不思議なものだった。普段は動作の優雅な神人の子らがこの夜ばかりは身軽に踊る。激しいとすら言い得る踊り。それでも彼ら自身に備わった優雅さがなくなることはなかったけれど。 「ラウルス!」 一通り踊ったファネルの額に汗が浮かんでいた。振り返ってラウルスに手を振ってはまた踊りの輪の中へと戻っていく。彼らのたった一つの祭りともなればそのようなものかもしれない、アケルは思う。ファネルは祭りがはじまって以来、ずっと踊り通しだった。 彼らの間でチェスカと呼ばれる踊り。それは成長の遅い神人の子らにとって、初めてほんの少し大人を実感する祭りだった。幼児から、少年へ。たったそれだけのこと。それであっても。 「忘れちまったのか、アケル?」 悪戯っぽいラウルスの声に、アケルは目を戻す。神人の子らの踊りに魅了されていた。何度見ても、ずっと見ていたいと思わせる彼らの舞。 「なにをです?」 「自分が子供だった時のことをさ」 言われてみてアケルは軽く眼差しを下げていた。遠い、神話のような昔の出来事だった。いまはない禁断の山。跡地にはほんのりとした丘が残るだけ。周囲は湿地となり、見る影もない。 「早く大人になりたい。そう思ったことがなかったか? ほんの少し認められるだけで、すごく立派になった、そんな気がしたもんだ、俺は」 「例えば?」 「そうだな……。母上に狩りの腕前を褒められた時。母上の狐の膝掛は、俺が狩った獲物でできてたんだぜ。まぁ、三年くらいかかったけどな」 からりと笑うラウルスの思い出をアケルはその耳で聞く。まるでその場にいるかのよう、幼いラウルスの興奮まで聞こえた気がした。そして優しく気丈であった彼の母の誇らしげな声も。 「母の首飾り、僕が狩った猪の牙で作ったんです。彫刻は、父がしてくれたけど。ちょっと、悔しかったな。自分でできる、作ってあげるって思ってたから」 「な? だから、あいつらのいまの気持ち、わかるだろ」 「えぇ……。思い出しましたよ。なんとなく気恥ずかしいような、誇らしいような、そんな気持ち」 子供から、少年への一歩。はじめてチェスカを踊った彼らが歩くこれからの道はどんなものになるのだろう。長い長い道のりが平坦だとは思わない。だが彼にとって素晴らしいものであればいいと願う。 「ラウルス! 一緒に踊ろうよ!」 一周してきたファネルが軽く手を取ったかと思ったらラウルスは立たされていた。と見えて、実はラウルス自ら立たされる体を取って立ち上がっている。細いファネルの腕で彼を無理に立ち上がらせられるはずもない。それを悟ったアケルがこっそりと笑った。 「まったく。子供には甘い人だな」 小さく呟けば、プリムがやってきて聞きつけたのだろう、顔を覗き込んでくる。それに向かって顎をしゃくれば、かすかに笑う。 「優しい人ですね、彼は」 「子供には特にね」 「なぜなんでしょう。聞いてよければ?」 長く付き合ってきてわかったことがいくつかある。神人の子らは、こちらが立ち入られたくないと思っているところには、決して入り込んでこない。それが物理的な場所であれ、心の問題であれ。 「かまわないよ。ラウルスには、子供がいたからね。男の子が二人、女の子が一人。とても可愛がっていたよ」 「それは……その。アケルの子ではない?」 「プリム……。無茶言わないで。いくら僕でも子は産めない」 呆れて言って見せれば赤くなる神人の子。人間と同じ地上の血を受けていても、ここまで違う。そしてよく似ている。 「あまり、人間のことはわからなくて」 「同じだと思うよ。僕も君も男だからね。男というものは、どんなものであっても子は産まない」 重々しく言えばプリムが吹き出す。それでもわずかな懸念が声に忍び込んでいた。 「プリム?」 「いえ、なんと言うか。ラウルスの子だと言うことは、その。平気なのかなと思って」 「あぁ……僕以外の女との間に生まれた子だから? 同時だったら、気にしたかもしれない。でも、僕が彼と知り合ったときにはもう王妃様は亡くなっていたからね。それに、姫様は僕をとても可愛がってくれた。姉というものがいたらあんな感じかもしれないなと思うよ」 「我々は兄弟というものがほとんどいないので想像するしかないんですけど、なんだか、楽しそうですね」 「楽しかったよ、姫様は本当に素敵な方だったから。ラウルスも、一番可愛がってた。どの子も大事にしてたけど、可愛かったのは姫様なんじゃないかな」 「だから子供が可愛い?」 「どうなんだろう。子供がいたから、その可能性って言うものがどれほど豊かか彼は身をもって知ってる。だからどんな子供の中にもそれを見るのかなと思う。神人の子でも人間の子でも、未来は拓けているじゃないか」 幼い者の中に、彼はありとあらゆる可能性を見るのだろう。すべてが善であるはずもなく、それでも彼らにとって素晴らしいものであれと。 「ラウルスを見ていると、王者というものがどんなものかわかる気がします」 「うん。彼はアルハイド王国がなくなってしまった今でも、彼の民がいなくても、人々のために王であり続けてる。僕はそう思う」 「彼の民がいなくても?」 「だってこの大地はもう三王国が治めて長い。アルハイド王国は伝説の彼方だ」 だから彼の民はもういない。この大地に暮らす人々は、三王国の民だ。それが事実であっても、ラウルスは民の守護者であることをやめないだろう。蔭から民を見守るものとして在り続けるだろう。 「だからね、もしかしたらって僕は思う。三王国の君主は、みんな彼の子孫だ。シャルマークは姫様の、ラクルーサは長男の、ミルテシアは末っ子の。蔭から人々を守ることで、子孫の支えになってるつもりなのかもしれないね。そんなこと、絶対口に出さないけど」 くすくすと笑うアケルの気持ちがわかるようでわからない、そんな顔をするプリムにアケルはほんのりと微笑む。 「僕は人間で、君は神人の子。全部理解なんてしなくていいと思うよ。何もかも理解できるなんて、そんなはずはない。そうじゃない? だから、ここはわかるけどこっちは理解できない。それでも仲良くしていられればいいよねってお互いに思ってられるのがいいんだと思う」 「……皆が、あなたのように考えてくれるのならば」 「中々ね、人間は寿命が短いからね。難しいよ、本当は。こうやって君たちを見てると、人間は駆け足で大人になって、命の限り走り抜けて死んでしまう。相手を理解しようと努力する時間も取れないままにね」 旅の間に出会った数々の人。懐の豊かな人もいれば狭量な人もいた。どんな相手であっても、自分たちしか助けられないのであれば、二人は助力を惜しまずに来た。その直後に忘れられるのだとしても、そんなことは関係がなかった。 「手を伸ばせるところにいるのに、何もしない。これが一番卑怯だと僕は思う。だから、考えるんだ」 「なにをです?」 「相手はどう思うかなってことを。自分はこう思うけど、君はどう感じるの?って考えるよ。聞くこともある。そこからほんの少し、理解が生まれる。そのままだめになることのほうが多いけど、でも無駄にはならないから」 言ってアケルは小さく歌う。生まれた理解の萌芽が、たとえこの場で枯れたとしても、どこかで必ずまた芽吹く。一度生まれたものなのだから。プリムはアケルの歌詞のない歌をそのように聞いた。思わず唇に笑みが浮かぶ。 「決めた。やっぱり、言っておきます」 「ん、なに?」 アケルは踊りの輪を見ていた。そこに、完全な理解の及ぶ人がいる。長の年月に出会ってきた数多の人間、妖精、時には悪魔。多くの異種族の彼ら。その中でたった一人だけ。世界そのもののように稀有な。魂の半身と言ってもなお足らない、自らの魂そのものというべき男がファネルと手を打ち合わせ、笑っていた。不意に振り向く。ファネルと別れて側に戻ってくる。 「別によかったんですよ」 「嘘つけ。戻って来いって言ってただろ」 「言ってません!」 「俺には聞こえたね。お前の目が呼んでたぜ」 世界の歌い手の耳はない。だがアケルが彼を伴侶と呼ぶならば、ラウルスもまたアケルを伴侶と呼ぶ。にんまりとしたラウルスの表情に、プリムのほうが照れて頬を染めた。 「で。なんの話だ?」 「いまプリムが話してくれるところです。黙って聞いてください!」 アケルの語調にプリムは笑いをこらえきれなかった。彼はどうしてなのだろうと思う。ラウルス以外と話すときには穏やかに柔らかな口調で話すアケル。だがラウルス相手では一転して絶え間なく怒鳴っているかのよう。 「いえ、なんでもないです。ちょっと耳に挟んだことがあって、それをお話ししておいた方がいいかな、と」 笑う自分を不審そうな目で見ているラウルスに向かって言えば、ぱちりと片目をつぶられてしまった。どうやらからかわれていただけらしいと気づいてプリムはもう一度笑う。 「なにを聞きつけたって?」 「魔法です」 「それが……?」 ラウルスの不審げな顔が本物になる。魔法は、この世にあふれているわけではない。だがラウルスとアケルが見たこともない想像上のものでもない。 現に、とプリムは思う。アケルの歌が導き出す現象は、魔法と言ってもいいものだと。そして自分たちの、と。 神人の子らは、人間には奇跡としか思えないような技を行使した。多少の言葉と身振りだけで火をつけ、あるいは物を飛ばす。だが神人のよう、思考ひとつでとはいかなかった。そして子らが使う魔法を父と同じゅうして見るのが人間。だからこそ崇められ奉られる。 「我々のものとも違う、無論、神人のものとも違う、魔法です」 「誰が?」 ふっとラウルスの気配が変わった。アケルの気配も。これがアルハイド国王なのだとプリムは感じる、そして伴侶の狩人だと。 「人間です」 硬い、薄い笑みだった。プリムにとっても信じがたいことだと彼の目は告げている。ラウルスとアケルは顔を見合わせ、首をかしげる。プリムの疑念の元がわからなかった。 以前から、魔法を使う人間は多少はいた。神人降臨によって世界が習い覚えた様々の驚異。それが魔法と言う形に結実した。そして、かつてアケルが予言したように、魔法をも人間は自らの技術とした。たとえごく一部のものであるにしろ。 「それとは、全く違う、神人由来の技術として、です」 プリムの言葉に、さすがに二人の顔色が変わる。かつての魔法はこの世界のものと言ってもいい。だが神人のものとは。 |