ラウルスが文句を言いながら歩いていた。アケルは思わず笑ってしまう。すでに何度も同じことを言っている、飽きもせずに。 「いや、悪いとは思ってるぞ?」 「本当ですか。そのわりにはしつこいですよ」 「だってなぁ」 シャルマークからの帰りだった。ラクルーサをまず訪れた二人は、当然のように衛兵に追い返されそうになった。見るからに庶民のなりをした旅人。神人の使者だと言って信じてもらえるはずがない。 それを強引に信じさせたのはアケルだった。にっこりと笑って、では一曲。そう奏でた後には衛兵は素直に取次ぎをしてくれた。次々とその要領で突破して、ついには国王の謁見までこぎつけたアケル。無論、国王もその調子で信じさせた。 「だからな、働いてるのはお前であって俺じゃないだろ。俺はどっちかって言ったらついて歩いてるだけ、だな」 それが不満、なのではなく不甲斐なくてたまらないのだろうラウルスに、アケルは微笑む。そこにいてくれるだけで充分。何度言っても彼にはわからない。否、わかっているのに、なおそれ以上をくれようとするラウルス。 「のんびり王宮見物、と洒落込めばいいじゃないですか」 「あれだな、意外と個性が出てるよな?」 「そうですか? 個性を知るほど王子がたを知らないんですよ、僕は」 「そうだったか?」 ラウルスは忘れているのだろうか。自分はラクルーサ・ミルテシアの初代国王となったアルハイドの王子たち、ケルウスとルプスとはそれほど親しくはしていなかったということを。 向こうに避けられていたのでもアケルが避けていたのでもない。王子たちにしてみれば、父の恋人。アケルにしてみれば恋人の息子たち。互いにどう接していいものか迷っているうちに、最後の日を迎えた。 「でもティリアとは、仲よかったよな。お前」 ほんの少し、ラウルスの声が滲んだ。早くに亡くなった娘を思うとき、ラウルスは今でも胸を締め付けられる。 「姫様が僕を庇ってくださったんですよ。僕はひどい態度をとったのにね」 「それは、まぁ。……なぁ?」 「大部分的に悪いのは僕ですけど、原因はあなたですから」 「……わかってるから言うなって!」 慌てて怒鳴ったラウルス。少しは気が晴れただろうか。思った瞬間、それを悟られたことにアケルは気づく。 「ありがたいよ、アケル。でもな……」 「あなたがいてくれるだけでいいって言ってるのに。信じてくれないんですか、ラウルス?」 「それ、信じろって脅迫してるよな?」 「してません!」 疑いもあらわなラウルスの声にアケルは怒鳴る。そして怒鳴らされたことに気づくありさま。あとになれは自明の事実も、その瞬間までいつもアケルはわからない。 「もう、あなたって人は」 ふん、と鼻を鳴らしてアケルは足を速めた。常ならばのんびりと進む旅であっても、用事を抱えていてはそうもいかない。 「急ぎますよ、ラウルス」 「だから、俺が言いたかったのはそれだってーの」 「はい?」 ラウルスの心の声を、アケルはできるだけ聞かないように努めている。聞きたくないわけでは当然にない。意識しなくとも、聞こえてしまう。非常時ならばそれでいいけれど、普段からそれでは驚きが薄れるというもの。 「だからな、使者を務めるってのは、神人の用事だろうが」 「僕らの用事でもありますよ」 「ま、それはそれ、だ」 いい加減な、そうアケルは笑う。むしろ自分たちにこそ重大な用事だ、とアケルは思っている。戦争を止めること。今回のこと一つではなく、でき得る限り永続的に。 「当面、することしなきゃ死ねないみたいですけど、それが明日なのか、千年後なのか、それは僕らにはわからないことでしょう、ラウルス?」 それすらも、あやふやだった。当初は、妖精族の移住こそが自分たちの役目であったのか、アケルはわずかにそう思っていたものを。だがあれからずいぶん長い時間が経ってなお、二人は依然、生きている。 「だったらね、僕は思うんです。僕らが死んだ後でも、あなたがこの地から姿を消しても。陰ながら人々を守ってきた僕らがいなくなった後でも、みんなが幸せに過ごせるようにって」 「まぁ……それは、確かにな。俺たちが死にました。戦争が起こりました。壊滅ですってのはどうにも、なぁ」 「でしょう?」 「守れるものならば守りたい。お互い、こうやって俺はお前に、お前は俺に。会う前からしてきた自分の務めだよな、アケル? でもな」 ふ、とラウルスの口調が変わった。アケルは隣を歩く彼を見る。アケルの王を。 「自分の分ってのを忘れるなよ。できること、できないことがある。理想を語ればきりがない。その上、得てして理想ってやつはたちが悪い。独りよがり自分勝手なものになりがちだ。自分が正しい、絶対だって思うのは、間違ってるだろ?」 「神人ですか?」 「それより先に、覚えがあるだろ?」 言われてようやく思い出す。その事実に、アケルはぞっとした。忘れていたことに、ではない。二の舞を演ずる羽目になりかねないほど、記憶が薄らいでいた事実に。もう、覚えている価値もないこと、と判断していた自分に。 「スキエント――」 「そのとおり。あれは、自分が正しい、自分に力がないのがおかしい、自分が絶対者だって、思い込んだわけだよな。どこまでがスキエント本人の思想だったのかは、今となっちゃわからんが、本人がどこかでそう思っていたからこそ、混沌につけ込まれた」 「できること、できないこと……。だったら、僕らはどうすればいいんでしょう……」 「できることを、できるだけやりゃいいんだ。簡単なことだ。いずれ人間、できることしかできねぇよ」 粗暴な言葉。無頼めいた態度。それでもそこにいるのはかつての王。アケルは足を止め、彼の王を見つめる。 「なんだよ?」 訝しそうなラウルスに、手を触れることもできなかった。ただ、黙って彼を見つめることしかできなかった。 「アケル?」 伸びてきた腕が、不安そうに包んでくれた。それにラウルスを聞く。アウデンティースであり、ラウルスでもある男。久しぶりにその乖離を聞いた、そんな風にアケルは思う。 「声を、聞かせてくれませんか」 胸の中、ラウルスの鼓動を聞いていた。確かな腕と、熱い肌を聞いていた。 「アケル?」 自分の名を呼ぶ彼の声を聞いていた。もっと。無言の要求に応える彼の声を聞いていた。 「愛してるよ、アケル。どんな無茶しようが、機嫌が悪かろうが、お前が可愛くってならない俺は、やっぱり趣味が悪いのかな?」 どことなく笑った声音。それなのに真剣この上ない声。アケルにだけ差異の聞き取れる、照れた彼の声。 「悪いと思いますよ」 「あのな!」 「僕も立派に趣味が悪いですから、お互い様です。ちょうどいいじゃないですか」 「お前なぁ」 ぐい、と胸を押しのけてアケルが腕から逃れ出た。そのまま足を速めて歩き出すその足取りに彼を思う。 「なに笑ってるんですか!?」 「照れてるなぁ、と思って。可愛くってなぁ」 「頭おかしいんじゃないですか!?」 「お互いさま、なんだろ?」 「……悔しい!」 何がだ、と首をかしげつつラウルスはアケルに追いつき追い越す。いつもほんの半歩、ラウルスは彼の前を行く。アケルを危難から守りたくて。そのようなことを言えば自分も戦えるのだと彼は言うだろうけれど、否、言わなくとも、聞こえてはいるだろうけれど。 「だってそうじゃないですか! 言い返せないのって、本当に悔しい!」 「要するに、だ。お前も自分の頭がどうかしたのかと思うくらい俺に惚れてる、と。いいことだよな、うん」 「ラウルス!」 「吟遊詩人の声量で怒鳴るな。耳が痛いだろうが」 「怒鳴らせてるのは誰ですか! ただでさえ歩き詰めで疲れてるんですからね! よけいに疲れさせないでください!」 「――で、ようやく話が戻ってきたな。どこをどう通ったら本題に戻ってきたもんか、俺にも見当がつかんが。……いや、やめとくか。考えるとまた横にそれそうだ」 「なんの話ですか!?」 ぶつぶつと言うくせに声だけはかすかに笑う器用なラウルスに、またも聞き惚れそうになってアケルは慌てて怒鳴る。ちらりと横目で彼が笑ったから、恐らくは気づいているのだろうとアケルもまた、悟るけれど。 「道中だよ、道中。俺たちにも利益のある提案ではある、確かに。神人が王位に就くってのはな。でも、最大の受益者は神人だろ」 「まぁ、それはそうでしょうけど」 「だったらなんで俺たちだけがこんな苦労してんだよ?」 「神人がたが人間の宮廷に乗り込んでいくよりましだからってことで話は決着したような気がしますけど?」 「だからさ、俺たちだけってのが解せないだろうが。手伝わせるんだったよ、まったく。あいつら、一瞬で移動できるんだぞ? なんで俺たちはてくてくてくてく歩いてんだよ」 「僕らは人間だから、ですよ。文句言わないで……」 さっさと歩け。言いかけたアケルが首をひねった。そのまま身振りでしばし待て、と告げる。言われなくともラウルスはすでに待つ体勢だった。肩も触れ合うほどの人出があると言うわけではないが、三王国を繋ぐ大街道。往来で立ち止まっては人の迷惑。気づきもしないアケルの腕を軽く引いて道から外れて立ち止まる。 アケルは聞いていた。何をかとラウルスが考えるまでもない。世界の声を聞いている。その表情に不安がないことに、ラウルスは息をつく思いでいた。ティリアの死に味わったような衝撃は、二度とごめんだった。 「ラウルス、相談があります。僕を信じますか、あなた」 真顔で言うアケルに、ラウルスはただ大きく笑っただけだった。 |