ミルテシアの王宮は、それぞれ個性はあるものの、他の二国とさして変わらない作りだった。アルハイド王国が元になっているのだからそれも当然か、アケルは思う。 城下町の人々が城内に生鮮食品などを納めるために入る門を越え、もう一つの門の前に立つ。そこから先は、城内に勤める人たちしか入ることができない。 「なんの用だ。ここから先は――」 無論、だから衛兵がいる。アケルはにっこり微笑んでリュートをかき鳴らす。そんなものに動じる自分ではない、とばかり衛兵の顔が渋くなった。 「カルミナ・ムンディがアルハイド国王陛下アウデンティース様をお連れした。疾く通すように」 きょとんとした衛兵。ラウルスはこっそりアケルに隠れて苦笑する。そのようなことを言われて誰が信じるものか。襟首を掴まれて放り出されるのが落ち。それが常人ならば。だがここにいるのは世界の歌い手。 「は――」 最敬礼をして衛兵は駆け出す。アケルはラウルスを振り返って肩をすくめた。 「いいんですかね。あれ。引き継ぎもしないで行っちゃいましたけど」 「そうさせたのはお前だろうが」 「僕はあなたが陛下ですよって言っただけです。他のことは言ってない」 嘘をつけ、と思ったもののラウルスは口をつぐんだ。アケルが怖かったのではない。飛んできた大臣と思しき男の顔が見えたせいだった。 「アウデンティース様だと!?」 あり得るはずはない。アウデンティース国王は、すでに二百年以上前に行方がわからなくなっている。王家の血を考えれば、存命であることは考えられるものの、疾うに死んだものと思われているのもまた当然。 「こちらに」 アケルは優雅な礼をした。その陰にいる男こそ、アルハイド王だと示すように。だがそこにいるラウルスは、と見ればどこから見てもくたびれた旅人。それもずいぶんと年季が入って半分ほつれたような服を着た。 「何を――」 戯言を。あるいは、罰するとでも言いたかったのだろう大臣の前、アケルがリュートを爪弾いた。瞬間、音が響き渡る。ラウルスには聞こえた。だが他の誰にも聞こえないアケルの歌。大臣の目が丸くなる。 「……陛下!」 お前の陛下はミルテシア王だろうに。思うラウルスは苦笑するしかない。肩をすくめかけ、そういえば今はアウデンティースなのだと思い出して諦める始末。長い間かつての名を名乗っていない弊害だな、と思いつつ。 「ミルテシア王に所用だ。王は私の……曾孫になるのかな?」 「は。仰せの通りにございます」 「では案内を」 破れた跡を繕った服を着ていても、ラウルスは王だった。軽くアケルを片手で促せば、大臣が訝しげな顔をする。それに衛兵が悲鳴じみた声を上げた。 「こちらは! 世界の歌い手、カルミナ・ムンディにございます!」 「なんと……」 それ以上目を丸くしたら落ちる。喉元まで出かかった言葉をラウルスは飲み込んだ。疲れてかなわない。二百年以上と言うもの、好き勝手に過ごしていると王冠の重みと言うものが今更だがよくわかる。 「カルミナは我が側近。よもや……」 「誰が待てなどと言うものですか! 陛下もぜひお会いしたいと仰るはず」 言って大臣は混乱した。アケルとラウルスはすでに二か所で見慣れている風景だった。大臣の混乱をそのままに、彼らは城内へと進んでいく。 「陛下……」 「アウデンティースでよい。ミルテシアの王は曾孫なのだろう?」 王国に、王は二人はいない。陛下と呼びかける人間が二人もいては混乱するというものだろう。ラウルスにこだわりはなかった。むしろこだわっているのはアケル。 「ですが、陛下」 「我が王国はすでにない。呼称ごとき、こだわるのはよせ。カルミナ」 「我が王の仰せのままに」 軽く一礼して見せるけれど納得はしていない。何も彼こそが真実の王、と思っているからではなかった。今後の折衝がやりにくくなりかねない。それだけだ。 「曾孫は、なんというのかな? ルプスに似ているだろうか」 「陛下の御名をサリックス様、と申し上げます。建国王陛下によく似ておいでだと、伝わっております」 どうやら壮年に見える大臣は、ルプスを知らないらしい。当然かと思い、ラウルスはほんの少し時間の流れと言うものが切なくなった。 そこに忍び込むリュートの音色。まるで真の国王の凱旋行進のたった一人の楽隊。ラウルスは内心で小さく微笑む。沈んだ心を察してくれたアケルのありがたさ。 王宮は、少しずつ拡大していったらしい。大異変当時はなんとか国王の住居の格好をつけただけだっただろうに、三王国ともに華やかな建築へと建て直されていっている。 「これは……」 ラウルスがふと目を止めたのは、小ぶりの離宮だった。アケルはすぐさま理解する。大異変直後に、王宮として利用されていた宮殿だった。それ以前は公爵邸だったと聞く。 「以前、王宮だったものだな? 手を入れて使っているのか」 「は。決してかつての惨事を忘れてはならない、との建国王のお言葉にございます」 「ルプスは正しい」 うなずくアウデンティース王に大臣はほっと息をついていた。問題は、とラウルスは思う。ルプスの考えをきちんと曾孫が理解して受け継いでいるかだ、と。 ――どうにも怪しいもんだがな。 内心で呟けば、隣でアケルが微笑んだ。吹き出すのをなんとかこらえたらしい。感情を面に出せるアケルが羨ましいラウルスは、ちらりと彼を横目で睨む。素知らぬ顔をして彼はリュートを奏でていた。 「しばしこちらでご休憩くださいませ。陛下に……陛下のお越しを申し上げてまいりますゆえに」 王宮の一室、ラウルスが見るところ、ラクルーサやシャルマークからの貴賓が休息するために設けられている部屋らしい。そこまで案内して大臣はあたふたと消えた。 「あれ、変だと思わないのかね」 「変だとわかってても、どうしようもないじゃないですか」 「名前でいいって言ってんのにな」 「はいそうですかって呼べる人がいたらお目にかかりたいですが」 「鏡見ろよ」 そっけなく言ってラウルスは用意されていた茶に口をつける。贅沢になったものだと思いつつ。菓子も存分に砂糖を使った華奢なもの。 「食べるより眺めたほうが綺麗ですね、これ」 「食っても旨いと思うがな」 「なんだか、もったいなくって」 照れて笑ってアケルは菓子を手に取った。自分の狩人の荒い指では持つだけで壊しかねない。そんな顔をして。 「綺麗な指だよな」 「はい!? なに言ってるんですが、僕の手は――」 「リュートの弦に置いてあるほうが多いだろうが、いまは。弓の弦より」 アケルは返す言葉を失って、悔し紛れに菓子を口に放り込む。甘かった。もったいないほど甘くて、腹立たしいほど旨かった。 「贅沢だな」 昔、ラウルスと出逢ったばかりのころに同じようなことを言った記憶が蘇る。彼もまた同じだったと見え、二人顔を見合わせて笑みを交わした。 と。慌ただしい音がして扉が開かれる。もっとも、扉だけは丁寧に開かれたから、ラウルスは気づかなかったかもしれない、アケルがいなければ。寸前に音を聞きつけたアケルが顔を顰め、だいたいの事情を察していた。 「陛下がお待ちにございます。申し訳ありませんが、おみ足をお運びいただけますでしょうか、陛下」 「どこだ。かまわん」 「は、ありがたき幸せ。こちらに」 混乱しているな、とアケルは笑いをこらえるのに必死だった。国の大臣ともあろうものが敬語に混乱をきたしている。無理もないか、と同情したくなったものの、原因が自分たちなだけに空々しかった。 大臣について歩いていきつつ、ラウルスはだいたいどの辺りを歩いているのかわかっていた。地理的な場所ではなく、概念的な場所として。そろそろ謁見の間が見えるだろう、と思ったら案の定。 「カルミナ」 どうやら疑われているぞ、と目で示せば当たり前だと目顔が語る。そして任せろと言うよう、アケルはリュートの弦に指を触れさせた。 「アルハイド国王、アウデンティース様の御入来にございます」 到来役まで自分で務めてしまった大臣の慌てぶりに、ミルテシアの気風を見た気がした。ルプスもどちらかと言えば慌て者だった、とラウルスは懐かしく思い出す。 「騙りはそちか」 玉座の上、傲然と坐したままの王がいた。アケルは動じない、ラウルスなど風が吹いたほどにも感じていない。大臣が一人、泡を食っていた。 「陛下……!」 「そなたは黙っておれ。我が曾祖父の名を騙るなど、極悪にもほどがある。何者か」 「曽祖父本人だがな」 肩をすくめ、ラウルスは玉座の前まで気軽に歩いて行った。無論、アケルもあとに従う。その足取りに、ミルテシア王は不思議を見る。庶民にしてはずいぶんと気後れしないその様に。 「さて、曾孫殿。どうしたら曾祖父と証明できるかね」 にやりと笑うラウルスに、手助けがいるか、と気配で語りかければ、もうしばらく遊ばせろ、との内心の声。聞いてしまったアケルは溜息をつきたくなる。ただ、少しだけ思う。ラウルスは、ルプスの孫とただ話したいだけだと。はじめて会った、今まで顔も知らない曾孫。それでも幸福を願わないはずはない。そういう男なのだから。 「証明? できるものか。たとえ正しく名乗ろうとも、たとえ王妃様の名を知っていたとしても――」 「名乗り? アウデンティース・ラウルス・ソル・アルハイド。ついでに王妃か。名はロサ・グローリア」 サリックスがぎょっとする。当然だった。最後のアルハイド王の正式名を知る者は多くない。アウデンティース王、とのみ知られている。まして王妃。民間にはロサ王妃、としか伝わっていない。グローリアの名を知る者はいないはずだというのに。 「王妃はロサ・グローリアだが、のちの伴侶はアクィリフェルという」 突然だった。サリックスが玉座を蹴立てて立ち上がる。その動作の激しさに、アケルは咄嗟にラウルスの前に出る。よもやとは思うが、まさかがないとも思えなかった。 |