子供を連れて旅をするわけにはいかなかった。シェリを育てるつもりならばどうしても定住する必要がある。それにあたってラウルスが選んだのはラクルーサの王都だった。
「下手に田舎だと色々詮索されるからな」
 成人男性二人に少女が一人。確かに組み合わせとしては珍しい。まして男性二人のほうは紛れもなく親子と言う年ではなく、どう見ようとも兄弟には見えない。
 同性が互いを伴侶として養子を取ることは珍しくはないが、共同体の中で親類縁者の子を我が子とするのが一般的だ。見ず知らずの他人の子、と言うのはいささか珍しくはある。子供を育てるならば環境として雑音がないほうが望ましい。
「だからアントラルがいい」
 そうラウルスは言った。言われてみればラクルーサ中から大勢が集まってくるのだ。少々のことでは騒ぎになどならないだろうし、多少変わった組み合わせの三人が暮らしていても奇異な目で見られることもないだろう。
 そうして三人はアントラルに来た。まだ幼いシェリは、それでなくとも旅などしたことがなかったのだ。ずいぶんと足も痛かったことだろうし、つらかったのではないかとアケルは思う。それでも気丈についてきたのは帰る場所がないとの思いと、なにより。
「あなたがいるから――」
 そっとアケルは呟く。シェリは知らない。ラウルスも気づいてはいないだろう。それでも確かに親子の絆が今ここにある。
 亡くなったティリアとシェリは間違いなく別人だ。アケルにはそれがきちんと聞き分けられている。それでも同じ魂。ティリアに宿っていた魂が、再びラウルスの元を訪れたこの奇跡。そう簡単なことではないし、出会えることのほうが不思議。そのように歌う世界の声もまた、アケルには聞こえていた。
 さすがにずいぶんと旅をしているけれど、二人の役割分担は相変わらずだった。町を離れればアケルが、町ではラウルスが活躍する。元々山の狩人であるアケルは、いまなお街の生活に馴染めない。
 そんなラウルスが見つけてきたのは一軒の家だった。
「ちょうどいい貸家があったぜ」
 連れていかれたのは繁華な街の路地を一本入った、賑わいもそこそこ、住人の質のほうもそこそこ、と言った土地に立つ家。小ぶりで住みやすそうな家だった。
「ねぇ。ここ……」
 きゅっとラウルスの服の裾を掴んでシェリが彼を見上げていた。それにそっと微笑む目は父親の色。二人が親子ではないなどと思う人はたぶんいないだろうとアケルもまた微笑む。
「今日から俺たちの家だ」
「おうち?」
「そうだ、お家だぞー」
 ひょい、とシェリを抱き上げ、率先してラウルスは扉を開けて入っていった。シェリの歓声が聞こえる。アケルは小さく微笑んで、少しだけ切なくなる。本当に、心から嬉しそうな少女の声。こんなお屋敷に住んだことなんてないと喜ぶ彼女の声。山育ちの狩人だと言ってはばからないアケルにして、さほど大きな家ではないと言うのに。まして屋敷だなどとは。
 家の中は、前の住人が丁寧に使っていたのを思わせる清潔さだった。発つときにしっかりと掃除をしていったのだろう几帳面さがアケルには好ましい。
「階下は水場と居間だな」
 シェリを抱いたままラウルスが振り返る。言われてアケルは台所を見に行った。中々こちらも使い勝手がよさそうだ。と思ったことで気づく。
「もしかして、料理は僕の担当ですか?」
「今更、だろ?」
「まぁ、あなたの作ったものを四六時中食べるかと思うとぞっとしますけど。第一シェリの体に良くないですし」
「そこまで言うか!」
「言われない程度のものを作ってから文句言ってください!」
 ぎょっとしたようシェリが体をすくめ、次いでくすくすと笑った。旅の間に二人のやり取りに慣れたものらしい。
「……ラウルスは、お料理下手なの?」
 小さな手でラウルスにすがりつつシェリが彼を覗き込む。だが答えたのはアケル。むっつりとしたラウルスはそっぽを向いていた。
「お肉を焼くだけ、とかなら上手だよ? それなのにスープの一つも作れない。ほら、シェリが最初の朝に食べたスープ、あったでしょう? 塩漬け肉と豆だけだったけど。あれでもこの人に渡してごらん。なんだかものすごいものになるから」
「人がとんでもねぇもん作るみたいに言うなよ!」
「豆と肉がかろうじて食べられなくはない、と言う程度の物体と化したものがとんでもなくないんだったら、何がとんでもないんです?」
 笑って言い、アケルは台所から歩き出す。小さな家でも見てまわるべきところはいくらでもあった。もう一つの部屋のほうは居間と言うよりは食堂兼用、と言うところだろう。台所に隣接していてこちらも使い勝手がいい。以前の住人の団欒の名残が聞こえるようだった。
 ふと思い立って台所に戻っては窓から顔を出してみる。そこには小さな裏庭があった。
「見てごらん、シェリ」
 ラウルスに抱かれたままのシェリが素直に首を伸ばした。そして嬉しそうな声を上げる。前の住人は小さな菜園にしていたのだろう。さすがにもう作物は残ってはいない。だが子供が遊ぶには充分な広さだった。
「お。ちょうどいいな。水浴びするのに」
「残念ですね、ラウルス?」
「何がだよ?」
「風呂がなくって、ですよ」
 庶民が暮らすための借家に風呂の設備などあるわけがない。ラウルスは端から諦めていたのだが言われればやはり顔を顰めたくなってしまう。
「ラウルス、お風呂ってあったかいの? シェリ、あったかいお風呂、入ったことない」
「気持ちいいぞ。俺は水浴びより好きだなぁ」
「あなたは贅沢なんですよ」
 笑って言えばシェリまで拙い舌で贅沢贅沢、とラウルスを笑った。それに気を悪くしたわけでもなかろうが、ラウルスは二人を促す。振り返った表情は明るかった。
「上行こうぜ、上」
 はしゃぐラウルスの声に嘘を聞く。シェリのためにいかにも楽しく過ごしている彼の声が。新しい生活にシェリが不安を感じていないはずがない。それを少しでも和らげてやりたいとのラウルスの思いが。
 階上は二部屋に物置代わりになるような小部屋が一つ。広いほうを当然のようにラウルスはとる。それからシェリを見やって笑った。
「こっちはお前な?」
「え……?」
「シェリのお部屋だよ。どんなベッドを入れようか、うん?」
 少しだけ、ラウルスを見る目が変わりそうだった。縦にしても横にしても親馬鹿だ。ティリアを育てていたときにはどんな父親だったのか、と思えば多少なりとも頭痛がする。
「嘘……」
 だがシェリはそんなことは知らない。ラウルスの腕に抱かれたまま大きく目を見開き、そのつぶらな目から。
「おいおい、シェリ。泣くなよ」
 慌てたふりをしたラウルス。わかっていたのだろうその態度に、アケルはそっと含み笑いを漏らした。
「でも。だって。じゃあ……」
 ちらり、とシェリがアケルを見やった。それから思わず視線をそむけてしまいそうになるのを強いてアケルは耐える。今度はラウルスが笑いをこらえていた。
「アケルは俺と一緒だ。だからこっちはシェリのお部屋。それでいいよな、アケル?」
「悪いって言ったら僕が悪者じゃないですか!」
「アケルお兄ちゃん、いいの。シェリ、大丈夫。だからこっち――」
「ほらほら、アケル。お前が怒鳴るからシェリが気にしてるだろーが。いいんだって、シェリ。いっつも一緒に寝てんだ。わざわざ別の部屋なんざいらねぇよ」
 別に恥じることではないし、咎められる筋合いでもない。だがしかし、とアケルは拳を握る。
「それって、子供に言うことですか!?」
「ここまでは言っていいこと。言っちゃだめなのはここから先だ。と言うことで、こっちはシェリの部屋。それでいいな?」
 シェリとアケル、二人がうなずくに至って、アケルは気づいた。自分が誤魔化されたことに。
「なんだかものすごく子供扱いされた気がするんですけど?」
「気のせいだってことにしとけ。平和だろ?」
「まぁそうですけどね」
 わざとらしい溜息をついて見せればシェリが口を覆って吹き出した。その姿にアケルもまたほっと息をつく。内心でのそれは、演技など欠片もない本物だった。
 さすがに空の家一軒。家財道具のだいたいは揃ってはいたけれど、鍋釜の類から寝台などの大物家具は自力で揃えるよりない。
「お前の稼ぎがよくって助かったよ」
 しみじみとラウルスが言うからアケルは吹き出す。確かに用心棒の給金よりは吟遊詩人のほうが稼ぎがいい。それにしても、とアケルは思う。
「なんだかそれじゃ、だめな男ですよ?」
「あれか。女の稼ぎにぶら下がって暮らす類の男か?」
「そうそう。貢ぐ僕も僕ですけどね」
「貢がせてるよなぁ」
「それ、真面目に言われると返す言葉がないですから!」
 笑ってアケルはラウルスの溜息をいなした。いずれ二人きりで生きてきた。どちらがどう稼ごうが二人の金に違いはない。アケルはそう思っているが、それに寄りかからないラウルスの気概がまた好ましくもある。
 二人のための大型の寝台、シェリのための子供用の寝台。新しい食器にシェリの新しい服。ついでにアケルは自分たちのぶんも少し新調した。
「定住して稼ぐなら、見た目もそれなりに重要ですからね」
 吟遊詩人らしい身なりのものを選んだ、と言うことだろう。派手な布地だったが、よほど職人の腕がいいのかさほど突飛な印象でもなかった。
「綺麗! アケルお兄ちゃんに似合うよ」
 出来上がってきたアケルの服を、シェリはおずおずとした手で触っていた。触れたらそれだけで汚してしまうのではないかとばかりに。否、汚したと言って叱られるのではないかと恐れるように。
「俺はシェリの服のほうが可愛くて好きだけどなぁ」
 ほら、とラウルスが新しい服をあてがってやれば、驚いてシェリは逃げた。そこにあるのが自分の服だとは認識していなかったらしい。アケルとラウルス、二人で仕立て屋のところに採寸に連れて行ったというのに。
「着替えてきな、シェリ」
 押しつけるよう服を渡されて、シェリは戸惑っていた。少しずつ頬に赤みが差していく。まるで夜明けだ。世界を歌うアケルは思う。




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