気づけば大陸各地に神人の子らの集落ができていた。プリムのところから旅立ち、いわば独立とでも言うような形で自分たちの集落を作ったものもいる。あるいはまったく彼らとはかかわりなしに自然発生的にできた集落もある。二人はそのほとんどの集落に一人は友人がいた。 「増えたよなぁ」 いまではすべての幼い神人の子をプリムの集落に送ることはなくなっている。最も近い集落へ連れて行けば、あとはそこに住むなり彼らで考えるなりしてくれるようになっていた。 「なにがです?」 「神人の子らの集落」 いまもまた、そこから出てきたばかりだった。神人の子らは一様に森の中を好む。だから振り返れば数多くの木々。そして樹上にかけられた多くの小屋。まるで禁断の山の再現のよう。よく似て違うそれにアケルは目許を和ませ何気なく首を振った。 「僕はまた、木が増えたって言うのかと思いましたよ」 「うん?」 「昔に比べれば、ずいぶん数も増えましたし、伸びましたよね」 大異変当時のことをアケルは言っているのだろう。ラウルスは改めて辺りを見回す。そして記憶の中にあるアルハイドの大地を思い浮かべる。 「……別物だよな。同じ大地とは、ずっと見てた俺でもそうは思えん」 囁きめいた彼の呟きにアケルは答えない。答えられるはずもなかった。彼の瞼の裏にあるのは彼の国、いまはないアルハイド王国。 「でもな、アケル。世界はこういうもんだと思わないか?」 「え?」 「考えてみな。俺たちが見てるのは、なんだ?」 ラウルスの響きにアケルは聞く。これはまるで死後の夢だと。人生を歩み終え、そして流れる時間を遠くから眺めてでもいるかのようだと。そして変わっていく世界を見ているかのようだと。 「違いますよ、ラウルス」 なにがどうとは言えなかった。それでも違うとしか言えない。もどかしさが響きになる。たまらなさが歌になる。 ラウルスは、アケルの歌詞のない歌を黙って聞きつつ歩いていた。ゆっくりと、アケルの思いが染み込んでくる。つくづくとありがたい、そう思う。その心が口許に笑みを刻ませ、小さな吐息となってこぼれだす。 「なにがおかしいんです?」 「お前な。俺がなに考えてるかくらいわかるだろうが」 「まぁ……たいていはね」 「だったら――」 「笑ったんじゃないってくらい、わかってますよ。なんというか、言葉にすると全然違いますけど……」 「これが生きてるってことだって、お前はそう歌ったよな?」 「そんな感じですね。だから、それにあなたが納得したくて納得できないでいるのも聞こえてますよ。あなたが、僕の歌をありがたいって思ったのもね」 「だったら」 「あのね、ラウルス。礼ははっきり口に出して言ってください。それこそ礼儀の問題です!」 声を荒らげ怒鳴って見せ。アケルの態度につられてラウルスは大きく笑う。本心から思っているのでないことくらい、ラウルスにもわかっていた。そうして長い時間を歩く不安とでも呼ぶより仕方のないものを慰めてくれるアケルの心。黙って手を伸ばせば滑り込んでくる指。 「綺麗な手だよな、お前」 「一応、吟遊詩人で食ってますからね」 「食わせていただいてますな、実にありがたい」 くつくつとラウルスが笑った。旅の間、なかなか剣の腕は売りにくい。一か所に留まる、あるいは隊商の護衛をすると言うのならば稼ぎになるのだが、そうそう働き口があるわけでもない。結局アケルが稼ぐのが日常だった。 「あなたはいつも初対面の人に自己紹介するとき、なんて名乗るんです? 吟遊詩人の護衛みたいなものだって言うじゃないですか。別にそれでいいんじゃないですか? 僕が安心して稼いでいられるのは頼もしい護衛がいるおかげですしね」 ちらりとアケルの口許に笑みが閃く。ラウルスは笑って彼を引き寄せ肩を抱く。歩きにくいから離せ、とはアケルは言わなかった。 「アケル。どこ行こうか?」 目的も目標もない旅。ただ時間だけが流れていく。ただ当たり前に、二人だけを残して。 「ラウルス。悲観的にならないでください、鬱陶しいから」 「お前な!」 「定期的に悲観的になるの、癖ですか? 別にいいですけどね、慣れましたから。ということで、鬱々としたあなたの気分を明るくするところに行きましょう」 「お前なぁ。まぁ、いいけどなぁ。で、どこに?」 文句を言いつつ満更でもない様子にアケルは口許をほころばせ、彼には珍しく片目をつぶって見せまでした。 「プリムのところですよ」 「神人の子らの集落はいま出てきたばっかりじゃねぇか」 「でも、あそこにはファネルがいませんからね」 言った途端、ラウルスの目が輝く。長い間に幼いうちに集落へと連れて行ったのがファネル一人、というわけでは当然ない。ファネルと同じほどに小さな子供もいたし、生まれてすぐ、まだ乳を飲んでいるような子供もいた。 それでもラウルスはファネルを一番気に入っていた。はじめての小さな子供だから、という理由ではないだろう。ただ気が合うとしか言いようがないもの。アケルは前回の訪問時に、そっとファネルの声を聞いた。 疑っていた、実は。ティリア王女の生まれ変わりであったシェリの例もある。ファネルが誰か、ラウルスの、否、アウデンティース王の近親者の生まれ変わりでないとは言い切れない。否、ティリアであってもおかしくはない。必ずしも女性に生まれるとは限らないのだから。 どれほど耳を澄ませても、どこまで深く聞き取っても、アケルが知る誰でもなく、ラウルスの中に思い出としてある誰かでもない。結局、ただの杞憂だったわけだとアケルは内心で苦笑したものだった。 「いいな。ずいぶん会ってないもんな。……そう言われると、すぐにでも顔見たくなっちまうが。なぁ」 「さぁ、ラウルス? 言いたいことがあるんじゃないですか?」 「頼むよ、アケル。運んでくれ」 「どんなお礼をくれるのか、とても楽しみですよ」 「お前、だんだんと妖精の女王に態度が似てきてないか?」 「こちらの世界で妖精役を務めて長いですしね。そんなこともあるかもしれませんよ? さぁ、ラウルス。ちゃんとつかまって。跳びますよ」 ちらりと笑い、アケルは歌う。ラウルスがその彼を背後から軽く抱きしめれば上がる楽しげな歌声。そして二人は掻き消えた。 「さすが俺のアケル。完璧」 「何度となく来てますからね。慣れたもんです」 「だな」 二人はシャルマークのプリムの集落の前にいた。突如として現れた人間に、神人の子らがざわめく気配を感じる。そして二人の前にプリムが現れ、いつもどおりの不審げな表情が一瞬の後に旧知の友を迎える顔になる。 「どうしました?」 「いやぁ、お前も慣れたよなぁ、と思ってな」 「あなたがたを忘れてしまうことをですか? 慣れません、少しも。忘れたくはないのに」 そっと目を伏せた神人の子にラウルスは微笑む。その気持ちだけでありがたいと。軽く肩に手を置けば、困ったようなプリムの笑み。 「ラウルス!」 そのプリムを押し退けるようにして飛び出してきた人影。当然にしてファネルだった。 「おぉ! ずいぶん背が伸びたな? 少しは大人になったかー」 飛びついてきた子供を抱きかかえる大人の図、ではあった。アケルは苦笑してプリムと顔を見合わせる。 ファネルはすでに少年と呼ぶべきだった。もう子供ではない。それも、人間の少年、ではなく彼らの種族の少年だ。 「なったもの! 色々できるようになったの。ラウルス見る?」 甘えるようにラウルスに抱かれているファネルは、どう見ても子供の体ではなかった。人間ならば充分に青年で通る。それなのに彼の心はいまだ少年のまま。神人の子らの成長とはそういうものだった。長い長い二百年にも及ぶ幼年期を過ごし、五百歳ほどでようやく少年。 「あぁ、そうだ。アケル。チェスカがもうすぐですよ、参加しますか? ファネルも戻ってますし」 幼年期を終えた神人の子が、はじめて年長者に交わって彼らの集いに加わる。それを喜ぶのがチェスカという踊りだった。アケルとラウルスはもう何度も見ているし、仲のよい子供が大人に交わる祝いに加わったこともある。もちろん、ファネルの最初のチェスカも。あれはもう、三百年も前のことなのかと思った途端にアケルはくらりと眩暈を覚えた。 「もちろん! ラウルス――」 「聞こえてたよ。なんだよお前、遊び歩いてんのか? もうそんな年かよ。早いなぁ」 「早く大人になって、それでプリムの手伝いする。楽しみにしてるんだ」 「うん? 神人の手伝いはしないのかー?」 からかうようなラウルスの声にファネルは思い切り嫌な顔をした。それを冗談にできるだけ、彼らには信頼の強い鎖がある、とアケルは思う。 「神人は好きじゃない。人間はもっと嫌い」 「だったら俺は?」 「……人間じゃないじゃない」 「どこがだよ? 俺もアケルも紛れもなく人間だぜ。な、アケル?」 「いささか厚かましいんじゃないかと思うようになりましたけどね、僕は」 はじめて生まれた神人の子であるプリムより「年長の人間」という奇妙な存在だ、自分たちは。呆れ顔で言えばラウルスがにんまりとした。 「それでも俺もお前も人間だ。とりあえずいつかは死ぬしな」 「やだ! 絶対やだ! ずーっと一緒にいてよ。ラウルスもアケルも」 いまだ腕に抱いたままの神人の子に、ラウルスは何を言うことができただろう。この体ばかり大きくなって心はいまだ幼い子供の彼に。 「ラウルス?」 人間にとっての死、というものがどういうものか、ファネルは知らないわけではないだろう。ただ、実感としてはないだけで。それがラウルスとアケルを見舞うとは、考えられないのだろう。 「そうできたら、いいけどな」 長い間、折に触れて成長を見守ってきた子供だった。嫌なことも楽しいことも、彼は細大漏らさず語ってくれた。そんな子供だった。だからこそラウルスには微笑みかけるしかできなかった。 「ラウルス、チェスカ。踊っていくよね?」 「当たり前だろ!」 笑みに何を汲み取ったのか、子供ながらに気遣ってくるファネルが愛おしかった。悪戯にきつく抱きしめアケルを振り返れば、彼もまたなんとも言えない笑みで二人を見ていた。 |