指折り数えて、馬鹿らしくなってラウルスは放り投げた。相変わらずの旅の途中だった。 「どうしたんです?」 ちょうどミルテシアから発って、今度はシャルマークへ行こうと決めて歩き続けてきた。そろそろそのシャルマークも人が住まない北部に差しかかる。王都シーラはもうずいぶん南だった。 「いや、なんというか。大異変からどれくらい経ったかな、と」 「考えるだけ無駄だと思いますけど?」 「だよなぁ。さすが、思い切りがいい」 「褒められてる気がしません!」 単にアケルは自分の人間としての寿命を越えたあたりで諦めただけだ。数えても無駄ならば、この命がどれだけ長かろうが短かろうが精一杯生きるだけ。そして呪われていない頃でもそうであったと思うに至って、アケルは平静になった。 「さすがに寿命の倍は生きてるからなぁ」 「あなたが倍なら僕は五倍ですが」 「……だな」 数えない、と言いつつも大体のところは数えてしまう。それが人間と言うものかもしれない、そうアケルは内心で小さく笑う。大異変より、六百年ほどが過ぎていた。カーソンの思い出は伝説の彼方。シェリの思い出すらすでに遠い。二人の中では昨日のことのよう鮮明であったしても。 「それにしても増えたな」 「なにがですか、急に」 「あれだよ、あれ」 六百年の歳月で変わったこと、変わらなかったこと。最も大きな変化はもちろん神人の降臨と、それにまつわる均衡の変化による異種族の撤退。次いで神人の子の誕生か。アケルは思う。そして気づいた。 「あぁ、屋敷ですか」 遠くに神人の館が見えていた。大陸各地に、彼らが住む館が建つようになりはじめたのは、いつからか。 「最初は、あれだよな?」 ラウルスの言葉にアケルはうなずく。おそらく最初の館は、かつての彼の城。ラウルスが幼い頃を過ごした彼の祖父の城を神人は自らの屋敷とした。 「あれ、いまでも腹が立つんですよね」 「昔のことを」 笑うラウルスだった。だが、目だけは真剣にアケルに向けて感謝を捧げていた。アケルは咄嗟に目をそらしてしまう。 「照れるなって」 ぼそりと言うラウルスに、顔を見もせず拳を突き出す。素晴らしい音がして、衝撃が拳に伝わる。が、軽いもの。見事アケルの拳はラウルスの掌に納められていた。 「増えたって言うなら――」 「子供も増えたよな?」 少しずつ、神人の子が増えはじめている。美しい彼らが大陸をさまよう姿を何度となく見ている。 「少しは、育ったような気がしないか?」 神人の子の成長は、人間とは違うらしい。二十年ほどで人間の大人と同じほどまでに体は育つけれど、精神面では幼児同様。 「それで言葉だけは達者なんだから、いやになっちまうね」 ラウルスにしてみれば子育ての苦労を思い出す、というところかとアケルは笑う。三歳児に何百年も付きまとわれたらたまったものではないだろう。とはいえ、ラウルスは本質的に子供の相手が嫌いではない。シェリを見ていてアケルにはそれがよくわかった。 「子供、好きじゃないですか」 「自分の子はな」 「そう、なんですか?」 きっぱりと断言したラウルスに意外を覚える。そしてアケルの口許がほころんだ。 「なんだよ?」 「覚えてます、シェリのこと」 言えば忘れるものかとばかりの眼差し。遠い遠い昔話になってしまったシェリ。けれど彼女は二人の娘、大事な娘だった。 「はじめて会ったときから、あなたはシェリに優しかったな、と思って」 「相性、かな? どうだったかなぁ……なんだかこう、はじめから村のやつらが育てる気がないんだったら俺が引き取るぞくらいの勢いだったような覚えがあるような?」 ティリアの生まれ変わりだと知るより前から。それはラウルスの魂が娘と知ったのかもしれない。単に相性の問題かもしれない。アケルは口で言うよりラウルスが優しい男なのを知っていた。 「シェリ、どうしてるかなぁ……」 遥かな空を見上げてラウルスは言う。旅立ってしまってどれほどになるのか。二人とも、それだけは数えなかった。 「シェリ、なんですか?」 聞いていいことかどうかは、アケルにもわからなかった。不快ならばラウルスは目でたしなめてくるだろう。だがラウルスは少しばかり笑っただけ。 「シェリだよ。ティリアじゃない」 同じ魂。だがしかし別人。ティリアは、側に置くことができなくなってしまった娘だった。その死を看取ることすらできなかった娘だった。シェリは手元で大切に育てて嫁に出した娘。彼女の記憶から二人が消えても、折に触れて顔を見に行った娘。最期を送った娘。 「うまく言えんがな、アケル。ティリアは俺の娘だった。わかるか?」 アケルは目をそらさないよう強いて笑みを浮かべた。アウデンティース王とロサ王妃の長子、ティリア王女。それが彼女だった。 「シェリは、俺たちの娘だ。俺と、お前の娘だ。わかるか?」 ティリアに、短い間であっても慈しまれたアケル。もしも自分に姉がいたのならば彼女のようかとも思ったことがあった。だがシェリは。 「おい、アケル」 「ほっといてください!」 この手に抱いて育てた小さな娘。一緒に歌い、一緒に料理をし。その小さな手が服を縫ってくれたことさえある娘。 彼女が旅立ってから数百年を経ようとも、娘を亡くした悲哀は去らない。ティリアの死に、あれほど激しく動揺したラウルスの気持ちが、痛いほどよくわかる。 「俺たちの娘は、もう生まれ変わってるかな?」 ラウルスの手が、歩きながらアケルの頭を撫でていた。まるで子供にするようなその仕種。小さなシェリにしてやったことの数々を思い出す。してやらなかったことと共に。 「生まれ変わってるなら、また会いたいよな。また会って、俺たちの娘になってくれないもんかな」 「無茶、言いますね」 「なんでだ? 一度あったことは二度でも三度でもあるもんだぞ。世界ってのは、意外とそんなもんだ」 からりと言うラウルスの声の響きに救われた気がした。彼が言うだけで、本当にそうなるような気がしてしまう。事実でなくともいい。嘘でもかまわない。アケルはただ彼を信じるだけだ。彼と共に見る夢を、信じるだけ。 「それにしてもあれだな。不思議なことが一つある」 この話はここまで、とでも言いたげにラウルスが声の響きを変えた。髪を撫でていた手がさらりと肩まで下りてきては留まる。 「なんです?」 ほんの少し寄り添った。歩きにくいかもしれない。それでも今は肌身に彼の体温を感じていたかった。ふとほころんだラウルスの気配に、彼もまた望んでいたことと知る。 「人間、生まれ変わるもんだって、俺もお前も知ってる。実例見てるしな?」 「それがどうしたんです?」 「なんで俺たち、生きてるんだ?」 「はい?」 ラウルスの言葉の意味が久しぶりに理解できなかった。表面的な意味は無論、理解できている。だが彼が何を言いたいのかが、わからない。 「だからな、アケル」 困ったよう、ラウルスが片手で頬の辺りをかいた。それから天を見上げ、地に眼差しを落とし。首をかしげては不思議そうな顔。 「黒き御使いがなに言ったか、覚えてるか?」 「するべきことをしなきゃ死ねないって言ってましたよね」 「つまり、何かやらせたいことがあった、ということじゃないのか?」 「あぁ……。それは、そうかもしれませんね」 「だったら、どうして俺たちなんだ?」 「例えば、魔王の剣が必要だとか」 「別に俺じゃなくてもいいだろ」 肩をすくめるラウルス。まだ意味がわからないアケルは不安に駆られる。もしやこの長い生に彼は飽きてしまったのか。自分と共にあることに倦んだのかと。 「アケル」 杞憂だった。ほんのりと笑ったラウルスの唇が頬を掠めた。馬鹿なことを考えるなよ、とでも言うように。言葉より正確で、言葉より深いところで。 「要するに、だ。人間は生まれ変わるもんだろ。だったら、用事があるときに生まれ変わった俺たちを探して、魔王の剣なり必要なもんを授けたほうが手っ取り早かった気がしないか?」 「あ……」 考えもしなかった。言われてみればその通り。なにも不自然な生を歩ませることなどないではないか。もっとも、長い時間を楽しんでいないわけでもないのだが。 「ま、俺もお前と一緒にいられる時間ってのを存分に味わってるけどな。頭に重いもんが乗っかってたころにはとてもこうはいかなかったからな」 王位にあっては、一介の狩人であるアケルを傍らに置くことはできようはずもない。仮に寵童として王宮に迎えることを王が望んだとしても、アクィリフェルが同意しなかっただろう。彼は禁断の山の狩人だったのだから。それを思えば。 「いまの時間は、なんとなくご褒美って感じだよな?」 「僕は怖いですよ」 「幸せすぎてか?」 「ラウルス! なに陳腐なこと言ってるんですか!?」 「そこは馬鹿なことを言うなってところじゃないのか?」 「どっちも一緒です! 僕が言いたいのは、ご褒美にもほどがあって、何か取り立てられるんじゃないかってことです!」 「……なるほど」 「ラウルス?」 「つまり、お前も相当に幸せだ、と。それは重畳。俺も愛してるよ、アケル」 「人の話を聞いてください!」 「考えても無駄だ、無駄」 実際そうだろうとアケルも思ってはいる。が、ラウルスに言われるとどうしてだろう、納得しがたいのは。そんな彼の心の内を知ってか知らずかラウルスはにんまりと笑っていた。 |