子供と言っても神人の子だった。その頑健さは人間の子とは比較にならない。だから二人はごく普通の夜営をしただけだった。
「慣れたもんだよな」
 すでに何人かの神人の子をプリムの元へと連れていった経験がラウルスに苦笑をさせた。幼い神人の子は、焚火の側で丸くなって眠っている。
「はじめはもっと気を使ったものですけどね」
「丈夫だもんなぁ、こいつら」
「男としてはほっとしますよ。やっぱり子供のことはよくわかりませんからね」
 肩をすくめたアケルにラウルスは忍びやかな笑い声を漏らす。眠る子供を気遣ってのことだった。それにアケルが不満そうな眼差しを向けた。
「いや……。子育ての経験がないわけでもないだろうにな、と思ってな」
「シェリのことですか?」
 こうして子連れで夜営をすれば嫌でも思い出す子供のこと。幼かったシェリのこと。はじめての晩のこと。母のため、髪を売った丸刈りの小さな女の子。
「まぁな」
 ラウルスは、誰より父親としてシェリを愛していた、そう言い切る自信がある。ただ、アケルには負けるかもしれないと時折は思う。
 アケルもまた、彼がそう感じているのを知っていた。はじめはラウルスのためだった。彼の実の娘、ティリア王女の生まれ変わりを身近に置こうとしたのは。
 だがシェリと共に過ごすうち、アケルもまた彼女の魂に救いを求めていたのを知った。この手の中で慈しんで育て、そして嫁がせた娘を思う。とっくに逝ってしまった娘を。
「お前、雑だったよなぁ。シェリが小さな子供だって、最初はわかってなかっただろ」
「そんなことないです! 僕だって、別に子供が側にいなかったわけじゃないですから。山ではみんな一緒くたに育てますからね」
「本当か? それにしちゃあ……」
 思わせぶりに言葉を切ったラウルスに、アケルは殴り掛かるふりをして笑っていた。二人のやり取りなど眠る子供は聞こえてもいないのだろう。穏やかな寝息だった。
「こうやって見てると、あのころのシェリとそんなに変わらないよな」
「どこがです? 大雑把な人だな。あの時シェリは八つでしたよ。この子はまだ三つくらいでしょうに」
「そうじゃねぇって。子供は子供だなってことだ。神人の子も人間の子も、大して違わねぇよ、これくらいなら」
 それをラウルスが口にした。そのことにアケルは奇妙なほどの感動を覚えた。神人をこの上なく憎んでいたラウルス。アザゼルが王位に就いて以来、憎悪は薄らぎ、嫌悪程度になってはいる。だが、根本的に好意を持っていなかった、神人には。その彼が、変わらないと口にする。
「そうだろ、アケル? まぁ、ちょっと見目形が子供にしちゃ整ってるかなって程度だ。可愛い子供なら人間にだっているしな」
「――僕には」
「うん?」
 感動のあまりうまく声が出なかった。それを理解しているようラウルスは目を細めてうなずいている。あるいは自分の言葉に照れているのかもしれなかった。
「子供の美醜の区別なんか、つきませんよ」
 冗談口を叩き、アケルは笑う。それでずいぶんと呼吸が楽になった。アケルの笑い声に誘われるよう、子供が寝返りを打つ。その拍子にずれてしまった毛布を直してやるアケルの手つきにラウルスが再び目を細めた。
「そうか? 可愛い子供ってのはいるぜ」
「誰が一番可愛かったんです?」
 即座に言ってのけたアケルにラウルスは喉の奥で笑った。本当は吹き出したいところだったのだが、さすがにそれでは子供が目を覚ましてしまうだろう。
「お前なぁ」
「だって、区別がつくんでしょう?」
 にっこりと笑うアケルにラウルスは仕方のないやつだとばかり肩をすくめる。それからにんまりとしてアケルを見やった。
「一番は……」
「一番は?」
「まぁ――」
「なんですか、歯切れの悪い人だな! 昔のことじゃないですか。別に言ったからってなにも思いませんし、そもそも聞いてるのは僕です!」
「あー、はいはい。一番可愛いなぁと思ったのは――」
「だから誰なんですか!」
「お前?」
 にやりとした男に、アケルは息を吸うのも忘れて怒鳴りそうになった。ちょうど子供が身じろがなければ、そうしていたことだろう。
「ラウルス……」
「だって言えっていったの、お前だろ」
「僕は子供ですか!? そんな年でもなかった気がしますけど!?」
「息子と同じくらいの年だったけどな」
「ラウルス!」
 声を潜めての怒鳴り声にラウルスはくつくつと笑い声を上げていた。いい加減、からかわれていると気づかないアケルでもなかったが溜息もつけない。
「幼児の年で可愛かったのはティリアだよ」
 だからあっさりと言われてしまって、かえって拍子抜けした。言いたくないからこそ、誤魔化しているのかと思った自分が馬鹿のようだ。下手な勘繰りをした自身をつい責めたくなってしまう。
「ちょっと冗談が過ぎたか? 許せよ」
「……別に、その」
「お前も適当なところで止めろよなぁ」
「止めて止まらないのは誰ですか!?」
「俺かよ!」
 言ってラウルスはまたも喉の奥で笑う。横目に子供を眺めつつ。身近に小さな子供がいるとき、ラウルスは他のどんな場合よりも穏やかな顔をする。アケルはそれを知っていた。
「姫様が可愛かったのは、やっぱり女のお子様だったからじゃないんですか」
 ラウルスの、いい気分を壊したくなかった。かつてならば、ティリアの話題は禁句だった。だがいまとなっては。遥か遥か昔の話。父としての彼の痛みが去ることはなくとも、和らいではいた。それをアケルは身をもって知っている。シェリを思えば。
「それは違うぞ? ケルウスとルプスだったらルプスのほうが可愛い顔をしてたな、そういえば」
「そう……なんですか?」
「大人になってからは、ケルウスのほうがいい男になったけどな」
「自分には敵わないけど?」
「まーな。俺にはお前がいるけどケルウスにお前はいないからな」
 にんまりとしたラウルスに、からかったはずのアケルのほうが赤くなる。それを見てはまた彼が小さく笑うのが、アケルは心地よかった。この夜空の下、星々の下、どこかにティリアでありシェリであった魂が暮らしているのかもしれない。偶然か必然か、あるいは物の弾みでもいい。すれ違うだけでもいい。いつかどこかでまた会いたい。そう思う。
 ラウルスは黙って物思いに沈むアケルを見ていた。世界を歌う耳がなくとも聞こえる彼の思い。長い時間を経てなお癒えることも癒すつもりもない痛み。こんなとき少しだけ思う。メイブ女王の花を素直に受け入れたほうがよかったのだろうかと。思った途端、すぐさま否定する気持ちでもあるのだけれど。
「そろそろ寝ようぜ。もう遅い」
 ふ、とラウルスが空を見上げる。月がずいぶんと高く昇っていた。アケルは見なくとも聞こえていた。静かで豊かな夜の歌声が身の内に響いている。
 朝靄の中、目覚めればひどく静かだった。このまま今日は天候が崩れるのかもしれない。鳥たちの鳴き交わす声も聞こえなかった。
「――ぬかった」
 渋いラウルスの声にアケルは飛び起きる。聞こえない小鳥の歌を探す気分など一瞬にして飛んだ。それほど切羽詰まった彼の声。
「どうしたんです?」
 見ろよ、とばかりラウルスは顎をしゃくった。そこには毛布の抜け殻が。神人の子はどこにもいなかった。
「どこかでちょこまかしてるだけならいいんだけどな……。アケル、わかるか」
「ちょっと待ってください」
 アケルにも神人の子らの思いは聞き取りにくい。それはラウルスも知っていた。だが他にも聞くべき相手はいる。それもラウルスは知っていた。
「まずいな……。逃げましたね、あの子」
「探しに行くか」
「もちろんです!」
 狩人時代の習慣で、アケルはいつ何時でも発てるよう、荷物の準備はできあがっている。眠る前に支度をするのが幸いしていた。
「逃げたってどういうことだ」
 ラウルスもまた荷物を掴んで剣を佩く。一動作の滑らかさが目に美しい。だがいまはそれすらアケルの目に留まってはいなかった。
「僕らが信用できなかったんですよ、たぶん」
「人間だから?」
「人間だから」
 言いつつアケルの足は淀みなく進んでいた。森の木立の中を迷うことなく歩いているのは、彼に耳があるおかげ。
 神人の子の思いは聞き取りにくい、ましてさほどよく知りもしない子供だ。だからアケルは別の存在に尋ねていた。森に、大地に、鳥に獣に。この世界に。
「こっち……」
 かえってそのせいだったのだろう、アケルが気づかなかったのは。咄嗟に彼の腕を掴んでラウルスは引き戻す。
「ラウルス?」
「声がする。まずいぞ、本格的に」
「え?」
「盗賊の類だろうな。ふらふら歩いてる子供、それも良家の子息だろう服を着た子供、だ。盗賊だったら何をする?」
「捕まえて身代金、あるいはそのまま売り飛ば――」
 アケルが青ざめ、飛び出そうとする。それをラウルスは止め、だが下がっていろとは言わなかった。木の間から前方を窺えば、確かに盗賊らしき人影。
「アケル。何人だ」
「五人です」
「上出来。充分だな。お前、右手の二人、頼むぜ」
「僕が三人引き受けます。だからあの子を頼みますよ」
「あいよ、任せた」
 にやりとしてラウルスが目を細める。はじめからアケルがそう言うだろうことを予測していたのかもしれない。
 二人は同時にその場から離れ、左右へ別れていく。身を隠しつつ、盗賊を別方向から襲うつもりだった。アケルは狩人として、盗賊の夜営の仕方に怒りを覚える。あれでは森が荒れてしまうと。そしてラウルスは焚火の側に縛って転がされた子供の姿に怒りを覚えた。
「しまった、名前もまだ聞いてねぇわ」
 ぼやいてラウルスは剣を抜く。逃げ出したのはもしかしたらそのせいか、と彼は感じた。子供は母の身内に神々のよう崇められていた。それが嫌で無言で泣いていた子供を思う。それなのに、同族のところに連れていくと言った大人の一人は自分の名も尋ねてくれなかった。同じだ、と思われたとしても不思議ではないことを自分はしたのだ。
「ごめんな――」
 だがいまは後悔よりまず救出が先。そろそろアケルの赤毛が盗賊の中に閃くことだろう。ラウルスの予想は当たり、彼もまた戦闘の輪の中に飛び込んだ。




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