リィ・ウォーロックが拉致も監禁もしていないことを確かめた。これで二人の用事は済んだようなものだった。だが、ラウルスの心、アケルの思いが済んでいない。二人はファネルに人間を見せたかった。嫌な人間ばかりではないと。リィならばあるいは、とアケルは思う。だからこそラウルスとリィが話すのを黙って聞いていた、ファネルと共に。
 彼らはアルハイド王国のこと、魔法のこと。あるいは単なる雑談。様々なことを語り合っていた。リィがラウルスに教えを乞うこともあれば、ラウルスが知らないことを尋ねることもある。意外と気が合うらしい。が、お互いなぜこんなことも知らないのだ、と皮肉に唇を歪めあっているのだから面白いものだとアケルは思う。まるで同年代の友人同士のような二人だった。
「アケル」
 隣でじっと膝を抱えて座ったまま彼らを見ていたファネルだった。軽く寄り添ってくる肩先に、彼の不安を感じる。
「うん?」
「これが……。血縁ってことなのかな。よくわからないけど」
 自分は神人の子だから。人間のよう世代を経ることがないから。言葉にしなかったファネルの思い。アケルはわずかながら切なさを聞く。だが聞きつけたラウルスが吹き出していた。
「血縁ってなぁ。ファネル。間違っちゃいないが……。こいつは現実、俺は伝説だぜ。血縁ってほど近くねぇぞ」
 アケルとしてはもっともだとうなずくよりない。何世代離れているのか考えるのも嫌になる。それだけの時が流れたと言うことだ。ふとそんなことを思った。
「自分で伝説って言うか?」
 ぼそりと言ったリィに軽やかなラウルスの笑い声。どことなく似て見えるのは、やはり血の絆だと思わなくもない。そのあたりをファネルは言っていたのだろう。
「それはね、ファネル。確かに血縁かもしれないけど、僕は違うことを考えてたよ」
「どんな?」
「二人とも、王者だ」
 ふ、とアケルの眼差しがラウルスを捉えては微笑む。それからリィを見やる。嫌そうな顔をして手を振っていた。
「玉座についたかどうかは関係ないですから。あなたは王として立つに相応しい格を持っている。そう言うことです」
「立っていないとどうしてわかる?」
「さっきラウルスが雑談の中で言ってましたけど。僕は世界の歌を聞く。世界の歌が聞こえるなら、人間なんて軽いものです。あなたの経歴をすべて歌ってもかまわない。面倒だからしませんけど。だから、わかっていると言うことで納得してください」
「納得なぁ、けっこう無茶言ってる自覚、あるか?」
「一応はね」
 肩をすくめたアケルをリィは苦笑するだけで済ませた。そのあたりのあしらい方までもがラウルスのようで癇に障るのだ、とアケルは内心で苦笑する。
「王者だから、似てるの。アケル?」
「僕はそう思うよってこと。なんて言ったらいいかな……」
 言葉に詰まってアケルは小さく歌う。ラウルスの態度、リィの態度。ラウルスはファネルにどう接するか。リィはサイファをどう扱っているのか。見てきたように歌うアケルにリィが驚いた顔をする。だがそれにとどまらなかった。歌は現実。真のものとしてそこにある。だが歌。歌われて、そして届いた先は。
「うん、なんとなく、わかったかも」
「無理してわかる必要はないよ、ファネル。僕は二人をそう見た。ファネルがどう見るかは君の問題」
「……うん」
 そっと微笑んでアケルを見上げたファネル。それをじっとリィが見ていた。胸に迫るようなその眼差し。アケルにはリィの心が聞こえているのだろうかとラウルスは思う。
「で。機嫌は直ったのか、アケル?」
 からかうようなラウルスの声にアケルは思い切り顰め面をした。それをファネルがくすくすと笑う。リィに見られていると気づいた瞬間、やめてしまったけれど。
「別に……機嫌が悪かったわけじゃ……」
「ほう?」
「ですから! 別に!」
「だったらこいつが気に食わないとか?」
 顎先で示されたリィが眉を上げ、先祖に向かって嫌そうな顔をする。子孫に向けてラウルスはにやりと笑った。
「違いますから!」
「さっきからやたらと食ってかかってたような気がするけどなぁ。俺の気のせいかなぁ、うん?」
「ラウルス……。この期に及んで焼きもちだなんてまさか言わないでしょうね!?」
「言う言う。いくらでも言うぜ。心底惚れたやつの目がほんのちょっとでも他人に向きゃ気分悪いのは当然だろ。まして子孫だしー? 多少似てても不思議はないしー?」
「あのなぁ……」
 リィが顔を顰めて頭を抱える。気持ちはよくわかるアケルだった。だがそれ以上に、ほんの少しそんな態度のリィを見てファネルが笑った。そのことのほうが重要。
「僕はあなたが好きなんです! あなたの血縁だからって他の男に興味はありません! だいたいその理論で行くと僕はあなたのお子様方、ケルウス殿下にもルプス殿下にも恋をしていないとならないじゃないですか!」
「でもいい男だったろ」
「年下の男に興味はありませんね」
 鼻で笑ったアケルにラウルスが大笑いをした。リィは混乱しているのだろう。そもそも恋人の子供の話題だ。他人が聞いて居心地がいい話題でもない。
「で。アケル。不機嫌の理由はなんだ?」
 す、と話題が戻った。その鋭さにリィが瞬く。それからファネルを見てはいつもこうなのか、と目顔で尋ねる。無言でうなずいたファネルは、自分で驚いた顔をした。
 リィの言葉にしない問いを理解して、返答した自分がそこにいた。首をかしげてアケルを見れば、微笑んでうなずいている。それも一つの道だとばかりに。
「不機嫌……というより、自分が不甲斐なくて落ち込んでいただけですよ」
「うん?」
「リィは、あなたの子孫ですから。僕に聞こえなかったはずはないのに。神人由来の魔法を使う最初の人間って言われた段階でどうして気づかなかったのかな、と思うと、ちょっと」
「お前、自分が万能だと思ってねぇか? 無茶言うんじゃないぞ、アケル。なんでもかんでも全部できると思うなよ。できなかったことを責めちまうことはある。それを否定はしない。でもまぁ……愚痴だと思って聞き流してくれると助かる」
 ラウルスの言い分にリィが笑った。くすりと、小さくはあった。だがもっともだと納得するように。
「なんだよ?」
「いいこと言ってるのに、最後はそれかと思ったら笑えた。悪い」
「伝説の王様なんざ実態はこんなもんだぜ。夢見てたんなら悪かったな」
「玉座に夢が見られるほどおめでたかったら魔術師なんてやってるか」
「だよな。綺麗ごとで務まるもんでもない。ちなみになんで王冠放り投げた?」
 軽い言葉で冗談のようラウルスは問う。だがきらりと目が光ったのをリィは見ていた。一度空を仰ぎ、言葉を探す。いい加減な答えはしたくなかった。
「見ず知らずの国民のことより、自分でやりたいことがあった。そんな男は国王失格だ。玉座に就くより先に逃げるのがせめてもってもの。違うか」
「やりたいこと?」
「魔法理論の構築。神人が使うような魔法をどうしても俺は使ってみたかった。研究に明け暮れて民を顧みない王様なんてぞっとするだろう?」
 リィは笑って肩をすくめる。だが目だけが真摯にラウルスを見ていた。それでよかったのかと問うように。ラウルスは答えなかった。ただじっとリィを見て微笑んだだけ。
「一応聞いてもいいですか?」
 明らかにリィの気配が変わったのをファネルも気づいただろう。アケルは友を案じる彼の心に淀んでいたわずかな不安が晴れていくのを聞いていた。
「いまのミルテシアはあなたの父王が玉座にあるようですが。そのあとは?」
「俺には娘が一人いる。はじめてミルテシアは女王を戴くことになるだろうな。……が、なぜそんなことを?」
 不思議だろう。先祖のなんのと言ってはいても、それはラウルスのこと。リィにとってアケルは素性の知れない他人に過ぎない。見ず知らずの青年がミルテシアの王位継承を気にしてどうなると言うのか。
「大陸に戦雲が垂れ込めるのは望ましいことではないので。一々アザゼルに介入されるのも面倒です。潰せる戦雲なら先に僕らが潰して回る。そう言うことですよ」
 さらりと言ったアケルの言葉。リィにどのような影響を及ぼしたか。ラウルスは哀れになってしまうほど。
「……アザゼル?」
 すう、と息を吸う。知らないとは言わない。むしろいやというほどよく知っている。神人の王、上王の名。無造作に口にしたこの青年。
「あんたは、いまでもあんたの民を守っている?」
 アケルではなく、ラウルスに言えば肩をすくめた軽い仕種。そこに滲む真実。
「それが、課せられた義務、ということか……」
「違うぞ、リィ」
「なに?」
「言ったろ。俺たちは呪われてる。民を守れなんて呪いがあるもんか。これはまぁ、言ってみれば俺の習慣。アケルはアケルで別口から、習慣だな」
 禁断の山はもうない。伝説の彼方に消えてしまった。それでもリィには何かしら通じたのだろう。得体の知れない青年を見る目から、険が取れてわずかに和らぐ。
「呪われれば、死なないで済むのか……」
「それも違う。なぁ、リィ。たぶん別れりゃ忘れちまうと思うがな。多少は心に残らないでもない。ましてお前は俺の子孫だ、ここに血の絆ってもんがある。他人よりは残るだろうよ、何かしらがな。だから聞きたいことがありゃいま聞いとけ。俺たちにわかることなら答えてやれる」
 ファネルはラウルスをじっと見ていた。アケルの肩先に頭をもたせかけて見ていた。小さくアケルが歌っている。だからわかった。子孫だとか先祖だとか。そんなことは関係がないのだと。単にラウルスはこういう人間で、たぶんリィもこういう人間だと言うだけ。
「いろんな人間がいるってことはね、ファネル。嫌な人がいるぶん、いい人もいるってことだと僕は思うよ。まぁ、嫌な人より数は少ないけどね」
 歌いながら笑う器用なアケルにファネルも笑った。向こうでリィが長生きがしたい、死にたくないと言っている。それも、側に置いた神人の子のために。
「だったらよけいに勧められん。呪われてるってことは、呪った相手の手駒になるってことだ。用事が済んだら捨てられるだけ。いつ殺されるかわかったもんじゃねぇ。あんたがそんな生を歩むのを、その子は喜ぶのか?」
 会ったこともない神人の子。だがファネルの友人。ラウルスの言葉に潜んだ思いにリィは沈んでいく。叶わない願いと思いに。それをアケルは黙って聞いていた。




モドル   ススム   トップへ