銀髪を短くした人間の男だった。アケルが知る限り、魔法を使うと言われている人間は一様に体格に問題を抱えている。それだけ魔法というものが扱いにくい技術だと言うことなのかもしれないが、修練に打ち込むあまり陽に当たっただけで倒れそうな者しか知らなかった。
 だがこの男は。どこから見ても剣を使うようにしか見えない。かといって無駄に筋肉をつけていると言うわけでもない均整の取れた体。わずかながら混乱した。
「あんたが魔法を使うって男かい?」
 ラウルスが、剣の柄から手を離さないまま、それでも笑みを浮かべて問う。男のほうは黙って肩をすくめた。
「ちょっと話があるんだがな……」
 ちらりとラウルスがアケルを見やる。意味を取り損なうことなくアケルは耳を傾けた。
「ファネルの友達はあの小屋にいるね。特に不安があるわけでもないみたい。どうする、ファネル。会ってくる?」
「いまは、こっちの方が気になるから」
 きゅっと唇を噛み、ファネルは男を睨み据えた。アケルはそっと内心で微笑む。ファネルは友人が意志に反して捕らわれているのかどうか、それだけが知りたいらしい。万が一、自分の意思としてこの男の元にいるのならばそれはそれでもいいのだろう。友人の意思を尊重する、という意味において。
 そのあたりが人間の子供とは違うところだ、とアケルは思う。あるいは大人とも。相手の意思を重んずることにおいて神人の子らに勝る者はいない。たとえそれが間違った判断だと思ったとしても、相手の決めたことならば彼らは尊重する。助言はしたとしても。
「あんたのところに神人の子がいるな?」
 ラウルスが言えば男はまたも肩をすくめた。それからちらりとファネルを見やる。
「お前があいつの友達か?」
 ファネルは答えない。当然だ、とラウルスは思った。名乗ってもいない礼儀知らずに返答をする必要はない。それに気づいたのかどうか。男は人懐こい笑みを浮かべた。
「リィ・ウォーロックだ。一応、サイファの師匠ってことになるのかな?」
「師匠ってな、相手は神人の子だ。魔法を教わるのは人間のあんただろう?」
「常識的にはそうだろうが、俺には魔法理論があってな。まぁ、まだ理論って言えるほどのものでも――」
「場所を変えましょう。ファネル、いいね?」
「え? あ、うん。いいけど……」
「友達のところに行ってたかったらそれでいい。僕たちの話が終わったら迎えに来る」
「アケルについて行く」
 きっぱり言ったファネルにアケルは微笑み、突然のアケルの言葉に驚いているラウルスに首を振ってみせる。
「行きますよ。それと、リィ・ウォーロック。僕はアケルと言います。そっちの男はラウルス。この子はファネル。いまから移動しますが、抵抗しないでください」
「は?」
「話が面倒だな……。ラウルス」
「ちょっと待て。とりあえずこれから話を聞こうって人間相手にだな、一発殴って気を失わせるってのはどうかと思うぞ。なに苛ついてんだ、アケル?」
「リィ・ウォーロックが魔法を使うことは僕にはすでに自明です。だから抵抗されたくないんですよ、なにが起こるか僕も自信がない」
「……なんかよくわからんが、とりあえずおとなしくついてきてくれるか? こうなるとこいつは手に負えん」
 肩をすくめたその仕種。少しばかりアケルは目をそらす。リィ・ウォーロックと名乗った男は何を感じたのだろう。じっとアケルを見つめ、それからラウルスの目を覗く。
「いいぜ」
 あっさりとした言いぶりにアケルは答えない。内心ではほっとしていた。ラウルスに呼びかける間もなく、彼が男の腕を掴んで側に立つ。無論ファネルも。歌いだしたアケルをどう感じたにしろ、男は何もしなかった。そして。
「なんだ、これは!?」
「抵抗してほしくないって言った理由、わかってもらえたと思いますが」
 皮肉とも自嘲ともつかないものを滴らせるアケルにラウルスはかすかに眉を顰めた。そっと彼の手を取れば黙って首を振る。
 一同は、移動していた。アケルの歌によって瞬時に。ラウルスにとっては慣れた方法、ファネルもここまでに体験した。だが男は。
「これは……神人の使う……」
「違いますよ。僕は……そうですね、あなたにわかるように言うなら、僕が使うのは、この世界の力によって発動する魔法です。あなたは神人由来の魔法を使う。そうですね?」
「由来というより、学問として勉強した。文献を解読するだけでひと苦労だったがな」
「見つける執念に感服です」
「褒められてる気がせんな」
「どうぞ解釈はお好きに」
「アケル。説明しろ。お前、どうした」
 言われてアケルはまるでファネルのよう唇を噛む。神人の子を見つめ、ラウルスを見ない。それでも伝わっている実感。黙ってラウルスがうなずいた。
「リィ・ウォーロック」
「なんだ。いや、まず。リィでいい。サイファもそう呼ぶ」
「ではリィ。単刀直入に言えば、このラウルスはあなたの祖先です」
 言った途端、ラウルス本人が吹いた。思い切り咳き込んで何を言い出したのかとアケルを見つめる。
「は、祖先?」
 リィは馬鹿らしいと思ったのだろう。どこからどう見ても同年代だ。じろじろと胡散臭そうにラウルスを見やっていた。
「もう一つ率直に言うならば、僕とラウルスはある種の祝福であり呪詛でもあるものを受けています」
「つまり?」
「することしないと死ねないわけです。ということで、こちらはアルハイド王国最後の国王、アウデンティース様でいらっしゃいます、あなたのご先祖ですよ、ルプス王子の御子孫」
「はいー。ちょっと待て、アケル。いまなんつった」
「この人、ルプス殿下の子孫です、直系だな」
 軽く首をかしげるだけの仕種。リィは気味悪そうに二人を見やり、それから神人の子を見る。
「本気か、これ?」
「なぜ私に聞く」
「他に聞ける相手がいない」
「……少なくとも私が生まれたときにはこの二人はこの姿だった。幼い私を助けてくれたのがこの二人だ」
「幼い?」
「よく覚えていない。生まれてまだそれほど経っていなかったころ。三歳だった、と聞いている」
 そう口にした神人の子は、見る限り人間でいえば成人の体格。そしてリィはこのファネルという神人の子が、自分の元にいる神人の子より年上であるのを知っていた。
「どうなってる?」
「呪われてるで納得しといてくれ。だいたい説明しても意味ねぇしな」
「どういうことだ?」
「だから呪われてんだって。何をどんだけ説明してお前が納得したってな、俺たちと別れた直後に全部忘れるぜ?」
 軽く言われた言葉だけに、リィはかえって納得したようだった。それだけ彼は魔法に近いところにいる。そういうことだった。
「話がそれたようです。この人、無論リィ・ウォーロックというのは偽名ですが」
「偽名のつもりはないね。いまの俺の名だ」
「失礼。まぁ、こっちも普段はアウデンティース王と名乗るわけじゃないですしね」
「アウデンティース・ラウルス・ソル・アルハイド。……伝説の類だと思ってたぜ」
「大陸がほぼ壊滅状態でしたから。まともな文献なんか残ってませんしね。当然です」
「それを見ていた?」
「その場で」
 リィの言葉にうなずくアケル。その目の深さにリィは内心でおののく。紛れもない時間をそこに見た。神人の時のよう長く深く、そしてどこまでも人間くさい目。ふっとリィの唇がほころぶ。
「それでご先祖様が俺になんの用だ?」
 すべてを納得したのだろう、リィは。忘れてしまうことまで含めて。その人間の姿をファネルが見ていた。
「いやなに、もうここまで来たら誤解だよな、アケル?」
「ですね。あなたがどうやら誘拐犯、しかも監禁付らしいと言うことでしたので様子を見に」
「俺たちが可愛がってる子供の友達が拉致監禁じゃなぁ。手伝わないわけにもいかないってわけだ」
「拉致……監禁……」
 唖然とするリィにラウルスとアケルが笑う。笑わなかったのはファネル。アケルの傍らに寄り添えば、軽く握られる手。それだけで励まされている気がした。
「サイファがなぜあなたのところにいる」
「なんでだろうなぁ。それは俺も知りたい」
「真面目に答えろ、人間!」
「ファネル」
 柔らかな優しい声だった。だがラウルスのそれ。ファネルははっとして彼を見る。そして見たと思ったときには頬を叩かれていた。
「ファネル。お前が人間嫌いなのはよくよく知ってる。だがな、お前の友達の判断はどうなる。お前がいまするべきことはなんだ」
「……話を、聞くこと」
「よろしい。続けてくれるか、リィ」
 片眉を上げた大袈裟な仕種。アケルは軽くファネルの背に手を添えていた。
「君の友達は、好きこのんでこの男の側にいる。それは僕が保証するよ、ファネル。とても楽しそうな歌が聞こえたからね。それでもファネルがこの人間を嫌いなら、それはそれでかまわない。君の判断だ。でも判断するために、いまは話を聞こう?」
 うなずいたファネル。それがどれほどの決心を要するものなのか、リィは知らない。二人は知り抜いていた。
「サイファは、あなたといて楽しい?」
 人間に向かってそれを問うのがファネルにとってはどれほどの苦痛か。友人はともかく、自分は決して人間と共にいてはくつろげないのだから。親しかった友であればあるだけなぜと思うだろう。たとえ相手の判断を尊重したとしても。
「たぶん。楽しいだろうと、俺は思ってる。少なくとも俺は楽しい」
「あなたでは――」
「なぁ、ファネル。どっちか片っぽがな、心から楽しんでるときには、相手も楽しいもんなんだぜ? 俺はお前といて楽しいよ、ファネル。お前は?」
 リィという人間の男と、サイファという神人の子。ラウルスという人間の男と、ファネルという神人の子。
 ファネルはラウルスを見つめうなずく。それからリィを見る。黙って待っていてくれた。それから少しばかり照れたよう、うなずいて見せる。そこに初めて何かを見た気がした。
 人間ではなく、リィ・ウォーロックという存在を見たのだ、とアケルは聞く。ほっと息をつきラウルスを見やれば彼もまた同じ仕種をしていた。




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