神人が困惑していた。何をどうすればいいものか、見当もつかないらしい。アケルは気づく。神人たちと言うのは、自分たちで何かを決めて実行する、ということができないのだ、と。否、今までしたことがないのだ、と。あるいは人界への降臨、それだけが彼らの意思で為したことなのかもしれない。
「王になれ、とは理解した。だが――」
 アザゼルが、神人らしくない仕種をした。周囲にいる、仲間たちを見回した。そのような必要は彼らにはないはずだというのに。それだけ深い混乱がアケルには聞こえてくる。
「何をどうするか、だな? アケル」
「丸投げする気ですか、我が王よ」
「そういうつもりじゃないがな、お前のほうがいいだろ」
「どこがですか、僕は山の狩人だって言ってるのに」
 文句を言いつつアケルは神人を見やる。それこそそんな必要はなかった。すでに意志は決まっている。
「神人がたが行くよりは、ましでしょうね」
「だな。と言うことで、だ。我々があなたがたの使者になろう」
「使者?」
 アザゼル以外、発言を控えているのは、意志の統一が図られているせいではない。何を言うべきか、自分が何をするべきか理解していない。
 アケルは少しばかり天界の存在が恐ろしくなる。むしろ、黒き御使いの存在する世界、魔界のほうがまだしも住み易そうだと思う自分自身に。
「神人が使者になって人間の王国に、自分たちも王を立てたと言いに行くよりは我々が伝えに行ったほうがいい、ということだ」
「それは、伝える必要があるものなのか」
「あるものだ」
 真顔で二人とも言葉を交わしているものだから、アケルは溜息をなんとかこらえる。とても聞いてはいられない会話だった。
「それで、ラウルス?」
 長い溜息が、こらえきれなかった。吹き出てしまったそれに、彼が小さく笑う。諦めろ、と言っているようで気が晴れなかった。
「まずラクルーサだ」
「僕はいいですけど。アザゼル様が聞きたそうですけど、理由を」
「ぜひ聞かせてほしいと思う」
 やはり、生真面目な表情だった。刻一刻と、人間くさくなってくる。アケルにはそう思えて仕方ない。それはよいことなのかどうか。わからなくなりつつあった。
「理由? だったらまず人間世界の歴史の講義、と行こうか」
 ラウルスは溜息を隠そうとはしなかった。その程度のことは察してくれと言いたそうであったし、今まで何をしていたのだと抗議をしたそうでもあった。
「我々と人間の在り方はあまりにも違う。理解しようと思ってもできるものではない」
 ラウルスの内心の言葉を読んだアザゼルだった。一応は互いの差異を理解し合おうとの意思があるのだろう。ラウルスは軽くうなずく。
「前提として、だ。現在の三王家の国王は、全員が私の子孫だということは理解しているか」
「理解している」
「だったらラクルーサ王家は、私の直系だというのは?」
 ラウルスはやはり、とうなずく。神人には直系、の意味がわからなかったらしい。黙ってアケルに向かって手を上げれば、そっとリュートを爪弾きはじめる。人間の拙い言葉より、神人たちには世界の声のほうが聞き取りやすいだろう。
「ラクルーサの初代の国王は、私の嫡男だった」
「初めての子供、という意味だな」
「いいや、はじめての男の子供、という意味だ。――が、この場合他にも意味がある。私の次に王になる息子であった、という意味だ」
「理解した」
「よって、現在のラクルーサ王は、アルハイド王家の正統後継者を自ら任じている。自分たちこそが正しいのだから、他は間違っている、と言うことだな」
 どこかで聞いた話だろう、とラウルスは眉を上げて見せた。神人は気づかないのか、それとも気づいても無視するつもりか反応を返さない。アケルがうつむいて小さく笑った。
「対して、シャルマークの初代の国王、女だったからこの場合は女王だが、彼女は自他ともに認める我が愛子。場合によっては彼女がアルハイド女王になった可能性もあった」
「どちらが正しいのか、その場合には」
「どっちも正しいんだ。ミルテシアも加えて三国の初代の国王は全員が我が子。誰がアルハイドの王冠を得たわけではない以上、上下はない。アルハイド王国、という点で見るならば、全員が王子であり王女だ。誰も一番偉くなどない」
「ならば誰が正しいのか。正統はいずれにある」
「そんなものはない、と言っているんだ。全員が自分が正しいと言っている場合、誰も正しくなどない。そもそも絶対善はない、と言ったばかりだろう」
 アザゼルの混乱がアケルにははっきりと聞こえていた。正当であること。善であることこそを規律とする彼らにとって、ラウルスの話はいかにも理解しがたいことだろう。
「ラクルーサ王は、我が長男の血統であるから自分こそが正しいと言う。シャルマーク王は我が愛娘の孫だからこそ自分が正しいと言う。私にすればいずれも馬鹿馬鹿しい限り。子供の喧嘩に民を巻き込むなど言語道断」
 アケルの脳裏にちらりとラウルスが以前言った言葉が浮かぶ。双方を連れてきて、当事者同士だけで殴り合いでもさせればいいと言った彼の言葉が。そうできたならばどれほどいいだろう。どれほど平和だろう。人々が巻き込まれずに済む。その一点だけで素晴らしくも思う。
「そなたたちは、ならば上王か? その名によって彼らを連れてきてその、喧嘩か?を、させるつもりなのか?」
 うっかりしていた。アザゼルに聞こえてしまったらしい。不可解な顔をしているラウルスに、短い言葉で詫びて見せればそれだけで彼は了解した。
「それはできればいいのだが、と言う仮定だ。できはせん。もっとも、王の名において命ずる、という点は悪くはない」
 ラウルスはどこか遠くを見やった。アケルはその眼差しを引き戻したくて小声で歌う。彼の目はアウデンティースの目。鷲の目をした最後の国王。アケルのラウルスでありながら、別人のような彼の王。
「……すまん」
「別に? それで、なぜラクルーサにまず行くのか、ですよ」
「あぁ、それだが。ラクルーサ王は自分が絶対的に正しいと思ってる。この状況でシャルマークを先にすれば、それだけでそっぽを向きかねない」
 だからラクルーサが先だ、とラウルスは言う。アザゼルは理解したのかどうか。アケルにもわからなかった。ただ、ラウルスの言葉を信頼することにはしたらしい。信頼、と言うほど温かいものであったのかどうかはわからないままではあったけれど。
「気を悪くしないでもらいたいのだが――」
 アザゼルが前置きをした。アケルは迂闊にもリュートの弦を弾き損なうところだった。ラウルスは唖然とアザゼルを見ている。
「そなたたちが我らの使者だ、と言って信じるものだろうか。人間は、疑い深き者ゆえ」
 アザゼルは気づかず懸念を口にする。ラウルスは何度か瞬きをしただけで立ち直ったけれど、アケルはそうはいかなかった。強く首を振って耳から音を払いのける。
「それは私にはどうしようもないな。アケル?」
「なんです」
「信じなかった場合、どうする?」
 悪戯をするようなラウルスの声。アケルは気づいている。そうして話しかけてくれる、それだけで自分の耳に残る奇妙な音は消えてしまうと。それをラウルスも知っていることを。
「信じさせますよ、力ずくでね」
 肩をすくめて言えば、神人が顔を顰めた。戦う、と言うこと自体が苦手、と言うよりは静謐であろうとするあまりに疎んじている、と言うところだろうか。
「アケルの力ずく、だと私は非常に楽しい経験ができるというものだな」
「どういうことだ、アウデンティース王よ」
「簡単なことだ、アザゼル上王」
 にやりとラウルスが笑った。たとえ言葉の上だけであろうとも示された敬意には応えようと。ただアケルはぞっとしていた。勘違いではなかった。本当に、神人が急速に変わりつつある。それが、恐ろしかった。
「アケルの声は世界の声。信じない愚か者がいたとしても、アケルの歌で理解する。その歌声を聞く私は大変に楽しい。そういうわけだ」
 単純なことだろう、とラウルスは笑った。神人には、理解しがたいことだろう。ラウルスもそれは感じている。
 それを理解しろとは言わなかった。人間には敵わない上位者であろうとも、神人はいずれにせよ異種族。この世界にはかつて妖精族がいた。彼らもまた、人間にはできないことをした。ならば、神人も、それとどう違うというのか。単に種族が違う。それだけのこと。ラウルスは割り切っている。
 種族が違うのだから、理解し合えないとは言わないし、言いたくはない。だが、理解できないことがあるのもまた事実。
 それを悲しいと思うか、相手が悪いと思うかは自分自身の感じ方一つだ、とラウルスはそう思う。できれば、理解できないことを相手の責任にはしたくない、そう思う。
 ――少しは、恨みが薄れたか。
 内心の呟きに、アケルが眼差しを上げた。晴れるわけもない憎しみが薄れたのを喜ぶようでもあった。本当にそれでいいのかと問うているようでもあった。
「民のためになれば、俺はそれでいい」
 アケルはそっと息を吐き出した。軽やかにリュートを奏でる。
「あなたって人は、昔からそうだ。人のため、誰かのため。いつも自分はいちばん最後」
「それが、守護者と言うものだ。それが、王であるということだ」
「だったらあなたのことは誰が考えてくれるんです?」
 そこにいる神人ではないだろう。アケルは言う。ラウルスが嘆き悲しみ苦しんでいる間、彼らは何一つとして手を貸してはくれなかった。呪われた者と蔑んで、遠くから侮蔑の目で見るだけだった。ラウルスが忘れても、アケルは決して忘れない。
「馬鹿か、お前?」
 くっと喉を鳴らしてラウルスが笑った。朗らかで、アザゼルすらも目を奪われるほど鮮やかに。
「忘れたのか、アケル。俺にはお前がいる。俺のことは、お前が考えてくれる。お前のことは俺が考えている。そうだろう?」
 神人などが手を貸してくれなくともいい。天界にいるのかどうか知らない神々も、黒き御使いも魔王もどうでもいい。
「俺にはお前がいる、アケル」
 笑って差し出された手。アケルもまた微笑んでその手を取った。




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