「で。お前のはったりの結果がこれかよ」 むつりとした口調。だがどことなく面白そうなラウルスだった。ミルテシアの王都は相変わらずの人だかり。三国の中で最もお祭り騒ぎを好むのではないかとアケルは思う。 「僕のせいですか?」 「お前以外誰がいるよ?」 「だって……」 広場の中央に立札が立っていた。人々がその前に立っては騒いでいる。字の読めないものに大きな声で読み上げてやる男までいる始末。 「この百年はのんびりしたもんだったからなぁ。ま、頃合か」 「最近は悪戯もしにくくなってきましたしね」 「そりゃリィの野郎のせいだな」 魔法がより一層広がっていた。結果として、二人がする妖精の悪戯は、魔法のせいと言うことにされつつある。妖精を信じる人が少なくなった証のようでアケルは寂しい。 「魔法が広がって、いいこともたくさんありますよ。いままで助からなかった人が助かった、なんてこともありますしね」 「それは魔術師のせいじゃなくて神官のせいだろ」 「せいって何ですか、せいって! おかげ、と言うべきじゃないんですか」 どちらでも同じだ、と言いたげにラウルスは肩をすくめた。その仕種にアケルは笑いをこらえきれない。吹き出してしまったアケルの、だから負けだった。 「まぁ、なかなか頑張ってると思うがな、ルーファス坊やも」 嫌そうなラウルスの呟きにアケルは再び吹き出した。これでラウルスはリィ・ウォーロックを評価しているのだ、多大に。たった一人で魔法体系を作り上げるなど並大抵のことではない。それを理解していてもこればかりは相性というものだろう。否、相性はいいはず。ただからかいたくなるのはお互いの性分かもしれない。 「坊や、ですか?」 「坊やだろ。俺たちから見りゃ立派によ」 「否定はしにくいですけどね。それにしてもあなた、いつの間に彼の本名を掴んだんです?」 「内緒」 にんまりとほくそ笑むラウルスに今度はアケルが肩をすくめた。四六時中一緒にいるようで、実のところそうでもない二人だった。アケルが演奏しているときには常に背後にいる。が、時折は別行動をとりもする。 「浮気をされても気づかないような気がしてきましたよ」 ぼそりと言ったアケルにラウルスが大きく笑う。広場中の人が振り返るほど大きな声だった。注目を浴びてしまったアケルが怒鳴るより先、広場の男が二人に目を留める。否、アケルに。 「あんた、吟遊詩人だろ!? だったらなんか知らないか。つか、行けよ!」 「はい?」 「ヴァリス侯爵様のお屋敷だよ、お屋敷! 吟遊詩人はこいって立札、読んでないのかよ!?」 とぼけたアケルだったが無駄だった。広場中からさっさと行け、稼いでこいと囃し立てられてしまってはどうにもならない。 「……行きますよ、ラウルス」 「あいよ」 「まったく」 「自業自得だろ。はったりの結果だろうが」 「……ラウルス。言われたくない事実って、知ってます?」 「本人が気にしてることは指摘するべきじゃないってやつだよな? あぁ、よく知ってるよ」 にやりとして、ラウルスはいまだ嫌がっているアケルの腕を引いてヴァリス侯爵邸への道を取った。 貴族の屋敷の通常からは考えられなかった。門前市をなす体で吟遊詩人がたかっている。なんだこれは、と呟くラウルスにアケルも同感だった。 「侯爵様はお前に用事があるんだろ。通してもらえよ」 「面倒だなぁ……」 「アケル」 ラウルスの促しに、懸念を聞いた。なにか彼は感じていることがあるのかもしれない。こくりとうなずいてアケルは歌う。人々がはっと振り返った。 「侯爵様にお目通り願いたい。アクィリフェル・カルミナムンディと言います」 はっきりとした語調の中、ラウルスだけは溜息を聞く。吟遊詩人たちと衛兵が揃ってざわめき、中に駆け戻るもの、カルミナムンディの名を継ぐ吟遊詩人に握手を求めるもの、様々だった。 遥か昔はカルミナ・ムンディと言う吟遊詩人は伝説の存在で、実在を疑われたこともあった。現在では完全に伝説だ。かつて存在していた最高の吟遊詩人として知られている。いま現れるのは、その名を継いだもの、当代で最も素晴らしい吟遊詩人に贈られる称号となっていた。とはいえ、名乗っているのは常にアケル一人なのだが。それとて本人が進んで名乗ることは滅多にない。その滅多にない機会が、なぜか祟っていた。 衛兵が緊張した動作で二人を屋敷の中に招く。アケルは面倒で面倒で、ラウルスがわずらわしいことから逃げたいと思う気持ちが今更ながらよくわかる。 「侯爵閣下がお待ちにございます」 それもまた意外で面倒だと思う気持ちが一層強まる。アケルは内心で溜息をつき、ラウルスに横目で合図をする。いつでも逃げられるように、と。そんなアケルを彼が小さく笑った。 「アクィリフェル・カルミナムンディ、御前に参りました」 室内に進み出て一礼し、そのまま視線は伏せる。高位の貴族に対する通常の礼儀だった。ラウルスはさらに後ろに控えていた。 「顔を上げよ」 その声に、アケルは愕然とする。聞き覚えがあるのは当然。あのジュラールが、そこにいる。侯爵となって。百余年を経て。 「あなたは……」 驚くべきはだがそこではなかった。ジュラールがヴァリス侯爵家の当主となっていたのは知っていたこと。助言に従い、政治から手を引いた彼は学問に没頭した、らしい。そして彼と同じよう、政治手腕を持たなかった長兄、次兄と次々に暗殺された結果、彼の元に爵位は転がり込んできた。それすら、二人は知っていた。年老いた彼が、自らの長男の出来の悪さに頭を抱えていることも、孫娘の愛らしさに目を細めていることも。 「懐かしいものだな、二人とも。どうやら歳月はそなたらに優しいらしい」 ジュラールの声にアケルは聞いていた。彼は覚えている、と。二人を忘れてはいないと。驚くアケルだったが、ラウルスはさらに踏み込んで警戒していた。 「なぜだ、ジュラール卿、いや、ヴァリス侯爵閣下」 剣で刺し貫くがごとき言葉。室内にいた従者たち、騎士たちが揃って驚愕する。だがジュラールは片手で彼らを追い払う。 「御前様……」 「下がっていよ、と申しておる」 「は――」 不満そうな彼らにラウルスは同情する。彼らはそれが務めなのだから。不意にかつて王位にあったころのことを思い出す。ずいぶんと我儘な王だった、と。 「なぜ覚えているか、だな。まずまぁ――座られよ」 屈託なく言い、ジュラールは二人に柔らかな椅子を勧めた。そして自ら軽い酒の支度をしては二人に差し出し、ようやく腰を下ろす。 「卿……」 愕然としたアケルなどそう頻繁に見られるものではない。まして意表を突かれた彼など。ラウルスとしてはだからこそ今は自分がしっかりとしていなければ、と思う。思うが、ジュラールにはもう間合いに入られている、そんな気がした。 「アクィリフェル・カルミナムンディ。その名を神人様に問えと言ったのは、あなただったよ」 百年前の青年の口調でジュラールは言う。アケルにも、それはわかっていた。だからこそ、立札が立った。カルミナムンディをヴァリス侯爵が求めている、と。だがまさか、あの出会いを覚えているとまでは思っていなかった。最悪でも神人の示唆を受けただけだとばかり。願わくは、単に吟遊詩人を求めているのであってほしかった。それですら面倒だと思っていたものを。 「そろそろあなたの名も教えていただけるかな、騎士殿」 くすりと笑う老人に、青年の面影を見る。あのジュラールはずいぶんと豊かな成長を遂げたらしい。 「すでに神人に聞いているのではないかな?」 「さて?」 「アウデンティースだ」 にやりとラウルスが笑う。ジュラールは当然もう神人に聞いていたと見える。あるいは聞いていたからこそ、確かめたか。 「あなたがたは、かつて神人様の使者も務めたことがある、と伺っている」 ということは、とラウルスは考えた。自分がアルハイド国王であり、アケルが世界の歌い手であることまでは知らされていないのだと。 「そのせいなのかな、まるで神人様のよう歳月はあなたがたの上をただ流れていくらしい」 「さてなぁ。卿の上にも優しく流れたようだが?」 「あの時にも、言っていたね。御使いの祝福を受けている、と」 微笑んだジュラールだった。老人の記憶力の確かさにラウルスは敬意を表して軽く礼をした。 「ジュラール卿。僕たちになんのご用なのでしょうか。非常に腰が落ち着きません」 「申し訳ない、こういう男でね」 口々に言う二人にジュラールはからからと笑った。久しぶりに腹の底から笑ったと言いたげなその表情に、声にアケルは眉を顰める。 そこに何かがあった。もう少しよくジュラールを知ってさえいれば容易に聞き取ることができるもの。耳を澄まし、音に身を委ね。自分に呆れた。なんのことはない、不安。 「あなたのことだ、カルミナムンディ。すでに我が家のことは色々と知っているように思うが」 「色々の内容にもよりますね。侯爵家の秘密までは知りません。巷の噂でよければ大抵のことは」 「噂で結構。秘密が漏れていたらこの皺首が飛ぶわ」 ラウルスは笑う。ジュラールが意外と実は豪胆だったのだ、と知った。繊細そうな青年だったものが、こうして容姿のまったく変わらない二人を前にして微塵も驚いていない。少しばかり呆れるほどに。 「噂では何を?」 「言えません、そんなこと。ご本人相手にいくらなんでも不作法です」 「なるほど。我が馬鹿息子の噂が巷に蔓延していると見ゆる」 顔を顰めたジュラールだったが笑ってもいた。それが作られたものだと気づかない二人でもない。じっと彼を見やれば、はじめてその表情に老いが表れる。 「……息子のことは、諦めた。娘に爵位は継がせればよい。幸い娘は出来がよいのでな。だが……」 「待ってくれ、侯爵閣下。我々に何を問いたい」 「使者殿に閣下、などと言われると背筋がずいぶんと涼しくなるな」 にやりとするジュラールだからこそ、彼が心に抱えている懸念があふれて止まらない。それを聞くアケルまでもが震えるほどに。 |