆れかえった口調のラウルスに、ジュラールが笑う。ほんの少しでも心痛めた老人の傷を軽くできたならばよかった、そうアケルはほっとしていた。 「僕はアルハイド国王の家臣、ではありませんでしたからね。まぁ、それはそれとして? ロサマリア様の家臣はいいですけど、あなた。なにができるんですか」 「だからなぁ、お前。俺を誰だと思ってんだってーの」 その言葉遣いでアルハイド王国が生んだ最高の王を想起しろ、と言っても無理だろう。アケルの冷ややかな表情に祖父と孫が笑う。 だが二人があえてそうしているとまでは思いもしなかっただろう。ここにいるのはアルハイド王ではない。アルハイド王であった男、だ。妙な敬意は命取りになりかねなかった。 「領地の経営から単なる書類仕事までなんでもござれだ。国一つ動かすこと考えたら楽なもんだぜ?」 「まぁ、もっともな言い分ですね。忘れてました」 「お前な!?」 「では、なんて言うんでしょう? 僕は野蛮な狩人なんでよく知りませんが、家宰とでも言うんですか。家臣団の頂点に立つ方がいらっしゃいますよね。その方の配下の隅にでも加えていただいたらどうです?」 「あぁ、それが――」 いい。言おうとしたラウルスの視界の隅にロサマリアの顔。唇を軽く噛んだその表情に目を留め、黙って促した。 「不躾かと存じますけれど、あなた様には家宰の任を引き受けていただきとう存じます」 「うむ、ロサマリア。確かに。だが……」 「ほら、お祖父様もそうお考えなのでしょう?」 「だがな……、その」 ちらりとジュラールがラウルスを見る。アケルはくすくすと笑っていた。 「お気になさらなくていいと思いますよ、ジュラール卿。本人が家臣団の隅でいいって言ってるんですから、上に立てと言われて拒むとも思えませんね」 我が孫の家臣にアルハイド王がいる、と思ってしまったジュラールは突如として落ち着かなくなったのだろう。それを察して笑って言うアケルに力なく彼が微笑んだ。その笑みに昔の青年を見た。 「お引き受けいただけましょうか?」 ロサマリアの嘆願に、ラウルスがかなうわけもなかった。肩をすくめて苦笑する。それをまた横柄な家臣だ、とアケルが笑う。 「では以後ラウルス。あなたを何と呼びましょうか?」 「うん……?」 「僕は別として、ですよ。仮にもシャルマーク王妃の家宰が姓を持たずに名で呼ばれる、というのもおかしなものでしょう。それともラウルス卿、とお呼びいたしましょうか」 それならばなんらおかしなことはない、と嘯くアケルにラウルスは身を震わせていやがった。心底ぞっとしたらしいその姿にロサマリアが笑みをこぼす。 「嫌なら嫌で何か考えてくださいよ。本名を名乗ると大騒ぎなんですからね」 「大騒ぎ、というより大騙り、だな。まぁ、うん。とりあえず母方の名でも名乗っとくか。ラウルス・アンセル。それでいいだろ」 「あのね、ラウルス。こんなことは言いたくないですけど。よく考えてください!」 「なにをだよ?」 「ですから、行き先です! 行き先はシャルマーク。まして王城は、かつてアンセル大公の居城だったシーラ城ですよ!? アンセル名乗っても本名名乗っても同じでしょう!?」 声を荒らげたアケルに、祖父と孫がぽかんとした。さすがにロサマリアは淑女のたしなみを即座に思い出したと見えて表情を取り繕う。 「な、アケル? こういうことだよ」 「お待ちくださいませ。私はヴァリスの家に生まれた者として、学問を好んでいますが……」 「シャルマークの王都、シーラの城が昔アンセル大公の居城だったことは知らない?」 「はい、存じません」 「ついでに、最後の国王の母はアンセル大公家の出だってのは?」 「それも、存じません」 「な、アケル? 問題ない」 「でも……シャルマークでは知ってる人がいるかもしれませんよ。それに、その……」 「アンセル大公家が残ってるかもしれないって? 残ってたらな、アケル。湖の城は神人の館になんざなってない。ついでに言っとくと、俺は一応親類が生き残ったか、確かめたぞ?」 「それを先に言ってください!」 「悪い。というわけでアンセルを名乗ってもなんの問題もない。仮に昔の名家を思い出す人間がいたら、大異変で南に逃げた者の子孫だとでも言っときゃいいさ」 所詮仮の名。どう呼ばれようと名乗ろうと自分には関係がない。そう言いたげなラウルスの態度。だがアケルは聞いていた。彼は当時を思い出している。誰一人、母方の知り人が生き残らなかったあの当時を。一人でもいい、生きていてほしかったに違いないものを。 「アケル」 ほんのりとした笑み。悟られたことを察し、そしてお前も同じだと伝えてくるその響き。アケルの家族も仲間も、すべてを山は飲み込んだ。 「ではそれで決まりだ。次、ジュラール卿」 「はい、なんでしょう」 「それをよせ、と言ってるだろうに」 言いつつ自分も同じかと思ったラウルスの唇に苦笑が浮かぶ。それにジュラールが微笑み返す。不意に、心が通った気がした。ロサマリアのためではなく、ジュラールのために孫を守ろう、そんな気がして楽になる。 「姫の家宰だ。無位無官と言うわけにもいかん。なんとかしてくれないか」 「それももっともですな。あぁ、これがいい」 何を思いついたのか、突然に晴れやかになったジュラールの顔。ラウルスは恐る恐るアケルを見やる。彼は笑いをこらえていた。 「今後、馬鹿息子の妨害も考え得る。そうですな?」 「それはまぁ、あるだろうな」 「馬鹿息子が偉そうなのは、わしの子であるから、です。ということで、息子を一人増やしましょう」 「はい!?」 さすがにラウルスも驚いたらしい。それに気をよくしたジュラールがからからと笑う。つられてロサマリアまで笑った。 「ということで以後、あなたは我が庶子、いままで内緒にしていた隠し子、ということで。そうなれば自ずからに騎士になりますしな。ふむ、ロサマリアの家宰が庶出の伯父であれば不自然でもないと言うもの。我ながらこれは名案」 大きく声を上げて笑うジュラールに、アケルも笑う。それがいいとばかりロサマリアまで笑う。どうにも一人、騙されたような気がしないでもないラウルスだった。 「名案ではあるけどな」 ぼそりと呟いたラウルスに、三人が今度は声を揃えて笑った。 |