細々と存在していた魔法を使う人間は、確かにいる。彼らは神々と契約し、それを力として魔法を発動させるのだ、と言う。それがラウルスとアケルが知っている天の御使いのことなのかは、わからない。あるいはまったく別の存在かもしれない。力の源がどこであれ、アケルには発現した魔法がこの世界の原理に沿ったもの、と聞こえている。 だがプリムは言った。神人由来の技術だ、と。神人は人間の目には奇跡としか思えないようなことをする。それをどうやったものか、その人間は技術として盗んだのだと。盗んだと言うより学んだかもしれない、ともプリムは言い添えたが。 「酷いよ、プリム」 集落を出てからもずっとファネルは文句を言っていた。プリムの話に一番に悲鳴を上げたのは、彼だった。プリムは言った。 「誘拐された、仲間がいます。まだほんの子供……と言ったら本人は怒るでしょうが」 「ん?」 「あぁ、あなたがたは会ったことがないかもしれません、ここに住んでいるわけではないので」 小さく笑うプリムにラウルスはなるほど、と納得する。長年の間に知っていた。孤独を好むと言うわけではないのだろうけれど、一人大陸をさまようほうが好きだというものもいると。それが幼い神人の子であったとしても。 「ですが、まだこのファネルより若いのです」 いかに危険はないとはいえ、それはまるきり子供ではないか、とラウルスは思った。さすがにすぐ側にいる彼を慮って口にはしなかったが。もっとも、それどころではなかった。 「プリム、それって……!」 悲鳴を上げたファネルの言葉によれば、彼の友人だとのこと。アケルはほんのりと心の中にぬくもりを覚える。たった三歳だったファネルに、友達がいる。当たり前のことかもしれない。だが日常とはかくも壊れやすいものだと二人より知る者はいない。 結局ファネルはプリムを説き伏せて、二人の旅に加わった。プリムとしては元々誰かを見に行かせようと思っていたところにちょうど二人が来て安堵した、というところだろうとアケルは思っている。 「具合もいいしな」 「なんでです?」 「その、誘拐犯か? 人間だって話だろ。俺たちも一応は人間だからな。俺たちの目で見たほうが正確なところがわかるだろうってのがプリムの考えだろ」 「わかりますかね。ちょっと不安ですよ、僕は」 「どうして、アケル?」 「お。久しぶりに出たな。ファネルのどうして」 「からかわないで! 友達が危ないんだ。人間なんかに攫われて……」 きゅっと唇を噛みうつむくファネルの足が速くなる。まるで一歩でも先に、一瞬でも早く着きたいとばかりに。 「そう言うけどな、ファネル? 俺たちも人間だぞ?」 「ラウルスとアケルは違う」 「そうだ、お前は違う人間もいるってことを知ってる。全部が全部神人の子らを崇め奉る人間ばっかじゃないって、知ってるだろ?」 「……二人は、人間にしては長生きで、だから違うんだと思う。他はみんな」 噛みしめすぎて赤くなったファネルの唇。ラウルスは目を細めては困ったやつだと言うように指先でつついた。 「切れちまうぞ。お前らの傷の治りが早いのは知ってる。でも傷つくお前を見るのが嫌だ。わかるか?」 「わかんない」 「お前をまだほんのガキの頃から知ってるからだ。俺にとっちゃお前はまだまだ子供なんだよ、ファネル」 「人間の言う、父親みたいなってやつ?」 「さぁな? 俺はお前を息子みたいだと思っちゃいるが、お前にその感情がわかるとは思ってない。別にそれはそれでいいだろ。いままで俺たちは巧くやってるしな」 「……お父さんって、言ってほしい。ラウルス?」 上目遣いのファネルにアケルがうつむく。笑いをこらえるのに必死だった。だがラウルスはファネルが気分を害するほど高らかに笑った。 「御免こうむる。冗談じゃねーわ。お前に父親呼ばわりされたら他にも真似するやつらがいくらでも出るだろうが。俺はどんだけ子持ちなんだっての。お前はお前。いままでどおりでいいんだ、ファネル」 子供扱いすると言って嫌がるやり方で、ラウルスはファネルの頭に手を置いた。いまのファネルは拒まないと知って。 「なぁ、ファネル。お前は自分が思ってるよりずっとガキなんだ。それでいいんだ。だってまだ子供なんだからな。いずれ嫌でも大人になるんだ。いまは精一杯子供をやってろ」 「でも――」 「そんなお前だからプリムはお前の友達のことを言わなかったんだ」 あ。とファネルの口が言葉を形作る。アケルはそっと二人を見ていた。かすかな声で歌いつつ。ラウルスはその声の助けを知るだろう。彼の意思をファネルにできるだけ正確に伝えるように、アケルは歌う。 「お前の友達は誘拐されたのかもしれない。興味があって人間のところにいるかもしれない。どっちかわからんのにお前に話したらどうなる? 殴り込みに行くつもりだっただろうが、お前は」 くすくすと笑うラウルスに、ファネルは頬を赤らめた。友人が自分の意思で人間の元に留まっている可能性など、ファネルは考えたこともなかったに違いない。 「でも、ラウルス。相手は人間だ」 「俺も人間。さっき言ったよな? 相手がどんなやつかわからんのに敵意を見せるな」 「仲良くなんて……」 「別に仲良くしろなんて言ってないぞ? 喧嘩するんだったら先にかっかするのは分が悪くなるぞって言ってるだけだ」 からりとしたラウルスの言葉にファネルが絶句する。アケルは溜息をつく。 「子供相手に何を教えてるんですか、あなたは」 「んー、戦略?」 「平和な時代なんです。そんなものを教えないように」 「時代の波ってのはいつ潮目が変わるかわかったもんじゃないぜ」 重たい言葉をさらりと言った。二人とも、その身のうちに実感がある。昨日と同じ今日、今日と同じ明日が来るものと思っていたあの頃。 「とはいえ、本当に誘拐された可能性も考えとかないとな」 「ラウルス、だったら!」 「まぁ、落ち着けってファネル。俺はまずないと思ってるが一応考えとくかって言ってるんだ」 「どうしてないって言えるの!」 「お前らが神人の子だから」 軽く言ったにしてはずいぶんと凄まじい言葉だとアケルは思う。ファネルはどう感じたのだろう。普段ラウルスは種族の差異をあまり言い立てない。その彼が口にしたのだ、何か意図があるはず、とファネルは考えている。その表情に幼い凛々しさを見た気がした。 「私たちが本気になったら、人間には捕まらない?」 「そういうこと。だから誘拐の線はまぁ、消してもいいだろうな」 安心させるよう微笑んだラウルスの声にアケルは違うものを聞いた。神人由来の魔法を使う人間だった、相手は。たとえ神人の子といえども危ないかもしれない。油断だけはしたくない。そしてラウルスはさらに踏み込んで考えている。不意を突いて拉致され、監禁でもされていたらさすがに逃げられないかもしれないとまで。アケルが声にあるものを聞き取ったのを確認し、ラウルスは一瞬だけアケルに向けて厳しい眼差しを見せた。 「とりあえず、ちょこちょこ歩いてても仕方ないですし。どうします、ラウルス?」 ラウルスの声に潜んだ焦燥をファネルが聞くことはない。子供相手にそのような態度を見せる人ではない。それにアケルは心を震わせる。 「どうってなぁ……。お前、飽きたんだろ」 「飽きてません! ちょっと歩き疲れただけです!」 「あー、はいはい、んじゃ、跳びますか。頼むよ、アケル」 仕方ないやつだと冗談に肩をすくめてラウルスはファネルに微笑む。ファネルは信じたのだろう、くすくすと笑っていた。そのファネルを側に呼び寄せれば、不審げな顔。 「大丈夫だと思うんだけど……さすがに君たちと一緒に跳んだことはないから。僕に任せてくれる?」 彼らは生来魔法が使える。アケルが歌う世界の歌とは違うもの。神人のそれと同じだとアケルは聞こえている。互いが無視をしあうような親子でも血の繋がりというものかもしれない。あるいは神人とすら別物。さすがにそこまでは聞き取れない。だが確実に言えるのは、世界の歌ではない。この世界の歌う魔法ではない、神人も神人の子らが使う魔法も。その世界の歌ではない魔法を身のうちに持っているファネル。アケルとしては、ファネルが反射的にでも手を出すのを恐れていた。 「うん? よくわからないけど……。ラウルス?」 「はいって言えばいいんだ、アケルを信じてやれ。それで充分」 「そんなの、念を押されるのは嫌。言わなきゃわからないことなの?」 「一応だよ、危ないかもしれないからね。ラウルスが言ってるじゃないか、君は子供なんだ。僕らから見ればまだね」 悪戯っぽく言って片目をつぶったアケルにファネルが唇を尖らせる。それに一笑してからラウルスはアケルの背後に立った。自分もそちらに行くべきか、とファネルが首をかしげた瞬間、ラウルスがアケルをゆるく抱く。 「え……あ……」 意味などわからない子供。それでも神人の子だった。動揺して真っ赤になったファネルをラウルスは微笑んで招く。 「お前はこっちだ」 そう言ってラウルスはファネルをも腕に抱いた。ラウルス一人に、二人が抱えられてでもいるような格好。そっとファネルはアケルを窺い、その顔を見上げれば聞いたことのない歌が聞こえた。 そして聞き惚れる間もなく歌が終わる。いまのはいったい。問おうとした時になってやっと異常に気づく有様の自分にファネルは愕然としていた。 「ここは……!」 「プリムから、ミルテシアかシャルマークって聞いてたからな。だいたい場所は絞れてた。あとはアケルの耳がある」 「なんか奇妙な歌が聞こえるからね、このあたりから」 言ってアケルは辺りを見回した。ほんのりとした気持ちのいい木立だった。その奥に、小さな小さな小屋がある。家と言うには粗末で、あそこに誘拐犯なり魔法を使う人間がいるなりすると言うのは考えにくかった。 「お。いるな」 「わかります?」 「聞いてみな。なんか妙な気配がするぜ」 さすがラウルスだった。かつて王国随一と呼ばれた剣士。不審な気配には狩人であったアケルよりよほど鋭く反応した。 「あぁ、本当だ。いますね」 言ってアケルはそっとファネルを抱き寄せる。たいして違いもしない背格好のファネルではあった。だが子供はかすかに身を震わせ、怯えていた。 「ラウルスには手が必要だからね、僕のところに」 言われてはじめてファネルはラウルスの腰に佩かれた剣を意識したらしい。体から離したことのない剣だというのに。 「アケル。掩護頼む」 「了解しました。では行ってらっしゃい」 「あいよ」 片手を上げ、ラウルスが足を踏み出す。その瞬間、アケルは目的の人物が本当に魔法を使うのだと理解したのかもしれない。ラウルスと同時に、細身の人間の男が小屋から出てきた。 |