シャルマークの王都から南東、メディナの地に二人は向かっている。もうずいぶん前に亡くなったカーソンの墓参りだった。
「なんだか墓参りばっかりしてるよな」
 ラウルスが明るく笑うけれど、アケルとしては朗らかな気分になどなれない。
 思えば、自分たちを知っている人はあの日にすべて失った。そして自分たちが知っている人も、こうして少しずついなくなっていく。
 ならば、せめて忘れたくない。常日頃から決して忘れない、と言えるほどの心の広さはない。それでも忘れはしない。たまにでもいい、だから亡き人たちの墓参をしたい。そうして二人は大陸各地の墓参りをしている。
 ラウルスが積極的に行きたがらないのはハイドリンくらいなものだった。あそこにはアウデンティース王の早世した妃、ロサ・グローリア王妃の墓もある。
 はじめは自分に気を使っているのかとも思ったアケルは、嫌がるラウルスを引っ張っていったものだった。
 亡き王妃の前に顔を出せる男ではない、とアケルはわきまえてはいる。だがラウルスは顔を見せるべきだ、と思う。何はどうあれ、彼は生きているのだから。
 生きているのならば、色々なことがある。いいことも悪いことも。それを愛した王妃に語ってなにが悪い。むしろ、語って欲しい、そうも思う。もっとも、多少は意地、というものもあったけれど。
「最近になって、ようやくわかったんですよ」
「ん、なにがだ」
「あなたがハイドリンに行きたがらない理由」
 ちらりとアケルは笑った。他意はない、王妃のことを言っているのではない、彼にもそうわかるように。
「別に……」
「行きたがっていないのは、知ってたんですけどね」
 ちょん、とアケルは自分の耳をつついた。なにをどう言おうが、聞こえているのだから言い訳は無駄、と言外に言えばラウルスが困り顔のまま笑った。
「あそこ、慰霊碑があるんですね」
「知らなかったのか」
「気がつかなくって」
 大異変で亡くなった人々の慰霊碑が、いつしかハイドリンにはできていた。言うまでもなく、作ったのは今ハイドリンを居城にしている神人ではない。
 名も知れぬ民たちだった。
 復興が一段落したころだったか。ラウルスは思い出す。彼らは、亡き人の面影をハイドリンに求めた。当然、遺品など見つかるはずもない。それでもハイドリンを人々はさまよった。
 そして誰かが発案したのだろう。その名も伝わってはいない。人々は、なけなしの金を持ち寄り、石材を買い求め、石工の技を持つものが彫り、技術のあるものが碑を立てた。慰霊碑の下には、見つかるかぎりの遺品が納められている、とも言う。
 だからこそ、ラウルスはハイドリンを訪れたがらない。慰霊碑を見れば自分の罪を思うのだろう。何もできなかった、そう嘆くのだろう。
 アケルは大異変で亡くなった人々が彼に怨嗟の声を上げるとは思えない。どれほど助けたかったか、亡き人々は知っている、そんな気がした。
 人は、少しずつ彼らのことを忘れていく。元よりラウルスもアケルもその一人ひとりを知りはしない。けれど、亡くなった人々がいる、その事実は今でも二人の胸を焼く。生きている他の人たちはいい。そうして忘れて、生きていくのが当然だとラウルスは思う。そうしなければ、生きていかれないのだから。だからこそ、自分は忘れない。そう誓わなくとも忘れられなどしない。名も知らぬ、顔も知れない人々の、失われた命のひとつずつを。
「王家の墓所を、直してくれたのも、庶民でしたよね」
 物思いに沈みかけたラウルスを救い上げるアケルの声。隣を見やればそっぽを向いていて、ラウルスは感謝の印とばかり軽く頭を下げる。そして背後を振り返った、ハイドリンの方角を。
 大異変でアルハイド王家の居城、ハイドリン城は壊滅した。何一つとして正常に残ったものはない。王家の霊廟もそのひとつ。
「最初にロサの墓参りに行ったときには、物の見事になんにもなくなってたよな」
「廃墟のほうが救いがあるくらいに綺麗になくなってましたね」
「だから神人が嫌いなんだ、俺は」
 ぼそりとラウルスが言う。壊滅したハイドリン城は、神人がいつの間にか美しい城に作り変えていた。そこにアルハイド王の居城があったとはとても思えないほど自然に、はじめからそこにあったよう、神人の城はある。思い出も何も踏み付けにして。
「でも二度目に行ったときは――」
「ちゃんと墓が作られてたな」
「さすがに王妃様の正式名ではなかったですけど」
「無茶言うな。知ってるわけがない」
 からりとラウルスは笑った。正しい名もわからない、ただロサ王妃としかわからない。もう遺骸もない。真実、名ばかりの墓だった。墓と言う名だけがそこにあって、墓ではない。けれど故人を偲ぶ色がそこにある。
「みんな、やっぱりアルハイド王家が好きだったんですよ」
「そうか?」
「尊敬してるってだけなら、そこまでしないんじゃないかなって思います。大好きだった王様まで亡くなって、だからせめてなくなったお墓くらい立て直したいって。そういうものかなって」
「まあなぁ。ありがたいことだがな」
 渋い顔のラウルスだった。アケルには理由がわかっている。王家の墓、として整備された場所には、ラウルスの墓があるのだ。アルハイド王国最後の国王、猛き鷲にして民の守護者、偉大なるアウデンティース王、と墓碑銘が刻まれた立派な墓が。
「自分の墓を見るってのは中々ぞっとしないぞ?」
「あなたは生きてますけど。でもあなたのお墓じゃないですか」
「うん?」
「あなたのっていうか、アウデンティース王の、かな。あなたの頭の上に乗っかっていた王冠のお墓ですよ、あれは」
 肩をすくめるアケルにラウルスは吹き出しそうになる。言っていることはたぶん正しい。それにしても言いようというものがある気はするが。
「お前にかかると国王も形無しだよな」
「敬ってましたけど?」
「どこがだよ!? 散々怒鳴られて罵られて、挙句には蔑まれた気がするのは気のせいか、俺の!」
「気のせいだってことにしておいたほうが平和ですよ?」
「お前は平和でも俺が不穏だ」
 きっぱりと言い切ったラウルスにアケルは大きく笑い声を上げた。その拍子に指が触れ、リュートが音を立てる。涼しくて、甘い。アケルの心のようなその音色。
「なに笑ってるんですか!?」
「笑ってねーよ!」
「嘘です! いま絶対に笑いました!」
「違う。微笑んだんだ。可愛いなぁって思ったんだろうが!」
「笑ってるじゃないですか!」
「言葉が違うだろうが、言葉が! 言葉の定義をはっきりさせろ、それでも吟遊詩人かよ!」
 ラウルスが声を荒らげつつ笑えば、アケルは鼻を鳴らす。思わせぶりに腰の短剣に手をやり、横目でラウルスを見やる。
「僕は狩人だって、いったい何度言ったらわかるんですか!」
「現状、吟遊詩人だろ」
「……ほっといてください!」
 返す言葉がなくなったアケルが憤然と足を速め、ラウルスはそれを追いかける。何度も繰り返してきた気がする。そのくせ、常に新鮮だった。
「っていって、ほっとくと怒るんだよな、これが。まったく扱い難いったらありゃしねぇよ」
「だったら捨てたらいいでしょ!」
「捨てられるかもしれんと思うことはあっても、捨てる気はないな」
 あっさり言うラウルスに、アケルはどこかを向いたまま頬を染めた。大袈裟に愛を告げられるより、冗談のように茶化されるより。こうして淡々と口にされた言葉のほうがずっと心に染みる。
「アケル」
「……なんですか」
「怒ってるのか照れてるのかわからんがな。――愛してるよ、アケル」
 声がにんまりと笑っていた。アケルは思い切りよく振り返り、長い髪がラウルスの顔を打つのを認めて目を細める。
「人がせっかくいい気分でいるのに、どうしてそうやって茶化すんですか! あなたなんか……!」
「それでも俺が好きなんだもんな、お前。かなり趣味が悪いと思うぞ」
「あなたにだけは絶対に言われたくないです!」
「……自覚はあるわけか」
「ほっといてください! 今度こそ、ほっといてください! 何か色々とかまってきたりしたら、本当に別れてやる!」
 前に向き直り、足を速めて今にも走り出しそうなアケルの背中にラウルスは笑った。足早に追いついて、黙って隣を歩けば気づかないうちにアケルの足取りも元通り。
「あなたなんか……」
「まだ大嫌いか、うん?」
「そうやってからかうから、言い返したくなるんです」
「結局いっつも悪いのは俺ってわけだよな?」
 にやにやとするラウルスを目の端で捉えてアケルは笑いをこらえる。いかにももっともらしげな顔を作ってラウルスを睨んだ。
「ですから、僕は言っています。そうやって甘やかすからあなたのせいなんです。僕が悪いときには僕が悪いって言えばいいんですよ」
「ま、本人に自覚はあるみたいだしな。だったらほっといてもたいして問題はないしな」
「……そう言うときだけ、僕を年下扱いするんだから」
「別に大人ぶってるわけじゃないぞ? だいたい俺は大人としてはだめな部類だしな」
「えぇ、それはそう思います」
「……だから! せめてそこは否定しろよ!? そんなことないですよ、あなたが好きですから、くらい言えないのかよ、お前は!」
 両手を振り上げ振り下ろし、憤懣やるかたないと言いたげなこの男の、子供のような態度。アケルはそれこそに心躍る。
「僕に嘘をつけ、と?」
 心外でたまらない、そんな顔で言えばラウルスは大きく溜息をついた。アケルの本心ではないとわかってはいたが、それにしてもわざわざ眉まで上げて見せなくてもいい、そう思う。
「妙に世故長けていたかと思えば、いまみたいに馬鹿じゃないだろうか子供じゃあるまいしと思うこともある! わかりますか、ラウルス? どうしようもないだめ男であろうとも、僕はそんなあなたがいいんです! 愛するあなたの一部を否定してどうしろって言うんですか!?」
 時々ラウルスは思う。愛されているのは確からしい。たとえその愛の言葉が怒声を伴っていたとしても。愛されているのだけは、確からしいと。




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