「王様だったって本当? ずっと前に? ずっと前っていつ?」
 すっかりとラウルスに慣れたファネルの質問攻めに、彼は意外とも言える忍耐強さで挑んでいた。否、久しぶりに子供がいたころのことを思い出して楽しんですらいた。アケルには彼が口にしなくともわかる耳がある。
「ずっと前はずーっと前、だ」
 答えになっていないことをラウルスは笑って言う。腕に抱かれたファネルもそれに気づいたのだろう、唇を尖らせる。
「だって、人間でしょ? ずっと前から生きてるの?」
 神人の子らの知覚力にアケルは舌を巻く。まだたった三歳のファネルではあったが、彼らは自らの種族は時に縛られることがなく、人間には寿命があると言うことを知っている。もっとも、それはただ知っているだけであって実感ではないだろう。
「おぉ、そうだぜ?」
「嘘。だって人間だもの」
「おいおい、嘘つき呼ばわりは酷くないかー、うん?」
 茶化して言えば、頑固にファネルは唇を噛みしめ、それでも少しは申し訳ないと思うのか上目遣いにラウルスを見上げた。その頭を撫でてやってラウルスは大きく笑みをこぼす。
「ま、嘘かほんとかこいつに聞いてみな」
 言われたファネルは驚いて振り返る。そしてそのままラウルスにきつくしがみついた。
「到着。連れてきたぜ、プリム」
 そこは神人の子らの集落だった。話に夢中のファネルは少しも気づかなかったらしい。ラウルスにしがみついた指先が白くなるほど緊張していた。
 ラウルスはじっとプリムを見ていた、アケルも。わずかに揺れる眼差し。見ず知らずの他人と言いたげな唇。それが一瞬の間に旧知の光を宿す。何度見ても安堵する光だった。だがプリムは彼らより先、小さな子供に長身をかがめて挨拶をしてくれた。アケルの目がほんのりと甘くなる。
「はじめまして――?」
「ファネルだ。こいつはプリム。俺たちの友達で、お前たちの種族で一番年上の子供だ」
「……子供?」
「だって俺たちよりずーっと年下だからな」
 笑顔のラウルスに、プリムでさえ呆気にとられ、次いで大きく笑った。それ以前にアケルは吹き出している。
「少なくとも、この地上を歩いている生き物で僕らより年上ってほとんどいないような気がしますけど?」
「とりあえず神人がいるだろ」
「あれは歩いてませんから」
 きっぱりと言ったアケルにファネルが小さく笑った。そのことにラウルスが内心で息をつけば、聞き取ったのだろうアケルが片目をつぶってみせる。
「ようこそ、ファネル。君がいたいだけここにいるといいよ」
「……いなきゃだめなのかと思った」
「だめじゃない。私はただ、君の手助けがしたいだけ。わかる?」
「……わかる。けど」
「話の途中にすまんがな、プリム。俺たちも少し滞在させてもらっていいか」
「もちろん。歓迎しますよ、二人とも」
 プリムには当然わかっただろう、それが小さな子供のためだと。ファネルにとってはここは知らない土地、知らない人々だ。
 だがそれもすぐに薄らいだらしい、たとえ驚愕のためであったとしても。集落の中には、以前来たときより多少は少なくなったようだったが数多の神人の子らがいた。動きの優雅な彼らが、あちらで集い、こちらで語り合う。一人きりで楽器を奏でるもの、遠いどこかを眺めているもの。すべてが神人の子だった。
「減ったか、プリム?」
 案内してくれる後ろ姿に言えば、振り返ったプリムが苦笑する。肩をすくめたところを見れば、どうも何かがあったとしか思えない。
「神人が、手伝いをしないかと」
「はい? なんのだ、なんの」
「私に言われても、それはちょっと。ついて行った仲間にも、わからないかもしれませんね」
 賛成できなかったのだろう、プリムは。二人はできるだけ彼らの前で神人への反感は口にしないように心掛けてはいるが、なかなか徹底はしにくい。いかんせん、彼ら自身、その父の種族に軽い遺恨があるのだ。遺恨、とまで言っては言い過ぎかもしれないが、顧みられることもなく生み出された生き物としては当然あってしかるべき不満でもある。
「お前はどうして行かなかった?」
「私はここで仲間と過ごしているのが好きなんです。それに、小さな子供の相手をするのも楽しい」
 ファネルに目を合わせ、微笑んで見せれば、まだ子供はラウルスにしがみついたままだった。
「すっかり気に入られたみたいでね」
 くすりと笑ってアケルはプリムと並ぶ。背後でラウルスが足を緩めたのを感じた。ファネルに向かってあれはなんだのこっちに何があるだの話して聞かせてやっている声。
「ファネルのことだけどね、プリム。もうずいぶん人間嫌いになってる。放っておいていいなら、そうして。違うなら、少し人間のことを教えてあげて」
「もう嫌いに? あなたがたには悪いですが、私も人間はあまり好かない。でもファネルは――」
 まだ生まれたばかりのように小さいのに。プリムの目が開かれ、けれどアケルは首を振る。ゆっくりとプリムに子供の生い立ちを語って聞かせた。
 世界の歌い手の語りだった。まして相手は神人の子。一度でいい、一度きりで充分だった。それでプリムの心にはファネルの過ごしてきた時間が、そして感じてきた思いが刻み込まれることだろう。
「……それは、無理もないかもしれません」
「僕らも旅の間、気を付けたつもりではいるけどね。でも、あの子の親族と同じような人間にも出会ってるから……なんとも言えないな。たぶん、まだすごく嫌いだと思う」
「不思議ですね、人間は」
「なぜ?」
 アケルが問うたのは、礼儀のようなものだった。すでにプリムの問いが聞こえている。それに神人の子は気づいたのだろう。にこりと笑った。
「私たちの体に流れる血の半分は、あなたがたのもの。この身を切れば赤い血が流れるのです。それなのに、どうして人間は我々を崇めるのか、私にはわからない……」
「僕にも、わからないな。ラウルス?」
 ひょい、と大股の一歩で近付いてきたラウルスが苦笑していた。ファネルはラウルスの腕の中で安心したのだろう。きょろきょろと辺りを見回していた。
「それはな、人間は弱い生き物だからだ。つい何かに縋りたくなる」
「いまはそれが神人であると言うだけ。昔はこの人だったけれどね」
 悪戯っぽく言えば、目を輝かせたファネルの顔。首をかしげて前のめりになり、危うくラウルスの腕から落ちそうになる。
「おいおい、危ないだろうが」
「いまの、本当? どうして? ラウルスがどうして?」
「前にお話ししてあげたよね。ラウルスが王様だったから。昔の人は、みーんな王様がなんとかしてくれるって思ってた。王様もとっても頑張ったしね」
 ちらりとラウルスを見やれば渋い顔。アケルが言ったのは嘘ではなく、限りなく真実ではある。だが彼の口から出ればどうにも茶化されているようにしか聞こえなかった。
「……あの、その。プリム?」
 小声でもじもじとしたファネルに、アケルは目を細めた。アケルには聞こえた。ファネルがプリムに仄かな親和の情を持ったことが。人間でいえば兄のような、というところだろうか。
「なに?」
 さすがにこの集落に、これほど幼い子供ははじめてだった。おかげでプリムもどう接したものか戸惑っているのだろう、少しばかり固い口調だった。
「ラウルスたちが、プリムより年上って、本当?」
「あぁ、そうだよ。ちょっと、信じられないよね。この人は――」
 ちらりとアケルを見てプリムは微笑む。ゆっくりとファネルの眼差しが追ってくるのをアケルは感じていた。
「私の誕生を祝う歌を歌ってくれた。まだ生まれたばかりで他のことはよく覚えていないけれど、あの歌だけは、覚えている」
「普通、生まれたばっかのことなんざァ人間の子だろうが神人の子だろうが覚えていないっての」
「そうですか?」
「お前ら、覚えてるのか?」
「いいえ? 人間もなんですね。……だったら、やっぱり、どうしてなんでしょう。先ほどあなたは人間は弱いから縋りたくなる、と言った。アケルはかつてはあなたに縋り、いまは神人だと言った。でも、我々は違う、彼らの子ではあっても、彼らではない。それなのに人間は同じように見るのです。どうしてなんでしょう」
 ラウルスは天を仰いでそっと溜息をついた。アケルはこらえきれずに吹き出している。それを不思議そうに子供が見やり、なにがなんだかわからないとプリムが交互に二人を見やる。ひどく心地よい時間だ、とアケルは思う。失ってしまった日常がここにある。
「ラウルスはね、プリム。ファネルが色んなことをどうしてって聞くだろう?」
「……えぇ」
「それは人間の子でも同じだって言う。三歳くらいの子供はそういうことをするみたいだね。人間の子も、神人の子も同じ」
 アケルの声の響きにプリムは何を聞き取ったのか。唐突とも言える激しさで彼の眼差しが和んだ。ある日目覚めたならば窓の外が一面の春の野原ででもあったかのように。
「おかげでラウルスは旅の間ずっと質問攻めだ。おまけに僕がついでとばかり質問をする」
「それは……その、大変でしたね」
「それでいま君が、また質問だ。ラウルスは笑いたかったんだよ。三歳児がいっぱいだってね」
「少し酷いと思います、ラウルス。私はもう子供ではないのに」
 笑いながら文句を言いつつ、プリムはアケルを横目で見やった。彼もまたもっともらしくうなずいている、それも腕まで組んで。
「中身が三歳じゃあ、なぁ」
 ちらり、ラウルスが目の端でアケルを見やって何事かを仄めかすような眼差し。アケルは勢い良く息を吸い。
 そして吐き出す羽目になる。以前起こした大騒動をアケルは幸い忘れてはいなかった。はじめは当たり前のよう怒鳴ったものだった。あなたは子供の僕に手を出したのか、と。はじめて会ったころのプリムは少年だった。再会した彼は、大人だった。アケルの言葉に含まれた意味を理解してしまった彼は、そして彼のみならずその場に居合わせた全員が林檎もかくやとばかりに赤くなったのだった。
「……覚えておくんですね、ラウルス!」
 言い返せないアケルはそんな憎まれ口を叩くのみ。腕の中のファネルがくすくすと笑い、婉曲な表現に仄めかされたものの裏側に気づいたプリムがほんのりと頬を染めた。




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