目覚めたとき、すでにプリムは起きていた。にっこりと笑って熾火になった焚火の火を掻き立てる。朝の茶を淹れてくれるつもりらしい。
「おはよう、早いな」
 隣でラウルスも目覚めプリムに話しかけていた。それに彼はきょとんとする。そしてラウルスがなにを言っているのか理解したのだろう、少しばかり微笑んだ。
「私たちはあなたたちほど眠らないから」
 ではプリムは目覚めていたのではなく、眠らなかったのか、とアケルは思う。一晩中、焚火の側に座っていたのか。胸苦しくなるほど、孤独な姿を瞼に思う。
「なんだかいいな。プリムは世界が歌う夜の歌をその耳で聞く。アケルは夢の中で聞く。同じものを別の方法で聞いてるってのに、俺にはちっとも聞こえやしねぇ」
 残念無念と言うようラウルスは大きく腕を広げて慨嘆する。それにアケルが思わず吹き出し、睨みつける。
「嘘おっしゃい。僕を通してあなただって聞こえてると思うんですけど?」
「まぁ、漠然とはなぁ。でもはっきり聞こえたことなんかほとんどないからな。やっぱり羨ましいぜ?」
「そんなのお互いさまじゃないですか。あなたができることで羨ましいことなんて、いくらでもありますから」
「たとえば?」
「――たとえば、もうちょっと身長が欲しかったな、とか」
「お前な! もうちょっと他にないのかよ他に!」
「仕方ないでしょ! 咄嗟に思いつかなかったんだから!」
 言い合う二人の間を風が走り抜けた。そう思ってしまうほど鮮やかな笑い声。プリムだった。くすくすと笑う神人の子のその姿に人間二人は知らず見惚れる。
「いいな、あなたたち。とっても素敵だ」
「そりゃ、光栄?」
 歯切れの悪いラウルスをまたひとしきりプリムは笑った。とことん気に入られたらしい。思うアケルだったが、それ以上にプリムの思いを汲むことはできなかった。だから、驚いたのだ、プリムの言葉に。
「あなたたちだったら、招待してあげる」
「ん、どこにだ?」
「私たちの集落。人間風に言ったら村?」
「そんなところがあるのか!」
 素直に驚けるラウルスを立派だとアケルは思う。呆気にとられて言葉もなかった。気づけば驚きのあまりリュートを奏でているのだから自分で自分がわからなくなりそうだった。が、吟遊詩人が板についてきた、ということかもしれない。もっとも、狩人であった時間よりよほど長くなってはいるのだけれど。
「もう少し先にあるよ。来る?」
 プリムの響きに、ようやくアケルは理解する。この神人の子は、ある意味では斥候だったのだと。自分たちの集落に近づく人間がいたから様子を見に来たのだとアケルは知った。
「もちろんだ。喜んでお邪魔する。な、アケル?」
「えぇ、素敵でしょうね」
「うん?」
「だって神人の子らって美人揃いじゃないですか。あなたの目の保養になるんじゃないかと思って」
「それはなんだ、嫌味か。それともお前のほうが綺麗だって言ってほしいのか?」
「そうじゃないでしょう!」
 アケルとしては単に美しい人たちがたくさんいるから楽しいだろうと言っただけだった。そのような捉えられ方をされては心外だった。が、単純にからかわれたのだとすぐさま気づく。長い溜息をプリムが笑った。
「じゃあ、朝ご飯食べていこう」
 笑う神人の子のその響き。アケルははじめて彼の響きを捉えることができたと思う。ほんの少しであったとしても、彼が心を開いてくれたおかげかもしれない。
 プリムの言葉が、心遣いだとわかってしまう。彼は人間ほど睡眠が必要ではないと言った。そしていま、響きの裏側で彼は言う。食物も同じだと。人間ほど多くを必要としない彼だった。それでも共に食事をするという行為を楽しみたいのだと。
 だからアケルは腕によりをかける。昨夜の残りのスープだけ、などでは断じて許せなかった。干し果物と穀物で柔らかな粥を作り、昨夜の残りのチーズを細かく砕いて落とした。
「蜂蜜があればもっといいんだけど」
 さすがにそこまでの用意はなかった。昔はよく作ったものだった。干し果物の粥にたっぷりと蜂蜜を落として食べるのがシェリは好きだった。
「蜂蜜? もらってきてあげる。ちょっと待ってて」
 どこに、誰にもらいに行くのだろう。疑問を口にする前にプリムはすらりと立ち上がり行ってしまった。ラウルスと顔を見合わせ、アケルは肩をすくめる。
「わかるか?」
「全然。――このわからなさ具合が、懐かしいですよ」
「なるほどな」
 シェリを育てていたころの懐かしさに通じるか、とラウルスは無言の中で言う。子供の相手がさっぱりわからなかったアケルだった。シェリと共に様々なことを学んでいった彼だった。
「最後にゃ立派に子育てしてたもんな」
「父親がどろどろに甘いもので致し方なく」
「と言って母親だったわけでもなし。面白いやつだよ、お前は」
「僕が母親になったりしたらこの世は終わりです。いくらなんでも産めません」
「……ちょっと」
「なんです?」
「いーや。やめとく。なんか殺されそうな気がするわ」
 言葉だけでアケルは理解した。声音など聞くまでもない。眉を跳ね上げ声を荒らげようかと思った瞬間、プリムが戻る。
「お帰り、プリム。具合のいい時に戻ってきたぜ」
「なにが?」
「アケルに怒鳴られそうだったんだ。お前が戻ってくれたおかげで怒られないで済んだ」
「済んでませんから。あとできっちり話し合おうじゃないですか」
 拳を握りしめるアケルに、その態度では冗談も言えないとぼやくラウルス。それを見つつプリムはひどく幸せな気分だった。
「はい、これ。蜂蜜ね」
 柔らかな木の葉を巻いて作った簡易な器にたっぷりと蜂蜜が入っていた。受け取った途端に、甘く豊かな香りが鼻先に漂う。
「なんて素敵な。こんなにもらってしまってよかったの。大丈夫?」
 蜂蜜は高価だ。簡単に分けてくれと言ってもらえるものではないだろうと気遣うアケルにプリムは微笑む。意味がわかっていないのは明白だった。
「あのな、プリム。蜂蜜ってのは人間の間じゃ高価なんだ。高価ってわかるか?」
「概念としてはわかるけど、実感としてはわからない」
「まぁ概念だけでもわかってりゃいいよ。だからアケルは心配してる。お前に迷惑をかけたんじゃないかって気にしてる」
「迷惑? なんで?」
「だからな……」
「蜂蜜が欲しかったから、私は蜂にお願いしたの。少しもらえるかなって。お願いしたら、蜂は分けてくれた。――蜂には、迷惑だったかな?」
 ラウルスは唖然とした。蜂に迷惑だったかと問われたこともそうだが、それ以前に蜂に頼んだと言うことが。
「そっか。お願いしたんだ。だったらプリムは蜂のお願いも聞くの?」
「うん、できることがあればね。花が少なくなってきたけど、どこかにいい花畑はないかって聞かれたことなら何度もあるよ」
 軽い頭痛を覚えた。しみじみとシェリを思い出す。子育ては大変だったと。そしてアケルは思う。ラウルスも思う。
 この世界に、神人の子が馴染んでいくのはおそらく無理だろうと。世界に、ではない。人間に、だ。あまりにも無垢であまりにも異質。いずれこのプリムも遠い将来には大人になるのだろう。だがこの無垢さが消えるとはとても思えなかった。
 それが、あるいは不幸かもしれないとラウルスは思う。神人の子らの無垢さを人間は恐れるだろう。かつてアルハイドを治めた王として、ラウルスにはそれが嫌というほどよくわかる。
「さぁ、食べますよ。せっかくプリムがもらってきてくれたんだ。美味しいうちにいただきましょう」
 ラウルスの懸念が、アケルには痛いほどよく聞こえた。できれば、だから守ってあげたいと思う。神人の子らを。アケルは覚えている。生まれたばかりのプリムの姿を。そして大異変から生き延びてきた人間たちの姿を。
 だからこそ、思う。人の子も神人の子も、同じこの世界の生き物ではないかと。ならば共存していけないはずがないと。共に手を携えなどしなくてもいい。隣の道を歩む隣人として在れればそれで充分ではないかと。
 採りたてにもほどがあるプリムの蜂蜜は、町で買い求めるものとは段違いの香りを持っていた。いつもよりラウルスの食が進んだのはそのせいかもしれない。あるいはアケルの心を感じ取ったせいかもしれない。
「よし、行くか」
 夜営地の後始末をし、ラウルスは言う。それにプリムがうなずいていた。彼への同意ではなく、森の大地を汚さないよう心掛けたラウルスの行為に対しての、それだった。
「あなたたち、不思議だね」
「ん、なにがだ?」
「だって人間って、私たちを見るとひれ伏したり騒いだり。忙しいから」
 肩をすくめるプリムにわずかな嫌悪をアケルは聞き取る。プリム自身は自分を、自分たちの種族を、ごく当たり前の生き物と見做している。だが人間はそうは見なかったらしい。
「なんてったって神人様のお子様だからなぁ、お前たちは」
 ラウルスの皮肉げな声にプリムは笑った。彼がそのようなこと、微塵も思っていないのが感じられないほど鈍くはないプリムだった。
「親子って、よくわからない。母は知らないうちに亡くなっていたし、父親ってなに? 私たち、誰も父親を知らない。それなのに人間はみんな神人のお子様って言う」
「迷惑な話だよなぁ。親が誰だろうと関係ないだろうにな。まして知りもしないのに。ほんと迷惑な話だよ」
 ラウルスの言葉にこめられた真実にプリムは破顔した。アケルは聞き取る。彼もまた、親が誰だろうと関係ないと言いたい過去があったのだと。言うに言えない経緯の末に父の元に迎えられたラウルスは、アルハイド王国史上最も偉大と謳われる王となった。




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