ラウルスは、じっと三人の曾孫たちを見つめていた。何を思うのだろうか、彼らは。アケルならば聞こえるのだろう、明瞭この上なく。ちらりと彼を見やれば黙って首をかすかに振った。 そのことで、最後の決心がついた。事ここに至って今更ではある。だがラウルスにも容易につけられる決心ではなかった。 「あなた様が、真実アウデンティース様だというのならば、なぜなのです!?」 ラウルスの決心を後押しするようなラクルーサ王の声だった。アケルではないラウルスにですら聞き取れる醜い響き。 「なぜ神人がたを王に立てるなど!」 「ご自分の曾孫ではありませんか。曾孫の王国を取り上げて、いかに偉大なお方がたであろうとも、神人にお渡しになるとは――」 ラクルーサ王に、シャルマーク王が続く。一人、ミルテシア王だけが黙っていた。ラウルスは一度瞑目する。アケルには、彼の心が手に取るように聞こえていた。ゆるりとリュートの弦を弾く。励ますように、これが最も民のためになる手段だと断言するように。 「曾孫だから、なんだというのか」 ラウルスが目を開けたとき、その意思の光に撃たれなかったものはいなかった。三王国にとって不幸なことだ、とアケルは思う。 「我が曾孫だというのならば、お前たちは何をすべきであったか。わずか数世代を経ずして、アルハイドの心は果敢なくなったか」 嘆声を放ちつつも強い響きのラウルスの声。正しく王の声だった。そのような響きを持つものが数多く存在するわけはない。だが、とアケルは思う。彼の三人の曾孫もまた、王であった。だからこそ願う。ほんのわずかなりとも彼のようであってほしいと。彼を愛する者としてではなく、禁断の山の狩人として。陰ながら民を守ってきた守護者として。 「ラクルーサは、我が長男ケルウスの孫だと言うだけで首位を主張した。シャルマークは愛娘ティリアの孫だと言うだけで自らを誇った。結果、戦争を起こす? なんという愚かさか」 淡々とした声であるのに、二国の王は言葉を返せなかった。彼らとしては言いたいこともあるだろう。それだけではないのだと言いたいことだろう。アケルにはそれが聞こえている。だが、ラウルスの語った言葉こそが最も大きな理由だとしたら、反論などできるはずもない。たかが子供の喧嘩で民の命を散らせるつもりかとの叱声に、言葉もなかった。 「ミルテシアもだ。ルプスの孫だと言うだけで下に見られているからどうした。何もせずして何もできないとはいかなることか」 先日ミルテシアを訪れた男と同一人物でありながら、今ここにいるのは往時のアルハイド王。サリックスは息を飲む。 「我が曾孫が治める三王国ともにアルハイドの心を忘れた王を戴くと言うのならば私にも考えがある」 す、とラウルスの視線が背後のアザゼルを振り返る。神人はその目に何を見たか。アケルにもそれはわからない。ただ、聞いた。ラウルスの心を。そこに響く悲しみを。 「三国の王たちが民の守護者であることを忘却するのならばアザゼル殿、アルハイド国王アウデンティースは、あなた様に王冠を献じよう。王国を献じよう。我が民を献じよう。民の守護者足り得るあなた様に」 痛烈な皮肉だと気づいたのはアケル一人。今まで何もしてこなかった神人に、いま民を害そうとしている王たちから守護者の任を取り上げる。アケルはどちらもどちらで甲乙つけがたく思う。どうでもいいという意味において。民のためにこそ、不幸なことだった。 ただ、神人が変わりつつあることもまた事実。ならば期待をしていいのかもしれない。今後、本当に変わりゆくと言うのならば、人間の王よりは、少なくともこの三王たちよりは、よほど善政を行うことだろう。それが人間の言葉においての政治ではなくとも。 「王位に就かれませ、アザゼル様」 ラウルスが、膝を折った。神人の首位、アザゼルの前で。アケルは目をそらしたくなる。彼のそのような姿はとても見ていられなかった。 それなのに、膝を屈してさえ、ラウルスは王だった。優雅に気高く、王だった。アケルはこみあげてくる涙を抑えかねつつ、三国王を見やる。 「ご覧あそばせ、三人の君主がた。あのお方こそが、正しく王のお姿。民を思い、民のゆえに行動をするお方。どうぞ見習われませ」 覚えておいてほしい。アウデンティース王を忘れてもかまわない。ラウルスを忘れてもかまわない。神人の使者であった男がいたことすら忘れてもいい。 ただ、彼の心だけは覚えていてほしい。アルハイドの大地に生きるすべての人々のために。 ラウルスが、頭上の花冠を取り去り、アザゼルに捧げていた。アルハイドの王冠ではなく、だがラウルスにはこれ以上なく王冠であったものを。 「アウデンティース様の王冠は、大異変の際に失われました。いまはもうない、かつてのハイドリン城に埋もれました」 それがここだ、とアケルは眼差しで示す。まだ生まれてもいなかった王たちはそろって呆然と前方を見ていた。 「ですが、それゆえの花冠ではない。おわかりですか、君主がたよ。アウデンティース様には民のすべてが我が子。大地のすべてが居城。ならば大地の花で頭上を飾り、その背に星々をまとったとてなんの不思議がありましょうや?」 それこそが、本当に王であるということなのだと、彼らが理解できる日は来るだろうか。来てほしいと心から願う。 「民のため、お心を尽くされますよう、アザゼル様。そのすべてを民のために捧げられますよう」 ラウルスの言葉に、アザゼルがうなずいた気配がした。アケルはそっと目を閉じる。今ここに、アルハイド王国が終わったのだとの思い。自らの王国を二度、失うこととなったラウルスはどうなのだろう。そう思った自分をアケルは内心で笑った。何も思っていないに違いない。民のためになるのならばそれでよい、心からそう思う男なのだから。 「お待ちくださいませ! アウデンティース様はすべてを民のために捧げろと仰せになる! 真実、王とはそうあるべきなのですか」 「当然だ」 立ち上がり、神人の王の前から一歩を引いたラウルスの頭にもう王冠はない。それでもアケルの目に彼は王に見えた。 「民を思い、民のために行動をし、すべてを捧げ、自らの血の最後の一滴まで捧げ尽すのがアルハイド王だ。我が王国から分かれたお前たちの責務でもある」 「そう仰せになりますが。そのようなこと――」 できるはずがない、シャルマーク王は最後まで言いかねて口をつぐんだ。それを引き取ったのはラクルーサ王。 「あなた様はすべてを、と仰せになる。ならばお尋ねします」 意地の悪い声だな、とラウルスは思う。性格に問題がある、とは思いたくない。血の繋がった曾孫であるし、何より今後のことがある。民のために真っ当な王であってほしかった。 「民のため、命をかけねばならないのならばそうなさるのか」 「何を愚かな」 「アウデンティース様がそうなさったからこそ、今あなた様がたはこうして生きておいででいらっしゃる。ご存じないとはまさか仰せになりませんでしょう?」 口々に言う彼らにラクルーサ王は唇を噛む。命をかけたと言っても生きているではないか。そう言いたいのであろう心がアケルには聞こえていた。 「私は民が生を全うすることができるのならば、そのために我が命が必要ならば何度でも同じことをするだろう」 結果としていま自分は生きてはいる。だがそれになんの違いがある。ラウルスはそう言いたかった。言ってもおそらくは伝わらないのだろうけれど。 「ならば――もし仮に、愛する方を捧げなければならない事態が生じたとして、あなた様はそうなさることができるのでしょうか」 ラウルスは笑った、朗らかに。そこに酷薄な響きを聞いたのはアケルのみ。否、神人も気づいたらしい。わずかに気配がざわめく。咄嗟にアケルは前に出た。 「それには私がお答えいたしましょう。三王国の君主がた。我が身はすでに捧げられたものゆえ」 「何を――」 「我が生命、我が運命、我が魂。そのすべてを捧げましょう。我が王が民を思うその心ゆえに。王が望まれなくとも、私は何度でもそうすることでしょう」 三国王にはわからない。二人も言わなかった。人間としての生命を曲げられているのだとは。それは祝福ではなく、紛れもない呪詛。だが今の彼らにとって、それは祝福と聞こえかねない。 「王たると言うことは――よく聞くがいい、曾孫ども。権力を手中にすることではない。民の生死を思いのままにすることではない。軍の全権を握ることではない」 「人が人として、その生命を全うできるよう尽くすこと」 「王がすべきことはその一点のみ。捧げねばならぬと言うのならばアクィリフェルだとて捧げよう」 「喜んで捧げられましょう。民思う心篤き我が王のために」 三国王に語っているように見えて、その実ラウルスとアケルは神人に向けて言葉を放っていた。これがアルハイド国王の在り方だ、と。これが正しいこの世界の王たる姿だと。そしていま、王冠を得たからには神人もそうあれ、と。 「民を守らん王などいらん。そればかりでなく、民の命を戦争などと言う愚行で散らす王など不要と言うより害悪だ。民の命を守ってこその王。それができないと言うのならば膝を屈するがいい、神人の王に」 ラウルスがアザゼルを見やる。王と呼び、胸に手を当て再度膝折る。それでもなおラウルスには王たる者の威があった。不意にアザゼルの手が伸びる。助け起こされたラウルスが、わずかに目を見開いて驚いていた。 「聞くがいい、人間の王国の主たちよ」 シャルマーク王は思う。もしも自分が膝を折ったとして、神人の王が助け起こしてくれることはないだろうと。それを思えば羞恥に顔が歪みそうになる。ラクルーサ王も同じく思う。そして自らの至らなさを棚に上げ、妬ましかった。ミルテシア王のみ、助け起こされた曾祖父を誇らしげに見ていた。 「我らは人間世界に、その政治に関与はしない。ただ、覚えおくがよい」 ラウルスをアケルの元に返したアザゼルが、それでよいのかと問うような眼差しをした気がした。見てしまったようなアケルはわからないままにうなずく。 「戦乱の嵐を巻き起こそうとするのならば、我ら決して許しおかぬ。頼りなきその心に刻み、励むがよい」 ラウルスは、内心に嘆声を漏らす。シャルマーク王とラクルーサ王のほっとした表情。王権を取り上げられることはないのだとの思いが如実に表れたその表情に。 |