案内された広間は、眩しかった。明るいのではない。灯りそのものはごく当たり前のもの。ただ、光と言う概念が奔騰していた。 アケルとラウルスは、大異変の日、のちに神人と呼ばれることとなった天の御使いが降臨してきた瞬間を思い出す。まるで光の滝だった。 いま、あれと同じものが広間にあふれている。二人して顔を顰めわずかに顔をそむければ、神人たちは気づいたのだろう。少しずつ光が弱まり、そして彼らの姿があらわになる。およそ二百人ほどだろう神人が勢ぞろいしていた。 「よくぞ参られた」 神人たちは並ぶでもなく三々五々と集まっている。それなのにそこには規律がある。アケルは彼らの姿にひとつうなずく。ラウルスは、首をかしげた。 「御用と伺ったが」 意外だった。いまだかつて神人から丁重な言葉をかけられた覚えがない。呪われた者だの汚らわしい者だの言われた記憶ならばいくらでもあったが。 「――先ほどの話を聞かせてもらった」 案内してきた神人との会話のことだろう。やはり、とラウルスは思う。アケルはさらに深い場所で確信した。彼らにとって言葉とは重要なものではない、否、声に出してする会話が重要なのではなく、他の手段で意思疎通を図っているのだと。 「そなたらが、我らにとって呪わしい者である事実までは否定はしない。だが……」 一人が言えば、誰かがうなずく。それが人間である二人に見せている仕種だ、と気づく。変化していた、神人もまた。世界だけではなく、彼らも。 当然だ、とアケルは悟る。この世界に存在する以上、天の御使いだとて世界の影響は免れ得ない。だからだった。アケルは思う。少しだけ、人間くさくなった、と。それはおそらく、人間の女を愛したせいだ、とも。 「そのとおりなのだろう。人間と言う存在は、我らにとっては汚れた者。だからこそ善に導く使命がある。そのように心得てこの世界に降りたが――」 「美しいものもある、そう知った。決して堕落したものだけではない」 「あのような美こそ、神々のなしたこと。ならば」 「我らにとって人間とは必ずしも汚れ堕ちた者であるだけではない、と知った」 二人には、誰が話しているのか見当もつかなかった。誰が喋っていても、あるいは同じことだった。それが神人の総意ならば。 あるいは、総意などというものはないのかもしれない、アケルは思う。規律に従い統一された意思。それこそが彼らの在りかたであるのかもしれない。わずかに背筋が冷えた。 「そなたらは――」 「魔の手に堕ちた者ではある。だが、人間でもある」 「一様に汚らわしいとはすでに思わぬ」 たぶん、詫びているのだろう、これまでの様々を。とてもそうは聞こえなかったけれど、ラウルスはそれで致し方ないもの、と納得する。ちらりとアケルを見やった。 「えぇ、あなたの言うとおりだと思いますよ」 心の響きにアケルがうなずく。さすがに彼は納得できないのだろう。むしろしたくないのだろう。若いな、ふとラウルスは思っては心に微笑む。 「僕は一介の庶民。山の狩人ですから。政治と言うものに疎いんです」 「ここで納得しとくことが政治的に有効な手段だってわかってれば充分なんじゃないのか?」 「なんのことです?」 にこりとアケルが微笑む。苛立っているのだろう、目許に険があった。ラウルスは無理かもしれない、と思いつつ、脳裏に彼の手を思い描き、なだめるようにとってみた。不意にアケルの眼差しが和らぐ。どうやら伝わったらしい。 「それで、神人がた。なんの御用ですか」 アケルは態度を決めかねていた。いままで友好であったことはかつてなく、いまなんの用で呼ばれたのかもわからない。丁寧とは言えない語調はそのせいだった。 「相談がある」 神人に言われ、アケルはその場で卒倒しなかった自分を心の底から褒めたくなった。恐る恐るラウルスを見やれば、彼もまた唖然としていた。 「なに?」 相談、とはどういうことなのか。神人が、呪われた人間と、悪魔の手が触れた人間と何を語り合いたいと言うのか。 「人間の、王国のことだ」 二人の驚きなど意に介した様子もなく、神人は言う。その言葉でかえってラウルスの腰が定まった。いまこの時点で王国のこと、と言うならば話はひとつ。 「シャルマークとラクルーサか」 「争いが起きようとしている、と聞く」 「止めたいと思うのか、それとも相争わせてそちらの言う汚れた者を淘汰しようと言うのか。それ次第で話は変わる」 まるで切りつけるようだった。アケルには、ラウルスが剣を抜いた心の音が聞こえていた。手は動いてなどいない。だがラウルスはいま、もしも神人が淘汰の道を選択するのならばこの場ですべてを切って捨てる決心をしたのが聞こえていた。 「ご助力いたしますよ、我が王」 小さく呟き、アケルはリュートの弦に指を添える。守りは自分に任せろ、そう言ったつもりだった。 「なにを言うか……」 だがラウルスの言葉にこそ、神人は驚いたようだった。はっきりと表情が驚愕に変っている。その変化より顕著だったもの。アケルに神人の響きが聞こえた。たとえようもない驚きの声が。そのようなことは微塵も考えていなかったとの声が。す、とアケルが弦から指を離す。その仕種に目を留めたラウルスもまた、緊張を解いた。 「我らは元々争いごとというものを好まない。静寂であることこそが望ましい。ゆえに、これはそなたらにとって解釈し易いのならば我らの望みである、と思ってもらってもかまわない」 「人間のために、とは言わないのだな?」 「瞬きよりなお短い時間で死ぬ人間が争いで更にその命短くなるのは哀しく思う。争いは、人間のためにはならない、とも思う。だが」 「自分たちが人間に死なれるのは嫌だ、うるさくされるのも嫌だから戦争を止める。そう思ってかまわない、と言うわけだな?」 「……語弊はあるが、人間の言葉は精密さにかけるゆえ、それでかまわない」 どことなく不満そうな声だ、とアケルは思う。ラウルスも、わざと煽り立てるようなことを言っているのだから当然だった。 「それで?」 自分たちに何をどうしろと言うのか。ラウルスが意外とあっさり納得したのに神人がなぜかざわめく。静かだった、それでも。アケルは気色悪くてかなわない。 「忘れてもらっては困る。私はかつて王だった。紆余曲折の末、現在に至りはするが、いまなお民の守護者であるのは当然と思っている。陰ながら、ではあるものの」 それは守護者の任を買って出たくせに何をしているわけでもない神人に対する当てこすりだったのだろう。アケルはそれと知ったが彼らはどうだろう。何を言われているのかわからなかったに違いなかった。 「戦争などになれば、罪もない民が犠牲になる。神人にしてみれば罪のない人間などいないのだろうがな。私にとっては違う。いつの時代も犠牲になるのは、彼らだ」 首を振り、嘆くラウルスに神人たちは何を見たのだろう。はじめてそこに「呪われた何か」ではない存在を見たのかもしれない。 「――我が名はアザゼル」 「アルマロスだ」 「タミエルと言う」 口々に神人たちが名乗っていく。さすがに全員ではなく、数人ほど。それは名乗りたくないから避けたのではなく、おそらく指導的立場にあるものが代表して名乗った、と言うことなのだろうとアケルは見当をつけた。 「なんと呼べばいいのか、かつての王よ」 第一歩だ。アケルは不意に身の内に震えを覚える。神人が、こちらに歩み寄っている。人間に、ではない。呪われた者にでもない。この世界に。 「アウデンティース・ラウルス・ソル・アルハイド。ただし、ラウルスと呼んでいいのはその男だけだ」 アケルに向かってラウルスは顎をしゃくって見せる。傲慢な仕種にアケルは照れを聞いた。が、神人はどうだったのだろう。 「ならば」 「アウデンティースでいい」 久しぶりにかつての名を名乗ってラウルスはどことなく腰が落ち着かなくなる。それでもラウルスとは呼んでほしくなかった。 「そなたは。世界の代弁者よ」 「アクィリフェルです。同じく、アケルとは呼ばれたくない」 「それは、なぜか尋ねてもいいのか」 神人が、妙に人間のように見えてきた、ラウルスにも。解釈として間違っているし危険でもある。彼の国王としての本能がそれを告げてはいる。だが変化しているのもまた確実なことだった。 「人間には、愛する者にだけ許す呼び名、というものがある」 「アウデンティースは、アクィリフェルを愛しく思うのか」 「悪いか」 胸を張って言っているものの、ラウルスが照れていることをアケルは聞いていた。なぜこんなときに堂々と照れるのだ、と頭を抱えたくなってくる。 「アクィリフェルは、我が目には人間の男性、と映るが」 「ほっといてくれ」 「それは……」 「人間は、性差による選り好みをしない、と言うことだ。神人は女性にしか興味がないようだが」 「我が王。誤解を招く表現は慎んでください。違いますから、神人がた。そのような人間もいる、と言うだけのこと。全員がそうではないですし、大多数的には異性愛者のほうが多いでしょう」 「少数派だからと言って迫害もされはしないと言うのが人間世界だがな」 「それは違いますよ、ラウルス? おそらく神人がたの世界、天界には少数派、というものは厳密には存在しないんだと思います。意思の統制が完璧に取れた世界に少数などというものはない。そうでしょう?」 アケルの言葉に神人は再び驚いたらしい。なぜそれを知っている、と顔に表れていた。アケルはただ肩をすくめる。何度言ったらわかるのだろう。自分はこの世界の代弁者。世界が語ることならばたいていのことは聞こえる。 「我々の性的指向などどうでもいいことだと思うが。問題はシャルマーク・ラクルーサ間の戦争だ」 ラウルスの言葉にその場の空気が引き締まる。アケルは神人は生真面目だ、と小さく笑いそうになった。本当は知っている。ラウルスが羞恥に耐えかねてあえて厳しい口調をとったのを。横目でアケルを見やったラウルスは目許だけで、聞き取ったアケルを睨んで拗ねていた。 |